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介護夜汰話
変えられないものを受け入れる心の静けさを  変えられるものを変えていく勇気を
そしてこの2つを見分ける賢さを

「投降のススメ」
経済優先、いじめ蔓延の日本社会よ / 君たちは包囲されている / 悪業非道を悔いて投降する者は /  経済よりいのち、弱者最優先の / 介護の現場に集合せよ
 (三好春樹)

「武漢日記」より
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」
 (方方)

 介護夜汰話



List

介護夜汰話 ミネルヴァの梟
介護夜汰話 老年期の消滅 ~ニューオーリンズは他人事ではない
介護夜汰話 「禁制論」と介護現場
介護夜汰話 介護の世界に「事典」ができる
介護夜汰話 なんて短絡的なんだろう
石原慎太郎の痴呆のタイプは?
介護夜汰話 近代主義者には困ったものだ ~領土問題と老人介護と
二流国家同士のケンカ
介護夜汰話 外国人労働者導入反対の理由
介護夜汰話 「認知症」は認知されるか ~「出来レース」の果ての画一性~
介護夜汰話 皮肉の一つも言わせてくれ ~ノロウイルス騒動を巡って ~
介護夜汰話 介護保険は隔離保険 ~見直しは介護をちゃんとしてから~
介護夜汰話 現代国語入試問題 ~「ある食堂店主の告白」より出題~
介護夜汰話 コトバを換えたってキリがない ~厚生労働省の愚行~
介護夜汰話 厚労省の誤りは続く
介護夜汰話 『換骨奪胎』大田仁史先生の方法論
介護夜汰話 「介護予防」のつぎは「育児予防」? ~リハビリという名の“未来への逃避”
介護夜汰話 近代は老いと子どもへの適応力がない
介護夜汰話 「家庭」より「雑踏」のほうが寛容である ~良識ある市民社会の差別性
介護夜汰話 倫理と倫理主義、技術と技術主義
介護夜汰話 痴呆論余話 「介護」の自立が始まった
介護夜汰話 痴呆論余話 ~禿げは呆けにくい?

2005 ~ 2004
2005.12月  介護夜汰話 「事典」をコミュニケーション・ツールに

  2005.12月-2006.1月号を参照ください

2005年11月  介護夜汰話 ミネルヴァの梟

「ミネルヴアの梟(ふくろう)は日暮れて飛び立つ」という諺(ことわざ)がある。 「ミネルヴア」とはギリシヤ神話の知識と技術の女神のこと。梟は西洋では賢者の暗喩であり、「ミネルヴアの梟」とは学者を指すコトバである。 梟は夜行性だから、一日が終わって夜になってから活動する。この諺は、学者が日が暮れてから、つまり現場で起こっていることが終わってから発言し、論文を書くという意味の、学者への皮肉である。

最近では「エビデンスはあるのか」なんていう輩が増えた。エビデンスとはevidence「根拠」のことで、何か新しいことをしようとすると、学会発表や論文といっだ学術的根拠”を示せ、というのである。このevidence、もともと医療の世界で使われたものだ。 EBM (Evidence-Based Medicine)、つまり’‘根拠に基づいた医療”をやろうというのだ。というのも医療があまりにも根拠のないことをやってきたことによる。

習慣的に処方されている薬がじつは効果が認められない。それどころか副作用があったりすることは枚挙にいとまがない。集団検診や予防接極の多くが何ら予防効果がなかったという報告がなされているのもご存じのとおりだ。 そのEBMを介護にも要求しようとするのだが、その大半は根拠を示せという大義名分のもとで「新しい介護」を拒否して、旧態依然とした安静強制看護を続けようとするためなのである。

そもそも新しい分野である介護に「学術的根拠」を示せ、といっても無理な話である。これからつくっていく世界なのだから。 論文だの、学会発表だのが行われるずっと前から現場のケアは存在している。学者なんかアテにはならないから、現場の私たちシロウトが、元気のない老人にああしてみたり、こうしてみたり、試行錯誤というよりは、何でもありといったほうがいいようなやり方で方法をつくりあげてきた。

たとえば、「風船バレーボール」もそうした方法の一つだ。現場の人同士の交流でこれらがあっという間に全国に広がり、そのうち「遊びリテーション」なんてコトバでこれが表現されるに至る。さらに、研究会で発表され、方法がまとめられて本が出版される。 実践が生み出され、一つの現場に定着するのに5年、コトバになるのにさらに5年、理論化されるのにさらに5年、論文や教科書に載るのにさらに5年といったところだろうか。

「ミネルヴアの梟」は20年遅れでやっと飛び立つのだ。つまり、「エビデンス」のあることをやっていたのでは20年遅れになってしまうのだ。その頃現場では、新しい実践が始まっているはずだ。 現場の「エビデンス」は論文や学会発表ではなくて老人の表情だ。「エビデンスはこの初めて見せた笑顔です」と言ってスライドを見せよう。「エビデンス?“常識”です」と言って開き直ろう。

32年前、まったく興味のなかったこの世界に就職した私は、「ホスピタリズム」なんてコトバを初めて聞いて、少しは勉強しなくては、と思って本屋に行った。初めて見た社会福祉のコーナーから2~3冊の本を買って帰って読んでみることにした。 その時の印象は、「ヨコ文字をタテ文字にしただけの世界じゃないか」というものである。ヨコ文字、つまり英語で書かれたものをタテ文字、日本語に早く翻訳した大学教授が「権威」と呼ばれていて、オリジナリティがないと思った。

24歳の生意気盛りの頃だから、そう思ったのかもしれないけれど、日本の「ミネルヴアの梟」たちは、社会との時間的差だけでなく、近代知の発祥の地である西欧との空間的距離をも体現していて、あたかも最新のブランド品を輸人する“輸入業者”でもあるらしい。しかも日本のどこにも定着することのないブランド品を次から次へと持ち込むのだ。

学者が20年遅れなら、一つの分野に「事典」ができるのは、さらに10年を経た30年後だろう。「おまえはそんな仕事をしているのか」と言われそうだ。「事典の編者になったら“あがり”じゃないか」なんて軽口を叩く友人もいる。 言っておくが、私は20年遅れや30年後の仕事をした覚えはない。最先端の介護実践についていくのに息切れはしているが、なんとか併走しているつもりだ。

実用介護事典 改訂新版つまり、表現の世界では20年先、30年先の仕事をしているつもりである。しかも西欧ではなく、日本の現実から生まれたオリジナリティのある仕事を。 だから、『実用介護事典』は、現実の介護を変える力をもっているはずだ。「日暮れて飛び立つ」のではなく、「新しい朝」をつくるのだ。 私の願いは近い将来、介護の現場が大きく変わり、この事典の中身を改訂せざるを得なくなることだ。私の経験では20年くらいかかるだろうか。それが10年なら望外の喜びなのだが……。


2005年10月  介護夜汰話 老年期の消滅
        ~ニューオーリンズは他人事ではない

8月末、大型ハリケーン「カトリーナ」による被害をテレビで見ていると、アメリカがじつは貧困、差別といった世界の矛盾を、その世界一豊かな国の内部に凝縮して抱えていることを実感させられた。

私たち介護関係者にとってショッキングだったのは、避難した職員にとり残された老人ホームの入所者三十数名が死んでいたというニュースだった。私は、老人を残して逃げ去った介護職をひどいとは思ったが、とても非難する気にはならなかった。

かつて本誌で推薦した『老人ホームの錬金術』(ティモシー・ダイアモンド著、法政大学出版局)を読んだ人にはその気持ちがわかるだろう。 アメリカのナーシングホームの悲惨さは日本でもよく知られている。この本はそれをその内部から報告したものだ。大半がアジア系、アフリカ系、ラテン系の“まるで国連”と言われるケアワーカーたちは、アメリカでは最低レベルの階層である。

1つの仕事では生活もできないから夜勤専門で2つの施設をかけもちしているなんてのも当たり前という世界だ。人問として扱われていない人に、「老人の命を大切にしろ」と説教できるだろうか。 責任は経営者、行政をはじめとするアメリカ社会そのものにある。

しかし、異例の「避難命令」を出したにもかかわらず、車を持たない貧しい住民にバス1台出さないような社会である。「貧しい住民」どころか、その社会からすら隔離、忘れられた老人ホーム入居者をイザという時に、助け出すシステムすらなかったとしても当然である。

日本ではちょうど衆議院議員の総選挙の最中だった。私が小泉反対派なら「小泉によるアメリカ追従、競争原理による世の中の行き着くところはこのニューオーリンズの姿だ」と言ってやるところだが、岡田や福島といった野党党首も、亀井も田中も誰もそんなことを言うヤツはいない。いや、日本の将来の話ではない。現在の日本にも、深いところですでに「アメリカ」は進行している、と私は思う。

幼年論吉本隆明と芹沢俊介の対談集「幼年論」(彩流社刊)が刊行された。副題は「21世紀の対幻想について」とある。かつて、この2人の対話集『対幻想』『続対幻想』(春秋社)ではいろんなことを教わった。特に、「若い人から『メサイヤコンプレックス』が消滅した」という指摘はショックだったが、こんどの本では「幼年期」が消滅寸前だ、というのである。

2人は、「母親の世話が必須である」時期を乳児期、そして小学校に入ってからを学童期とすると、その間の「母親がそばにいれば一人遊びができる」時期を「幼年期」と定義している。

そして、この時期を「母親による保育とやがて学童期の優勝劣敗の世界への入口の中間の弱肉強食に馴染まない世界」(まえがき、吉本隆明)であるとし「この中間をもつことは人間力の特性につながっている」(同)と言うのである。その幼年期が、保育の専門化、近代化と、教育の早期化によって「消滅寸前」だというのだ。つまり「人間力」が危機なのである。

かつて私は、幼年期と少年期を老年期に、思春期と青年期を初老期に対応するものとして。それぞれの課題と対応の共通性について述べたことがある(『男と女の老いかた講座』ビジネス社。この本が、このたび講談社文庫として再発行されることになった。10月15日に『なぜ男は老いに弱いのか?』と改題されて、書店の棚には50音順なので、“村上龍”の前に並ぶ予定!)

その考えでいけば、幼年期は、痴呆を含む後期老年期に対応しているといえよう。家族や介護者がそばにいて適切に見守っていれば一人で生きていけるという時期である。いわば要介護老人に対応する。要介護老人もまた消滅させられようとしている。介護の専門化と近代化は“主体としての老人”を消滅し、介護の対象に変えてしまったし、教育の早期化に対応する“筋トレ¨“介護予防¨が要介護老人をあってはならないものにしてしまっている。

「幼年論」に学ぶなら、この時期は、「優勝劣負の競争社会」からようやく脱出して、「人問力の特性」を発揮できる時にあたる。 白立できなくなって人に依存しなければならなくなった時にはじめて人間がわかる。なぜなら、依存は人間の特性だから。

金もうけや出世の競争から降りてはじめて世の中がわかる。なにしろ、経済も国家も、子どもと老人を支えるという人類の目的のための手段なのだから。 吉本隆明はこの幼年期についてこう書いている。「意味をつけようにもつけようがない。中味がなにも無いからだ。でもこれがなかったら人間の生涯は発達心理学のいう意味だらけになってしまう」と。

意味のないものを大切にする。少なくとも排除しない、取り残して逃げたりしないことが求められている。それが老人介護ではないのか。しかし、吉本は「文明史がそれを認めるか認めない方向に向うかは別として」と書かざるをえなかった。文明史の最先端のアメリカが、まさしくそれを認めない方向に至っているのだから。


2005年09月  介護夜汰話 「禁制論」と介護現場

私が主催する月に1度の読書会で新しい本を読むことになった。この間続けていた『愛と経済のロゴス』(中沢新一)が終わって、「共同幻想論」(古本隆明)になった。いずれも難解な本だがそれは党悟のうえだ。なぜなら「自分一人ではとても読めないような本を読もう」というのがこの読書会の目的だからだ。読者もぜひ同時進行で読んでほしい。

「共同幻想論」はかつて私を救ってくれた本である。かつて「新左翼」と呼ばれた思想の影響下にあった学生運動(私の場合は「高校生運動」だが)の70年代に入ってからの党派間闘争と官僚化にとことん嫌気がして、運動から離れる時のことだ。

当時、党派を離れる私たちはコンプレックスをもたざるを得なかった。というのも、まだ「転向」なんてコトバが生きていて、私たちはふつうの生活に戻ることに罪悪感のようなものを感じていたからだ。 そんな時に、罪悪感をもつ必要のないこと、それどころか、国家という体制の側も、党派という反体制の側をも同時に見通して批判する視点を与えてくれたのが吉本隆明さんだった。

『マチウ書試論』『芸術的抵抗と挫折』『転向論』そして『共同幻想論』。かつて、「天皇のためなら死ねる」と思っていた軍国少年の彼が、敗戦後の「民主主義」をもまた信用できないと感じて、天皇制と民主主義を同時に撃つ思想を一人で創りあげてきた過程を、私は私の体験を解くために追体験していったのだ。

「共同幻想論」は「禁制論」から始まっている。禁制、つまりタブーのことである。タブーはいかにして発生したのか、と彼は問う。フロイトのような個人の病理にそれを求めるのではなく、共同的な夕ブーは共同の幻想に求めるべきだというのだ。

彼の問題意識は、戦前の天皇制という最強の夕ブーを解明しようとするものだろう。そしてこの章は次のような結語で終わっている。「そしてこの状態(共同的タブーが生み出される状態)のほんとうの生み手は、貧弱な共同社会そのものである」と。

吉本さんの説が正しいとするなら、次のようなことが言えるのではないか。 タブーを抱えている共同社会ほど貧弱な共同体だ、と。かつての天皇制の日本だけではない。未だに天皇の戦争責任を語ることすらタブーになっている“民主主義”の日本、共産党批判がタブーの中国といった国家をイメージしてみるといい。内部にタブーをもった国家は必ず排外主義を生み、国民も外部も不幸にしただけだった。

私たちはこれを介護現場に当てはめてみる。規模では国家とは比較にならないが、介護界に進出してきた大企業なんかで、カリスマ経営者への批判がタブーになっているような会社には未来はないだろう。さらに、比較にはならない小規模の事業所にもこれは当てはまるだろう。ここにはカリスマ経営者はいない代わりに、介護職が無意識に抱いている共同の幻想がタブーになっている。

「介護という仕事に関わる者は人間的でなくてはならない」「老人のことを、汚いとか嫌な奴だなんて思ってはいけない。たとえ思ったとしてもそれを表に出してはいけない」 こうした”黙契”(「禁制論」で出てくる用語。無言のうちに互いの意思が一致していること)のある介護現場ではそれがタブーに転化してしまう。内部にタブーをもった共同体はその内部も外部も不幸にするのは国家と同じだ。介護職内部のイジメ、外部、つまり利用する老人の排除、そして虐待だ。

『あれは自分ではなかったか グループホーム虐待致死事件を考える』(ブリコラージュ刊)で、下村恵美子さんと高口光子さんは、期せずして同じことを訴えている。介護現場のタブーを破ろう、というのだ。

「『よりあい』では自分がいかに惨めで、介護者に向いていないかを朝の申し送りで話します。夜勤中に起こした自分の失敗や利用者ともめたことを、包み隠さず話し、出勤しているスタッフに聞いてもらいます。できれば自分の失態は隠しておきたいです。しかし事実なのです。事実を受け止め、明らかにし、職員に打ち明け、相談し、報告します。そしてみんなで笑います」

これは「よりあい」が地域の人たちと開いている「ミニ学習会」でスタッフが発表したものだ。実際に。この本のもとになったシンポジウムに夜勤明けでやってきた「よりあい」所長の下村さんは、「夜寝らんボケはホンマに困る」と老人への「本音」を参加者にぶつけるのだった。所長が自らこんな調子なら他のスタッフも「本音」が出せるだろう。

「問題行動に出合った職貝が自分のマイナスの反応、代表的なものとしては『臭い』『汚い』『わずらわしい』などをきちんと言葉に出せなくてはいけません『臭い、汚い、わずらわしい』と感じるのはあるがままの自分の姿です。そのことが語れないのでは、困るのです」。これは高口さんの発言だ。

まあ彼女にはもともと何のタブーもない。どんな場でも発言を控えるということはなくて、権威ある人の面前で、思わず口を押さえたくなるような場面に出合ったことも再三ある。

私なんかは権威に対抗しているとはいえ、いつの間にか白分自身が代わりの権威になってタブーをつくりかねないが、下村さんと高口さんは大丈夫だろう。「王様は裸だ」と言う子どもだからだ。 そんな人こそ介護現場に必要なのだ、とつくづく思う。


