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介護夜汰話
変えられないものを受け入れる心の静けさを  変えられるものを変えていく勇気を
そしてこの2つを見分ける賢さを

「投降のススメ」
経済優先、いじめ蔓延の日本社会よ / 君たちは包囲されている / 悪業非道を悔いて投降する者は /  経済よりいのち、弱者最優先の / 介護の現場に集合せよ
 (三好春樹)

「武漢日記」より
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」
 (方方)

 介護夜汰話


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しばしお待ちください

2008 ~ 2009
2009年11月  35年前のイメージ 酒井法子が介護職に

酒井法子が介護職になるなんて言ってるというので驚いている。
ちょうど Bricolage の11月号の「介護夜汰話」で「介護職に覚醒剤はいらない」という文章をのせたばかりだったからだ。
まるで予測していたみたいだが、それにしても今回の”介護”はまるで”尼寺”だもの。
35年前のイメージと変わってないではないか。


2009年8月  「地方分権」が聞いて呆れる

「地方分権」が叫ばれ、大阪や宮崎の知事が毎日のようにテレビに登場している。しかし分権された地方で彼らは何をしようとするのか。大阪の知事は第2名神を作れと国に陳情している。国の段階で京滋バイパスをこれにあてればいいとされたにも拘わらずだ。宮崎の知事はあの宮崎県に高速道路をもっと作れ、という。自動車専用道で十分じゃないかね。

つまり「地方分権」されれば、いままでよりもっと高速道路、空港、新幹線を作るということだ。税金で自然を破壊し、膨大な管理運営費をたれ流すのだ。 地方分権とは、税金の甘い汁を中央の大物だけじゃなくて地方のボスにも回せ、ということに他ならない。

中身はちっとも問われないどころかひどくなっているのである。個室やユニットケアに似てるなぁ。大部屋を個室、ユニットにすればケアが良くなるかのように主張されたけれど、肝心の中身は語られることもなく、より管理的で閉鎖的な介護空間を作り出しただけではない。

気がつけば金持ち以外は特養ホームにさえ入所できないというとんでもない時代になってしまった!「地方分権」も“土建国家”の延命を助けることにしかならないだろう。
ヤレヤレ…


2009年4月  介護ブームらしいぞ

4月に入って、NHK教育テレビの「ワンポイント介護」が「三好流」と名付けて毎週放映し始めた。さらに2回にわたって総合テレビの人気番組「ためしてガッテン」が介護を特集した。
1回めには金田由美子さん、2回めには青山幸広さんに福辺節子さんと、私たちの仲間が出演したのは時代が変わったと感じさせた。

なにしろNHKは長い間、”安静強制看護法”を介護だとして教えてきた。その後こんどは”ボディメカニズム”とか”古武術”とかいった、エイヤッと起こしたりする”人を驚かせる方法”を紹介してきた。これらは新しく見えても、本人はじっとして受身になっているという点では安静法と同じである。
私たちの方法は、老人が自ら動く生理的動作を基本としている点では大きな変化だといえよう。私が新しい介護法を広め始めて25年目にしてやっと旧態依然としたNHKが変わったのだ。

だがやはり無理があるなあ、という印象は歪めない。どうしても、技術という結果だけを教えて、なぜそうなのかまでは伝わらない。なにより、バラエティ番組には介護という世界は向かないことがよく判った。

何でもテレビ界は介護をテーマにするのがブームだそうだ。視聴率がとれるらしい。でも私はせいぜい教育テレビまでにしておこう、と思った。ブームには乗らない。ブームは自分の作るものだ。


2009年3月  「問題」をユーモアに変えるコトバの力、文化の力

夕飯にビール飲もうと冷蔵庫 / ドアをあければ本が冷えおり
                 (山口県 大田孝子さん)

2月26日夜放映の「介護百人一首」で紹介された歌です。その本が私の「じいさん、ばあさんの愛しかた」(法研、現在は新潮文庫で「老人介護 じいさん、ばあさんの愛しかた」)だったそうで、司会の小谷あゆみさんも読んでいたので私の名前も出てきました。

