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介護夜汰話
変えられないものを受け入れる心の静けさを  変えられるものを変えていく勇気を
そしてこの2つを見分ける賢さを

「投降のススメ」
経済優先、いじめ蔓延の日本社会よ / 君たちは包囲されている / 悪業非道を悔いて投降する者は /  経済よりいのち、弱者最優先の / 介護の現場に集合せよ
 (三好春樹)

「武漢日記」より
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」
 (方方)

 介護夜汰話

2006 ~ 2007
2007年8月  安倍政権が生き延びるための秘策教えます

かって70%もあった安倍政権の支持率がいまや30%を切るほどに低下した。日本人はブームに動かされているだけで確固とした信念なんかなさそうだ。私なんか最初から支持なんかしない。断固とした信念を持っている。

なにしろ安倍と金正日は同じである。他国の国家犯罪には厳しいが自国のそれには甘い。片や日本の植民地支配を追及するが拉致は「部下がやったこと」ですましたいる。片や拉致は追及するが慰安婦問題は「民間がやったこと」ですましている。片や史上まれな独裁政権の、片や史上最悪の開戦という政策決定による必然的帰結ではないか。だから私は金政権を倒すべきだという同じ理由で安倍政権を倒したいと考えている。

しかしそんな私でさえ最近の安倍政権の不人気は同情したくなってしまう。そこで安倍政権が参院選で勝てる秘策を教えたいと思う。かっては新自由クラブだったのに今や安倍国家主義の旗振りをしている中川よ、よく読んでおけ。安倍首相が次の政策を発表すればいい。
「介護職の給料を1.5倍にする法律をつくる」と。 総理が指示すれば2日で法案はできるらしいし、財源は実力者揃いの自民党の税調の年寄りたちが考えればいい。
そうすれば介護職はもちろん、その家族、要介護老人にその家族もみんな自民党に投票するだろう。私だって入れていい。 2倍にしろと言えないところが介護職の謙虚なところである。

いい介護をしたい、と考えてる人が介護の仕事を続けられないという貧しい現実を変えられないようでは「美しい国」は皮肉としか使えない。老いを支えられない民族は滅びる。出生率の低下はその滅びの前兆だろう。まぁ安倍とともに滅んでもらおう。未来は他国の老人さえケアしようとするフィリピンの若い人たちにこそある。


2007年3月  「生きたい」と「死にたくない」
 ~インド・ムガルサライ駅前広場の夜~

indiaインドを旅行してきた。雲母書房の社長の茂木敏博さんがきっかけだ。なにしろ、彼は今回で6回目のインドだという。かつてインドへ行って、人間観、世界観が変わったという話をよく聞かされてきた私は、何が彼をこんなに惹きつけるのか、自分も体験したいと思ったのだ。

毎月やっている読書会のメンバー7人を中心に、仙台、松山からも参加者があった、因みにその2人は、雲母書房から出版されている本の著者である、といえば想像のつく人もいよう。
医療・介護関係者11 人に、昨年のモロッコ旅行で知り合った女性3人の総勢14 人。飛行機と列車、ホテル、それに駅や空港とホテル間の送迎だけはセットだが、それ以外はすべてフリータイムで現地ガイドもいないという旅行だ。
半分手づくりということで「ブリコラージュ旅団」と名乗っての旅である。

indiaなんとも不思議な旅だった。問題が起こり、疑問が生じては、それが何かによって意図されていたかのように解決し、答が見つかっていくというくりかえしなのだ。まず、私は多くのインド初心者と同じく、ショックに襲われた。路上生活者、物乞いをする身体障害者、アカと小便の臭いのする子ども……。

私が物心ついた頃には戦後日本の絶対的窮乏はすでになくなっていたから、生まれて初めての経験でどうしていいかわからない。列車の床のゴミを這いながら片づけて物乞いする子どももいた。私の下の子と同じくらいの年齢だろうか。厳しいカースト制度のせいか、私たちには顔も見せない。仕事柄「人間的」とか「人間らしく」なんてコトバが飛びかっている。でも、私はもう使えないなと感じた。これも人間だぞ、あれでも人間だぞと言われているような気がしたのだ。人間なんて動物とどこに違いがあるんだ、と。

indiaヒンズー教徒が聖なる川、ガンガー(ガンジス)の沐浴場に集まり、死体の焼却場(それもオープンの)があることでも知られているのがベナレスという町だ。朝日と共に沐浴する様子を見ようと、早朝の薄明かりの中、河岸を目指したが、私は足がすくんだ。何千という掘立小屋の店と人。その異様さに、ひさしぶりに恐いという経験をした。迷子になってはもっと恐いから、やむなく狭い路地を前の人について歩いたが、1人ならホテルに逃げ帰ったかもしれない。