2005年7月-8月  介護夜汰話 介護の世界に「事典」ができる

偶然、介護の仕事に就いたのが32年前のことだ。興味も関心もなく、「いつものように6か月もつかどうか」と思いながら特養ホームに通い始めた。

ところが10日も経つと、「どうやらこの仕事は続きそうだ」と思い始めたのだ、化学工場の下請け、家具屋の店員、パチンコ屋の店員、ミシンのセールスなどこれまでの仕事にはなかったおもしろさを感じ始めたからだ。もちろん、その“おもしろざをたとえば「ブリコラージュ」なんてことばで表現するようになるのには、それから+数年が必要となるのだが。

この仕事を続けるのなら少しは勉強しなきや、と思った。そこで本屋に行って社会福祉の本を探してみる。なにしろ「ホスピタリズム」も「ノーマライゼーション」も生まれて初めて聞くことばだ。もちろん「バイスディックの7原則」と言われてもなんのことやら……。

社会福祉の本を何冊か読んでみてわかってきたことがある。これは横文字を縦文字にしただけの世界じゃないか、ということだ。つまり、英語で書かれた本を日本語に翻訳した大学の先生が権威だと言われていて、日本の現場から生まれたオリジナリティが感じられないのだ。だから横文字がそのまま使われているのだろう。

研修にもなるべく出るようにしたが、やはり、理論は英米のもの、実践は北欧の話ばかりで、進んだ欧米と遅れた日本、という図式の中で、“意識の低い”日本の介護職を啓蒙する、という内容であった。で、私たちは、とてもあんなことは現場ではできないなあ、とため息をつきながら研修から帰ってくることになるのだ。

講師のセンセーが医者だと最悪である。あれは医者の見当識障害だとしか思えない。つまり、自分か今誰を相手に何のために話をしているのか、ということがわかっていないのだ。認知に問題があるのかもしれない。だってシロウトばかりの介護職を相手に医学用語を連発してどうするんだよ。さらに最新の医学知見だとか言って薬の配合の話まで延々とするセンセーまでいる。

それでも当時の私は、医学用語も知っておかなければ困ると思って、本屋で医学辞典を買うのである。当時の安月給の身にはちょっとした決意がいるほどの値段である。 ところがこの辞典には困った。わからないコトバがあるから引くのだが、引くとわからないコトバが増えるだけなのだ。

医学辞典は、解剖学や生理学を勉強していることを前提にしての説明しかないのである。だから解剖学用語は項目すら入っていない。つまり、「脊髄損傷」という病気の説明はあるが「脊髄」は載っていない。「大腿骨頚部骨折」はあっても「大腿骨」も「頚部」も説明はないのだ。

しかも、実際に現場で医者や看護婦が使っているコトバが載っていないのだ。これは困る。 「ムンテラ」なんて看護婦は当たり前に使う。ドイツ語の「口」と「治療」を合わせた俗語で、今なら「説明と同意」だろう。 「アポる」も「ステる」も医療現場の俗語である。患者や家族にとってはストレートすぎる表現を隠語のようにして使ったのだろう。前者は脳卒中の発作、後者は死亡のことだ。

それにしても、私が「事典」の編著者になろうとは思わなかった「所詮はアンチテーゼの三好春樹」なんて言われたこともある。つまり、主流派に対する反対派としてのみ意味がある、というのだ。私自身も権威主義を批判したり皮肉を言ったりするのが私の仕事だと思ってきた。

ところが「事典」となるとそうはいかない。ちゃんと定義しなければならない。これはもう規範づくりだ。これはもう体制派、主流派のやることではないか。 果たしてこれは私の仕事だろうか、と思いつつ始めてみると、これが楽しい。もちろん、体制派や主流派になるつもりはない。介護用語を定義するのは、主流、反主流なんてケチな世界を超えて、世界を創造した神になったような気持ちである。

なにしろ神はなんでも創った。事典づくりもなんでもありだ、そう思ったら、客観的に定義することとアンチテーゼとしての自分の個性を主張することとが矛盾するものではなくて、むしろ表現のおもしろさがここにある、と思えるようになったのだ。

実用介護事典 改訂新版『実用介護事典』(2005年11月刊行予定、講談社、定価3,990円)には解剖学用語はもちろん、医学界の俗語もちゃんと載せた。コウとしか読めない「腔」を「鼻腔栄養」のようにクウと読んでしまう非常識の理由も説明している「介護力士士」も入っているし「ブリコラージュ」という項目も、もちろんある。



2005年6月  介護夜汰話 なんて短絡的なんだろう

筋トレで老化と闘うのだそうだ 小学生の子どもが時計をもってやってくる。「百ます計算」の時間を計ってくれというのだ。 「百ます計算」というのは、タテとヨコに10コの数字が書かれ、それを足したり、掛けたりした答をマスに埋めていくもので、できるだけ早くできるように練習するものである。

そういえば私も小学生の頃、毎朝のように「ヨーイドン」のかけ声とともに、「算数ドリル」をやらされたものだ。おそらく暗算はうまくなっただろうと思う。 しかし、そのおかげで私は長い間、テストというのは早くやらねばならないという習性が抜けきらず、問題の意味や答をじっくり考えるということができなくなったような気がする。あのドリルをやらされなければ、もっとじっくり思考する人間になって、哲学者になれていたかもしれない。

「百ます計算」は、子どもの学力低下を解決する方法だというので、今や日本中の学校で行われるようになった。しかし、そんなに簡単に問題が解決するなら苦労はしないだろう。 そもそも「学力」とは何か? さらに、その学力は本当に低下しているのか? さらにそれは「ゆとり教育」が原因なのか?……実証なんかされていないことばかりである。

「百ます計算」を提案した陰山英男氏は、「学力低下は”ゆとり教育”のせいではない」と言っている。じゃあ何のせいか? 彼は「朝食を食べなくなったからだ」と言うのだ。 そう、学力の低下があるとしたら、それは日本の社会そのものが変化し、深いところで子どもたちが学習意欲をもてないことにあるはずだ。教え方の問題や授業時間の問題ではない。陰山氏はそこのところをよくわかっている。もちろん、朝食を食べればいいという問題でもない。

「百ます計算」は陰山氏にとっては、現場での具体的な方法の一つにすぎないはずだ。だって現場は「社会が悪い」なんて言ってても何にもならないからだ。しかし、この社会は短絡的で、「百ます計算」さえすれば、問題が解決するかのように考えてしまう。さらに、「ゆとり教育」を見直せば、つまり授業時間を増やせばどうにかなると思ってしまう。

文部科学大臣の顔を見てみればいい。子どもだけじゃなくて、国民を管理したくてしょうがない人に私には見える、「学力低下」をいい口実にして支配欲を満たしたいのだろう。「老人問題」を口実にして支配欲を満たそうというのが厚生労働官僚である。

『週刊ポスト』(5月27日号)によると、介護保険を見直しして、「介護予防」の名の下の「筋肉トレーニング」に反対する議員を、スキャンダルで脅してまで法制化したのだという。 同誌によると、これによって膨大な利権が生じ、“介護マフィア”(同誌の表現)に大金が入るのだという。 私にはその真偽のほどはわからないし、興味もない。興味があるのは、その「筋トレ」を受けさせられる老人と、混乱させられる介護現場のほうだ。

全国3,000か所の「筋トレセンター」に老人がバスで集められ、同じメーカーの同じマシンで筋肉を鍛える。これを変だと感じないほうがどうかしているではないか。 転倒防止のために腸腰筋を強化したいのなら階段を昇ればいい。降りるのは怖いからエレベーターで降りてくるのだ。バランスカの維持には遊びリテーションが一番効果的だ。筋トレの方法だっていくらでもやり方があるだろうに。

それより何より、老人が寝たきりになるのは筋力が低下するからではない。老化や障害をもった身体で生きていく気持ちがなくなって、目がトロンとして何もしなくなり、その結果、筋肉が小さくなるのだ。つまり、主体の崩壊が先で、筋力低下はその結果にすぎない。

確かに、腸腰筋の筋力低下で段差につまずいて転倒し、骨折して寝たきりになるケースはあるだろう。転倒予防プログラムで転倒を21%減らしたというデータがあるらしい。 それはもちろんよい。しかし、残りの80%近くの転倒はあるのだ。高齢社会は、転倒も骨折も当然あるものだ、つまり「想定の範囲内」として対応を考えねばならないのだ。つまり、転倒予防以上にやらねばならないのは、たとえ骨折しても寝たきりにしない方法論なのである。

手の骨を折って入院して寝たきりにされた、というケースは後を絶たない。それどころか、検査入院でさえ寝たきりになるじゃないか。 となると、介護予防でまずやるべきことは病院の医者や看護婦の教育ではないか。老人の寝たきりをつくっている病院の高いベッド、狭いベッドを取り替えることではないか。

この国は筋トレで老化と闘うのだそうだ。しかし老いと闘って勝ったことなどない。老いは闘うものではなく、受け入れるものだ。闘いがあるならそれは、老いに適応できない医療と看護との闘いだ。



2005年6月  石原慎太郎の痴呆のタイプは?

「目クソ、鼻クソを笑う」、その後の日中の問題を巡る応酬をこの一言で要約できる状況になってきた。中国の首脳が過去の日本の国家悪を批判すれば、日本の保守的マスコミが、チベット侵略や文化大革命での死者をあげつらう。相手の罪悪を言いたてることで、自らの国家悪を免罪しようという、さもしい心根同士である。

どっちもひどいもんだ、というのが正しい判断である。21世紀にもなって東アジアにはいまだに前近代性を克服できない2流、3流国家が残存しているということだ。 北朝鮮なんていう3流国家があるから日本は少しはマシに見えるだけで、平和憲法によって国家的なものから脱却していく方向性を持っていた日本は、いまや、それを投げ捨てて「普通の国家」に成り下がろうとしている。

戦争放棄はもとより、政教分離まで投げ捨てるのだからこれはもう2流にも留まれそうにはない。政治と宗教がくっいてはい家ないというのは、日本人が歴史から多大な犠牲を払って手に入れた教訓だったし、世界の民主国家の原則である。それを守ってこそ、”一神教国家”である中国を批判できるのだ。

石原慎太郎となると笑えないピエロである。南鳥島の岩にキスしてみせたりしているのを見ると、政治家とは「大衆の劣情と結託してパフォーマンスする人」と定義したくなる。彼がもし中国に生まれていたら中国々旗を手に尖閣列島に上陸していただろう。北朝鮮に生まれていたら、家庭に入り込んで「金正日の写真を飾っていない」といって処分するに違いない。なにしろ日の丸を揚げない、君が代を大声で歌わないといって処分する人なのだから。そう、彼がその行動の根拠としているのは日本に生まれたという偶然でしかない。何の根拠もないもんだ。

ああいうタイプは呆けるだろうなあ。国家という共同幻想に自己を同致させているタイプは、老いには弱いもの。だって老いたら共同幻想の側はすぐに見捨てるもの。すでにそのズレは始まっているみたいだけどね。激しい葛藤型から回帰型に到る、というのが私の見立てである。ただ憎めないところがあるから女性の介護職には「かわいい」と言われるだろう。本人には屈辱だろうけど。

北朝鮮はもちろん、中国も日本も現在の政権を打倒せねばならないのだ。もっとも打倒したからといってましな政権ができるとは思っていないけどね。だってあんな小泉や石原に日本人は票を入れるんだから。よほどアイデンティティがなくて国家と自己を同一化したい人が多いんだね。でも、国家的なものに抵抗することに意味があるんだよね。


2005年5月  介護夜汰話 近代主義者には困ったものだ
 ~領土問題と老人介護と

「三好さんがよく批判する“近代”ってなんなの?」 高口光子さんからの質問である。彼女のよいところの一つは、こうした率直さだ。なにしろ東京大学の上野千鶴子の研究室で「“ジェンダー”って何ですか」と聞いて、秘書にあきれられたという。ま、私たちが知らないのは不思議でもなんでもないが、東大なんかでは信じられないことらしいよ、読者の皆さん。

近代とは、私たち現代人がすっぽりはまってしまっている感じ方や考え方のパターンの一つだと言えばいいだろう。いつも吸っている空気を意識しないように、当たり前だと思っている感じ方や考え方が、実は歴史的には百数十年前からの近代という時代の特殊なものでしかない。
それを、人類史上ずっと続いている「老い」や[死]にあてはめようとするのは無理だよ、というのが私の近代批判である。

国家とか国民とかいう概念も近代的なものにすぎない。にもかかわらず、世界中を国家の領土に分割してしまわねばならない、と考えているのも近代的思考でしかない。 竹島(独島)を“日本固有の領土”などと言っているが、“固有の領土”なんてものはありはしない。それはせいぜい百数十年前に近代国家が成立した時に宣言したというだけのものだ。

早い者勝ちなら、近代国家への道を目指さなかった地域は植民地化されるよりない。 中東やアフリカの国境線を見てみるがいい。直線である。早く近代国家となった国々が、民族も言語も無視して領土分割したからで、そのことがいまだにイラクの混乱をつくっていると言ってもいい。

“固有の領土”というならもっと歴史をさかのぼってみれば、北海道はアイヌのものだし、アメリカも原住民のものだ。もっとさかのぼれば、竹島は鳥のものである。あとは竹島を漁場にしてきた日韓の漁民の生活の場である。そのことさえ保証されれば、どの国家にも所属しないのが一番いい。尖閣諸島(釣魚島)も鳥のものだ。資源があるなら両国で話し合えばいい。

いわば国家というのはヤクザ集団のようなもので、領土紛争はヤクザの縄張り争いだ。縄張りの中で生活しているからといってヤクザと自分を同一化することはない。“固有の領土”などと言って日本領土であることを疑うことすらしない日本のマスコミは、近代という狭い思考に閉じ込められているのだ。

ついでに言うと、日本のはるか南の沈みゆく岩にセメントをぶち込んで、無理矢理に、領土にしてしまおうなんていうのはみっともないだけじゃなくて、最悪の環境破壊ではないか。誰もこれを問題にしないのはなぜだ。ナショナリズムを疑うことすらしないマスコミは、大衆を戦争に動員した戦前の体質と本質的に変わってはいないのだ。

さらについでに言うと、私は日本の国連常任理事国入りなんてアホらしいと思っている。ヤクザ会の幹部になるのがそんなにいいことかね。ヤクザに課題があるとするなら、ヤクザらしくなくなることである。つまり国家の課題は国家であることを自己否定することだ。
だいたい、日本が常任理事国になっても、アメリカ票が2票になるだけじゃないか。何の意味がある? だから中国が反対するのもわかる。しかし、報道の自由も政党政治もない国が常任理事国だというのはもっとおかしいんだけどね。

“自立した個人”こそ価値があるのであり、それを目指さねばならない、というのも近代的思考である。そんなものが可能なのは、近代の恩恵を受けている階層の人で、しかも、若くて元気であるという条件がついている場合だけである。

子ども、病人、老人、障害者は、“自立した個人”には含まれない。近代の側はそれを見ないようにするか、矯正の対象にして、“自立した個人”に近づけようとした。 筋肉トレーニングもその一つである。本誌4月号に「パワーリハビリの功罪」というレポートが載っている。このレポートが優れているのは、近代的思考の枠を出たところからなされていることだ。

私自身も筋力増強訓練の報告を私の処女作である『老人の生活ケア』(医学書院刊)でしている。そこには筋力増強の効果があったケースが出てくるが、それがその人の生活にとって意味があるためには、どんな条件が必要かについて語っている。20年も前の私は間違っていないなあ、と思って読み返した。

老人施設を全室個室にして、どんな老人にも個室を強制するのも、また近代的価値観を至上のものとして老人をそれにあてはめるものである。「白分が入りたい老人ホームを」なんていう自己中心性がこれをつくり出した。若くて元気で近代の恩恵を受けられている“近代的個人”としての自分を標準にすることに疑いすらもっていないのだ。

数日でもいいから、痴呆の老人を最後までケアしようとする施設で働いてみるがいい。白分たちが考えてきた「人間」像がいかに特殊なものだったかを痛感するだろう。「白分が入りたい老人ホーム」ではなくて「いちばん深く呆けても落ち着いていられる老人ホーム」をつくらねばならないのだ。

▼ 参考文献を2冊。
想像の共同体   死産される日本語・日本人
近代国家がいかにでっちあげられたものにすぎないかを論じたのが『想像の共同体』(ベネディクト・アンダーソン著、NTT出版刊)、近代個人主義と国家主義がじつはセットであると論じる『死産される日本語・日本人』(酒井直樹著、新曜社)。いずれも目からウロコである。


2005年5月  二流国家同士のケンカ

~ 日中問題の本質とは何か ~
私が責任編集している月刊誌BRICOLAGEでの連載に、「外国人労働者導入反対の根拠」(4月号)、「近代主義者には困ったものだ ー領土問題と老人問題ー」(5月号)と2回連続して時事問題に触れたものを載せた。これを面白がる人が多くて、他の政治や社会問題についても、三好ならどう考えるのか、という質問が寄せられるようになった。

