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介護夜汰話
変えられないものを受け入れる心の静けさを  変えられるものを変えていく勇気を
そしてこの2つを見分ける賢さを

「投降のススメ」
経済優先、いじめ蔓延の日本社会よ / 君たちは包囲されている / 悪業非道を悔いて投降する者は /  経済よりいのち、弱者最優先の / 介護の現場に集合せよ
 (三好春樹)

「武漢日記」より
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」
 (方方)

 介護夜汰話



List

認知症老人のコミュニケーション覚え書き その⑦「自己決定」より「共同決定」
緊急メッセージ 脱原発のために新聞と携帯をチェンジしよう!
還(かえ)り道の思想へ
メッセージ
帰還兵
『一つになる』前に原発関連死の責任を問え!
『ブル新』というコトバを思い出した
小沢と鳩山にも天罰
認知症老人のコミュニケーション覚え書き その⑥「老人の自己決定」という言い訳
緊急発言(許転載!)石原にこそ天罰
トークセッション 芹沢俊介×三好春樹 介護と家族と死と
認知症老人のコミュニケーション覚え書き その⑤「意味だらけの世界」になっていないか?

2011 ①
2011年5月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
        その⑦「自己決定」より「共同決定」

“自立した個人”を前提にした発想や方法論は、人間の表層にしか通用しないものだ、と前々号で述べた。自己決定が尊重されるためには、自立した個人であって情報がちゃんと入ってきて、いくつかの選択肢が与えられ、しかもそれを合理的に判断することが前提になければならない。

じつは、資本主義というシステムもそうだ。消費者がいくつかの商品という選択肢の中から合理的判断で選択するから公正な競争となってうまく運営されることになっている。
ところが、人間は合理的に判断なんかしない。それどころか、意図的な宣伝文句や集団心理によってどう考えても非合理な選択をしてしまう。リーマンショックもサブプライムローン問題も大恐慌もそれだから起こるのだ。だとすると“自立した個人”を前提にしたとしても、資本主義はうまくいかないことがわかる。

つまり、世界には“自立した個人”しかいないという無謀な条件を立てたところで、資本主義すらうまくいかない。もちろん“自己決定の原則”で老人介護がうまく行くわけがない。なにしろ老いというのは“自立した個人”という狭い人間観から解放されていくことなのだから。
したがって、私たちは「自己決定の原則」にとらわれず、さらにそれに疑問をもつことは、まず老人を“自立した個人”という狭い枠に閉じ込めないということである。

そして、私たちの介護観の貧困さや知識、技術の至らなさや誤りを、“老人の自己決定”を理由に免罪しないということである。だって、自立していると思える人さえ、純粋な自己決定なんてものはどこにもなくて、関係的な自己による関係的な自己決定しかないのだから。

特に要介護老人となると、介護している私たちの圧倒的な影響下にあることは言うまでもない。老人の自己決定とは私たち介護職の自己決定であると言ってもいいくらいである。

24歳で特養ホームに就職した私の仕事は、午前中は離床介助。何しろ、当時はめずらしく「寝たきりにしない」というのを介護方針の第一に挙げていた施設だったから、月曜から土曜までの毎朝、全員離床の朝の会が開かれるのだ。午後からは特浴介助。当時の私たちは生活的な入浴法なんかわかってないから、歩けない老人はみんな特浴が当たり前で、50人中36人が特浴だったのだ。

私はその特浴の担当者。といっても浴槽に湯を張ったり、老人の身体を洗うのは担当の2人の寮母。私は老人をストレッチャーで居室から浴場まで移動するのが仕事。でも仕事は朝から始まっている。というのも、事前に今日はあなたの入浴の日ですよ、何時頃に順番が来ますよ、というのを伝達する仕事があるからだ。

これが大事。だって老人自身がその気になっていれば私たちの仕事は「主体的行為の介助」になるが、その気になっていなければ「動作の介助」になってしまうからだ。老人が主体になるか、“重量物”になるかが決まってしまうのである。

でもこの伝達が難しい。朝から伝えておかないと何かと準備が大変な人がいる。Eさんはお気に入りのリンスがなくなっていると施設中を探し回って同じものを使っている人から1回分貸し出してもらわねばならない。Sさんは、入浴で部屋にいない間に金を狙われるからと、大事なものを半日かけて隠さねばならない。

一方、早く伝えることで、早々とその気になって「風呂はまだか」とナースコールを鳴らし続ける人もいる。こんな人は直前に伝えなければならない。
風呂に入るかどうかの確認も私の仕事だった。検温は看護婦さんがやるのだが、この人はじつにおおらかな人で、「ちょっと熱があるけど元気だから大丈夫」なんて伝えてくれる。むしろささいなことを理由にして入浴したがらない老人が多かった。「今日は熱がある」。検温は平熱。さすがに80を超えると自分で決めるのだ。「息子が面会に来る」。そんな予定はないのだが。

そんなある日、気づいたことがあった。ほぼ全員が入浴する日と、入浴しない人が多い日があって、それがどうやら私の体調によるらしいということだ。
体調がいい日はほぼ全員入る。本人が迷っていても「そんなの平気、平気。いい湯だよ」と半ば強引に入浴させるのだ。しかし二日酔いのときには「あっそう、じゃあ、来週入ろうね」。粘りがないのである。だから入浴しない人が多いのだ。

“2?3人休んでくれたら早く終わって楽なんだが”と思っているわけではない。なにしろ当時の私は20代。老人には週2回しかない入浴の機会である。一人でも多く入浴してもらって気持ちよくなってもらおう、なんて考えていた。しかし私の無意識は態度に出て、老人の“自己決定”に大きな影響を与えていたのである。
私が「自己決定より共同決定」という格言をつくったのはこのときの体験からである。

2011年5月  脱原発のために新聞と携帯をチェンジしよう!

~ 緊急メッセージ ~
Bricolage5月号発刊!表紙及び、「介護夜汰話スペシャル・経済より命、原発より介護」をぜひ読んでほしい。
原発と老人介護は相容れないことが明らかになったと思う。さらに6月号には、このHPで発表した「石原にこそ天罰を」に大幅加筆して「国家よりいのち」という副題をつけたものを掲載する。老人介護と国家もときとして二律背反となることは心しておこう。

原発をなくすために私がやってること、やるつもりのことを2つ報告する。
まず新聞を変えた。朝日から毎日へ。腰が引けてる朝日に対して、「浜岡を止めろ」と主張している毎日へチェンジした。サンケイや読売をとってる人ももちろん、すぐやめて毎日にしよう。契約が残ってる人は、引っ越しするからと言えばいい。

もう一つ。家族4人揃って携帯電話をソフトバンクにチェンジする予定。
孫正義の100億円の寄付に感激したのではない。そんなもの介護職の1万円のカンパのほうが立派だ。心が動いたのは彼が原発が間違いだったとはっきり表明したことだ。こんな経済人は他にはいない。
毎日新聞にも孫正義にもすざましい圧力や脅しが来てるだろう。
私たちにできることはこんなことぐらいだ。ぜひ続いてほしい。

2011年5月   還(かえ)り道の思想へ

~経済より老人のいのち、原発より介護~
東日本大震災・津波についての衝撃は、いまだに私の心と身体の中に余震のように続いている。それは簡単に表現できるものではないように思われる。それでも私は、たくさんの衝撃の中でも、ある複雑な衝撃については早く語っておかねばならないと思っている。

それは、原発についてである。原発事故についてのテレビの報道規制の露骨さには驚いた。福島第一原発で働いているスタッフの家族からのメールが紹介された。その内容はすでに日刊紙で報じられていて、私はほぼ全文(と思われる)を知っていた。それは要約すれば「地震は天災です。しかし原発事故は人災です。それは東電の原発がここにあったから起きたのです」という内容だった。

ところがテレビ番組では「地震は天災です」まで紹介してその後はプッツリ切られていたのだ。そして、夫を心配する家族愛の話になっているのである。テレビ局は、原発を推進してきた財界と自民党と電力会社とずっとタッグを組んできた。東京電力をはじめとする全国の電力会社は最も大口のスポンサーである。東電管轄地域の人たちは、“TEPCO“のコマーシャルをさんざん見せられていたはずである。

見るがいい。テレビ番組に出てくる原子力の専門家はみんな御用学者である。かれらの「安全」を信じたばかりに、私たちはこんな目に遭っているのだ。そのうえテレビ局が率先して“節電“を呼びかける。だったら5つもある民放が、順番に 5 日に1日放送をやめりゃいいじゃないか。どうせ同じようなことしかやってないのだから。特に BS なんか、テレビショッピングしか流してないんだから全部やめればいい。節電というなら、まず自分が率先しろよ。