椎名誠はこう書いている。「ガンガーに近づくにつれて、人人人人犬犬犬犬牛牛牛牛ホコリホコリホコリホコリ騒音絶叫警笛怒号………」(『インドでわしも考えた』集英社文庫)日本の終戦直後はこんな世界だったらしい。いや、中世へタイムスリップしたと言ったほうが正解かもしれない。死もあからさまだが、生もあからさまだ。

日本での「人間らしく」なんて考え方からは、こんなことはあってはならないことだ。「もっと福祉を充実させて、人間的生活を保障すべきだ」となるだろう。だが、私はそう思う一方でこれはあってもいい、と感じていた。これはどういうことだ。

indiaベナレスからコルカタ(カルカッタ)へは寝台車での移動だ。乗車時間は午後5時。乗車駅のムガルサライ駅には1時間前に到着した。すると「2時間遅れ」との表示が出ている。ここからムガルサライ駅前広場の長い夜が始まった。なにしろ「2時間遅れ」は、3時間になり4時間になり、最終的には9時間半の遅れだ。午前2時半にようやく列車がやってきた。

ムガルサライの駅前広場は、白黒の記録映画や映画のセットで見ることのある日本の終戦直後の駅前風景だと思えばよい。小屋のような店が並び、リキシャと呼ばれる人力車、オートリキシャと呼ばれるオート三輪車がズラリと客待ちしている。駅舎には列車待ちの人が毛布を敷いてズラリと寝ている。なにしろ、すべての列車が遅れているのだ。

india広場に住みついている家族とその子どもが「ハロー」をくりかえして、物乞いにやってくる。私はやはりどうしていいのかわからない。ところが参加者の女性たちがその子どもたちと遊び始めた。男性も紙ヒコーキをつくって飛ばし、子どもたちがキャーキャー走り回る。駅前学童保育である。

物乞いをする子どもたちを監督するように眺めていた母親が、うれしそうな表情で遊びに参加してくる。こんな表情を見たのは初めてだ。それを見ていたインド人のバスの運転手が「あなたたちはいい人だ」と言って、女性たちにチャイ(お茶)をおごってくれた。

indiaいくら待っても列車は来ない。私たちはバスの中で一人ひとり、旅の感想を語ることにした。起きた葛藤をボソボソしゃべる人、世界経済の動向からインドの未来を述べる人、ちょっとした講演会だ。

そこで、さっきまで運転手からリキシャを借りて乗り回して遊んでいたインド6回目の茂木さんはこんな話をした。「初めて来た時、乞食の子どもから手を出されて戸惑った。しかしその子といっしょに遊ぶことができた。その時に、われわれは金を乞う者と乞われる者という関係から解放されることができた」と。
そうか、さっきここで起きたことはそういうことか。どうしていいかわからないという状態への答のひとつは見つかった。バスの運転手まで含めた“講演会”が終わっても列車は来ない。

indiaそこで身体を動かそうということになって、広場でラジオ体操が始まる。それが終わると遊びリテーションだ。インド人が周りで不思議そうに、そのうち笑いながら見ている。これはデイサービス、いやミッドナイトサービスである。いつもは外国人ツーリストによって大型バスの窓から眺められている現地の人たちが、逆にわれわれを眺めているのだ。ここでは関係の逆転が起こっている。

私はこのツアーの参加者に感心してしまった。10 時間半もの待ち時間というマイナスの状況をプラスに変えてしまう力をもっている。しかも私の疑問に答まで見つけてくれるのだ。とはいえ、深夜に乗り込んだ満員の列車にさらに14 時間乗っていなくてはならない。

indiaところが、そんな心配も無用だった。目覚めた彼ら、特に女性たちはすぐに周りのインド人乗客たちと親しくなり、食べものの交換どころか、路上生活者の性生活まで聞き出す始末なのだ。ここでも、マイナスを国際交流というプラスに転化するのだ。
私なんかこんな時せいぜい、「本でも読むか」ぐらいにしかならない。まあ今さら彼女らのようにもなれないし、これも私の個性なんだからしかたあるまい。ところが読んでいたその本にまた答が用意されているのだ。