「近代的なナショナリズムから自由な立場からは、現在の日本と中国の間の問題はどう捉えるのですか」というのは、あるグループホームのスタッフからのものである。ここまで来ると老人介護とは直接関係なくなってくるので、BRICOLAGEではなくて、ホームページに回答を載せることにした。
日中間の問題は、一言で言えば、二流の国家同士のケンカである。5月号で私は国家をヤクザに喩えた。ヤクザに叱られるかもしれないな、と思いつつ。どんなひどいヤクザでも国家がやるような大量殺りくはしないものなぁ。

国家の課題はヤクザ的でなくなることしかない、と書いた。ところが日本も中国も、もっとヤクザ的になろうとしている国家でしかない。日本が何よりもダメなのは小泉の靖国参拝である。中国や韓国が反発するのは当然だが、だからダメなのではない。これは近代国家としての原則を破壊するものだからダメなのだ。
政治と宗教の分離は近代国家の原則である。政教分離は、基本的人権や三権分立と並んで、国家が少しでもヤクザ的でなくなるための歯止めである。小泉個人がどんな宗教に熱を入れようがそれは自由である。彼が個人として、オームの信者になろうが、どこの神社仏閣、イワシの頭に参拝しようが文句を付ける筋合いはない。

しかし国の代表が特定の宗教に肩入れするのはどう考えても憲法違反である。非宗教的施設を作って参拝すべきだ、というまっとうな答申が出てるにも関わらず、この国は無視し続けている。小泉とそれを選んでいる自民党、日本の有権者は民主主義の基本を自ら踏み外しているのだ。

ところで中国政府はといえば、これが日本の憲法に違反しているからけしからん、とは言えないのだ。なにしろ、中国の国家こそ宗教国家だからだ。社会主義という宗教と政府が政教一致していて、他のものは認めないという前近代国家なのである。日本が政教分離の原則を侵したといって非難すれば、おまえたちのほうがもっとひどいじゃないかと言われかねないからだ。

だから彼らは、宗教施設への参拝そのものではなく、その施設に戦犯が祭られているから、というのを批判の根拠にしている。しかし、たとえ戦犯が祭られていなくたって、これは民主主義の破壊なのだ。でも中国政府は「民主主義」を理由に批判はできない。この国には政党政治も報道の自由もないのだから。だから”国民感情”をその根拠にするよりないのである。
ただこの”国民感情”は当然のものである。第2次大戦での各国の戦死者数を見てみるといい。中国の死者は日本の比ではない。日本が勝手に始めた戦争で、何の罪もない人が大量に殺され、国土を荒らされたのだ。

「欧米の包囲網によって戦争するよりなかった」と開戦を正当化する人もいるが、国際社会から非難、包囲されるようなことを韓国や中国大陸で長年やってきたからではないか。それに「戦争」という絶対悪以外の選択肢はいくらでもあったのだ。
いったい戦争はどこで行なわれたのか、第2次大戦の末期を除けば、日清戦争も日露戦争も含め、すべて日本の国境をはるかに離れたところで行なわれている。日清や日露の戦争を日本が近代化する過程であると美化する史観すらあるが、とんでもない話だ。勝手に戦場にされた人々の立場からこそ評価すべきであろう。

この国では昨今、犯罪者の人権ばかりが大事にされてきた、として、被害者の人権を守れという声が出ている。ところが戦争については、加害者の側の一方的意見が教科書に載ったりしているのだ。加害者に犯罪(戦争)を語る資格はない。 私が文部大臣なら、歴史教科書の近・現代の記述は、ユネスコのような国際機関に依頼して書いてもらうことにするね。それが最低限の倫理だろう。

韓国と中国の立場が感情的だとして批判するわけには行かない。この感情には歴史的根拠があるからだけじゃない。小泉政府の側も感情を根拠にしているにすぎないからだ。政教分離の原則を破り、さらに司法の側からの憲法違反との意見にも耳を貸さない、つまり三権分立さえ無視して行われている靖国参拝の根拠は”国民感情”以外にない。”国民感情”を大事にしたいのなら、まず被害者の側の国民感情を大事にすべきなのだ。歴代の総理は何よりまず、韓国や中国の戦没者にこそ参拝すべきだろう。

私なら、むこうから、もう来なくていい、と言われるまではやるべきだと思う。そうすれば私は、韓国も中国も、戦犯も含めた参拝にも反対なんかしないと思う。なにしろ近代の戦争は国民を総動員するものだから、どこまでが戦犯かはっきりしない。戦争を止められなかった日本人みんなが戦犯だと言ったってもいいのだから。

国家の課題はヤクザ的でなくなることしかない、と書いた。そんな国や徴候があるのか、と聞かれたら、私はポーランドの「連帯」の運動や、EUに注目したいと思う。EUは国家が自己否定していこうとするものではないか。もしそうだとしたら、それはヨーロッパの絶望が原動力だと思う。当時としては世界で最も民主的だったワイマール体制のドイツがナチスを生み、ユダヤ人虐殺を作り出した。その絶望だ。

絶望が足りないのはアメリカだ。民主主義の国が民主的に大量殺りくを始めている。しかし救いなのは、それに反対する人たちの言論や行動の自由があることだ。どこかのように小泉政権の政策に反対だというだけで「反日分子」と言われるような、全てを同じ色にしてしまおうとするような国とは違うのだ。同じヤクザでも余裕がある。
絶望が足りないのは日本だ。戦前の日本には民主主義はなかった。だからあの戦争は、国民の意思ではなくて、一部の軍国主義者のせいだとされてきた。
しかし私は、もし戦前に参政権があって、報道の自由があったとしても、同じことをやったと思うね、だって今のマスコミの報道を見てみよ。ナショナリズムそのものではないか。

まことに、近代国家とマスコミの成立はセットであることがよく判る。ワイドショーで中国のデモを見ていた女性経済評論家が「日本人をナメンなよ」と言っていた。「ナメンなよ」と言いたいのは、国境を越えてやってきた日本人によって戦争被害を受けた人たちが小泉に対していいたいコトバだよ。あんたは家計簿の話をしてりゃいいの。
いつもは反権力的な発言をしている(いかにも権力的な)コメンテーターが「中国の人たちも日本の商品をほしいんだったら、こんなことはやめるべきだ」と発言していた。

おいおい、物質的幸福のためならプライドを捨てろと言ってるのと同じじゃないか。日本人はいつからこんな鈍感で無神経な人間ばかりになったのか。救いはある。反日デモの最中に、日系スーパーの開店にやってくる中国のおばちゃんたちだ。韓国で反日気運が盛りあがっているのに韓流ブームで男優に会いに出かけていく日本のおばちゃんたちである。外交にも政治にも興味がなくて、ナショナリズムのマスコミなんかに振り回されたりしない”意識の低い”人たちこそ救いである。”意識の高い”人による反戦運動なんかより、彼らの国家との距離の長さ、政治への無関心と、自分の生活だけへの関心が戦争の抑止力だ。

マスコミと言えば、ホリエモンに支配されそうになったときのフジテレビ関係者が急に「ジャーナリスト精神」なんて言い出したのには驚いてしまった。ライブドアになったらテレビが”ジャパネットたかた”みたいになってしまう、といって批判し、ジャーナリズムを守れ、なんていうのである。よく言うよ。女性アナウンサーに軽薄なことをさせるのと、フジサンケイグループ全体でのナショナリズムの片棒をかつぐだけのジャーナリズムなんか、なくなったって誰も困らないぜ。
それより一日中音楽を流してたり、”ジャパネットたかた”みたいな通販を24時間やってるチャンネルのほうがよほど生活者の役に立ってるよ。

『国は滅びても商売は残る』。私の好きなコトバである。商売のほうが歴史的には国家よりはるかに古い。つまり人間にとって普遍的なのだ。ましてや近代国家なんぞ。
二流の国家に私たち国民が振り回されるのはえらく迷惑である。しかし、「国民」という形でしか地球上に存在できそうにない歴史的制約を嘆くより他にあるまい。
二流の国家の三流の官僚たちに介護現場が振り回されるのも、嘆くより他にないのだろう。それにしても、回廊式施設、天井送行入浴システム、全室個室、ユニットの強制、そして筋トレと、厚労省の誤りはいつまで続くのか。


2005年4月  介護夜汰話 外国人労働者導入反対の理由

「日本政府とフィリピン政府は、フィリピン人の看護職と介護職を日本に受け入れることを決めた」、昨年、テレビや新聞がこう報じて驚いた人も多いのではないか。なにしろ、介護の現場を大きく変えるかもしれないことが、突然、国同士の外交交渉で決定されてしまうのだから。

かたちのうえでは、外国人労働力を受け入れるけれど、その条件を厳しくして実際にはほとんど入れないという、日本がよくやるごまかしだから心配ないという人もいる。なにしろ、日本での資格取得が条件だというのだから、日本語の習得も含めてハードルは低くはない。しかしすでに、商社あたりが、日本語の勉強と資格が取得できる学校を計画しているというのだ。

まず心配するのは、介護職である私たちの地位と待遇のことである。アジアの国々と日本との賃金格差を考えれば、外国人介護職は今よりずっと安い給料で雇うことができ、経営者はこぞって雇用しようとするだろう。将来ともに日本で生活していく私たちは、今でさえ安い給料がもっと安くなるのではとても仕事を続けてはいけなくなるのではないか、と。

介護を受ける側の老人にとってはどうだろうか。「コトバも文化も生活習慣も違う外国人に日本の老人のケアはできない」という理由で反対する意見が多い。しかしそれは説得力に欠けていると私は思う。
私が講演でよく話をする藤田ヨシさんが一晩中歌い続けていたのは『美しき天然』という歌である。でもこのタイトルを聞いてもほとんど誰も知らない。歌ってみせると思い出す人はいるが、歌詞を知っている人は少ない。人は18 歳から20 歳の頃に聞いていた歌、歌っていた歌を一生歌い続けると言われている。最も感受性が豊かな頃で、恋愛なんていういい思い出のあった時代だからだろう。
介護している私たちが少しでも老人と共感できるためには、彼らといっしょに歌ぐらい歌えなきゃいけない。90 歳の人が相手なら70 年前の、80 歳の人なら60 年前に流行した歌を知っておく必要がある。

でも、とても無理だろう。なにしろ介護職は20 代が中心で、ついに実習に平成生まれが入ってきたくらいだから。 輪になっての肩たたき体操で歌う「山田のかかし」という歌を知らない人がいるというので、私より上の世代の人は驚いたものである。今では驚くにあたらない。知っている人のほうが少なくなった。若い人は「カカシ」はもちろん、稲の穂すら見たことのない人も珍しくない。

元芸者のトワさんがヘルパーにいつも教えてくれる〈都々逸(どどいつ)〉がある。 「都々逸、下手でもやりくりゃ上手 今日も ななつやで誉められた♪」 代表的な都々逸だが、「ななつや」の意味を誰も知らない。トワさんに共感できる人がいないのだ。山岸のじいさんの楽しみは、雑音だらけのテープを聞くことである。「江戸っ子だってねぇ、神田の生まれよ」という広沢虎造を「いい声だねぇ」と目を細めている。しかし若い職員は、そもそも浪曲というものを知らないし、当然、この森の石松の登場する名場面も知らないのだ。

つまり、同じ日本人同士である私たちと老人の間にこれだけ大きな文化の断絶があるのだ。もちろん生活習慣にも大変な違いがある。ひょっとしてそれは、国の違いによるギャップよりも大きいのではなかろうか。でもコトバは通じるじゃないか、と言うかもしれない。しかし、老いとか痴呆というのは、言語的世界から非言語的世界へと回帰していくことだ。高齢で痴呆のある人ほどコトバの占める割合は少なくなっていく。

私はむしろフィリピンからやってくる看護職、介護職に、日本人はかなわないのではないかとさえ思う。一般に彼女たちは日本人より素朴で明るい。家族に送金するために勤勉に働くだろう。日本のじいさんはもちろん、ばあさんたちにも人気が出るのではないか。ばあさんたちが彼女たちに楽しそうに日本語を教えてやっている姿が思い浮かんでくる。

だからといって私は外国人労働者の導入に賛成しているのではない。「外国人にはできない」という理由での反対論に反論しているだけである。私も外国人労働者の導入には反対である。まず、介護現場で労働力が不足しているわけではない。むしろ介護の仕事に就くのは難しい。若くて明るくて資格をもっていないと採用なんかしてもらえないくらいだ。

それを、貿易のアンバランスの是正のためというので突然労働力を入れろと言われるのは理不尽である。貿易で利益をあげている商社が現地で仕事をつくったらどうか。日本の産業社会が発生させた廃棄物を船に乗せて外国に「輸出」して捨てたというので国際問題になったことがある。日本社会がつくり出した問題を、外国の環境を犠牲にすることで「解決」しようというのはあまりにエゴイスチックで倫理的に問題があるだろう。

老人問題もまた、日本社会が生み出した問題である。それを外国の安い労働力で「解決」しようというのはエゴではないのか。日本の社会が生み出した問題は日本人がどうにかすべきである、そうでなきゃ、それを生み出している社会そのものを変えていくことはできなくなるぜ、というのが私の反対の根拠である。


2005年3月  介護夜汰話 「認知症」は認知されるか
 ~ 「出来レース」の果ての画一性 ~

痴呆は「認知症」になるんだそうだ。 dementiaという英語は変えなくていいんだろうか、というのは皮肉である。かって私は、厚労省がホームページで、痴呆の言い換えのコトバをどれにするか、一般の人の意見を聞くというのを「出来レース」と書いた(本誌2004年10月号)。

詳しくは書かなかったが、この世界の権威が「認知症にしたい」と言っているからそれ以外にはなりようがない、というのが事情通の人の話であった。 それがそのとおりになるのだから情けない。しかもホームページでの意見では6つの候補のうち「認知障害」が最も多かったというのに「認知症」にしてしまった。

「認知障害」では他の病気と誤解されるからという理由らしいが、それなら最初から候補に入れるなよ。 まさしく民主主義とは、国家のやる間違いを民衆のせいにする巧みな制度(本誌同号)である。司法の世界では「裁判員制度」なんてのもできるらしいが、これも誰も責任をとろうとしない悪しき民主主義の代表であろう。
私は呼び出しがあったって裁判員なんかにはならないね。罰金でも何でも払ったほうがましだ。

それにしても「認知症」とは……、とうとうボケを病気にしてしまったなぁ、というのが私の感想である。「痴呆症」を「認知症」に言い換えるのだそうだが、そもそも介護現場は「痴呆症」というコトバすら定着なんかしていない。 「痴呆」だけか、ていねいに言って「痴呆性老人」、あるいは、「ボケ」「ボケ老人」が一般的な呼びかただ。

もちろん現場では固有名詞が呼ばれ、その一人ひとりが何がよくわからなくて何かよくわかっているかという個性が介護者にイメージされているはずだ。決して長谷川式痴呆スケールのような「正常」「準正常」「準痴呆」「痴呆」といった、数量化によるランク付けがある訳ではないのだ。

この介護からの痴呆性老人の見方については、『痴呆論』(雲母書房)さらに最新刊の『新しい痴呆ケア』(上野文規氏との共著、雲母書房)でもっとも力を入れて訴えてきた点である。
そこでは痴呆性老人は、脳の病変による病人ではなく、老いや障害という変化になんとか適応して生きていこうとしている主体として捉えられている。だからその様子はさまざまだ。その人の人生があらわれるからだ。

それはとても1つの表現であらわせるものではない。ボケや痴呆という表現がいいとは思わないが、その広さや多様さは含んでいる。ボケはなにしろ「惚け」からきたコトバだ。惚れるというのと同じである。惚れていたときはなるほどボケてたのと同じだといわれれば納得がいく。それくらいの広さのあるコトバである。

だが「認知症」は違う。人間の持っている機能の1つの症状だというのだから。 痴呆性老人は感覚には問題はない。知覚にも問題はなさそうだ。それなら、感覚、知覚の次の段階、すなわち認知に問題があるのだろう、と個体還元論者が考えたのがこの「認知症」である(「個体還元論」とは何か。ヒステリーを子宮症だと考える人のことである。詳しくは『痴呆論』の第一章を読んでほしい)。

果して問題があるのは認知だけだろうか。歳をとって少しずつ外界に興味そのものをなくしていく呆け老人に、認知に問題があるとは思えないではないか。認知そのものが必要ないという世界に入っているのだから。また、介護される自分に苛ついて暴言を吐く「葛藤型」の老人の認知はむしろしっかりしているように思える。

そこにあるのはもっと人間の全体的なありようの問題ではないのか。 医療の世界が用語を統一しようとするのは理解できる。カルテに記されなコトバが別の意味をもっていてはチームワークも医療の継続性も保証されないからだ。また行政がその用語を統一しようとするのもわかる。法律用語がパラパラでは困るからだ。

しかし、一般の生活世界でのコトバはいろいろあるほうがいい。コトバにはそれを使う人の人生観や価値観があらわれるからだ。「老化に伴う人間的変化」なんていいじゃない。さらに話しコトバとなると、どんなコトバをどんな表情や口調で語るかということも含めて多様なほうがいい。それを医療や行政の側が言い換えさせるなんてことはすべきではないだろう。