震災後、何人かの同世代の知人と会った。彼らもまた私と同じく“複雑な衝撃”を受けていた。私たちに共通していたのは一言でいえば自己嫌悪である。なぜあの時代に原発を止められなかったのかという後悔であり、とうとう起きてしまったことへの責任感のようなものだ。若い世代は違う。彼らは原発を当たり前のものとして育った。むしろ、地球温暖化防止の“クリーンエネルギー”(!!)だと教えられてきたのだ。

でも私たちは違う。核エネルギーを導入するにあたっては激しい反対論があり原発の建設にも地域ぐるみの反対運動がくりひろげられた。もちろん私も反対。私の反対の根拠はいくつかある。子どものころに広島で育ち、放射能の怖さを身近に見聞きしていたことも一つ。さらに最新科学である核を十分コントロールできるのかという不安、そしてそれを「安全」と言い切る科学者たちの傲慢さへの不信、政府、財界、マスコミをあげての推進という「大政翼賛会」のような、キャンペーンへの本能的反発などなど。今思えばこうした素朴で直観的な反対論こそ正しかったことがよくわかる。

それでも彼らは「想定外」と言えば済むと思っているらしい。一句つくった。「想定外、想定外で、地獄行き」想定外ではない。想像力不足だ。いや傲慢である。その傲慢さはまだ続いていく。静岡県の中部電力の浜岡原発は、今回の経験から 12 mの防波堤をつくるのだそうだ。やれやれ、津波で壊れた防波堤のコンクリートが原発にぶつかって大破するだけではないか。

テレビはもちろんだが、新聞や雑誌の報道にも私は違和感だらけだ。菅首相を揶揄する記事がじつに多い。たしかに頼りない。しかし財界や東電とベッタリで原発を推進し続けてきた自民党ならもっとひどかったことは疑いない。住民とともに総撤退して、後は野となれ山となれ、なんて可能性だって強かったと思う。東電へのバッシングも多い。テレビ局と違って東電からはあまり広告料をもらってないのだろう。たしかに東電をはじめ電力会社の体質はひどい。でも、事故の隠ぺい、データの改ざんなんか日常的で、それをいまさら批判してどうするんだ。彼らはそんなことは悪いことだとは思っていない。なぜならもっと悪いことをして原発を推進してきたのだから。

私は責めるべきは政府でも原発でもないと思う。電力会社に責任はある。原発を推進してきた自民党政府はもちろん、それを継承した民主党政府にも責任はある。しかし、私たちみんながそれを選んだのだ。私のような原発反対の人間も含めて、より安価な電力で経済力を高めるという道を選んできたのである。そしてその経済力による豊かさを享受してきたのだ。さらに、もう少しで原子力発電を「クリーンエネルギー」だと信じこまされるところまで来ていたのである。

もちろん、選んだのではなくて、無理やり選ばされたとは言える。財界と自民党は「日本が豊かさを保つのか、それとも落ちぶれるのか」という二種択一で国民を脅かすキャンペーンを始めた。原発に反対する者は“非国民”であるかのように扱った。武器は二つ。金と暴力だ。交付金、補助金、さらにワイロが飛び交った。地元の俗物有力者、議員、町内会長の順に買収されていった。それでも反対する者には暴力団を雇って脅かした。村八分もイジメもあった。もちろん反対もあった。原発賛成派の子どもがイジメられることも。不審死や自殺も多くあった。原発反対の科学者やジャーナリストも露骨に脅かしを受けたという。今では当たり前だと思われている原発エネルギーはこうして日本に定着し、今では全電力の4分の1を占めるまでになった。

こうした金力という暴力と直接の暴力とで原発はできあがった。だから彼らは、事故の隠ぺいやデータの改ざんなんか悪いことだとはちっとも思っていないのだ。「国際競争力のために安価な電力」を求めての原発推進は、たしかに自動車や電気製品、IC チップを大量に輸出したかもしれない。しかし、それは同時に、人の命や生活を安価にみなすことから始まっていたし、さらにそこへ帰着していったのが今回の事故なのである。

私たちは「日本が勝ち組になるか、負け組になるか」という二者択一的脅迫に屈するかたちで原発社会を選ばされた。しかし、そうやってつくられた社会はどんな社会だっただろうか。グローバルスタンダードについていくために効率を求められ、過酷な長時間労働のあげくの非正規労働者への転落、いじめと自殺をもたらしたのではなかったか。二者択一を迫られたときは、これはワナだと思ったほうがいい。第三の道、第四も第五もあるはずなのだ。なにより、二つに一つという想像力の欠如した問いにはのらないことだ。

原発を使わないで豊かになる方法だってあると考えないのだろうか。電力は少々高いかもしれない。しかし、日本にしかつくれない商品をつくれば少々高くても世界中で買ってくれるだろう。もっとも画一的教育を受けた日本人にそんな独創性が残っているかどうかという問題はあるけれど。いまだに原発のない国の人たちは貧困にあえいでいるだろうか。イタリアやスイスやノルウェーの人たちはどう見ても日本人よりも幸せそうに見えるじゃないか。ドイツ政府はかつて原発全廃を決めた。その後の政権交代で元に戻るのだが、今回の日本での原発事故によって二十数万人の反原発デモが起こり、原発反対を訴える党が地方選挙で躍進しているという。

なぜ日本の若者たちは反原発のデモを起こさないのだろう。ボランティアと同じくらい大切なものではないか。もっとも多くの「若者」は就活で忙しい。「正規雇用かホームレスか」という二者択一を迫られているからだ。「おじさんたちは闘ったぜ」なんて言う気はない。あれも乱暴な二者択一だった。下宿や寮の部屋に各党派がオルグ(=組織化。勧誘や説得くらいの意味)にやってくる。明日のデモに参加しろというのだ。「デモに出るヤツはベトナム人民の味方、出ないヤツはアメリカ帝国主義の味方、さあどうする?」。だから当時の若者はみんな悩んだ。気が狂ったやつも自殺したやつもいた。

原発にちゃんと反対しようと思う。もちろん二者択一じゃない形で。だって、原発の事故で避難を強制されて最も犠牲になるのは老人である。特に要介護老人だ。今回の地震・津波、そして原発事故でも多くの老人たちが死に至らしめられた。老人たちを放置して逃亡したる関係者もいた。逆に、老人を避難させるために自分を犠牲にした関係者もいたと報じられている。頭が下がる。つまり、原発が一旦事故を起こせば、犠牲になるのは要介護老人と心ある介護関係者である。

そんな原発が日本中に存在しているのだ。日本中の 54 基(原子炉)の原発から 30 ㎞圏内に無数の老人介護施設がある。その命と生活が脅かされているのだ。もっと発展を、もっと豊かにという、いきっぱなしの思想*の象徴が原発である。それらは哲学者フーコーが言ったように「死を無視することで近代は成立した」、その究極が原発事故だったと思う。死とそれに至る老いという自然にちゃんと向き合うこと、地震や津波といった大自然に勝とうなどと思わないことが求められているのだ。

すべての浜辺の原発に 20 m、それでもだめなら 30 mの防波堤を建てようなどという、どこまでいっても懲りない近代人の発想を卒業すべきなのだ。それはバベルの塔だから。原発の製造はただちにストップする。特に、東海大地震に見舞われる浜岡原発はすぐに停止し、廃炉化する。さらに、古い原発から廃炉とする。不足する電力はできるだけホントのクリーンエネルギーで補充するが、それでも足りないものは石油、石炭、天然ガスでもやむを得ない。

しかし、すでにカナダの電力使用の4分の1以上を占めている水素による発電は日本でもすぐ実用化できるはずだ。水素は爆発の危険性はあるが、放射能はばらまかない。それよりなにより、安全な電力でつくることができるだけの自動車、電気製品、電子部品をつくるということでいいではないか。目の前の金もうけに走った結果、日本製品に放射能汚染のレッテルがついて、かえって売れなくなっているのだから。

しかし、もしそうした脱原発の政策を日本人が選んだとすれば、財界はおそらく自衛隊を使ってクーデターを起こすだろう。なに、彼らにとってはそれまで使っていた暴力団が暴力装置に代わるだけの話である。経済より老人のいのちを大事にしよう。それが老いと死にちゃんと関わる還かえり道の思想に近づくことである。