寝台車で読んだのは『社会学入門』(見田宗介著・岩波新書)である。インド関連本として読書会のメンバーの1人が持ってきた4冊の本のうちの1冊である。著者が学生を連れてインドに来た時の話が出てくる。

デリーから有名なタージマハールのあるアグラへ列車で行くことになった。朝早くから待っているのに1時間遅れとアナウンスがあり、それが2時間になる。みんなウンザリしているが現地の人は平気だ。そのうち、今日の運行は中止になったと知らされる。どうしていいかわからずにいるうちに、周りの人たちはとっくにいなくなってしまって、自分たちだけがプラットホームに残されたという話である。

スケールはちがうが、似た体験ではないか。著者の見田は、時間を予定どおりに過ごしてきた者はその予定が狂うとどうしていいかわからなくなる、私たちは時間を「使う」ものだと思っている、だから遅れるとそれを無駄な時間だと感じてしまう、でも、時間は「使う」ものではなくて、「生きる」ものだと言う。
おそらく見田の経歴からすると、連れて行った学生は、最も時間を上手に「使う」ことをやってきた者しか入れない大学の学生だったろう。たとえ待たされた時間は短くても、その茫然感は私たちの比ではなかったにちがいない。

india時間は「使う」ものではない。つまり、消費するものではないのだ。自ら主体的に生きるものなのだ。だから無駄な時間なんかない。ツアー参加者はあの時間を生きていたのだ。日本人は、日本の子どもたちは、時間の上手な「消費」をしているだけではないか。インド人の豊かさが見えてくる気がした。茂木社長がなぜよく時間に遅れるのかというナゾも解けてきた。

私の最初の疑問、こんな現実があっていいはずがないと思いつつ、一方で、これでいいのだと感じているのは一体なぜか、に答えてくれたのも旅行中に読んだ本だった。『インドで考えたこと』(堀田善衛著・岩波新書)という有名な本である。

なにしろ、私が高校生の時、現代国語の教科書にその一節が載っていたくらいだ。アジア作家会議でインドに招かれ、事務局としてしばらくインドに滞在していた時の見聞と考察が書かれている。東西冷戦時代に書かれたものだから、現在の感覚で読むと古い枠組みの中の話だという感は否めない。社会主義への幻想は生きていたし、特に革命中国への期待が文中にあふれている。大躍進の破綻や文化大革命の悲惨さ、ソ連邦の崩壊なんか予測もできなかった時代なのだ。

それでも私は途中でやめないで最後まで読み通した。他にすることもないのだ。すると、最終章の結語にすばらしいコトバがあった。『アジアは生きたい、生きたいと言っている。ヨーロッパは死にたくない、死にたくないと言っている』見事なものだ。私は自分の疑問、矛盾、葛藤がスーッと消えて、なぜこのインドの状態をよしとすべきだと感じているのか、わかったような気がした。

今や、日本はかつてのヨーロッパと同じように「死にたくない」側になった。つまり、生きていられるのが当たり前になったのだ。だから「死にたくない」ために、老人がバンダナを巻いてエアロビクスに励み、みのもんたの番組を見ては食品の買い占めに走る。これは不健康ではないか。

たとえ、どんなに貧しくても「死にたくない」よりは「生きたい」ほうが健康だ。生きるのに必死な人はエアロビクスも納豆の買い占めもしないだろう。インドの人々の「生きる」ことそのものを目的としていることの強烈さ。「生きる」ことが保障された途端、人は生きる目的を失ってしまうのだろうか。少子化もそのあらわれかもしれない。因みに、インドでは人口は爆発的に増えている。

私たちは「生きる」をケアしたい。「死にたくない」をケアするのは嫌だ。介護予防、筋トレ、脳トレ……、みんな「死にたくない」に迎合したものではないか。生きていてもしかたがない、と感じていた人が、もう一度この身体で生きていこう、と思うようなケアがしたいのだ。