だから私の講演のタイトルもしばらくは一般の大向きでは「呆けも寝たきりも恐くない」、専門家向きには「痴呆性老人のアセスメント」などを続けることにする。だって「痴呆症」なんてのは、一般に大にはまだ認知されているとは思えないもの。
大半の大に認知されたときに私も言い換えを検討しよう。だって、「お上」の決めたことにみんなが従うような情けない画一的社会こそが、痴呆性老人への差別と偏見をつくり出しているのだから。


2005年2月  介護夜汰話 皮肉の一つも言わせてくれ
 ~ ノロウイルス騒動を巡って ~

2004年の暮れから新年にかけて、広島県の特養ホームで発熱や下痢、嘔吐の症状の入所者が多発し7人が死亡するという事件が報道された。これを保健所に報告しなかったことで施設の責任を問う論調のものが多い。しかし、私の感じ方は少し違っている。

「市民社会はこんなときにだけ特養ホームのことを思い出して騒ぐんだな、ふだんは忘れているくせに」というのが私の感じたことだ。私の理解では、入所者の半数以上に風邪の症状が出ることは珍しくない。何年に1回か冬には起こっていた。また死亡者が短い期間に集中することも不思議ではない。

開設して5年目の年末年始には何人もの人が続いて亡くなったことがあった。しかし、その原因は一人ひとり、違っていて、「年を越せるかどうか」と言われていた人たちだったから偶然である。今回のように同じ症状の人が急に亡くなったとなると、シロウト判断としても、食中毒か感染症を疑うのは当然で、早めに行政に報告しなければならなかったことは確かだろう。

しかし、そのことを認めた上で、私にはなお言いたいことがある。報告したからといって、行政が何をしてくれるというのか、ということである。水俣病の患者が出現したとき、保健所が真っ先にやったことは、患者の家や地域にロープを張り、出入りを禁止することだった。

保健所の役割は、社会の側を守るために患者を隔離することなのだ。ハンセン氏病で行われた、患者への非人間的対応は、ようやく最近になって反省されるに至っている。特別養護老人ホームそのものが、すでに社会から排除された老人を隔離しているのだから、これ以上やる必要はないのではないか、というのは、もちろん私の皮肉である。

皮肉は言うが、当然ながら通報の遅れや隠ぺいを擁護するつもりはない。早めに報告すれば全国の老人施設に警告を与えることができたし、原因も少しは早めに確定され適切な対応ができたかもしれないからだ。しかし、適切な対応とはいったい何だろうか。

原因はノロウイルスによる感染症であることがわかった。広島県の特養の報告の遅れが批判されると、全国各地の老人施設が「実はうちでも」と報告を始めたように、冬に流行し、風邪だと思われているうちに終結してしまうことの多い病気である。決して珍しいものではない。

発熱、下痢、嘔吐が起こっても、2~3日で回復するのがふつうだ。珍しいのは重度化して死にまで至ることだ。MRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)でもそうだが、陽性、つまり菌が体内にいるからといって発症しない人はたくさんいる。

発病しても体力、特に抵抗力、免疫力があれば早めに治まり陰性になるはずだ。ノロウイルスも同じである。「適切な対応」があるとすればその抵抗力や免疫力がつくような介護を行うことなのである。大勢に症状が出てからバタバタと対応をしても遅いのだ。

おそらく同じようにノロウイルスが施設にも入り込んできたが、2~3人の老人が風邪に似た症状が出ただけですんでいる老人施設がいくらでもあるはずだ。実際、広島県の特養ホームでは若い職員に症状が出て、ノロウイルスが検出されたが、老人や経験年数のある職員はなんともなかったという。その「差」がどこから生まれるのかということこそ、本当の意味での「適切な対応」なのだ。

私は年末年始の7人の死亡よりも、何年間にも渡る年間の死亡者数のほうがはるかに気にかかる。それこそが、入所老人の体力があるかどうかを雄弁に語る数字だからだ。体力と死亡率の因果関係については『遊びリテーション学』(雲母書房刊)の拙文を読んでほしい。

体力は生活がつくる。口から食べ、トイレで排泄し、ふつうの風呂に入るという自発的で生理学にかなった生活が体力を育む。さらに抵抗力や免疫力は表情が豊かになれば高まることが知られている。笑顔が出るようなあたりまえの生活が体力をつくり、ウイルスの侵入といういざというときに、死に至るか、それとも何事もないかという「差」をつくるのである。

テレビの報道などそのまま信用する気はないが、批判を受けている施設の職員の話によれば、年間の死亡者数は平均をはるかに超えるものである。だとすれば、そちらにこそ改善命令が必要なのである。感染症の問題を手洗いのマニュアル化や脱水症への対応といった次元で語るべきではない。

それらはもちろん、感染症であろうがあるまいが、やらねばならないことだ。しかも、そうした後始末という方法にとどめることこそ、問題の本質を隠ぺいするものなのだ。なにしろ、ノロウイルスそのものによる死は流行が終わればなくなるが、体力を失わせているような介護による死はこれからもずっと続くのだから。


2005年1月-2004年12月  介護夜汰話 介護保険は隔離保険
 ~ 見直しは介護をちゃんとしてから ~

介護保険の見直しだそうである。サービス給付費が急増しているのをどうにかしようというのだ。まあ急増するだろうなあ。だって、膨大な金をかけてわざわざ要介護度を高めるようなことをしているんだもの。

まずは「訪問入浴サービス」。これは、無駄であるどころか、老人をわざわざ寝たきりにしてしまうために給付費を使っている典型だといえよう。私が住んでいるマンションにも「訪問入浴サービス」がやってくる。親しくしている家の90歳の女性が要介護なのだ。2つに分割された浴槽をマンションの7階まで運び込み、組み立てて湯を入れ、全介助で入浴させるのだ。

これで12,500円の給付金が介護保険から支払われる。温水器付き(もっともマンションだから使ってはいないが)の特製の車でスタッフが3、4人もやってくるのだから、というのでこの金額が決められたのだろう。でも、その90歳の女性は歩ける人なのだ。もちろん、マンションのお風呂にだって入れる。

家の風呂での入浴なら、ヘルパー1人でいい。事業所も高価な車を購入しなくていい。なにより、老人を寝たきりにしなくてすむ。「寝たきりにしてはいけない」とは、「寝たままで食事、排泄、入浴をさせない」ということではないか。これまでと同じように風呂に入れた、という喜びを与えることが老化や障害があっても生きていこうという気持ちをつくり出すのだ。

それが「寝たまま浴槽」では、“あなたはもう普通の生活はできないのでずと伝えているようなものである。こうして、それまでの生活を断念させられた老人は目の輝きを失くし、入浴をはじめとした全介助という状況も重なって、その結果、筋力が低下するのだ。
厚労省よ、筋トレやるより「訪問入浴サービス」を見直してごらん。現在、やっているうちの90%は不要のはずだ。サービス給付金が削減するだけでなく、老人の筋力も上がるから。

給付される介護用品も無駄であるだけでなく、要介護度を高めている。ケアを知らない多くのケアマネジャーは、生理的な起き上がり方を一度も教えてもらっていない老人を「寝たきり」と判定し、「特殊寝台」と「エアマット」をセットで給付してしまう。

脳卒中で片マヒになろうが、老化や長期臥床で少々筋力が低下しようが、起き上がりという動作ができなくなることはまずない。ところが、十分横を向いて片肘立ち位を経由して起き上がるという生理的なやり方を誰も教えてくれないし、それで起きようにもベッドが狭すぎて横を向けないことが「寝たきり」をつくっているのだ。

その原因を変えようとはせず、これまたジンクル幅にも満たない狭いベッドに、床ずれ防止だとしてエアマットまで給付してしまう。これではもう起き上がれない。床反力が使えないからだ。おまけに動くと"波"が返ってきて、船酔いさえ起こす。
厚労省よ。給付する「特殊寝台」をギャッヂなんかできない普通のシングルかセミダブルベッドに変えてごらん。エアマットの90%は不要になり、要介護度が下がるから。

こうした無駄というより逆効果をもたらしているものを挙げるとキリがない。会計検査院は何をしているのだろう、と思わざるをえない。 しかし、こうしたことすら小さなことに思えるもっと重大な問題点がある。それは、介護保険全体が「隔離保険」になっていることだ。

介護とは、一人ひとりの老化や障害に見合った生活を手づくりすることである。多くの老人は、不自由になった手足や老いた身体でどう生活していっていいのかわからず、主体崩壊の危機にある。私たちは、そんな老人の、できる力を引き出し、できないことは気持ちよく介助して、もう一度その人の生活を再建し、主体をも再建するのだ。

そのための方法の一つが「生活づくり」だ。食事、排泄、入浴をできるだけそれまでの生活習慣に合わせることだ。もう一つが「関係づくり」だ。それまでの人間関係を喪失し、介助されるという一方的関係しかなくなってしまうのを「関係障害」としてとらえ、豊かで相互的な関係をつくり出すことだ。

だから、介護の効果判定をするとすれば、介護することによって、当たり前の生活ができているかに加えて、生活空間が広がっているか、人間関係が豊かになっているか、で見ていけばいいことになる。

ところが、介護保険はこれをさせないのである。まず、要介護度の高い人に「訪問看護」「訪問介護」ばかりのケアプランを立ててしまう。これを私たちは「在宅閉じこめケアプラン」と呼んでいる。‘逆なのだ。要介護度4や5の人ほどデイケア、デイサービスに通うべきなのだ。

「重い人には訪問して、よくなったらデイに誘おう」なんていう医療的発想がこうした「閉じこめ」をつくっている。だって、老人は「今」が一番いいのだ。「よくなってから外出しよう」と考えることは「一生家から出さない」のと同じなのだ。

デイサービスを利用したとしよう。ところが、そこの仲間と花見や日帰り温泉に行くと叱られるのである。施設内でなければサービス給付はしないというのだ。これでは、老人を、社会から、家とデイという狭い空間に隔離しているようなものだ。逆ではないか。1年間に一度も外出させていないデイに給付しない、というのなら話はわかる。

厚労省よ。筋トレの代わりに、要支援や要介護度1の人を春と秋、1回ずつでいいから「温泉1泊旅行」というケアプランを立てさせてごらん。そこで一杯飲んで、友だちができ、「また温泉で会おう」なんてことになれば、半年は元気が出る。

半年も待たないで互いの家を訪問するようになるだろう。人間関係が豊かになり、生活空間が広がる。これが介護なのだ。介護保険の見直しは、せめて介護らしい介護をやってからにしてほしいものだ。


2004年11月  介護夜汰話 現代国語入試問題
 ~ 「ある食堂店主の告白」より出題 ~

次の文章を読んで、下記の問いに答えなさい。

私が経営している食堂の評判が、すこぶるよくない。「昧がまずい」「メニューが貧弱」と言われているのだ。なかには「あんなものは料理とは言えない」とさえ言う人もいる。このままではよくない、と考えた私は、従業員に客の評判をぶつけ、意見を聞いてみることにした。しかし、返ってきたのは、こんな意見ばかりだった。

「従業員の数が少ないなかで働いているのに文句を言われる筋合いはない」「それは客のわがままというものです」…etc。そして、話し合いの結果は「それでもちゃんと客は入っているのだからこのままでいいじゃないですか」①となってしまった。

私としては、経験豊かなコックをチーフにしたつもりだった。長い間現場で通用してきて、大きな食堂を任されていたぐらいだから、それなりの料理の種類と味を出せるものと思いこんでいた。
しかし、いまになって考えてみれば、そのコックは、食べ物がなくて食うや食わずの生活をしている国で働いてきた人②だったのだ。

そこでは、どんな味であれ、食べられさえすれば喜んでくれたらしい。だから、客の不平の声もピンと来ていないらしいのだ。やむなく私は、専門家にアドバイザーになってもらうことにした。大学の食堂経営学の教授を連れてきて問題点を見つけてもらい、改善策を示してもらうのだ。権威ある先生の言うことならスタッフも従ってくれるにちがいない。

教授曰く「これからの食堂は、ただ食わせればいいというものではない③。さすが、いいことを言うなあ。そのとおりだ。私がスタッフに言いたかったことは、そのことだ。「これからの食堂はお客様のプライドを満足させなければならない」③。
そうか、腹を満たすだけじゃなくて心も満たすのだな。でも、どうやれば客のプライドを満たすことができるのだろう。

「まず客を“お客様”と必らず様付けで呼ぶこと。お辞儀は上体を60度傾けること」。教授の提案は具体的だ。さっそく接客マニュアルがつくられ研修を繰り返した。これでうまくいくはずだった。しかし客の評判はちっともよくならない。

ある日、私が店にいるときのことである。スタッフの1人が『お客様、お水はいかがですか』と聞いた。マニュアルどおりだ。すると、その客が意味ありげにニタッと笑った。その瞬間、私は理解した。私がいるときだけ様付け呼称をしているのだ、と。それを客もよくわかっていて苦笑しながら聞いているのだ。

大学の先生が言うことは現場では通用しない。なにしろ、客も「ばあちゃん、また来たか」なんて言われて喜んでいる。う~ん、どうすればいい。こんどは現場出身のアドバイザーを頼むことにした。この人は様付け呼称もおじぎの角度もやれとは言わない。
その代わり料理は盛り付けが大事だというのだ。一つに盛付けないで少しずつ並べるのが評判がよくなるコツだと主張するのである④。

そこで調度品をすべて買い換えることにした。盛り付けが変わると現場は大混乱した。新しい盛り付け法をマスターできないのだ。そこで、料理ごとに盛り付け担当を置くことにした。これなら自分の担当の料理だけ覚えればいい。しかし、その人が休んだり辞めたりすると、混乱に拍車がかかった。

疲れ果てた私は食堂を管轄する役所の偉い人に相談することにした。彼らはこう言った。「食堂という名前が悪い。レストランテなんてしゃれた名前にすればいい」⑤と。ここに至って私はやっと気付いた。接客や盛り付けや名前が問題なんじゃない。
illust
肝心の料理の中身を、つまり昧とメニューを変える⑥ことなくしては、なんにもならないのだということに。こんな当たり前のことにどうしてここまで気づかなかったのだろうか。


 問 題 
①~⑥の下線の部分を老人介護の世界に置き換えると何になるか答えなさい。

 解答例 
①:「入所待ちの老人がいっぱいいて経営は安定しているのだからケアの向上なんかしなくてもいい」。
②:生命の危険がある急性期病院に勤務していた看護婦。
③:「食事、排泄、入浴という三大介護の時代は終わった。これからは人間の尊厳を守るケアだ」なんていう主張。(食事、排泄、入浴のケアの外側に人間の尊厳があるのじゃない。どう食べ、出し。風呂に入るかにこそ尊厳が問われているのだ。だいたい三大介護がちゃんとやられたことなんかないじゃないか)
④:ユニットケア
⑤:厚労省による「痴呆」というコトバの言い換え。
⑥:食事、排泄、入浴を生活的に人間的に行うための援助、すなわち、本来の介護を行うこと。


2004年10月  介護夜汰話 コトバを換えたってキリがない
 ~厚生労働省の愚行~

9月3日付けの新聞によると、厚生労働省が「痴呆」に代わる名称を6つの中から決めるため、ホームページで一般の意見を求めているという。怒るのを通り越して、憐れみさえ感じてしまう。私にも新聞記者が意見を聞きにきたが、「認知症」「もの忘れ症」「認知障害」「記憶症」「記憶障害」「アルツハイマー」の6つのどれがいいか、と尋ねられても答える気になるはずがない。そもそも「痴呆」という表現を言い換えようとすることそのものがおかしいのだから。

「精神分裂病」を「統合失調症」と言い換えて差別や偏見が少なくなったか。とってつけたような「目の不自由な人」とか「耳の不自由な人」なんて言い方は、「顔の不自由な人」とか「頭の毛の不自由な人」といったひやかしを生み、結局、差別的表現を増やしただけではないか。

かつて私は介護職に「敬語を使え」と説教する左翼的な人たちに「コトバの強制は強制労働より悪質だ」と批判してきた。その経過と私の主張は『正義の味方につける薬』(雲母書房)に載っているので、ぜひ読んでほしい(おっと、“左翼”といっても若い人には何のことかわからないだろう。「理想の社会をつくろうとして、北朝鮮のような地獄をつくった人たち」のことだ。つまり、いまだに左翼でいることは、現実から学ぶという認知能力に重大な障害をもっている人ということになる)。

私の考えは当時から一貫している。「差別用語」があるのではない。差別的現実があるのだ。その差別的現実のなかではどんなコトバも「差別用語」になるのである。 だから、差別用語をなくすには、差別的現実を変えるより他ないのである。痴呆老人が落ち着いて笑顔で生活する方法論を創り出し、痴呆に対する差別的現実を変えているのは介護現場である。