*いきっぱなしの思想、還り道の思想、については『最強の老人介護』(講談社刊)の第一部を参考に。
*追伸1.浜岡原発の堤防は、その後津波の規模が判明したあと 15 m に変更された。
*追伸2.原発反対デモは行われている。しかしテレビも新聞も報じない。何しろ電力会社、日立、東芝、三菱、みんな大事な広告主である。
*追伸3.毎日新聞は偉い! 4月 18 日付で「浜岡原発を止めろ!」と主張している。新聞を毎日に変えよう。私の連載も読めるし。

撮影:園 吉洋(山形県・デイサービスめぐみ
2011 年 3 月、宮城県石巻市の風景/撮影:園 吉洋(山形県・デイサービスめぐみ)

雑誌『AERA』が防毒マスクを表紙にしたところ、危機感を煽る、とクレームが来て、謝罪した。危機感のない人、さらに電力会社、日立、東芝、三菱や財界などに丸め込まれている人にこそクレームを! テレビの広告で「デマにふりまわされないようにしよう」と言っている。そのとおり、他の原発は安全だなんてデマにふりまわされないようにしよう。


2011年4月  メッセージ

Bricolageの4月号は届いただろうか。情報欄を見て頂くと「開催中止」のマークがズラリとあるのが目に入るだろう。震災と津波、それに計画停電によって開催できなくなったものだ。私も3月11日以来、6件の講演が中止になった。

2月には2回目のインド旅行と私の体調のせいであまり仕事をしていないし、新年度からは意識的に仕事を少なくしてるので、10年ぶりくらいに自由な時間を持てている。

その自由を何に使ってるかというと、2つある。その1つはコンサート通いである。外国から招へいした指揮者と歌手が来日しないものだから、曲目を変え、日本人の指揮者でチャリティとして開催したコンサートに行ってきた。変更された楽曲が好きだったからだ。ちなみにマーラーの5番。

高名な指揮者は、鎮魂(ちんこん)のための曲を特別に2曲も演奏し、異例のトークまでした。オペラなんかの仕事が全てキャンセルになったと嘆いていた。

数日後オーケストラとやる協奏曲を室内楽に編曲して演奏しているピアニストのリサイタルにもいった。毎回プレトークをするという新しいスタイルをとっている人だが、その日はプレトークの前にさらにトークがあった。

自粛と計画停電のせいで演奏会の中止が相次いで、名は知られていないがいい演奏家が廃業の危機に直面しているという。どうか演奏会を開き、会場に足を運んで欲しいとのことだった。判った。今年はいっぱい足を運ぶ。

”自粛”といえば東京都は石原某の一言で公園の使用を制限した。さすがは石原、文字通り自ら行うべき自粛まで権力的に強制する。日の丸や君が代まで強制する人だから不思議ではない。ついでに言えば、ある大臣が東京消防庁の職員に原発への出勤命令を拒否したらクビにすると脅したのに石原が抗議していたのには笑ってしまった。お前は脅すだけじゃなくて教職員をクビにしてるじゃないか。目クソ鼻クソを笑うとはこのことである。

自由な時間の使い方の2つめは、文章を書いている。この文もそうだが、Bricolage用の文をたくさん書いた。現在連載中の「認知症老人のコミュニケーション」も続けるが、その他に「介護夜汰話スペシャル」を加えていくつもりだ。

まず次の5月号に『還り道の思想へ、~経済よりいのち、原発より介護』と題する文を掲載する。もちろん、震災と原発事故について書いたものだ。さらに予定では6月号に『石原にこそ天罰』をのせる。これはホームページに掲載したものに何枚かの文を付け加えたものだ。

そして9月号、これはBricolage200号なのだが、記念に32枚の書きおろしの文章を掲載予定。題して『テロリスト宣言』。(あくまで予定)ぜひお楽しみに!回りの人にも購読を勧めて欲しい。それから、演奏会にも、介護のセミナーにも、自粛なんかしないで参加して欲しい。


2011年4月  帰還兵

「北欧へ行くよりインドへ行こう」と呼びかけての3回目の旅に行ってきた。今年は36人で、3泊5日のバラナシ(ベナレス)とオールドデリー、4泊6日のひとはそれにアグラ(タージマハールのある町)が加わったツアーである。

今年は初めて夜のガンジス川での祭りにも参加した。もちろん夜明けにボートで沐浴も見学。さらに希望者は沐浴のためにもう1回ガンジス川へ。高反発マットの販売元のハッピーの社長、小川意房さんが服を脱いで入ると、それに続いてなんと7人もが沐浴した。昨年の3人を超える新記録だ。

夜のバラナシの町で福辺節子さんが一行からはぐれたり、デリー空港で一人置き去りにしてしまったりというハプニングもあった。
インドの近代化はめざましい。今年はデリーとバラナシの空港がともに建て替えられて見違えるほど立派になった。ところが、国内線のシステムがダウンしていて、チェックインまでに3時間以上待たされた。やはりインドはインドだ。

そのツアーが1月。じつは私は2月にもインドへ旅行してきた。こちらはプライベートな旅。といっても毎回プライベートなんだけど。
福岡市の「宅老所よりあい」の下村恵美子さん、村瀨孝生さんたちと以前から実現したいと思っていた「谷川俊太郎さんと行くインドツアー」である。

谷川さんといえば「よりあい」のファン。いや、下村さんからの一方的で熱烈な求愛にちゃんと応えていただいて、音楽家の息子さんとともに「詩と音楽の集い」を開いて「よりあい」を支えていただいている。これまでも、奄美大島と屋久島をいっしょに旅をしたことがあるのだが、今回谷川さんとインドに行くという夢がとうとう実現したのだ。

参加者は谷川俊太郎さんと息子の谷川賢作さん。鳥取市「野の花診療所」の徳永進さん。谷川さんの大ファンで、地元で徳永先生と仕事でつき合いのある本誌連載「介護へひらめく」の著者のひとりである竹本匡吾さん。この旅の仕掛け人でそもそも私をインドに連れて行った雲母書房社長の茂木さん。それに、下村、村瀨、私と、私の事務所のコンピュータを管理している白濱信義さんという私の昔からの友人の9人である。

出発する日の朝、私は品川駅のシートに座っていた。新幹線から成田エキスプレスに乗り換えるのに20分ほど時間があったのだ。座っているところから改札口の外の景色が正面に見える。奇妙な光景である。人の群れがただただ動いていくのだ。品川駅の東西を結ぶ自由通路を、西から東へ動いていて一瞬たりとも途絶えることがない。東口の高層ビル群のオフィスに通勤する人たちである。歩く速度もみんな同じだ。この光景が毎朝2時間も続くらしい。

まるで軍隊の行進みたいだ、と私は思った。次の瞬間、まるで、でも、みたいだ、でもなくて、この国は毎日戦争してるんだと実感としてわかった。戦死者数、年に3万人。自殺者のことである。傷病者(うつなど)数知れず。
私はこれからこの日本を離れてインドへ行く。そう思うと、兵役を終えて故郷へと向かう帰還兵の気持ちになった。

この旅でインドは6回目。でも何度行っても毎回新鮮で、ああ日本ボケしてたなぁ、と思うのは同じだ。今回も“初めて”をたくさん体験した。早朝のガンジス川をボートでめぐるのは5回目だが、朝日が出てくるのを見たのは初めて。

そのボートからの帰り道、川岸の死体焼き場のそばを抜けた狭い参道でのことだ。向こうから大きな牛が歩いてきた。ここではめずらしいことではない。何しろ駅のプラットホームにまで牛がいるのだから。その牛が勢いよく放尿を始めた。これもめずらしくはない。だが次の瞬間、サリーを着た女性が突然その尿を手で受け、同行している夫と思われる男性と自分自身にふりかけ始めたのだ。

私たちはそのしぶきがかからないよう、あわてて後ずさり。聖なる牛の尿を身に浴びるのは祝福なのだ。いやあ、一瞬何が起きたのか理解できず、わが目を疑った。
同行メンバーの豪華さは言うまでもない。しかも毎夜のようにホテルの一室でトークセッション。インド人ガイドも巻き込んで離婚話で盛り上がった。徳永さんの買い物交渉術は現地の商売人も手玉にとるものだったという。

もっと驚いたのは谷川さん。旅を企画した茂木さんは日程だけではなくイベントも勝手に用意していた。ブッダが悟りを開いたブッダガヤの菩提樹の下で谷川さんに詩をつくってもらい、初めて弟子に説法したサールナートでその詩を朗読してもらおうというのだ。なんだかブッダにも谷川さんにも失礼なイベントではないか。

谷川さん
信仰心なき者のおふざけと思われてもしかたないが、谷川さんは嫌がるでもなく、ホテルの部屋から持ち出したシーツを身体に巻かれて詩を読んだのである。『ブッダガヤであなたに』という題だ。どこかの詩集で発表されると思う。

自由時間に、私と白濱、茂木の3人で車をチャーターしてムガルサライ駅に行くことにした。どうしてそんな何もない駅へわざわざ行くのか現地のガイドは不思議そうだった。でも私たちにとっては「聖地」なのだ。2007年1月の初めてのインドで、遅れた列車を待って10時間半過ごしたのがこの駅前広場である(詳しくは『介護職よ、給料分の仕事をしよう』所収の“「生きたい」と「死にたくない」?インド・ムガルサライ駅前広場の夜”をぜひ読んでほしい)。

仏教だけでなく、私自身の聖地を訪れたこと、詩が誕生する場に居合わせることができたこと、初めてシャワーから熱い湯がちゃんと出続けたこと。もちろん、混沌(カオス)の中に身をおくことで、秩序化された心と身体が解体される、戸惑いを伴う快感はいつもと同じように感じることができた。

そういえば、マンツーマンのようにつきまとう物売りが、なぜか私には来なくなった。表情や態度に「インド通」が表れているに違いない。おもしろい旅、衝撃的な旅といろいろな旅があるが、幸せな旅、というのが今回の印象である。


2011年4月  『一つになる』前に原発関連死の責任を問え!