ゲストの坂東英二さんも感心してたけど「問題」をユーモアに変えるコトバの力、文化の力を感じますね。こうした介護の現場で読まれていると思うと感無量です。


2009年2月  インドレポート 阪井 由佳子

インドレポート
■1月7日(1日目)
~インドの飛行機、スチュワーデスにびっくり!~

12:00に出発する予定の飛行機が5時間以上遅れた。 でもインド人びっくりしない。文句言う人もいない。 日本人もすでにインドモードに切り替わっているためか、「さすがインド」と笑ってしまう。

待っている間、航空会社から大した説明も謝罪もない。スチュワーデスみたいな人たちに申し訳なさそうな態度もない。さすがだ。 出発からしばらくして、何の案内もなく機内食が配り始められた。

お盆をもったスチュワーデスらしき人が、顎でテーブルを出せと合図する。顎でだよ。顎を前に出して「ほら、ほら出せよ」みたいな。 でも食べたよ。まあおいしかった。 ビールも飲んだ。飲んでる最中、何度スチュワーデスらしき人にその缶を持ち上げられたことか…

片付けたいんだろうね。でも中身があるので置いていく。何も言わずに勝手に私のビールを持ち上げるんだよ。…日本じゃありえない。 でもこのとき、 昔山谷ばーちゃんが、食事介助のとき、いちいち聞かれるのが面倒臭い。って言ったのを思い出した。 「聞かんでいいから、あんたが食べるように食べさせてくたはれ」って。

介護職のマニュアルでは、食事介助の時、「何から食べますか?次は?」とか聞くことが人間の尊厳を守るみたいなことになるんだろうけど、そんなの毎日、毎食度にやられちゃかなわんよね。 それと、インドのスチュワーデスが重なった。 日本人スチュワーデスみたいに作り笑顔で親切すぎるのもうっとうしい。 おせっかい介護、やりたがり介護の人。インド人スチュワーデスに習えですわ。

  インドレポート 阪井 由佳子
■1月8日(2日目)
~私のおしっこがインドの地に吸い込まれていった~

早朝。ほとんど寝ていない。 でも気分はいい。1月のインドは寒い。 駅の構内にたくさんの人が道路に寝転んでいる。その人の多さに絶句。見たことのない光景。

新幹線のような電車にのって「タージマハール」に行くとの説明。 しかし乗った電車は新幹線とは程遠いものだった。 トイレのカギはかからない。紙もない。汚い。くさい。 そのトイレは前と後がわからない。とりあえず足を乗せる場所に足をのせてしゃがんだ。

穴からは線路がみえる。思いっきり穴からは電車の走る外の音が聞こえてくる。  そして、私のおしっこはその穴に見事命中し、インドの地に吸い込まれていった。 その時、私はなぜか、ひどく落ち込んだ。 しょせん、私も動物。野良犬と野良牛、そして車窓の外では並んでウンチしているインド人と一緒。

物乞い、物売りの子供たちにショック!! タージマハール(世界遺産)について大型バスが止まると、物売りの子供たちが殺到してくる。キーホルダーやTシャツを、「やすいよ」「にほんじんやさしいね」とか言いながら、ずっとついてくる 見たらかわいい子供だよ。

  インドレポート 阪井 由佳子
汚い服をきて、言葉巧みに物を売る。中には障害を持っている子供もいる。その姿は噂には聞いていたが見たくなかったぁ?。やっぱ切ないよ。直視できず、対応に迷う。同情で買ってあげればいいのか。でも同情なんて・・・その子供たちをどう解釈していいかわからない。自分の心のどこかに、この子供たちを可哀そうに思っていることに情けなくなる。「自分が何様なんよ!」

どこに行っても子供たちが集まってくる。戸惑いも大分慣れてきた。 そしたら、最初は不憫で可哀想に感じてたのが何だか不幸には見えなくなってきた。それどころか、子供でない大人の目をしている。 そして、この子供たちはこの物売り、物乞いのプロなんよ!!