私が『痴呆論』で示したアプローチを参考にした実践が学会でも発表し始められている。厚労省にできることはその現場を応援することだ。ところがやってるのは全室個室やユニットの強制によって痴呆老人の多様なニーズを押しつぶすという現場の邪魔ばかりなのである。

ドフトエフスキーの『白痴』という題の小説がある。これも「精神発達遅滞」などと言い換えるのだろうか。「白痴」にはピュアな者というイメージがある。私には「精神発達遅滞」のほうがよほど差別的だと思う。なぜなら標準は私たち正常発達の側にあって、そこからの尺度で遅れていると言っているのだから。
でも「白痴」は、そうした尺度そのものを疑い、ひっくり返す力があるコトバなのだ。かつて、織田信長に対して投げつけれられた「痴(し)れ者」というコトバは、常識や秩序をひっくり返そうとする者へのおそれが表明されたものだったろう。

「痴呆」の“呆”も悪いコトバではない。寝呆ける、と呆ける、なんてよく使うし、遊び呆ける、なんていいなあ。子どもの頃、遊び呆けた人ほどいい老年期を迎えられる、というのは私の説である。興味のある人は『男と女の老い方講座』ビジネス社)を読んでほしい。
「痴呆」というコトバの差別性をなくすには、痴呆への現実の差別をなくすというのが基本である。しかし、差別性を薄めるための方法はなくもないのだ。それは「痴呆」を普遍化することである。「痴呆」を言い換えて使わせないのではなくて、逆にどんどん使うのだ。

介護職相手に、仲間内でしか通用しない医学用語を使いたがる医者やPTは「専門性痴呆」。老人を訓練して家に帰そうという「中間施設」(=老健施設)をつくったものの、家から特養への中間施設になってしまったことを反省もせず、“筋トレ”なんて言っている厚労省役人は「官僚性痴呆」。現場の声は聞こうとせず、その厚労省の顔色ばかり見て「様付呼称」を強制する「施設長痴呆」。もちろん「左翼性痴呆」も重症の痴呆に分類されるだろう。
「こんな痴呆に比べれば「老人性痴呆」なんてちっとも大変じゃない」というのが、介護現場の実感である。そう、この介護職の実感が一般の人に普遍化されたとき、「痴呆」の差別性は無化されるのである。 つまりホームページでの公開は、いかにも民主的で開かれた印象を与えるための儀礼らしい。「民主主義」とは「大量殺戮などの国家悪をいかにも民衆の自発性によるものだと思わせるためにつくられた巧妙なしくみのこと」というのが私の定義である。
今、来年の発行をめざして『実用介護事典』を執筆しているので、なんでも定義するクセがついてしまった。


2004年9月  介護夜汰話 厚労省の誤りは続

あまりにも暑い日が続くので、論理的な文章を読む気にも書く気にもなれず、されば、今月は介護川柳でお茶を濁すことにした。

特養ホームの介護職だった頃、少しでいいから個室がほしかった。自律神経のバランスが崩れてしまうパーキンソン病者は、暑い、寒いという訴えが多く、6人部屋ではかわいそうだった。下半身の発汗作用がなくなっていて体温調節のできない脊髄損傷の大も同じだ。

しかし、当時の厚生省は「個室はぜいたくだ」「大部屋の人とバランスがとれない」と言って認めようとしなかった。現在では、全室個室でなきゃダメだと言う。新設の特養ホームの許可を出さないのだ。どちらも間違っているのだ。昔も今も、老人の多様なニーズを見ようとせず、画一的なケアを押しつけようとする姿勢は一貫して間違っている。

個室についてだけではない。天井走行入浴システムの押しつけ、回廊式施設の強制(かって、これもそうでなければ許可しなかった)、老人保健施設という制度(失敗したのは明らかなのに誰も責任をとらない)、そしてユニットの強制にいたるまで間違いの連続なのである。そこで、

   個室ダメ いまでは 個室でなきやダメ 

病院に行くと「三好サマ」と呼ばれるようになった。気持ちが悪い。老人施設でも「様付け呼称」をスタッフに教育する管理職がいる。スチュワーデスあがりを呼んで「接遇研修」なんかをやりたがる人だ。

そもそも、この「様付け呼称」、厚労省の医療のあり方に関する諮問機関が「好ましい」と提言したことから急速に病院に広まった。そのこと自体が、彼らが患者のほうを見ているのではなくて、“お上"の意向にばかり顔を向けていることがわかるではないか。そこで、

   上ばかり 見ている人ほど 様付け呼称 

「患者」にも様付けして「患者様」と言うようになった。名前のわからない患者を前にして呼ぶときに使うのならまだしも、学会での「患者様」の連呼は不自然である。他にすることがあるだろうに。そこで、病院の看護師が送ってきた笑える秀作。

   患者様 と呼びつつ今日も 手を縛り 

人権を守るとか、人間の尊厳を守るというのは、様付けで呼ぶなんてことではない。手を縛ったりしないための工夫をすることだ。縛られた手をほどくために、専門的知識や技術を使うことだ。チューブや胃ろうにされて手を縛られないために、口から食べる工夫をすることだ。

弄便するから、と手を縛られないためにちゃんと排泄ケアをすることだ。身体が浮くからと洗い台に縛りつけて入浴させる代わりに、ふつうのお風呂に入れることだ。つまり、人権や尊厳を語るのなら、食事ケア・排泄ケア・入浴ケアの方法を具体的に示さねばならないのだ。

見てみるがいい。こうしたケアの中身を示せない人ほど、制度やかたちばかり語っていることを。ユニットや小規模になればいいケアが付いてくるなんて考えるのは幻想である。それらはかたちにすぎない。かたちはどんなかたちであれ、よい点も悪い点も合わせもっている。

問題は、そのかたちのなかでどんなケアをするのかなのだ。それを語れないから、あやしげな新興宗教のように自己放棄を訴えたりするようにもなる。本誌前号の「私の発言」木村直子さんの寄稿はそこを批判したものだ。同業者として恥ずかしい限りである。

   ケアの中身 語れぬ人ほど ユニットケア 

小規模ならいいケアができるのではない。小規模の問題点、逆に大規模のいい点だってある。その問題点が露呈しつつある。多くのグループホームからおじいさんが追い出されているのだ。ぼけが重くなったからではない。そもそも、ぼけが重くなったら出てもらうという制度や考え方そのものが大問題であることはこの間、批判し続けてきたとおりだが、それどころかばあさんたちに嫌われて退所させられているのだ。

グループホームは9人単位だ。そのうちじいさんは1人か2人。このじいさんがばあさんたちと形成している共同体に入りきらないのだ。ばあさんに好かれる人はいい。ちょっと変わり者のじいさんは、ばあさんたちに嫌われて排除される。

大人数の施設なら、人間の無意識が自然につくり出したグループが形成されるし、グループ間の移動も可能であることは、特養ホーム「生きいきの里」についてレポートした「暗順応する目」(『ブリコラージュとしての介護』参照)で触れたとおりである。

大規模の弊害を克服する方法はたくさん手に入れている。しかし、小規模の問題点を克服することはもっと難しいと思う。それは近代を越えていくことだからだ。厚労省にもその取り巻きにも、その自覚もなければ工夫する能力もなさそうである。

   変わり者 グループホームから 追い出され 



2004年9月  介護職はなぜ辞めるのか?

~いま介護の意味が見えなくなっている~
高口光子私は、老人病院、特養ホームを経て、現在は「老健ききょうの郷」で企画教育推進室室長を務めるかたわら、介護アドバイザーとしてさまざまな施設に関わっています。今日は、その介護アドバイザーとしての経験から見えてきたことをお話ししてみたいと思います。

■人はなぜ仕事を辞めるのか

人が仕事を辞める原因の一つは生活習慣です。人は生活習慣が乱れると仕事を辞めます。ケアの現場で働く者にとって、生活習慣は重要です(図参照)。
説明図

生活習慣は自分との関係、つまり自分の心と身体を大切にする行為、または特定の人物との関係、つまりご家族や恋人であるとか固有名詞が明らかになっている人、大切な人を大切にする行為。それから不特定な人物との関係で、職場とか学校とかの社会的交流を大切にする行為。それぞれが生活習慣です。

職員が涙をためて、疲れ果てて、私のところにやってきます。「もう私だめです。辞めます」。私は「まずあなたの心と身体を大切にしなさいよ」と言います。「え、いいんですか?」とその疲れ切った職員が聞き返します。「いいさ。自分の心と身体を大切にできない人が、なんで人様を大切にできる?」と私は言います。「その次にあなたのご家族やお友だちを大切にしなさいよ」と言うと、「いいんですか?」とまた聞いてきます。「いいよ。そして仕事を大切にしなさい」と言うと、フ~ッと肩の力が抜けていきます。

この3つのバランスがとれている状況が生活習慣が安定しているという状態で、このとき人は仕事を辞めたりしません。このバランスが1つくずれただけなら何とかなります。しかし、2つ重なると厳しい。3つだとアウトです。

最初に心と身体、うつ病とかぎっくり腰が出ますね。介護職は夜勤もしますし、勤務中の動きも激しい。心や身体を痛めるという理由が1つ。

それから就職したときには想定できなかった家族条件が変わるということがあります。旦那がこんなに頼りにならないとは思わなかった、子どもが病気がちだとか、家計が不安定になるなどの理由が2つめ。そして、3つめが職場の人間関係がうまくいかないなどなど。

この3つのバランスに沿って一つひとつ解決することができるか?
たとえば、しばらく休んだらどうか?
ご家族も一緒に一度話し合ってみようか?
常勤からパートに変わってみたらどうかなど、そういう配慮で解決できます。ただし、気づくのが遅くて、3つが同時に崩れると、もうにっちもさっちもいかないということになります。

この3つのバランスのなかで一番取り替えやすいのが「不特定の人との関係(仕事)」です。自分の心と身体はそう簡単には変えられない。旦那や子どももそう変えられない。そうすると職場を変えるのが一番手っ取り早いかなという判断になるわけです。女性の多い職場ですから、結婚、妊娠、出産もあるでしょう。反対の順序の人もいますが。

この図はじつは、現場にいる職員たちにはとてもわかりやすいのです。私たちのサービス提供がこの図そのものだからです。自分の心と身体を大切にすることを主目的にサービス提供するのが病院、不特定の人間関係が施設、特定の人間関係が在宅です。因みに、本来は在宅(家庭)にあった特定の人間関係をあらかじめ要求される事業がグループホームでありユニットケアです。この成り 立ちに注意が必要です。特定の「この人」のために私財を投げ打ち、家族を巻き込んで事業展開していくという、たとえば民間デイなどであれば、「特定の人間関係」というニーズはあらかじめ満たされます。

ところが、たとえば介護保険にのっとって始められたグループホームでは、先に「特定の人間関係ありき」というわけではありませんから、この要求に職員は辟易してしまいます。共に生きる、寄り添うケア、私のおじいちゃん、私のおばあちゃん、などと、あらかじめ想定されるこれらのサービス提供に職員が疲弊するという現象が、最近見られるようになってきています。

■私たちの仕事の基本は何だ?

病院、施設、在宅、医療、保健福祉、あらゆる分野にいる看護、介護、リハビリ、ソーシャルワーク、栄養・調理の職員たちの共通の目標は何でしょうか。リーダーはすぐに答えます。QOLの向上です。何でケアプランを作成しているの? QOLの向上です。何のためにカンファレンスしているの? QOLの向上です。何でお風呂に入れているの? QOLの向上です。便利な言葉です。QOLとは何か?
生活の質と訳されています。なんだか意味不明な日本語ですね。私自身は日ごろから、「QOL」を連発して、すべてを説明しようとする人は少しまゆつばものだと思っています。皆さんも気をつけたほうがいいです。もう少し現場らしい言葉でいきましょう、となると「その人らしい生活」です。

「その人らしい生活」を手づくりして、守り抜くのが私たちの仕事だということです。「その人らしい生活」はどう構成されているのか? ベースにあるのは当たり前の生活です。

当たり前の生活とは何か? 夜寝るということ。朝目が覚めるということ。今日はどこに行こうか、誰に会おうかと身づくろいすること。お腹をすかせてご飯を食べること。おしっこ、うんこをしたいと思うときにすること。顎までお湯に浸かって、ああやれやれ、気持ちいいな、さっぱりしたと言うこと。そして、「ああ寝るのが一番」と言って床に入ること…。これが当たり前の生活です。

医療、保健福祉であろうと、病院、施設、在宅であろうと、看護、介護、リハビリ、栄養・調理、ソーシャルワーカー、あらゆる職種の仕事の目標は、患者、地域住民、利用者など、さまざまな名称で呼ばれる目の前の人物に、まずは当たり前の生活をきちんとつくることです。これが私たちの仕事の基本です。

そして、それぞれにその人の特徴が出てくるわ けです。その人ならではの生活習慣、こだわり、です。私は朝目が覚めたらすぐ歯を磨きたい。いや、私は朝ごはんを食べてから歯を磨きたい。お風呂にはタオルをつけて、耳の後ろをこすりたい。いや湯船にタオルをつけるなんて絶対に嫌だ、というふうにその人ならではの生活習慣やこだわりがあります。

■生活のしにくさにアプローチする介護

これらのことを総称して「その人らしい生活」となるわけですが、この「その人らしい生活」を脅かすものが機能障害、いわゆる疾患または障害です。目が見えない、耳が聞こえない、手足が動かない、息子の顔がわからない、おしっこがわからないというものです。この機能障害が「その人らしい生活」を脅かしていきます。それならこの機能障害がなければいいではないかという考えがあります。これが「医療モデル」です。

なくしてしまおう、という立場ですから、目標は治癒・回復、そして方法論はキュア、方法は処置、訓練または治療です。生活モデルの方法論はケアです。そして方法は支援、援助、介助。

「医療モデル」における重要な仕事は、治せる病気はしっかり治すということです。医学の進歩に伴って、昔だったら死んでいた人が生きられるようになりました。それはすばらしいことなのですが、生きるほうに引き上げられた私はこんな自分でどう生きていけばいいのかということに向き合わなければならなくなったのです。

治らない機能障害をもって生きていく人たちにとって、治らない機能障害がその人らしい生活に受け入れられたとき、それは個性になっていきます。ここで重要なことは、あらかじめ機能障害が“個性である”というのではなくて、“個性になっていく”ということです。

機能障害が個性になっていくプロセスにおいて、その機能障害が本人を苦しめる時期があります。それが生きにくさ、生活のしにくさで、これが生活障害ということです。日本で一番有名な身体障害者、というのも申し訳ないのですが、乙武洋匡さんという人がいます。
両手両足欠損。かなり重篤な障害をおもちです。しかし今の彼に向かって、手が生える薬を飲まないか、足が伸びる手術をしないかと言う人はいないでしょう。彼の身体の障害といわれるものは、今彼の個性となり、その活動ぶりは人に感動さえ呼び起こしています。機能障害が個性になっていく。そのプロセスに触れたとき人は感動を覚えます。それをエピソードと呼びます。その生きにくさ、生活のしにくさを問いかけるということが私たちの仕事になります。

目が見えない、耳が聞こえない、手足が動かないというように、人が年をとったらふつうに起こりうること、または、誰でも生きていれば障害をもつことは起こりうること、そういうことの何があなたをそんなに苦しめているの? それを私に教えてというのが生活の場のアセスメントの基本姿勢です。

「治癒・回復」は耳ざわりのよい言葉ではあるけれども、治らない病気や治らない障害をおもちの方に、そのことだけを望むのは、今のままのあなたでは駄目だということを繰り返しメッセージすることです。私たちの立場はそうではありません。
目が見えなくても、耳が聞こえなくても、手足が動かなくても、あなたがあなたであることが大切、そのことを私たちはとても大切に思っているのだ。これが介護の基本的なスタンスなのです。つまり、生活障害にアプローチすることが私たちの仕事の方向性です。これを生活モデルといいます。

■何があなたをそんなに苦しめているの?  それを私に教えて

「何がそんなに悔しいの?」「足が動かんからだ」と、ばあちゃんが言いました。「足が動かないと、どうして悔しいの?」「桜が咲いても一度も外に出て見られんだった。つつじも見られんだった。この調子じゃもう紫陽花も無理じゃろう」。足が動かないから、季節を味わえないから悔しいと言ってばあちゃんは泣きました。

それを聞いた職員が「車いすある?」と聞きます。そんなものはない。じゃケアマネジャーさんに言って調達してもらおう。社協から借りよう。ただ車いすをもってきただけでは駄目です。その人の体型や障害にあった車いすを用意する、ベッドから車いすへ乗り移りできるように高さを調整する、手すりをつける、玄関前をスロープにして段差が解消できるように工夫をする…。そんな物的環境の整備が必要になります。

どんなに立派な車いすを準備したとしても、押す人がいなければ意味がありません。その押す人に望まれるのは知識、技術、人間観です。車いすを準備してもブレーキ操作などの知識・技術がなければ車いすの操作はできません。