私は地デジ化してもテレビは買い換えない、と宣言しているので、騒々しい世界ともあと数ヶ月のつき合いである。騒々しいのなら見なきゃいいのだが、ここ最近は必要に迫られて画面をつけっ放しにすることが多い。頻発する余震である。

私の携帯電話は古くて、「緊急地震速報」には対応していないので、テレビで知るより他にないのだ。生放送がいい。速報が出て、東京のスタジオが揺れてきたら、その直後に神奈川県東部の我が家も揺れ始めるので、食器が割れぬよう戸棚を押さえるのである。

そのテレビのキャンペーンのコトバに私はひっかかっている。「ひとつになろう」。う~ん。地震と津波の被災者を支えるためにというのなら判らぬことはない。自粛の強制やチャリティ以外のコンサートが批判されるといった行き過ぎの「ひとつ」は別にして。

しかし私たちは今、原発という問題を抱えている。それに関しては私はとても「ひとつ」になんかなろうとは思わない。それどころかこの事故の責任を追求すべきだと考えている。

大地震と津浪で多くの人命が失われた。それに比べて原発ではまだ死者は出ていないなどとは言わせない、高齢者はいっぱい死に追いやられている。

認知症老人のケア、さらに認知症にさせないケアのための7原則の最初の3つに挙げられているものを思い出して欲しい。
①環境を変えるな
②生活習慣を変えるな
③人間関係を変えるな(拙書『痴呆論・増補版』より)

福島原発周辺住民の強制避難によって変化に弱い老人たちは、環境も生活習慣も人間関係も一瞬にして変えられ、アイデンティティを失って生きる意欲を失い、死への道を辿らされているのだ。「災害関連死」という言い方に倣えばこれは「原発関連死」である。

誰が原発を誘致したのか。
当時の市町村長、原発に賛成した議員、町内会長らよ。当時もらった賄賂(わいろ)とただで飲み食いした分を避難住民に回したらどうだ。

誰が原発政策を推進したか。
自民党よ、電力業界からもらった「政治資金」という名の賄賂も福島県民に回したらどうか。もちろんそれを引きついで、「原発技術を輸出する」なんて言っていた民主党も。「ひとつ」になるのはそれからだ。

「日本は強い国です」。デリカシーがないなあ。強い国だから侵略もした。近隣の国の人達はどう思って聞くかね。軍事的に「強い国」をめざして、ひどいことをし、ひどいめに合わせてやっとそれを諦め、今度は経済的に「強い国」をめざして、輸出品を安く作るための安価なエネルギーを求めて原発に手を出してこの事故である。

この国は一度だって命を守る強い国になんかなったことはないのだ。こんな老人が死んでる事態になっているのに今だに「豊かな日本のためには原発は必要」などと言ってる輩がいる。堀江だの勝間などといった金儲けの上手いだけの連中である。彼らは金儲けのためなら老人の命なんか犠牲になっていいと言ってるようなものである。こうした「我欲」の象徴が原発なのだ。石原よ、原発に反対しろ!

「デマに惑わされないようにしよう」。これは正しい。「福島以外の原発は安全」とか「日本には原発以外のエネルギーはない」といったデマに惑わされないようにせねばならない。「原発は安全」というデマにずっと惑わされてきたのだから。


2011年4月   『ブル新』というコトバを思い出した

~地デジも見ないし、新聞もやめるぞ!~
「ブル新」というコトバがあった。「ブルジョア新聞」の略で、かっての学生活動家が使った。大学のバリケード封鎖が日常的だった頃、朝日や読売の記者が取材にきて名刺を出すと「なんだ、ブル新か」なんて言ってたものである。そう言われた記者の側も、申し訳なさそうな顔をした、そんな時代だった。

じゃ、「ブル新」つまり、ブルジョア=資本の側から広告をもらっている商業主義ではないメディアがあるのかというと、それは活動家が所属する党派の機関紙のことなのである。「解放」とか「前進」とか「叛旗」なんて威勢のいい名前がついていた。

日の丸や君が代を強制するのに反対する人たちが、じつは別の赤い旗なんかへの忠誠を強要するようなもので、そんなものはどっちにも「ナンセンス!」と言ってやればいいのである。おっと、「ナンセンス」も当時の活動家の使った相手を否定する常套句である。

その「ブル新」というコトバを久し振りに思い出した。原発をめぐる新聞報道を読んでいてのことである。やはり彼らは、電力会社、そして原発のプラントを製造している東芝、日立、三菱という資本の側の飼犬である。

スターリン並みの強制移住で老人が次々と「原発関連死」に追い込まれているのにまだ「科学の力で乗り越えられる」なんて脳天気な主張をしている。じゃ「ブル新」じゃないメディアはあるのか。ネットを評価する人はいるがどんなものか。ネット右翼というらしいが、知性も何も無い連中のタワ事ばかりが溢れているではないか。

私のようなアナログ人間はやはり活字を求める。『読書人』の4月22日号には、ジャーナリスト上杉隆の「マスメディアへの提言」というインタビューが一面トップだ。彼は今回の原発を巡る報道で”ブル新”に愛想を尽かして、引退宣言までしている。
『図書新聞』の4月23日号は、評論家の関曠野の特別寄稿がトップだ。「計算不可能な原発事故のリスク、原発はテクノロジーの名に値しない極端なアクロバットだ」とある。

2誌とも昔から続いている書評誌だ。広告主は出版社ばかり。出版社は大手数社を除けばプロレタリアートと言ってもいいような零細企業ばかり。だから「ブル新」には言えないことがちゃんと出ている。
問題は本の好きな人向きだから、独特のインテリ臭さがある点だろう。関氏の文章なんかチンプンカンプンという人が多かろうが、その主張は見出しだけで十分判る。

2誌とも週刊。本屋の雑誌コーナーの片隅にあるはずだ。反原発を抑え込むためなら、金でも暴力でも惜しむことのない”ブルジョア”に潰されてしまう前に目を通されんことを。

2011年4月  小沢と鳩山にも天罰

小沢一郎が「倒閣」を宣言したそうだ。鳩山由紀夫も同調しているという。こんな時に何をしているのだろう。いま最大の課題である原発問題は、長年、自民党が推進してきた政策の結果である。

菅政権はその尻拭いをさせられてると言っていい。小沢、鳩山両氏はその自民党の幹部だった人たちだ。二人が今やるべきことは、その政策の誤りを認め、国民、特に福島県民に謝罪することではないか。歴代の自民党党首と共に。

さらに彼らがやるべきことは、今後の日本のエネルギーのあり方についての政策を提出すべきである。そうでなければ、権力欲と派閥の論理による”管降ろし”としか思えない。

いま必要な政策とは何か。東海大地震が来れば福島の再来になりかねない浜岡原発をただちに停止すること、そして何年かかるか判らないけれど危険な原発に頼らないエネルギー政策に転換することだ。

これをぜひ超党派でやってもらいたい。いろんな政党を転々としてきた二人の人脈を生かせる最後の政治活動として。

PS.毎日新聞は偉い!3月18日付で「浜岡原発を止めろ!」と主張している。朝日を止めて毎日をとろう。私の連載も読めるし。

2011年3月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
        その⑥「老人の自己決定」という言い訳