この子供らはプすごいんだよ! この子供たちを直視できず完全に無視していたとき、私のまわりには全くまとわりつかなかった。買ってくれそうなやさしい人のところに集中して行く。その獲物は絶対に逃さないとばかりに。 ところが、ふと私の心に「ちょっと買ってもいいかな?」と思った瞬間、私に食らいついてきた。すごい。この子らは客の心を読んでいる。

人の心って読めるんだよ。 介護も人の心の読めない人、空気の読めない、状況判断ができない人は無理でしょ。やっぱプロなら心を読む力、センスを養わないといけないね。 それが分かった瞬間、私の中で可哀想な子供たちから、凄腕の仕事の達人という見方に変わった。

ちょっと気持ちが軽くなった。 そして、この夜寝台列車に乗り込み、昨夜寝ていないこともあり、汚いと思いつつ深い眠りに。

■1月9日(3日目)
~ガンジス川は汚かった。臭かった~

インド人はいっぱいいるから、命も軽い? ガンジス川の沐浴、火葬場を見るために移動~~~

途中でごめんなさい!
続きは「にぎやか」の広報誌『ブラボーにぎやか』でお読みください。

■連絡先
特定非営利法人 にぎやか 代表 阪井 由佳子
〒 930-0845
富山県富山市綾田町1-11-17
TEL 076-431-0466  FAX 076-431-0486
http://www.nigiyaka.jp/index.html

2009年2月  TV評 NHKスペシャル「闘うリハビリ」

2月8日(日)夜のNHKスペシャル「闘うリハビリ」を見た。「闘うリハビリ」という題への違和感を持ちつつ見ていたが、やはり、身体が生活を一方的に規定するという古いリハビリの概念(IC-IDH)にもとずいた内容で、2週間の集中訓練で歩行機能を向上させたというケースも「家に帰ったら元に戻るんじゃないか」
「これから老化がやってくるのはどうするんだろう」
「障害のある人はこうして一生闘わなきゃいかんのか」という気分になった。

しかしさすがに大田仁史先生が番組の助言者になっているだけあって、最後に紹介された左片マヒの写真家の言葉には感動してしまった。
治るか治らないかはどうでもいい、自分のやりたいことができるかどうかだ、と言うのである。

主治医は長谷川乾先生。この先生には私は恩がある。”生意気なPT”として業界に出たときに誉めてくれたのだ。生意気とはいえ小心者の私には有難い励みになった。さすがである。リハビリとは闘うものではなくて、その人らしく生きることそのものだということを教えてもらった。

2008年12月  麻生政権が生き延びる道

かつての総選挙のとき、評判の悪い安倍内閣に対して、こうすれば選挙に勝てるという提案をこのホームページでしたことがある。これを採用しなかったために、自民党は大敗し、その後安倍信三は辞任に至ることになったのだ(と私は思っている)。

さて、もっと評判の悪い麻生内閣に対しても選挙で勝てる策を提案したいと思う。もちろんこれは小沢民主党でも社民党でも公明党でもその将来を保証することになる政策である。金はない。それなのに介護・医療・年金は崩壊しそうである。景気は悪いから税収が増える訳もない。そこで消費税を、となるのだが、待ってほしい。いい方法があるのだ。

私の提案するのは以下のとおり。
1.もう高速道路は作らない。
宮崎や鳥取県知事は「高速を!」と訴えているが、自動車専用道で十分。それどころか、現在利用度の低い高速道路はコンクリートを解体して木を植える。それを「グリーンベルト」と呼ぶ。それを作れば自然を回復できるし温暖化防止にもなる。
2.もう空港は作らない。
それどころか赤字の空港はコンクリートを解体して木を植える。こちらは「グリーンスクエア」と名付ければいい。
3.もう新幹線は作らない。
山形や秋田のような在来線乗り入れで十分ではないか。

土建屋とそこから金を吸収している政治家は猛反対するだろうが、各選挙区に”刺客”を立てればいい。郵政で小泉がやった手だ。有権者は支持するはずである。土建屋さんや建設会社はコンクリートを解体して再利用する技術を開発すればいい。維持管理と耐震化の領域と合わせて生き延びていけ。

道路、空港、新幹線への予算及び、廃止した高速道、空港の赤字分で浮いた金を全て、介護と医療、年金に当てることにすればいい。もちろん以前に提案したように、介護職の給料は1.5倍にする。そうすれば、麻生大嫌いの私をはじめ、介護関係者と家族は投票するぞ!

それにしても麻生なんかを総理にしたら失言連発で自滅することくらい最初から判るじゃないか。自民党はそんなことも判らなくなってるのかねぇ。

2008年9月  ミネルヴァの梟は日暮れて…

9月のNHKの番組で「オムツ外し」と出た! 出演者は東大医学部の泌尿器科の医者。第1回オムツ外し学会が1988年。20年遅れでやっとアカデミズムの頂点が動いた!