そして人間観です。人間を何だと思っているのだということです。一日中家の中にいたら本当に病人になっちゃうさ、桜を見なくちゃね、人間だものと思うか、年寄りのくせにごそごそしないで、怪我したらどうするの、家の中にいなさいと思うかです。そこが人的環境として問われてきます。

そして、関係性。立派な物的環境を準備して、確かな知識や技術をおもちで豊かな人間観があっても否定的な関係なのか、受容的な関係なのかということがここで問われます。

たとえば、ショートステイです。“あのじいさんがまた来るってよ。肺炎になったんだって。だから長くかかったみたい…あのじいさんさえいなけりゃ、今日の夜勤は安泰なのにねぇ”で始まるショートなのか、“あのじいちゃんが戻ってくるよ。肺炎だったんだって。もう会えないかと思ったけど、今晩また会えるねえ”で始まるショートなのか、同じショートでも全然違うということです。これが生活障害の構成内容です。介護職はここに関与するのです。

■医療職のコンプレックスと罪

トンチンカンな人はこう言います。「生活モデルが介護職、医療モデルが看護でしょ。もっといえば、生活モデルが介護だとかソーシャルワーカーたち。医療モデルがナースとか医師とかリハビリあたりでしょ」。違います。

生活モデルにおける看護、介護、医師、リハビリ、ソーシャルワーク、栄養・調理の動きがあります。医療モデルにおける医師、看護、介護、リハビリ、ソーシャルワーク、栄養・調理の動きがあります。そのことをリーダーがきちんと具体的に組み立てて指示を出すことができないと、現場は混乱します。そのあおりが看護、介護のけんかというかたちであらわれます。こういうところに介護職はいません。

生活モデルの場においては、治せない病気がいっぱいあります。当然です。しかし、そのことが看護職や医療職には不安な気がするようです。治せない医療を背景に置いて、自分の居場所を見い出せない医療職が根拠もなく威張るのです。病気を治せない医療職の焦りや居場所のなさのとばっちりを受ける介護職。このときも介護職は嫌になってきます。

医療モデルと生活モデルの切り替えができない医療職は、生活障害でさえ原因と結果で説明できると思っているのです。だからチームワークは関係ないのです。原因が明らかになって、訓練、処置が施されると結果が出ると思っています。介護福祉士が国家資格であることは十分ご存知です。

ご存知だけれども従来の管理体制の概念を越えきれない。ですから医師とナースの世界以外は受け入れられない。このような方が生活支援施設のリーダーになると大変なことになります。職員は丁稚以外の何者でもないです。

それでも働いているうちに、この施設は治療じゃなくて、生活なのかなとボンヤリ考えてくれるようになりますが、今度はコンプレックスがあるわけです。医療モデルは一流で、生活モデルは二流だというわけです。
自分のしている仕事をつまらない、くだらないと思って、そのイライラを現場に持ち込んでしまう。介護職はわけがわからないです。一流・二流の根拠もわからないし、なんでナースがそんなにイライラするのかもわからない。医療職のこの屈折したコンプレックスに接したとき、介護職は辞めたくなります。

■ターミナルケアをしない施設は腐る

0歳から20歳まで機能向上して、その後下降して80~90歳でお亡くなりになる。この当たり前の人間発達を支えきろうということが生活モデルの 重要な仕事になります。

昨日今日出会った人の命を見とどけるところが病院のすごさです。施設や在宅支援の現場は、昨日今日出会った人の命を支えることはできません。しかし、訪問・通所・短期・施設入所などのサービス提供で培われた人間関係のなかで逝かせてやりたい。このニーズに応えられるのが、生活モデルにおけるターミナルケアです。

立派な医療機材も、立派な専門職もいいけれど、どこにいても命の長さが同じなら、生活のなかで培った人間関係のなかで大切な人を逝かせてやりたいというこの本人・家族の希望に応えることは、ある日突然にはできないのです。

ターミナルをしない施設、サービスは腐ります。ターミナルを経験しない介護職は伸びません。人が死ぬということを知らずして、なぜ生きるということを支えられるかということです。お年寄りは身体を張って“人は死ぬのだ。だから生きることは大切なのだ”ということを今の若い者たちに教えてくれるのです。
お年寄りが伝えようとするこの大事なメッセージ・場面が、業務の組み立て、指針のとらえ方をとり間違えることで台無しにされているという現実があります。

ある施設でのことです。失語症のおじいさんが車いすでカウンターまでやってきました。カウンターの前で、指を2本一生懸命動かします。誰が見てもタバコなのです。しかし、若い介護職は「ちゃんと口で言って」と言います。おじいさんは不自由な言葉で一生懸命「タバコ、タバコ」と言いました。タバコだけでは許してくれないのです。「“タ・バ・コ・く・だ・さ・い”と言いなさい」というのです。

カンファレンスで失語症の人には自発語の誘導が必要だという話になったらしいのです。70、80、90歳にもなったおじいさんが、若造から「タバコください」と言えとカウンターの向こうから言われるのです。おじいさんは、一生懸命「タバコください」と言います。「タバコね。今日は3本出ているからもう駄目」。

たたいてやろうかと思いました。このじいさんが明日死んだらどうするんだ、おまえ一生悔いが残るぞと言うのですが、彼には全然ピンとこないのです。若い介護職たちに平気でそういう仕事をさせる、人の死を知らない生活支援施設はいつまでたっても二流だということです。

個人においては生活モデルと医療モデルの統合性が求められているのです。まさにここに看護と介護の連携が求められているということです。お年寄りが亡くなったとき、若い介護職たちはしゃがみ込んで泣きます。先輩のナースが泣き崩れる介護職の背中をさすりながら言います。

「悲しいね、悔しいね。人は自分が生きていたことを老いて、病んで、肉体が朽ち果てることで忘れ去られることがとてもつらくて、寂しいのだよ。私たちにとってとても大切なことは、あなたを忘れないということなんだよ。あなたがあのおじいさんにしてさしあげたかったことを、明日出会うお年寄り一人ひとりにお返しすることが、そのおじいさんの最も深いニーズに、あなた自身が応えたことになるのだよ」。

このターミナルケアを共に過したところから、お互いのすごさを納得し合った本当の看護と介護の連携ができあがるのです。そのための場面設定をお年寄りがしてくれているのに、自分の能力不足が原因でせっかくの機会を捨ててしまう。こういうところでは介護職はいずれ何のために仕事をしているのかわからないと言って辞めていくでしょう。

■リーダーの役割

医療モデル、生活モデルの方法論提示とかその統合性とかいったことはリーダーの仕事です。リーダーがいないところでは、まず介護職はいつかないということになります。
医療モデルにおけるサービス提供の形態と、生 活モデルにおけるサービス提供の形態は違うのです。医療モデルでは、主体性とか個性の尊重などと言ってられない。
血まみれで救急車で運ばれてくる人が対象だったりするわけですから、あなたの主体性と個性を大事にして、輸血にしますか?
何にしますか、などと言っていたら死んでしまいますからね。医療に対する基本的信頼をベースにして、主体性を委託してサービスを受けることになります。

生活モデルはそうではありません。生活モデルでは、生活者、主体であるお年寄りが介護職を振り回します。私たちは振り回されてなんぼの仕事だと腹をくくります。

お部屋に迎えにいきます。「飯はいらん」と言われます。「どうして?」「いらん、いらん!」「部屋にもっていくよ」「いらん!」何であんなに怒っているのだろうと介護職は思います。しばらくすると、「誰もわしを飯に連れて行かん!!」と先のじいさんが怒り始めます。どうすればいいの、このじいさん…。

家の前がすごい急な坂なんだって。階段の幅も狭くて、すっごい太っているんだって。お金に執着があって、はんぱ呆けで、ものを投げるんだって、大声出すんだって、家族もイライラしていてね、どうする? …受けましょう。

つまり、医療モデルと生活モデルの専門性の違いをここで明らかに強調できるリーダーがいないと駄目なのです。私たちはお年寄りから選ばれることはあっても、お年寄りを選んではならないのです。困った人を見捨てて、何のための私たちの事業所なのということです。困った人を見捨てない、ここから一歩も譲らない、それが生活支援の場における専門性だということです。

「決してこの人を見捨てない」と言えるリーダーがいるかどうか。ここを譲ってしまうと、介護職たちは何のために仕事をしているのかわからなくなり、フラフラし始めます。

■うんこを一緒に喜べるか?

おばあさんが重たい口を開いて、「本当はオムツは嫌だ」と言いました。それを聞いた介護職ははりきって、ポータブルトイレを準備したり、トイレ誘導のタイミングを考えました。

うまくいくはずだった“排泄の自立”が、下剤で下痢便、ベッドベトベト。ずり落ち転倒、家族カンカン。気がつけば、そのおばあさんに「ごめんな…」なんて言わせてしまってる。「協力するよ」と言ってくれた他の介護職も「無理なんじゃない?」と言い出す始末。

こんなことなら、もうやめちゃおうかなと思ってたときに、そのばあちゃんが、「ちょ、ちょ、ちょ」と呼びます。「どうした? ばあちゃん」と言うと、「見てみ」とポータブルトイレを指差します。そこにはとぐろを巻いたうんこがありました。

もうやめちゃおうかなと思ったそのときに、ばあちゃんがうんこをしてくれた。そんじょそこらのうんことは違う、黄金のうんこです。すぐ詰め所にもって行きます。「見て、見て! ばあちゃんのうんこだよ!」

それを受けた職員が「あんた、3日、4日もうんこしてなかったら、これくらい出るわよ。汚いわね、こんなものを詰め所までもってきて」と言ったときに、その職員の心のなかをヒューと風が吹くわけです。人のうんこを見て喜んでいる私って、おかしいのかしらと思うわけです。

職員はお年寄りと心が通わないということで介護職を辞めようとは思いません。むしろそれは課題になるからです。しかし、一緒に働く仲間と共に喜び合えなかったり、共感ができなかったときに、ふと辞めてしまおうかなと思うのです。

ここで先輩がきちんと言わなければいけない。人のうんこを見てうれしいということは、その人が生きていてくれてうれしいということだよ。傾眠レベルのばあちゃんの肩を揺らして「ばあちゃん、ばあちゃん」と呼んで、やっと口が開いて一 口食べてくれた。
その一口が一日の必要消費エネルギーに何の意味があるのだなんてことを介護職は言わないです。一口食べてくれたということは、その人が生きていこうとするその思いに触れることができたようで介護職たちはうれしいのです。

このよき体験が、よき関係をつくっていきます。このダイナミクスが理解できないところ、つまり、栄養補給と汚物の除去と人体洗浄だけで介護現場はまかなわれているのだと思われているところでは介護職たちは仕事を続けられません。
その人のうんこがうれしい、その人の一口がうれしい、お風呂上りに一緒にさっぱりしたと思えるということは、そのお年寄りにとって“私の”食事、排泄、入浴があるということです。目が見えなくても、耳が聞こえなくても、手足が動かなくても、ここには私の食事、排泄、入浴がある。私には生きていく方法があるということです。

■存在不安に応えられる介護職という仕事

夜中に目を覚ましたお年寄りはろくなことを考えません。ここにいてもいいのかな? 私はどこに行こうとしているのだろう? 自分のことを嫌だと思っているだろうな、死んだほうがましかな…なんてことばかり考えています。

これはお年寄りや身体の不自由な人だけが考えることかというと、決してそうではないのです。2~3歳くらいの自我が芽生え始めた子どもが母親にする質問があります。
「私はこの家の子? お母さんの子?」お母さんが言います。「あんたは橋の下のバナナ籠に入っていたんだよ」。子どもは「この家の子じゃないんだ」といって泣きだします。そうすると、母親が「うそだよ。おまえは母ちゃんの子だよ。この家の宝の子だよ」と言って、ぎゅっと抱きしめてくれます。
人はこれを一生繰り返すのです。自我が芽生え、自己の存在に気づいたときからもちあわせる存在不安を最も親しい、近しい人に問い合わせながら人は生きていくのです。

老いることや身体が不自由になることは時に悲しみではあるかもしれません。しかし真なる不幸は、老いて、病んでもなお、私はここにいてもいいの? ということを問いかける人さえいないことです。
私たちの仕事は、たとえ言語や意識の障害があっても、食事・排泄・入浴の方法をもって、言葉や意識を超えて、あなたはひとりではないということをお伝えすることです。

お年寄りと介護職のよき関係づくりのために 組織ができること

生活支援の場で最も重要な職種は看護職や介護職たちです。なぜなら直接お年寄りに接し、最も近しい関係をもっているからです。ということは、お年寄りと最も近しい関係をもてなければ、この職種は意味がないということになります。

このお年寄りと、直接処遇者と呼ばれる看護職や介護職たちがより近づき、より豊かな関係性をもつために組織・管理体制は組まれていきます。そのために上司がいるのであり、そのために専門職の知識、技術が生かされていくのです。
このことが理解されていないところでは、介護職たちは単なる作業人です。風呂入れ作業人、飯食わせ人、汚物除去要員でしかない。これでは辞めるでしょう。 どのような全体像を職場の上司がもっているかということが重要なのです。

毎日繰り返される食事、排泄、入浴の視点整理、よき関係の紡ぎとしての意味づけ、これらのことが今日の現場で今このときに、あなた方自身のな かにあるのだということがきちんとフィードバックできているかどうか。だからあなたが大切なのだ。あなた方は数や量ではないということを職員に伝えているかどうかです。

一年間を振り返って思い出す日はほんの数日です。そのよみがえる日の周りには思い出されもしない普通の日々が無数にあります。思い出されもしない普通の日々を職員とお年寄りが紡いでいくのです。そのたおやかな日常をつくり上げた者同士だけが迎えられるかけがえのない日、これをつくりだすことを仕事にしないで何を仕事にするのかということです。

よく管理者の皆さんは、お前たちのやりたいことを言いなさい、したいことをやっていいのだと言います。それで、介護職からお年寄りと一緒に桜を見に行きたい。パチンコをしたい。一緒にお泊りをしたいなどいろいろな企画が出てきます。ここをつぶしたらもう駄目です。
日頃、やりたいことをやりなさいと言っておきながら、この人と一緒に何かをしたいという介護職の素朴な思いを取り潰してしまう。そうなると職員は何のための食事、排泄、入浴なのかわからなくなります。現場における介護の意味、人が人を支えるという仕事の展開、これが読み取れない現場では介護職たちは辞めていくでしょう。

■アホな経営者のいるところもアカン

そしてもう一つ、経営者がアホなところは駄目だと思います。トップに求められるものは、人間性、専門性、それから社会性です。人柄のよさとか、もともと職業としているところの知識・技術の高さとか、経営者としてのバランス感覚、この3つを全部兼ね備えている人はいないと私は思いました。こんなトップは100年待っても来ません。

優れた経営者はいない。だったら今この与えられた条件のなかで、自分にできることを精一杯やってみようではないかと思う人がいるかいないか、それが現場を決めていきます。

■あなたの辞めどき、がんばりどき

「介護職はなぜ辞めるか」というテーマをいただいて、今私が話したことは皆知っていることです。
職員が自分や家族を大切にできて、医療モデルから生活モデルに切り替えて、専門職たちの横行を抑えて、きちんと看・介護の意味づけをするリーダーシップを育んで、そして優れた経営者とはいわない、普通の経営者でいいから当たり前に経営をしている、これさえ実現できれば何ら問題はないはずなのです。
しかし、今これだけ介護職たちが辞めていく状況を見ていると、じつは組織は辞めさせたいと思っているのではないかと思うくらいです。

介護職は若くて、かわいくて、よく気のつく子がよいと言う理事長がいました。なるほど、対人援助の現場だから、心細かくお年寄りに接することができる子がいいのだなと思ったら、違いました。そういう子のほうが結婚して、さっさと辞めていくからというのです。
そうすると、どんどん人が入れ替わって、給料が安くてすむからだというのです。「介護職はなぜ辞めていくか」という テーマではなくて、「よい介護職はどうして居つかないのか」というほうがテーマとしては正しかったのではないかと思ってしまいます。

介護職の条件は決してよくありません。それを承知でこの世界に入ったのならば、本当に自分がやりたいことをやり通してみようという気持ちが続く限りは、やり通していってもいいかもしれない。
今日私が話したことを自らと照らし合わせて、よしここで一丁やってみるかという気持ちをおもちのうちは働き続けられればいいと思います。

しかし、もう何をやったらいいかわからない、何をしているのかわからない。私のせいではない、国のせいだ、経営者のせいだ、リーダーのせいだ、現場のせいだ、と思い始めたら辞めたほうがよいと私は思います。
すべてが「他者のせい」で、私は恵まれないと思い始めたときが辞めどきではないかと思います。
きっとここが一つの境目だと思います。

(2004年6月18日、いらはら診療所職員研修での講演に加筆・修正しました)


2004年7-8月  介護夜汰話 『換骨奪胎』大田仁史先生の方法論

NPO法人「愛と心えひめ」の発足記念のセミナー(2004年4月18日・愛媛県松山市)で、大田仁史先生といっしよに講演をさせていただいたのだが、主催者の発案で、大田先生の講師紹介を私がし、私の紹介を大田先生がされるということになった。