介護現場、特に「寝たきり」や「認知症」なんて呼ばれている老人たちのいる場で長い間働いていると、介護現場を知らない一般の人たちと、世界の見方や認識に大きな差が生じてくる。
私たちは日常的に老いという自然とつきあっている。もちろん老いとは死へ至る過程でもあるから、死という自然とも関わっている。

ところが、一般の人たちは老いにも死にも関わったことがない。というより、それを見ないようにしている。いやさらに、老いも死も存在しないものだと思い込んでいるようだ。あたかもこの世界にいるのは、自立した個人ばかりだというように。

だから、老人のプライバシーを守るためといって個室を強制する。そりゃ現在の私なら大部屋より個室がいい。ところが昨年5月に腸閉塞で入院すると、病院の個室は不安で、人の気配と多くの人が出入りする大部屋のほうが安心な気がして、そちらを選ぶという経験をした。高齢になってぼけてきときにも同じだろうと思う。実際に老人たちは夜中に個室から出てきて、他の老人と一つの布団にくっつき合って、やっと眠りにつくなんてことがよくある。

風船バレーといった遊びリテーションを、老人を子ども扱いしているといって批判する人も多い。だが私たちは、こうしたゲームで表情さえ失っていた人に笑顔が出てきたといったケースをたくさん経験している。

先日も朝日新聞に、ある作家が老人施設の老人のルポを書いていた。それは老人たちが恋愛によって活性化されるというものだ。彼にはそれが意外らしかった。そのことを訴えたいあまり、紙芝居や塗り絵を揶揄(やゆ)するようなことを書いていた。

私はむしろ、紙芝居と塗り絵が作家の目にふれるほど現場に浸透していることを知ったが、もちろん彼は、そうした方法論ではじめてアイデンティティを取り戻す老人たちがいるのだとは考えていないようだった。一週間老人施設にいただけだというから無理もないけれど。しかしいくら長く介護現場にいたって、見ようとする気がなければ見えないのだろう。

「自立した個人」とはとてもいえない、主体が崩壊しているかのような人も、それは「病気」という特別な状態だからと解釈してしまうのではないか。治療して治れば私たちと同じような「自立した個人」に戻るのだ、と。

残念ながら、老いは病気とは違って治ることはない。不可逆的だ。人間は「自立した個人」になる前の子どもの時代も、そして「自立した個人」から解放されたあとの老いの時代も、そして「自立した個人」という表層の奥の深層とでもいうべき広い世界ももっているのだ。
そこに「自立した個人」を前提とした方法論を押しつけるのは、近代の側の暴力だと言わざるをえないのではないか。

ケースワークの面会技法の一つである「自己決定の原則」もそうした“暴力”になってはいないだろうか。介護職養成校の先生たちは何かというと生徒に「自己決定の原則」を教えている。実際、採用試験で「あなたが介護で最も大事だと思うものは何ですか」と尋ねると、10人中7?8人が「自己決定の原則を大事にすることです」と答える。そこで「じゃあ、老人がもう死にたいと訴えたらどうするの?」と尋ねると、これまた10人中8?9人が絶句するという。

そもそも考えてみるがいい。あるがままの老人の「自己決定」なんかを大事にしていたら介護なんかできやしない。かつて病院で寝ていることを強制されてきた老人たちは、私たちの離床の呼びかけに「ワシを殺す気か!」と拒否したものだった。車いすで談話室に出るだけなのだが。
風呂に入ろうと促しても拒否する人は多かった。こんな身体になって風呂に入れるとは思っていなかったのだ。もちろん寝たまま入る特殊浴槽だったのだが。

若い介護職には、ずっと特浴に入ってきた老人に、家庭用の小さな浴槽に入ろうと呼びかけても拒否する老人が多いというのなら理解できるだろう。彼らは長い間、特浴でなければ入れないと思い込んでいて拒否しているのだ。それが30年前には特浴で起きていた事態なのだ。
つまり、老人が自己決定するためには、選択肢がきちんと与えられていることが前提だということがわかる。本人が風呂なんか入れると思っていなければ入るはずがない。なにしろ周りにいる医者や看護職がそう判断していたのだから。

周りの介護職が家庭浴は無理だと思い込んでいたら、老人が特浴に固執するのは当然である。ところがご存じのように、特養ホームや老健で機械は一切使わないで、当たり前の家庭用浴槽を使いこなしているところはいくらでも登場している。

私たちの「自己決定」は、周りの人たちの考え方によって右にも左にもなりうる。まして、他者に大きく依存せざるをえない要介護老人にとっては、どんな人が介護しているのか、社会がどう考えているのかによって正反対にだってなるのだ。

だから、老人を主体にしようという新しい介護を知らなかったり、知っていても古い方法を続けるという安易なケアをしたい人が「老人が新しい方法をいやがっているから」と“自己決定の原則”を理由にするのは怠惰そのものなのである。
「自己決定の原則」はせめて自立した個人だけにあてはめてほしい。でも、自立した個人っているのかね。

2011年3月  緊急発言(許転載!)石原にこそ天罰

また東京都知事の石原慎太郎が、今回の地震と津波に関してじつに馬鹿な、そして彼らしい発言をしたのはご存知のとおりだ。彼は昨年、戸籍だけが残っていて生存が確認できない高齢者の問題が起きたときにも、祖先を弔うことすらできなくなったと”我欲”というコトバを使って日本人を批判した。

しかしこの一連の高齢者を巡る事件は、それぞれに個別の事情があって、たしかに”年金”詐欺が目的のものもある。しかし11月のオムツ外し学会における評論家の芹沢俊介氏の「自分でもそうなるかもしれない」という発言のほうが、はるかに想像力のある人のものだと思う。

こうした石原発言への違和感と同じものをかつて、いわゆる「赤ちゃんポスト」問題に対する当時の安倍晋三元首相の批判的発言にも感じたことがある。それは一言で言うと、「あんたのような生活に困ったことのないものから言われたくない」というものである。

阿部や石原といったお坊っちゃまが豊かな環境に生まれ育ったのは彼らが悪い訳ではないが、せっかく豊かさを享受したのなら、豊かな想像力を持つことは責務ではないだろうか。特に政治家なんだから。しかも石原は元作家ではないか。

今日食べるものすらないとなると人間は”我欲”を発揮して当然だ。そういう状況にならないように骨を折るのが政治家ではないか。ところが日本で最も金持ちの東京都で、老人たちは群馬県の劣悪なホームに追いやられて火事で死んでいるのだ。”我欲”を批判する前に石原がやることはあるだろう。

”我欲”というなら、ナショナリズムと民族差別こそが最も醜悪な”我欲”である。もし天罰というものがあるのなら、石原にこそ下るべきである。その石原を首都の首長に選んでいる日本人の精神構造にも。

2011年1月-2月  トークセッション 芹沢俊介×三好春樹
   介護と家族と死と

2010年11月22.23日に開催された「オムツ外し学会in東京」から、芹沢俊介さんと三好春樹の対談をお送りします。閉塞感が強まる状況への考察と、両親の介護が始まった芹沢さんから提示された疑問の中に、明日の介護の方向性が見えました。
トークセッション
老いを取り巻く状況

三好 もう私は厚労省に期待するのはやめました。日本は介護をやる気はなくなったのだと思います。日本で一番金がある東京都が老人を群馬県の山奥に送り込んで火事で殺しているのです。オリンピックを誘致するぐらいの金があるのなら何とかできるだろうと言いたいけれども、おそらく国民のはとんどが、介護よりオリンピックに金を使うほうが意味があると思っているのでしょう。

そういう意味では、老人と子どもが今おかれている状況は、絶望的な状況だと思っています。絶望的なのは子どもと老人だけではありません。私どもの世代にはうつ病が蔓延しています。いわゆる「還暦うつ」です。罹るのは圧倒的に男です。女の人はそうでもない(笑)。

女の人は年をとればとるほど存在感が増していくみたいです。小さなきっかけでうつ病になって自殺していくのが国民病のようになっていて、私たちの世代にもそれが及んでいる。子どもと老人といかに関わるか、どうとらえるかということをちゃんとやっておかないと、この問題は日本国民全体の問題になっていくのだという気がして仕方がないのです。今日は、時代の突破口はどこにあるのかというヒントを芹沢さんからいただければと思っています。

芹沢俊介 芹沢俊介(せりざわしゅんすけ)評論家。
1942年東京生まれ。上智大学経済学部卒。
著書に『引きこもるという情熱』『「存在論的ひきこもり」論』(雲母書房)『親殺し』(NTT出版)『もう一度親子になりたい』(主婦の友社)など多数。