さらに「ためしてガッテン」で認知症予防法が取りあげられた。医学の進歩のあげくに「運動」と「会話」ではこれまた20年以上前の「寝たきりとボケの真の原因は”閉じこもり症候群”」という竹内孝仁先生の言っていることに追いついただけ。

まことに「ミネルヴァの梟は日暮れて飛び立つ」である。「NHKと」を付け加えるべきかも。意味のわからない人は辞書を引こう。



19世紀の哲学者ヘーゲルは『法の哲学』のなかで、「ミネルヴァの梟は夕暮れに飛び立つ」と述べています。 ミネルヴァ(アテナ)は女神の名前であり、梟は彼女が同伴している「知恵」の象徴です。 つまり、「知恵」は一日(時代)の終わりになってようやく翼をはためかせる=「形」を持つ、ということ。

2008年8月  大学のセンセなんかに惑わされれるな!

~「シルバー新報」連載記事の高口光子批判について~

「シルバー新報」という介護の業界紙に「だから職員が辞めていく」という連載がある。岡田耕一郎と岡田浩子の連名によるものだ。その7月18日付の連載の18回目に、「『○○のリーダー論』に惑わされるな」と題する高口光子氏への批判が載っている。

「リーダー論」の本といえば、上野文規さんと下山名月さんの編による「介護現場のリーダー論」(雲母書房)があるが、引用から推察するとここで批判の対象となっているのは高口光子さんの3冊のリーダー論(『リーダーのためのケア技術論』(関西看護出版)と医歯薬出版から出版されている2冊の本)を指しているものと思われる。

批判点は次のようなものだ。高口の著書の中の「どんなケアをしたいのかを自分に問う」という項目に「やりたいケアか、やりたくないケアか?この観点を大切にし、今までのケアを見直してみよう」とあるが、それではリーダーが変わるたびに猫の目のようにケアが変わってしまうというものだ。さらに、必要なのは「一定の質の介護を責任を持って組織として提供する」ことであり「趣味の介護を個人の立場で提供する」のではない、という批判である。

この連載を読んだ私の感想は次のようなものだ。肩書きを見ると、著者の一人の男性は某大学の経済学部教授である。
「大学のセンセじゃしょうがないか」。

私たちの発言や文章による発表は現実の場面で行なわれる。ところがこの著者は、書かれた文章だけを読んで批判しようとする。だから「やりたいケア」が、介護職個人による恣意(しい)的なもの、つまり個々人の勝手なものだと思ってしまうのだ。

介護現場の課題とは何か。急性期のみに通用する安静看護から脱却して、老人を主体にする介護への転換がずっと問われてきた。それは画一的な処遇から一人一人を主体として捉える介護への転換でもある。

高口さんの本を読み、「介護リーダー養成講座」に自分の休みに自費でやってくる人たちはそれをしたいと思ってやってきているのだ。そんな現場の介護職が切実に「やりたい」と思っているのは、恣意的でバラバラのものではなくて、大きな方向性を持っているのだ。それを前提にした上での文章を、文脈も背景も介護現場の現実も無視して文章だけを取り上げるというのは、文献引用を職業とする大学のセンセに相応しいだろう。

「一定の質の介護を責任を持って組織として提供する」ためにこそ、高口さんも我々もセミナーを開催してきたのだ。問題は大半の施設や介護現場で”一定の質”が保証されていないことだ。というより、伝統的な安静看護を基本にした管理的処遇が今だに続いているのである。これをどう変えるのかを提起できないなら「責任を持って組織として老人を寝たきりと呆けに追い込む」ことにしかならないのだ。

私も高口さんもその著書や発言によって、介護と呼ぶのに相応しい質の中身を食事、排泄、入浴について具体的に、しかも根拠を示して提起してきたつもりである。介護職が切実に「したいケア」を”趣味”としか捉えられないような人が「一定の質の介護を組織として提供する」というのは、結局旧態依然とした画一的ケアを守ることにしかならないのだ。だから「職員が辞めていく」のである。

シルバー新報よ、介護現場の外部の人を起用するのは悪くない、よい刺激になることも多い。しかし、介護現場の”今”を体感していない人が、一般的な経営組織論(世の中には通用してるかもしれない)を介護現場に説教するような内容では困る。老いや死を相手にする仕事は近代的方法論の枠には入り切らないのだから。

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金と嘘と暴力で作った原発に さよならを
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