いつもなら、当日の会場の様子を見てから話の内容を決める私だが、この日の大田先生の紹介だけは数日も前から話す内容を検討してきた。というのも、大田先生は私にとって特別な大なのだ。緊張するなと言われてもそうはいかない。

23年前、私は31歳でPTの養成校を卒業して、かつて勤めていた特別養護老人ホームに帰ってきた。しかし、PTとして何をやっていいのかわからない。 ROM訓練のやり方は習った。しかし、脳卒中で倒れて10年、15年経っている人の手足の拘縮はいくら優秀な(?)PTがやったとしても改善するとは思えないし、事実いくらやっても変化はなかった。

筋力増強訓練もやった。いや、私がやらなくても、訓練大好き老人は何人かいて、私が訓練室に行くと、もうばあさんが3、4人勝手に足首に重りをつけて、イチニ、イチニとはりきっているのだった。疲れて午後からは寝ているのだが。もちろん、80歳を過ぎたばあさんたちに筋力がつくはずもない。

はたしてPTとして、生活の場である介護の世界でどうしたらいいか、と迷っていた。さらに、医療という世界の体質にどうしても違和感をもっていたときに出会ったのが大田先生なのだ。病院に勤めながらも、生活に興味を抱いていた広島の先輩PTたちに誘われて参加したのが「地域リハビリ研究会」だった。

ここで出会ったのが、竹内孝仁先生であり、大田先生だ。この出会いが私の方向性を決めた。医療の世界に、やはり同じような違和感をもち、異議を唱え、新しい実践を始めている人がいたのだった。

セミナー当日、私は大田先生の書かれた『心にふれる』を手にもって壇上に上がった。この本には、先生が整形外科医からリハビリテーション医になった、そのきっかけが書かれている。ある日、大田先生は片マヒの患者さんの訪問を受ける。片マヒ者のグループの集まりで毎月話をしてほしいというのだ。

1回目の話が終わって、先生は自分でまずまずのできだと思っておられた。ところが、2回目の講演が始まる直前「話を聞いても元気が出ないと会員が言っている。今回はぜひ元気が出る話をしてほしい」と言われて、マイクを渡されたというのだ。大田先生は内心冷や汗だったという。

患者、つまり病気をもっている人に対して何をすればいいのか、は学校で習っているし、勉強すればわかる。しかし、片マヒ者は病人ではない。だからといって元気でもない。病気と元気の間なのだ。片マヒなどの障害だけでなく、老化も慢性疾患もまた、病気と元気の間に生じてきた。

医学の発達が、従来なら死に至る病気を助かる病気にし寿命を伸ばしたのだが、それによって生じた障害や老いに対して医療は対応の仕方をもっていなかったのだ。まずは、旧態依然とした病人への関わり方、つまり安静と栄養をあてはめようとしてみた。しかし、病気でもない大に安静を強制して大量の寝たきりをつくりだした。栄養も摂らせるから体重まで増えて介助が大変になるだけだった。

そこで、今度はリハビリだと言われた。しかしリハビリもまた、元気と病気という二元論を前提にした方法でしかなかった。訓練によってみんな元気にすれば、医療の側は従来の方法論の枠のなかに安住していられるからだ。

しかし、いくらリハビリをやっても治らないものは治らないし、自立しないものは自立しない。そもそも老いや障害をなくそうというのは、現代の錬金術のようなものだ。必要なのは、老いと障害をもった人の生活づくりなのだが、誰もそれをやろうとしない。「安静にしていればよくなる」「リハビリをがんばればよくなる」と言うだけで、いま、ここから生活を始めようとは誰も言わなかったのだ。

片マヒの患者さんたちが求めていたものに応えてくれる専門家がどこにもいなかったのだろう。でも、大田先生なら…と会の人たちは思ったのに違いない。実際、先生はこの会での冷や汗の経験をもとに、元気と病気との間にある人たちのニーズに応える専門家という道を拓き始めるのだから。

なぜこのニーズに応える人がいなかったのか。難しいからだ、と私は思ラ。病気に関わるのなら教科書もある。対象は人体だからマニュアルにもなる。しかし、新しい実践が関わるのは人間だ。しかも、老いも障害も、性格も家族関係もみんな違う。人生が相手だから、マニュアルにはならない。

「介護予防とリハビリテーションが尊厳を守るケアだ」といった主張にも大田先生は怒っている。ぼけや寝たきりになったら尊厳がなくなるというニュアンスがあるからだ。そこで、先生はあえて『介護予防』という本を書いて、あらゆる人をその対象にしようとする。

『終末期リハビリテーション』という本を出して、リハビリをもっとも重い人にまで適応させようとする。定義を変えてしまおうというのだ。こういうのを「換骨奪胎」と呼ぶ。それは、私のように「介護予防の次は育児予防と言い出すのじゃないか」「リハビリは未来への逃避」なんて皮肉を言うよりもはるかに難しい方法論である。

心にふれる
「心にふれる」 荘道社刊
A5判・140頁
1.470円






終末期リハビリテーション
「終末期リハビリテーション」 荘道社刊
A5判・90頁
1,530円






2004年6月 介護夜汰話 「介護予防」のつぎは「育児予防」?
    ~リハビリという名の“未来への逃避”

「介護予防」というのは変なコトバである。 私はこれまで一度も使ったことがない。講演会場に行くと、「介護予防講演会」という看板が出ていたことがあるが、そういう名前で予算が出ているからだという説明だった。もちろん、私の講演のタイトルはまったく関係がない。

「エイズ予防」や「SARS予防」ならわかる。しかし「介護予防」とは何事か。介護されるようになった高齢者はこの世にあってはならない存在なのだろうか。人は生まれてきて赤ん坊のときはもちろん、一人前になるまでに家族によって育児を受ける。

一人前になっても、病気になったときには家族や医療関係者による医療や看護に支えられる。そして、高齢になれば家族や社会から介護してもらう。これは人生の自然な流れではないのか。もちろん、介護を受けることなく亡くなる人もいる。交通事故と自殺がそうだ。つまり、それは不自然な死なのだ。

高齢まで生きても介護を受けないまま最後を迎える人もいないではない。しかし、それは偶然といってもいいくらい幸運なケ-スだろう。「介護予防」というコトバに象徴される、介護を受けるような高齢者はあってはならぬという考え方は「自立した個人」を至上の価値とする西欧的な近代社会の人間観に導かれている。こうした人間観は、いずれ「育児される子ども」もあってはならぬと考えて「育児予防」なんて言い出すにちがいない。

私がSF作家なら、親や社会が育児をしなくていいように社会的人工子宮によって、十分成長してから誕生させるようになった近未来社会を書くだろう。いや、近未来でなくても「育児される子ども」を邪魔者扱いする無意識はこの社会に蔓延していて、それが親による子ども殺しや虐待として表れていると思えてならない。

厚生労働大臣の私的諮問機関の答申なるものによれば、これからの介護は「人間の尊厳を守る介護」でなくてはならないそうだ。つまり、これまでの介護は人権を尊重していないと考えているらしい。現場の私たちはここですでにカチンとくる。

たしかに長い間オムツをつけて寝かせきりにしてきた介護が大半だったし、いまでもそれはたくさんある。それが尊厳を守っていることになるかと問われればもちろん否だ。しかし、それは医療や看護の専門家が、急性期の安静看護を介護に教育・強制してきたせいではないか。

さらに、社会の側が要介護老人を地域や病院から追い出して施設に押しつけておいて、まともな介護ができる人員を確保できる最低限の予算すら回させなかったせいではないか。世の中が見捨ててしまった老人たちを家族と共に、もう一度彼らが笑顔を取り戻せるように努力をしてきたのは方法論も予算もない条件下の介護職だったのである。あんたたちから「尊厳を守ってない」と言われる理由なんかないよと言ってやりたくなるのだ。

社会の側の人間観が透けて見えてくるのはその「人間の尊厳を守る介護」なるものの具体的な中身である。彼らが提起できるのは「リハビリテーション」と「介護予防」なのである。つまり、あんな介護状況になると人間の尊厳はなくなってしまうから、そうならないように「介護予防」し「リハビリ」しましょうねというわけだ。

なんという差別的人間観だろう。この世の中はいつまでたっても「障害や痴呆のある人の生活をつくろう」と言わないのだ。逆に彼らを世の中の狭い人間観、つまり自立した個人になるよう強制するのである。脳卒中で倒れて間のない急性期や回復期にはリハビリテーションは極めて有効である。

しかし、生活期に入った人にまでそれを強制し、あたかもいまここの生活づくりという介護よりも意味のあるもののように語るのは「リハビリ」という名の「未来への逃避」でしかない。私たちがやることは、老人を社会に適応させることではない。

逆だ。一人ひとりの老化と障害に相応しい生活を手づくりすることだ。そうすれば、老人がイキイキしてくることは現場ではとっくに実証済みだが、偉い諮問委員たちの暗順応していない目にはまったく見えていないらしい。

もし効果のある「介護予防」があるとすれば、それは医者や看護師に介護を教育することだ。そうすれば、意識が回復した老人のベッド幅をせめてシングル幅にし、足が床に着く高さにしてくれるだろう。なにしろ、病院の旧態依然とした安静看護こそが要介護老人をつくってきたのだから。

さらに、「介護予防」なんていう差別的用語を止めることだろう。自立した個人でなくなったら人間ではなくなるという強迫観念が老人を自然な老化や、ちょっとした身体障害でもこの身体で生きていこうという気持ちをなくさせてしまい、主体を崩壊させているからだ。筋力低下がその結果にすぎないことはいうまでもない。


2004年5月 介護夜汰話 近代は老いと子どもへの適応力がない

六本木ヒルズの回転ドアにはさまれて小学校入学前の男の子が亡くなった。近代的なものは老人と子どもへの適応力をもっていない。ところが、この社会では、老人や子どもが近代的なものに適応しないという、倒錯された言い方がされてきた。

これまで、近代医療はその適応力の欠如によって多くの老人を殺してきたが、日本資本主義の最新技術でつくられた建築物の近代的ドアが、一人の子どもを殺したのだ。

その六本木ヒルズの34階で私の講演会があった。リハ研事務局やブリコ編集部のメンバー、毎月の勉強会のメンバーなどがたくさん参加した。もちろん、私の講演を聞くためではない。ウワサの人気スポットに行って夜景を見ようという“お上りさん”気分である。なにしろ東京に住んでいたって、六本木や赤坂なんかに足を踏み入れることはめったにない。

もっとも参加者には他の興味もあったようだ。それは、講演会の主催がコムスンだったことによる。コムスンとは言うまでもなく、介護保険事業に大資本で参入してきた最大の大手企業である。

「よくコムスンが三好さんを呼びましたねえ」と驚く人もいた。なにしろ私は「コムスンは6か月でつぶれる」ど予言”していた人物である。つぶれはしなかったが、地方では大きく撤退せざるをえなかったから半分は当たったといえよう。

当時テレビで流していた「こんにちは。コムスンです」というコマーシャルを「コムスンという“法人¨がやってきたんじゃだめ。『こんにちは。三好です』と言ってやってくるのが介護なんだから」とよく批判もさせてもらったものだ。

つまり、介護とは誰が行っても同じようにできる介護力ではなくて、固有名詞と固有名詞による介護関係こそが本質だということだ(『ブリコラージュとしての介護』参照。雲母書房・2001年刊)。

私には当時のコムスンがそのことに自覚的であるとはとても思えず、「要求することだけやってくれればいい」なんていう都会のニーズには合っても、地方の老人にはとうてい受け入れられないだろうと思ったのだ。

そのことを現在の時点で少し表現を変えて言ってみようと思う。それは、介護関係は近代的契約関係の枠のなかにはとても入らないよ、ということだ。介護保険は、保険という制度を媒介にしている近代的契約関係である。介護というものを契約関係にせざるをえないというのが介護保険のはらむ矛盾であり、それをもっとも大きく内包せざるをえなかったのがコムスンだろう。

近代的契約は対等な自立した個人の間で結ばれる。近代的個人とは自分を労働力商品として売ることのできる主体のことだし、顧客とは自分の持っている金の使い道を自己決定できる人のことだ。しかし痴呆はもちろん、老いはその近代的主体から離脱しで生きもの”へと回帰していくことなのだ。

当然ながら“顧客”として扱われて喜ぶ痴呆老人はいない。それどころか、金を管理していない老人はその顧客としてすら扱われない。金を握っている家族のほうが顧客だからだ。そこで老人のニーズではなくて、家族の要求に基づいた介護が行われるようになる。CS(顧客満足度)だとか「お客様第一主義」は結局、老人を家庭と地域から排除することにしかならないのだ。

私たちは「等価交換」、つまり商品やサービスをそれに相応しい金銭と交換することこそ経済の本質だと考えている。しかし、それは経済というものの特殊な一部分でしかないと言っているのが中沢新一である。

愛と経済のロゴス 『愛と経済のロゴス』(中沢新一著・講談社選書メチエ・四六判・216頁)は、志賀直哉の『小僧の神様』の紹介から始まって、経済の本質は「贈与」と「純粋贈与」であると説いているのである。「交換」さらには「等価交換」は「贈与」の近代的な特殊な一形態であると言うのだ。



日頃、私たちは契約のなかで仕事をしている。もらっている給料に見合うだけの仕事をしなければと考え、働いているし、仕事に見合う給料じゃないと思えば、契約を辞めて別の仕事を探すこともできる。しかし、介護をやっているとこの契約の枠をはみ出すことが多い。

目の前の老人が困っていれば、労働時間をオーバーしてもケアするし、給料のことなんか考えないで夢中になっていることもよくある。たしかにこれは「贈与」と考えたほうが納得いくではないか。神や自然にしかなしえない「純粋贈与」に近づく必要はない。私たちもまた老人から「贈与」を受けるのだ。「老人に笑顔が出るだけで苦労がふっとびます」なんて、介護者はよく言うではないか。

「介護保険」は契約関係という形式をもっている。おそらく介護を制度化するにはそれ以外にはなかっただろう。しかし、介護の中身を契約による等価交換に閉じこめないで、贈与を積極的に取り込むことが介護現場の仕事だろう。それは資本力の強いところこそがやるべきことだ。

コムスンの現場には、従来の社会福祉法人や社協といった介護現場に飽きたらず新天地を求めてやってきた人がたくさんいる。「等価交換」からはみ出した人が多いのだ。現場だけでなく、トップもはみ出すことの意味を知っているはずだ。資本主義社会で成功するには資本主義という狭い枠内で発想しているようではとても無理なのだから。

「愛」と「経済」をいっしょに語るスケールの大きさが介護に求められているのだ、といったことを話そうかと思っていたが、例によって私の話はどこでも同じで、トメさんとトワさんのケース検討会議たった。
周りの人たちの興味は、私のその話へのコムスンスタッフの反応だったかもしれない。それも同じだった。「さからわず いつもにこにこ したがわず」で一番納得した笑いが起こった。


2004年4月 介護夜汰話 「家庭」より「雑踏」のほうが寛容である
  ~良識ある市民社会の差別性

3月16日付けの新聞によると、和光大学が一度は合格を通知した受験者を、その受験者の父親がオウム真理教元代表の松本智津夫であるという理由で、入学を不許可にしたという。これは北朝鮮の金正日政権と同じである。あの国では、親が“反革命”とされれば、子も孫もみんな収容所に送られるか、送られなくてももちろん大学には入れないし、一生出世など望めないという。

親と子は別の人格であって、親がどんな罪を犯そうと子が罰を受けることがあってはならないというのは、まともな近代社会なら前提となるべきことだ。ところが、どう考えても基本的人権を侵害し、憲法に違反していることを大学が行い、それについてテレビでコメンテーターをやっている文化人も新聞も何も言わないのはどうしたことか。彼らが声高に主張する人権とは、自分たちが考えている人間の枠内に入る人だけの人権であることがよくわかるではないか。

進歩的文化人たちは進歩的人間の人権は守れと言うが、反動的人間の人権はどうでもいいのだろうし、“良識ある”市民たちは、オウム元代表の娘の人権など守らなくてもいいと考えているのだ。私はオウムの犯罪を憎むが、和光大学の犯罪のほうが深刻だと思う。なぜなら、良識ある市民たちがそれを支えているからだ。

『世界でたった一つの花』という歌が昨年の最大のヒット曲で、いまだにCDが売れ続けているという。しかし、「オンリーワンになればいい」という歌詞を口ずさみながら、現実にはちょっと変わっているだけで社会から排除してしまうのがこの社会だ。そもそも、歌っているSMAPがオンリーワンならぬ人気ナンバーワンだというのも皮肉な話だ。