芹沢 三好さんとの対談は、何回かしてきましたが、これまでと違うのは僕の両親の介護が始まったことでしょうか。今日は、そんな話もできればいいなと思ってきました。2年半前のことになりますが、母が92歳、父が94歳のときに夫婦そろって民間の介護付き有料老人ホームに入居しました。

きっかけは、母が大腿骨を折って手術して、結局そのまま歩けなくなってしまったことでした。子どもは男ばかりの3人兄弟で、僕が一番上です。母親は一つ違いの弟のところにしばらくいたのですが、すぐに限界になって老人ホームに入ったのです。

老人ホームで感じた違和

芹沢 老人ホームでは、入居者も家族もまさにお客さんなんですね。みなさんのところは違うかと思いますが、老人ホームに入るということは完全に“客体化”されることなのです。僕の父は龍之介、母は春江といいますが、いつもこの下に「様」が付きます。龍之介様、春江様……、すごい違和感がまずありました。

それから、もう一つ感じた違和は、行くと「いらっしゃいませ」、帰りに「ありがとうございました」と言われることです。自分の親を訪ねているのだから、僕が「ありがとうございました」と言うのが筋じゃないか。でも、彼らのほうが「ありがとうございました」なのです。これはつまり、「私たちが主体です、あなたたちはお客さんですよ」ということなのですね。

うちの2人の年寄りもお客さん扱いで、その家族である僕たちもお客さん扱い。これはいわば「排除」です。本人に即して言えば主体の排除だし、家族である親たちと最初の関わりをもてる存在であるはずの僕たちがまたそこから排除されているということです。

だから、風邪が流行ると、「しばらく来ないでください」と簡単に言われる。つまり、ここにも一つの“権力”の形が民間の介護付き老人ホームという場所で具体化、現実化しているということなわけで、ちょっとショックを受けました。しっかり見つめなければならないなと感じています。

三好春樹 三好春樹(みよしはるき)本誌発行人

三好 介護付き有料老人ホームのオープン記念講演会に呼ばれたことがあります。私の理念や考え方に賛同したから呼んだのではないようでした。風呂は温泉の大浴場で機械浴、私は客寄せパンダでした(笑)。そういうところへ行くと、これまでつきあってきた介護系の人たちとは雰囲気がまったく違います。

まず、ネクタイを締めています(笑)。違いは格好だけではありません。講師には慰勲無礼、業者には横柄です。この有料老人ホームは最近すごく伸びている会社ですが、彼らを見ていると、上の人の顔だけを見て、下の者は奴隷としてこき使うことができるやつを集めないと、“企業”として業績を伸ばすことができないのだなということが大変よくわかります。

そして、この有料老人ホームのやり方がおそらくグローバルスタンダードなのでしょう。しかし、これが世界標準だとすれば、今の世界の人間のとらえ方はどこか間違っているよと私は思います。そういう意味では、介護の世界はまだまだ健全だと私は思っています。

現場のやつが威張っていて、施設長なんかがおどおどしている。「おい、クソババア」と呼べる世界です。「様」なんか付けないという健全さがまだ残っています。ただ、そういうところもどんどんなくなっていっていて、何か必死で抵抗しているような気はしていますが。

やさしい権力

芹沢 現状は規律と管理が中心ですね。現場の職員の服装ですが、看護師さんはうすいブルー、介護士さんはピンク……と、職員の服装は全部色分けされています。一番威張っているのは看隻師さんです。看隻師さんの向こう側にお医者さんがいて、お医者さんは出てこない。

全体的なものと個的なもの ※ミシェル・フーコー
フランスの哲学者。
牧人権力については『全体的なものと個的なもの』(三交社)に詳しい。


三好 やさしい看守に見守られている社会という感じですね。ミシェル・フーコーは「牧人権力」という権力のあり方を示しました。牧人とは羊飼いのことです。羊飼いは羊の命と安全のためなら命を懸けても献身的に守る。それが最後の権力の在り方だと言うのです。

たとえば、ベッドから転倒してはいけないから手足を縛るのだというのがその典型です。昔の老人病院は手足を縛って薬で抑えるというハードな権力でしたが、有料老人ホームというところではそれがソフトにできているんですね。直接手を縛ったりはしていない。だけど目に見えないソフトな形で行われている。「羊飼い」にふさわしい権力になってしまっているなという気がしますね。

白衣を着て二コニコした看守がいっぱいいる。そしてちょっと風邪が流行ると平気で面会禁止にする。あれは人権侵害です。今年の冬はノロウイルスが大流行しています。ノロウイルスが起こらなかった施設は社会性のない施設だと思ったほうがいいですね。

つまり、面会者が少なくて、老人を外に出していない閉鎖的な社会、刑務所みたいなところだからウイルスが入らなかったということなのですから。ウイルスは必ず入ってくる。施設は、それをいかに広げないかということを必死でやらなければいけないのです。世間で起こっているものは施設でも起こるべきだ、起こるのが当たり前だと僕は思っています。
家族に会えないことがストレスになって、「おれは生きていてもしょうがない」と思うことのほうがよほど免疫力を低下させていますよ。

権力的にならないための2つの言葉

三好 われわれは芹沢さんからすごく重い課題をもらいました。介護関係者がいかに権力にならないかという課題です。それは、放っておいたら権力的になるということです。たとえば、老人保健施設なんてところにはリハビリの可能性のある人しか入れないところがあります。リハビリの可能性があるなら病院でもうよくなっているんですけどね。
グループホームにも、家庭的雰囲気でやっているので家庭的雰囲気を守る人しか駄目ですというところがある。家庭的雰囲気を守れるなら家庭でみれるのです。ということは、今入っている人も、これらの条件を守れなくなったら出ていってくれということなわけで、それは本当に老人を分断していく役割を私たち自身が制度のせいとはいえやっているということだと思います。

私はそういうことに対して、介護を本来のものにする、権力的にならないで、老人を客体にしないで見るということのために幾つか提案してきたつもりです。一つは「介護」の介という字は「媒介」の介だということです。「お節介」の介ではありません。

媒介という言葉を調べてみると、もともとは蚊が病気を媒介するみたいな言葉だったのを、明治になってヘーゲルの『精神現象学』を翻訳するときに出てきた言葉を日本語にするときに何もないものだから媒介を当てた。「他のものを通してあるものを存在させること」というのが最初にヘーゲルが言った言葉の本来の意味だそうです。それを「媒介」と訳したそうです。介護にぴったりだと思います。

介護者であるわれわれを通して、老人を生活の主体として登場させるという技術が介護だというとらえ方をする。そうすると管理的、権力的な医療や看護とはちょっと違うことが見えてくるのではないかと思っています。もう一つ「純粋ナースコール」という言葉をつくりました。ナースコールは、老人が用事があるときに介護職を呼ぶ手段として押すものですが、純粋ナースコールというのは老人が特に用事がないのに何度も鳴らし続けるナースコールに僕が付けた名称です。

普通のナースコールは自分が何かをしたいというときに呼ぶもの、だけど純粋ナースコールは doing じゃなくて being というところに不安を感じたとき、私は世界から見放されるのではないだろうか、困ったら誰かすぐ飛んできてくれるのだろうか、私はここにいてもいいんだろうかと思ったときに鳴らすのです。

どうせ用事がないのだからとナースコールを切ったり、怒ったりするというのは、存在しているということそのものを駄目にしているのかもしれません。ああこれは純粋ナースコールだなと思ったらこっちから行こう、何もしなくていいからベッドサイドに座っていようというのが私たちのやり方です。

こういうことがちゃんとできている介護現場は老人が落ち着くし、いい介護現場になっていくだろうと思っています。私にできることは、せいぜいそういう言葉をでっち上げることぐらいのことだなという感じです。

豊かに広がる内的世界がそこにあるのに……

芹沢 ありがたい視点でうれしいですね。もう少し老人ホームでの両親の状況をお話ししてみます。今、僕は週に一度両親を訪ねています。行くと2時間ぐらいベッド脇にいます。なぜかわからないのですが、母の部屋の窓のカーテンはいつも閉められています。

僕は行くと、まずカーテンを開けます。開けると空か見えるんです。「今日はとてもいい天気だから雲がないでしょう」とか、「外はこれでもけっこう風があって寒いんだよ」とかいう話をします。母は言葉は全然出てきません。でも、僕がカーテンを開けて話しかけると、外を見て「うん」と言うのです。母がつくった短歌を読みます。耳が遠いので、耳元でかなり大きな声で読みあげます。

「僕の友だちが手紙をくれたよ」と手紙を読むと、母は顔をくしゃくしゃにして喜びます。帰る頃にはもう空は真っ暗です。「カーテン締める?」と聞くと、「いや、開けといて」と言うんです。言葉では言わないのですが、「開けといて」と言います。母はまったくしゃべれないし、なおかつ耳も遠い。だけど、いわゆるぼけという状態にはありません。明らかに内側の世界はとても豊かに動いているなと僕は感じます。

だけど、そういう母に対して、介護士さんも看護師さんも通り一遍のあいさつの声をかけるだけなのです。つまり、母が聞いていようが聞こえまいが、声をかけて、それでおしまいです。聞こえなくなったり、しゃべれなかったり、胃ろうでまったく動けない、そうなってしまったときの対応はほとんど物扱いに近い。だけど、そばに5分でも10分でもいっしょにいれば、じつは母の内界がとても豊かに表情をもってあることがわかるでしょう。

看護師さんの中には部屋に来ると、腕組みして対応している感じの人もいます。熱があるとか、お通じがどうだとか、チェックしたデータを報告してくれる。それだけなんです。30分とは言わない、10分でも15分でもいいから母親のベッドの横に座って母とちょっと話をしてほしいと思うのです。

三好 毎週やってきて2時間もいるというのは珍しい家族ですね(笑)。看護師さんを先頭にした医療の人間観は非常に狭いと思っています。彼らは、回復する、つまり自立した個人に戻るということであれば一生懸命知識や技術を駆使します。すごく献身的です。しかし、もうこれ以上治らない。90幾つで寝たきりでしゃべらない、よくなる可能性がないという人はもう存在しないものなのです。

近代的個人(自立した個人)という非常に狭い人間観から外れてしまうと、その人は自立した個人に引っ張り上げるためのリハビリの対象になります。これが自立支援です。近代というすごい方法論の強い光に幻惑されているから、豊かな世界が広がっている薄暗い世界が見えないのでしょう。この強い近代の光を当てれば世の中はよくなるのだと思っているのでしょうね。だけどそれはまったく幻想なのです。

NHKがまた「痴呆が治る」番組をやっていましたが、とんでもないことです。くも膜下出血や正常圧水頭症は認知症の0.何%ぐらいです。そういう人の事例を紹介して幻想を与える。厚労省もそうですし、NHKもそうですが、みんな右肩上がりでいくものにしか興味がないのです。おそらく厚労省もNHKも、日本のエリートたちは、いまだに右肩上がりの幻想の中に生きているわけです。
そういう人は自分の老いが来た途端、ガクンとぼけると思うので、ざまあみろという感じがします(笑)。

家族を取り巻く状況について

三好 私は60歳ですが、子どもはまだ小さいんです。再婚してやっと子どもをつくる気になったので、上が高2で下は中1です。子どもたちを取り巻く状況には圧倒的な息苦しさがありますね。『桐島、部活やめるってよ』という小説が象徴的だと思いますが、今は全部秩序化されているのです。

誰とつき合うかということまでピラミッド化されて、一番かっこいい男と一番かっこいい女がペアになる。そのあとは全部序列で崩せない。崩すとリンチに遭うみたいな世界ができあかっているのです。僕たちが高校生の頃はクラスにマドンナがいて、成績が悪くても、かっこが悪くても、マドンナと仲良しになる可能性がなくはなかった。

若者にとっての恋愛は、いつの時代にも秩序をぶっ壊す一つの希望だったし、もう一つ革命というものも僕たちにはあったのだけど、革命はとっくになくなって、恋愛までこんなふうに秩序化しちゃうと、若い子は生きていくのが大変だろうなと思います。
「自分の居場所がない」と僕たちは言ったけれども、今は違う。「立ち位置がない」と言うのです。空間が点になった。自分が立つ位置を必死で守っていなければいけないという世界です。

芹沢 僕は、若い人たちの息苦しさと、年寄りの息苦しさが根っこの部分でつながっているような感じがしてならないんです。

三好 そうなんです。子どもと年寄りはうまくいくんです。真ん中の働いている世代はどちらの世代とも合わない。老人問題というのは老人の問題ではなくて、僕たちの世代が老人という世代とどう関わったらいいかわからないという関係の問題です。

老人や子どもの世界と僕たちが今生きている世界はものすごく乖離してしまったわけですが、無理やり僕たちのほうに老人や子どもを引っ張ってくるのはもうちょっと無理だよという気がしています。

芹沢 6月頃からでしたか、お年寄り、特に100歳を超した僕の親たちの年代以上の人の所在不明問題が出てきましたでしょう。なぜ所在不明かというと、お互いに音信が断たれているのです。親がいついなくなったかというぐらいのことは覚えていても、どこでどういうふうに暮らし、どういうふうにして亡くなっていったかということに対しては、子どもがまるで関心をもっていないととても強く感じました。

この問題では、いくつか新聞のコメントを求められたのですが、答えているうちに、僕もそう変わらないことをやりそうだなと思ったのです。三好さんが先ほど「週に1回、2時間親に会いに行くというのは珍しいね」と言われましたが、これは相当意志的なんです。つまり、こうしようと自分の中で決めているのです。決めないと自然に離れていってしまう。

三好 空間的に離れるとどんどん老人がいない生活に慣れて、平気になる……、そうか、それは意志の問題なんですね。

芹沢 ええ、そう思えてならないんですよ。ホームの人を見ていると、最初の頃はご家族でよく来られているようなのですが、だんだん足が遠のいていくのがわかるんです。両親の居室の前のおじいちゃんは毎週帰り支度をします。

「おじいちゃん、どうするの?」と言う声に、「家に帰るんだよ」。それを一生懸命介護士さんたちがなだめて、また荷物をほどくことをやっています。意志を相当強く入れないと、踏ん張らない限りは家族の繋がりは簡単に崩れてしまう。そういう時代ですね。

胃ろうと母の世界と

芹沢 今は母は胃ろうという状態に入りました。母ははっきりと明言はしていなかったのですが、食べられなくなったときは放っておいてほしいと言っていたのです。しかし、介護の中心を担っていた弟が、施設の「胃ろうにしたらどうですか」という意見になんとなく乗ってしまいました。

このままでいってまもなく死に至るんだなと僕たちは思っていたから、弟と「お葬式はどうする?シンプルにやろうね」などと話していたんですけどね。施設では、胃ろうでも「ご飯の時間です」と言います。だけど、これはやっぱり食べ物じゃないなと僕は思います。食べ物と生命の変化とは対応しています。

難しい言葉を使うと「象徴交換」と言いますが、赤ちゃんはおっぱい、乳児になると離乳食、固形物を食べるようになります。このように生命の変化と食べ物の変化というのは対応しているのです。そうすると、食べられなくなる、つまり口から食べていたものが胃ろうという形になるということは、象徴交換としての生命の変化は何になるのだろうかとか、ちょっと難しいことを考えだしてきています。

驚いたことのひとつは、胃ろうになってから、母の衰えていく具体的な変化が見えないことです。身体の衰えとしてははっきり見えないんです。 90を過ぎてまだ生命を生きなければならない母のこの状態とどうつき合うかがつきつけられています。でも、つき合うに値するんですよ。
内界がとても活発に動いている。表情もあるし、きっと彼女なりの喜びがあり、悲しみがあり、怒りがあるのだと思う。そういうものが十分想定できるのです。

生の終わり方

芹沢 三好さんたちが読書会で読んでいるロラン・バルトにコレージュ・ド・フランスの講義録があります。講義3冊本の中の第1冊目だったと思いますが、その中で出合った言葉を紹介します。それは、ものを捨てるということに関してで、バルトはこう言っています。

表徴の帝国 ※ロラン・バルト
読書会で読んでいるのは、日本について独自の分析をした「表徴の帝国」
発行:筑摩書房
定価;1,000円十税


「このようにものを捨てることは、ある空虚の構築ではなく、母音がもう音がない無音になる瞬間に穏やかに傾いていくときのようなある微細なものの構築となるだろう」母音が無音になる。まず子音をなくしていく。つまり、僕たちは何ということなく子音を使いながら言葉を話しています。

だから明瞭に言葉が差異化されていて、わかるのですが、これが母音になっていくと「あなた」というのは「あああ」ということになりますね。そうすると差違がないためにとても言葉の了解が難しくなります。今の母の状態というのはその段階よりももっと進んでいて、母音がもう母音としても出てこなくなり始めている。つまり、母音が無音になっていく。

だけど内界というのは動いていて、それに対してバルトは「ある微細なものの構築」という言い方でとらえていっているのです。「ものを捨てる」を比喩としてとらえれば、年をとってあらゆることができなくなっていくことにつながるかもしれません。耳が遠くなり、言葉を失い、外側から見たらまったく生きた屍のように見える。自己の部分もまたなくなっていく。
つまり主体的な自己という部分がなくなっていく。そうすると、ただ存在しているという意味に近づく「ある」というところだけに向かっていくのでしょう。