「オンリーワンでいい」なんていうのは「ナンバーワン」のゆとりでしかないのだ。現実にはオンリーワンは排除されるのだから。そうでなければ、この歌の作者の槙原某もこんな誰もが受け入れるきれいごとの歌詞ではなくて、ドラッグ好きのホモセクシュアル(あくまでうわさだが)のオンリーワンの歌をつくったのではないか。

「入学させた場合、学内で特異な存在になることは避けられない」というのが、和光大学の学長の説明である。特異なオンリーワンという存在を引き受けるのか、嫌だと思うかは本人の問題ではないか。入学を拒否することが、本人をますます社会全体の“特異な存在"にしてしまっていることに気づかないのだろうか。私はこうした“ちょっと変わった人"への寛容さを失った社会こそが、多くの若者をオウムに追いやったのだと考えている。

しかし、大学のこの非論理的な説明は何かに似ている。そうだ。医療や介護関係者が問題のある老人を排除し、閉じ込め薬づけにするときの言い訳にそっくりなのだ。いや、“良識ある市民”も同じである。地域に痴呆老人がいればそれを排除しにかかる。“良識ある市民”には、¨自己決定”ができなくなった人は人間の枠のなかには入ってこない。

ましてや、理由もなく急に怒鳴り出したり、商品の万引を繰り返すような人ぱ市民”だとは認めない。「地域で特異な存在になることは避けられないから」と、入院させて自分だちと同じようなまともな“市民”になるよう治療してやろうとするのだ。

残念なことに、老人施設まで「寛容を失った社会」に近づいている。当然ながら、市民に評判のいい施設ほど寛容度は小さい。たとえば、多くのグループホームは「家庭的雰囲気を守れる人」が入るところだとして、問題行動が出てくれば特養ホームに追い出すし、本誌連載「砂丘の憂僻」の前号によれば、車いす利用の要介護度3になったというだけで退所させている。

痴呆も車いす利用者も相手にしないで介護といえるだろうか。そうした人をこそ受け入れるべきだと考えて実践してきた私たちにとっては、それは「遊び」にしか映らない。「ピック病の人が5人います」と言われて驚いた私は、すぐに仙台を訪ねることにした。なにしろ、ピック病の大たちはとても生活の場での介護は無理だとされて、精神病院の独房に入れられたり、薬でコントロールされている大が大半だからだ。

人口密度の高いデイケアのソファに座っている人、隣接したグループホームで表情をそのときごとに変化させながらウロウロしている人、民家を使った宅老所の居間の一角でスタッフと二人でいる人。いずれも鍵をかけないところでなんとかしているのだった。

ピック病の症状である常同性につきあうためなら「万引き」だって止めないで、逆に本人が落ち着くために利用しよう(特集・山崎英樹さんへのインタビュー参照)というこの寛容度こそ、介護の専門家がもつべきものではないか。

店の人の“特異な存在"として見る目を、説明して寛容のある目に変えていくこともまた、専門性だ。“自由な学風"の和光大学や“良識ある"市民に説明してわかってもらうことには絶望しているが、介護職には伝わるだろう。少なくとも「家庭」よりは「雑踏」のほうが寛容であることが。


2004年3月 介護夜汰話 倫理と倫理主義、技術と技術主義

『完全図解・新しい介護』が爆発的に売れているおかげで、これまで知らなかった人にまで認知してもらうきっかけになっている。ホームページを見て「こんなに本が出ているのか」と驚いて、早速注文して読み始めたという人も多い。そんな人からの手紙やメールでの問い合わせや質問が増えている。

前号に続いて、それらへの私の返事である。「私は倫理一筋でこの仕事をやってきました。“倫理主義”に批判的なのは納得がいかないのですが…」というのは看護師さん。“倫理一筋”というのがすごいなあと、ちょっと驚いてしまうが、「倫理」と「倫理主義」は大変な違いである。彼女が理解していないのはこの点だ。

私はどの仕事にも「倫理」は必要だと思っている。医療や介護だけに特別な倫理が必要だというのは思い上がりか勘違いだ。人の命を預かっているというのなら、電車の運転手も整備士も、食品会社の工員さんもみんな同じである。ただ、直接的か間接的かの違いだけだ。大切なことは、その倫理を具体的な技術として具体化できるかだ。

運転手は運転技術として、整備士は整備技術として、工員さんは製造技術として。看護師や介護職はその具体的方法論の適切さの中身として「倫理」を表現しなければならないので、「倫理一筋」と言われても、それでは何も語っていないのと同じなのだ。「倫理」は当然の前提である。しかし、「倫理主義」は違う。「倫理」はあくまで自分自身を律するためのものだが、「倫理主義」はそれを意識的、あるいは雰囲気によって無意識的に他人に強制することになってしまう。だから管理主義とすぐにつなかってしまうのだ。

「倫理的な人」が評価され、「そうでない人」の評価は低くなる。しかし、倫理には基準なんかないから、評価の基準として「言葉づかい」なんていう表層的なことがその根拠になってしまう。したがって、私は「倫理より技術」だと思っている。人の倫理をアテにしなければ生きていけないという老人の状態を、依存しなくていい生活に変えていく、自己媒介化の技術を提出することのほうが、ほんとうの意味で倫理的だと考えるからだ。

だから「『痴呆論』の「バリデーション批判」のなかで、“技術主義になるからダメだ"という表現がありましたが、技術は大切だと思います」というOTからの手紙にはまったく同感である。私が批判しているのはここでも「技術」ではなくて「技術主義」だからだ。技術主義もまたすぐに管理主義とつながってしまう。「技術のうまい人」が評価され「下手な人」の評価は低くなる。

しかし、「人体」が相手の手術室での医療ならまだしも、「人生」を相手にする介護では「技術」が「技術」そのものとして通用することはまずありえない。ある団体が開催している介護教室に、契約したPTが講師としてやってきた。しかし教えているのが力まかせの介護だったので、主催者側のスタッフは私の講座で習った方法を提示してみせたという。

「頭が足より前に出ないと立てないでしょう」という具合に。そのPTも納得してくれてその技術を教えてみるのだが、どうしても受講者に伝わらないのだという。私もそのスタッフの熱心なメールでの質問に返信したり、実際にやってみたりもしたのだが、結論はこうなった。「なぜそうするのか、という考え方がちゃんと伝わってないと技術は伝わらない」と。

つまり、自己媒介化としての介護という考え方、生理学的な自立法が前提としてあって初めて「介護技術」が立ち上がってくるのだ。「バリデーションの研修会に申し込みをしたら『痴呆老人と関わっているところをビデオにとって送れ』と言われましてねえ。私信直観的にそれは嫌だと思って受講をやめたんですが、その理由がわかったような気がしました」。

この手紙をくれたのはあるグループホームのスタッフをしている介護福祉士の女性だ。「バリデーション批判の章だげではなくて本全体を読んでの感想」だと書いてあった。ビデオで撮影するという発想が、痴呆老人を操作対象として見ている、そんな老人観の表れではないか。だいたい、ビデオで撮っているだけで私たちの関わり方は意識的になってしまって、自然な日常なんかではなくなるではないか。それにそのビデオをいったい誰が評価してくれるというのだろうか。

夜勤も排泄ケアもしたことのない学者さんや、学者化した施設長なんだろう。きっと「アイコンタクトがとれていない」なんて注文をつけるに違いない。そんな近代的自我という狭い人間観を前提とした方法論が、痴呆老人に通用すると考えているのだろうか。そんな人は私の『痴呆論』のあとがきを読んで出直せばいい。彼らが信奉する「バリデーション」の対人関係技術が、そもそもダメなのだ。それが「技術主義」になり、管理主義になったのでは介護は終わりである。


2004年2月 介護夜汰話 「介護」の自立が始まった

大田仁史先生との共同監修で発行された『完全図解新しい介護』(講談社)が売れに売れている。発行後6か月で6万部を越える売れ行きだ。ある町の本屋さんが老人施設に「こんな本が出ました」と見本をもっていったら、50人の職員全員が申し込んできた、なんていうエピソードが各地で起こっていて、販売にも力が入っているという。

完全図解新しい介護 監修・著者◇大田仁史・三好春樹
判型◇A4判・上製・360頁
発行◇講談社定価◇3,800円十税
(詳細は画像をクリック!)





読者からの反響も多い。この本で初めで新しい介護”に触れた人も多く、驚きの声が寄せられてくる。『床ずれの予防(第3章)でエアマットに×印がついているのを見て、最初は間違いではないかと思いましたが、“3つのポイントを読んで納得しました。看護と介護の違いに無自覚だったと気づきました』(特養・介護福祉士27歳)

『衣服の着脱の介助法を探してもそんな項目がないので疑問を感じていたら、入浴ケアのなかにありました。そういえば私たちの生活では着脱衣は入浴のときにするものだ、と気がつきました』(ヘルパー29歳)

こうした反応は、我が意を得た、伝わった、と思えるものだ。こんな質問もきた。『どんな介護の本にも必ずある「清拭」の方法がどこにも出ていないのは、安静介護とは違うことを示したい三好さんの意識的なものですか?』(ヘルパー・介護福祉士30歳)

「意識的に外したのではありません。「清拭」という項目を入れるべきだとはまったく思いませんでした」というのが私の答えである。無意識だからもっと確信犯だとも言えるだろう。私は介護の世界に入って30年目になる。しかしこの間、清拭をした経験は数えるくらいしかない。ニーズを感じないのだ。

もちろんアカとオシッコと汗の臭いのしみついた長期寝たきり老人には何人にも出会った。でもこんな人はちゃんと風呂の浴槽に入らなければアカも臭いも消えることはない。だからニーズは「清拭」ではなくて「湯舟」だ。
「熱があって入浴できない場合は清拭するでしょう」と言う人もいるが、だいたい37度5分までなら入浴を止めたりはしない。風邪の症状でもあれば別だが、老人の微熱の大半は脱水の症状だから、逆に入浴して飲み物でも飲んだほうが、熱も下がり脱水症も治ったものだ。

終末のケ-スでも「清拭」よりは入浴だ。死ぬ前だからこそ風呂に入れてあげたい。日本人なんだから。足に力が入らないような人でも、家族や介護職は自分の膝の上に座らせて浮力を使って、自分の身体をリフトにして湯舟の出入りを介助している。
この方法は下山名月さんのビデオ(『下山名月の入浴介助』)で紹介されて話題だが、『新しい介護』でも第6章「入浴のケア」で取り上げていて、介護福祉士の養成校でも教えられ始めたという。

入浴介助というと、機械を使った入浴法しか教えていない学校さえあるという状況が少しずつ変わり始めている。もちろん清拭をせねばならないときもある。老人が汗をかいたが、すぐ入浴するわけにはいかない、とか風邪などの病気が長引いたときだ。それでも清拭の項目をつけ加える気にならない理由は2つある。

1つは「清拭」を入れると、普通のお風呂での入浴ができる多くのケースまで「清拭」で済まされてしまう可能性が高いことだ。なにしろ、家の風呂にはいれるというのに、ボートのような浴槽をわざわざもち込んで“寝たきり入浴”させているのが実状だからだ(こうした状況の分析と新しい入浴法の提案は『訪問看護と介護』(医学書院)2003年9月号に書かせてもらった。この号と次号の入浴特集は必読である)。

もう1つの理由は、清拭くらいは看護に専門性を発揮してもらえばいい、と思うからだ。普段の生活は介護が、病気という特殊なときは看護がやればいい。とはいえ、「清拭」にそんなに専門性が必要とも思えないのだけれど。

ある大病院の訪問看護婦が80歳の老人の家にやってきたときのことである。さすがにベテランの看護婦らしく家族にテキパキと指示し、老人の清拭を始めた。しかし、自分で動けるのに全介助で「体位変換」させられた老人は、右へ左へと身体を回されてめまいを起こし、家中のタオルを使われた家族はその後の洗濯が大変だったという。

タオルがいくらでもあって、乾燥機もそろった病院で重病人に対してやっている方法を、在宅にそのままもち込んで混乱させるくらいの“専門性”でしかないということだ。そのお年寄りは、次の週に私とヘルパーとで家の風呂に入れたのだった。

こんなメールもまた。『介護技術がずいぶん役に立っています。おかげで腰痛もなくなってきました。でも介護福祉士の実技試験にはこの方法では合格しませんね。そちらは安静看護法でやります。この本をきっかけに、試験の内容が変わるといいのですが』本当に困ったことだ。


2004年1月-2003年12月 介護夜汰話 痴呆論余話 ~禿げは呆けにくい?~

『痴呆論』は私がずっと書きたかったことである。介護現場に入って以来「どうして人間は呆けるんだろう?」「どうしてこんな呆け方をするんだろう?」と不思議でしかたがなかったから、『痴呆論』のちらしにある「構想29年」というのも決して大げさではない。私か特養ホームに偶然就職したのは今から29年前、24歳のときである。

それから9年後、竹内孝仁先生に呼んでもらって「地域リハビリ研究会」の前夜祭の少人数のシンポジウムで話をさせてもらう機会があった。私は痴呆老人の訴えがメタフア(=隠喩)ではないか、という話を15分ほどした。この話は「Nさんのロシア」という題で『老人の生活ケア』(医学書院刊)という私の最初の本に収録されている。

ちなみにこの本、これまでの私の本のなかで一番いいと言ってくれる人が多い。それでは進歩がない、ということではないか!この本で人生が変わったという人もいる。介護用品のセールスマンに勧められて読んだのは下山名月さん、めったに本を読まないのに本屋で偶然目にして買ったのが小松丈祐さん(「諏訪の苑」施設長)。

このときの私の話をおもしろがる人が何人も現れた。現場でこんな話をしてもみんな興味を示さず、「で、どうしたらいいの?」と言われるくらいだったというのに。世の中には共感してくれる人がいるんだ、その体験が私がフリーになることを後押ししたと思う。

今では現場に共感してくれる人がいっぱいいる。竹内孝仁先生による痴呆の三分類について、日経流通新聞のコピー(2003年6月19日付)を送ってくれたのは倉原一敬さん(神戸「山手さくら苑」施設長)だ。そこには上半期のヒット商品番付が発表されており、不況と先行き不安のなかでの消費動向を分析して、健・再・逃の三文字で表現しているのだ。「健」は健康志向、「再」は再興、「逃」は現実逃避である。

「経済がマヒしていく状況に直面して自信を失ったときに人がとる対応パターンと、痴呆の竹内三分類に共通性がある」と倉原さんは言う。健康な身体になって頑張って乗り切ろうとする人は、それでもうまくいかないときに「葛藤型」に至るのではないか。昔流行ったもののリバイバルがうけるのは、過去のノスタルジーに癒しを求める「回帰型」だろう。現実逃避はもちろん「遊離型」だ。

直面する困難が「不況」から「老化」に代わったときにも、人の対応は同じであるらしい。つまりここに竹内三分類の人間学的根拠がある、という内容だった。う~む、私がやったような「死の受容論」や「障害受容論」を逆行していく心理過程として説明しなくても、こんな身近かなところにその根拠はあったのだ。

しかも、現在の自分の消費動向をチェックすれば、将来どのタイプの呆けになるかまでわかるという優れモノである。兵庫県の東播磨ブロックの老人施設でつくる協議会に呼んでいただいて連続の勉強会をやったその親睦会でのことだ。

現在は特養ホーム「伽の里」のアドバイザーをしている原田正晴さんが、私に近寄ってきてこう言うのだ。「三好さんの主張する痴呆が老いた自分を受け入れられない関係障害だという説は正しいと思いますよ」と。その根拠というのがおもしろい。デイサービスに通ってくる男性の老人を見ていて、ある日原田さんは気がついた。呆けている老人にぱシルバーグレイ”と言えるような髪の毛の豊かな人が多い、というのだ。

そこでさらに注意して観察してみると、逆に頭髪の乏しい人、つまり禿げた人には呆けは少ないように思う、と言うのである。禿げとそうでないことが、なぜ呆ける、呆けないに関係するのかと不審に思う人もいるだろう。しかし私にはすぐにその理由がわかった。

「そうか、禿げは若い頃から少しずつ自分の老いを受け入れて生きてくるよりほかなかったんだ」「そうなんですよ」と原田氏。読者にお願いがある。入所者、通所者のうちの痴呆の男性についてのフィールドワーク(現場調査)をお願いしたい。髪の豊かな大と禿げた人の割合を比べてみるのだ。痴呆でない人も含めた同年代の人のそれぞれの割合がどれくらいかも調べておかねばならない。

果たして、この調査に有意差は出るだろうか。データでどう出るかは別にして、回りの人に聞いてみると「そういえばそうですねえ」なんていう人が多いのだ。私も何人かの痴呆の男性を思い浮かべてみると、髪はもちろん背格好もスマートで若々しい人が多いような気がする。

彼らは老化を実感させられることなく人生を過してきて、ある日突然、老いに直面して対応する術をもっていなかったのだろうか。私の共感を得て原田さんはうれしそうだった。というのも、彼はまだ若いというのに頭髪が前線を離脱しかけているのだった。いわばこの説は彼の我田引水的仮説なのであった。


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