バルトの「ある微細なものの構築」という言葉に出合ったときに、そうか、今母のいる場所はそういうところかと思ったのです。それはこっちの勝手な思い込みなんだけれども、つまり、「胃ろうなんかにしやかって、母の意思じゃないだろう」という思いと、毎週1回通いながらふっとこのバルトの言葉を思い出して、「ああそうか、今、ある微細な物の構築。つまり、する自己を失い、ある自己になり、そのある自己の自己を失い、あるになっていく。そのような在り方にふれているんだ」と、これもまた幻想かもしれないのだけれども、僕はちょっと思いたいのです。

そうだとすると、今そんなふうにして生を得ている、寝たきりの状態であることに対しても随分いいものをもらったなというか、もらっているなという感じがしないでもないんです。

三好 若さを失っていくとか、自己を失っていくことを哲学者というのは何とか意味付けようとしているんですね。私か特養ホームにいた頃、あるばあさんが亡くなったのですが、通夜に誰も来ないんです。僕は宿直で、線香を切らせてはいかんと思って見守りながら、ちょっと義憤を覚えていました。

みんな冷たいじゃないかと。知人も親戚も誰も来やしないと思ったのだけど、それから10年ぐらいたって、知り合いの若い看護師さんが亡くなりました。たくさんの人が通夜に来てそれは悲しい葬式でした。そのとき私はこれはいかんと思ったのです。

会場風景
「あいつ死んだって?まだ生きていたのか……」というような、誰も悲しませないというのが長生きするということだなと思ったんです。英雄的な死に方とか褒められる死に方なんていうのはどこかうさんくさい。誰も悲しまない死に方が一番いい死に方なんじゃないかな。

希望という幻想

芹沢 父は96歳になりますが、彼はある意味ではいいぼけ方をしています。母親が治ると思っているのです。時々「おれはなぜここにいるんだ?」と聞くので「お母さんが倒れたからいっしょに来たんじゃないか」と言うと「ああ、そうか」と納得するのですが、右肩上がり、つまり妻は治って、自分たちはまた家に帰るんだと思っています。たぶんその幻想がおやじを支えているんだなと思いますけど。

三好 一種の希望なのでしょうね。幻想だけれど希望としてある。たとえば、がんを告知するかしないかという論争があります。今は告知するのが進歩的で、告知しないのは古いみたいな言い方をされているけれども、そう一筋縄ではいかない。

「治る」という希望で生きていける人はたくさんいます。徳永進先生は、「告知しても告知しなくても後悔する」と言われていました。「告知したなら何をしなくちゃいけないか、告知しないならどうしなければいけないかが問われるのであって、どちらかが正しいということではない。どちらも後悔するんだよ」と。

希望という形で幻想をもってくるのは、おそらく人間の哀しさなんでしょう。動物の生の終わり方はもっと簡単で自然です。去年うちの19歳の猫が死にましたが、動けなくなって半日、そのまま静かに死にました。死の恐怖があるようには見えませんでした。立派なものだなと私は思って、死が課題になっているのは人間だけだという気がしました。

昔の人は輪廻という形で納得しようとしたけど、今は右肩上がりで、いかにも死がないもののように思い込むことで乗り越えようとしているのかもしれません。意識というものをもってしまった人間にはいろいろな老いと死に方があるのでしょう。私は、動物のように死に至る方法があるのなら、それを一つの原像として、それに近づきたいとどこかで思っているような気がします。「尊厳ある死」とはかなり違うところですけれど。

芹沢 だとすると、所在不明という形の死に方も悪くない、かなりいいということになりそうですね。死も生も一様ではありませんから、丁寧な関わりがこれまで以上に必要となる、そんな時代がきているように思えます。

※ 2010年11月23日「オムツ外し学会in東京」での対談に加筆・修正しました。

2011年1月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
        その⑤「意味だらけの世界」になっていないか?

先日、老人施設で時間を過ごすことがあった。ちょうど夕食が終わりかけた時間帯で、食堂になっているコーナーに2人の入所者が残っていた。下膳やあと片づけのために何人かの職員がやってくる。介護職だけではなく、着ている服からすると事務所の職員も顔を出す。その誰もが食事中の老人に“声かけ”するのだ。
「ゆっくり食べていいのよ」と。
おい、おい。これじゃ「あなたは食べるのが遅い」とソフトに言われているようなもんじゃないか。

施設職員は、「食事はゆっくり食べてもらうべきだ」「食事を急がせてはいけない」と教育を受けているのだろう。だからわざわざ声をかける。「この人は食べるのが遅いので、片づけができなくて困ったものだが、そんな気持ちを悟られないようにしなきゃ」という気持ちの表れが「ゆっくり食べていいのよ」ではないか。これでは老人は、「あー、自分は食べるのが遅いんだ」と思わせられるようなものである。

“声かけ”が強調されるあまり、“声をかけない”“見てみないふりをする”という選択肢があることを忘れているのである。まさしく、“過剰な声かけ”の実例であった。

“声かけ”や“傾聴”といった方法に対する批判、というより皮肉を書いてきた。そんな意図的でわざとらしい方法をとるよりも、まわりの人から声をかけられ、話を聞いてもらえるような生活をつくればいいじゃないかと思うのだ。もちろん、それを担うのは、介護する、されるという、特殊な人間関係にいる介護職や傾聴の訓練を受けた専門家ではなくて、家族や友人、そしてまわりにいる老人たちでなくてはならないだろう。

認知症老人だけではなく老人、あるいは対人関係一般についての方法として、ケースワークの方法論を取り入れようとする人たちがいる。たとえば、ケースワークの七原則なんかを教えたがるのがその典型である。『実用介護事典』を引いてみよう。
バイステックの七つの原則
アメリカの社会福祉研究者であるバイステック(1921年?)が提唱したケースワークにおける原則。援助対象者との間に円滑な援助関係を築くため、援助者としてあるべき姿勢を説いたもの。①秘密保持、②非審判的態度、③個別化、④受容、⑤自己決定、⑥意図的な感情表出、⑦統制された情緒的関与の七つがある。

結論を先に言うと、こうしたケースワークの原則を介護にもち込もうとするのは無効である。にもかかわらず、こうした試みをしたがる人が多いのはなぜだろうか。
介護は人と人との関係の方法だと考えられている。人体と労働力の問題だとしてのみ考えられているのに比べれば、まっとうなとらえ方かもしれない。人と人との関係の方法を私たちはもっているだろうか。あるとすれば、フロイトが始めた精神分析、それにケースワークの技法ぐらいだろうか。

そこで介護職がより専門的で特殊なケースに関わる精神分析よりも、一般的と思えるケースワークの技法に頼ろうとするのはわからないでもない。
でも、ケースワークもまた、介護に比べれば特殊な場面の専門的な方法である。ケースワークやカウンセリングという場面で有効な方法が介護に有効とは限らない。ケースワークの原則と介護関係の原則は根本的に違っていると思う。

ケースワークという場面と介護という場面とはどこが違っているだろうか。
まず、根本的なことは、ケースワークはワーカーとクライアント(依頼者)との一対一の関係である。しかも、「秘密保持」とケースワークの原則にあるとおり、その内容はもちろん、ケースワーク場面の存在そのものも秘密にされることが多い。

介護場面は一対一の関係ではない。ワーカーが要介護者を一対一で介護することもあるし、その関係が続くこともあるだろう。しかし一対一で閉じられた関係ではない。いや閉じてはいけない関係だといってもいいだろう。
介護関係は開かれていなくてはいけない。要介護者は豊かで相互的な関係の中にいるべきであり、一対一の特別な関係を必要とするような状態にしないことこそ必要なのだから。

では、ケースワークの七原則は介護現場ではどう解釈され、変更されねばならないだろうか。私は大学の先生たちが現場の介護職に説教することの最も多い「自己決定」と「受容」について検討しようと思う。

しかしその前に、私がこうした方法に対してもつ根底的な違和感について、ふれておきたいと思う。介護職はこうした方法をマスターすべきだなどと言われている。でもそうなったら、介護現場は「声かけ」や「傾聴」といったわざとらしいものばかりになるだけではなく、「意味だらけ」になってしまうというのが私の違和である。
それじゃ、近代的な病院のような専門家だらけの場になってしまう。それは、よくて「牧人権力」※に至るだけではないか。
 (※牧人権力『実用介護辞典』P 626参照

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