問題や疑問が生じては、それが解決し、答が見つかるという不思議な旅だった、と、最初に書いた。介護の仕事は好き。だけど職員間がうまくいかず精神的にやられてしまう子。『資格』が邪魔になってしまうこと。いろんな情報を聞き、中間管理職としてどう対応したらいいのか…。

india私自身、人とのコミュニケーションは苦手だから悩んでる。世間のじつはその典型ともいえることが私の身に起こった。インドに到着して3日目の早朝、ニューデリー駅からアグラへと向かう列車に乗り込んだ時に、パスポートと帰りの航空券、それに相当額の日本円の入ったショルダーバックが忽然と消えたのである。
ホテルやバスの中に忘れたのではないかと考えたが、数分前に駅のプラットホームで撮ったデジタルカメラの映像にはちゃんとバックが写っている。シートにバックを置き、リュックを棚に乗せている間に盗難にあったと考えるよりほかなかった。

アグラの警察に届けを出し、証明書をもらう。これがパスポートを持たない非国民が再び日本に帰れるための唯一の証明書だという。私一人がデリーに戻って大使館に行けば、パスポートの再発行が間に合ってコルカタから戻ってくる13 人と合流して予定通りの便で日本に帰れるかもしれないのだが、それではベナレスもコルカタも見ないまま帰ることになる。それになにより、こうなると1人になるのが不安でしょうがない。

そこで、帰国が何日か遅れることは覚悟で、みんなと行動を共にすることにした。最終日、コルカタからデリーへの飛行機は3時間遅れた。でも誰も「遅れた」とは思わない。ムガルサライ駅の10 時間に比べれば定刻だと言っていい。しかし、これでその日のうちに日本大使館とインドの出入国管理局を回って、予定されていた便でみんなといっしょに帰るというのは絶望的になった。

帰りの飛行機のチケットは一番安いのが12万円。日航系のホテルだと1泊4万円もかかるという。やれやれ……日本大使館の窓口は2時半にならないと開かない。名前を告げると、やや反応があって日本人が出てきた。なんと、バックが出てきたというのだ。

indiaその日の午前中、ある婦人から大使館に電話があって、パスポートの入ったバックを預かっているという。さっそくガイドが連絡をすると、「本人でなければ渡さない」とのこと。しっかりした人だ。門番も使用人もいる立派なアパートで、栄養豊かな女性と15 歳のやはり丸々とした息子が迎えてくれた。

バックは、2日前電車のシート下で見つけたという。警察に届けようかと思ったが、現金があったので思いとどまったという。こちらでは現金は警察がボーナスとして抜いてしまうらしい。それで、直接日本大使館に連絡をしてくれたというのだ。
みんなが「奇跡だ!」と口々に言う。インドでは落とし物が出てくることはめったにないそうだ。ましてや盗まれたものが出てくる可能性はゼロに近い。それにしてもどうやって彼女が発見するに至ったのか、何か“ウラ”がある話なのか、いまだに諸説が入り乱れている。最後にインドの神秘が残った。

indiaパスポート紛失という大事件が起きながらも、結局は行程どおりのツアーで、予定の便で日本に帰ることができた。しかも帰国するその日に消えたパスポートが出てくるというタイミングのよさ。ドラマならご都合主義のストーリーと言われるところだろう。
茂木さんの説はこうだ。「神様が三好春樹にインドの現実とパスポート紛失というショックを与えてどう変わるかを試したのではないか…」オイオイ、神様に会ったら私なんかほっといてくれと言わなくては。


  インド写真集みたい人は…

2006年9月  『ユニット・個室』誤りの理由

~ ロシアで考えたこと ~
同世代の男性3人で旅行に行ってきた。旅先はロシアのモスクワとセントペテルブルグ。名づけて「ラスコーリニコフ・ツアー」。40年前に読んだドストエフスキーの『罪と罰』(主人公の名がラスコーリニコフ)を再読しての旅行で、3人以外にはツアー客がいないのを幸い、日本語ガイドさんに、モスクワのドストエフスキーの生家、ペテルブルグの没した家と墓まで案内してもらってきた。

in russia
同世代の男性3人で旅行に行ってきた。旅先はロシアのモスクワとセントペテルブルグ。名づけて「ラスコーリニコフ・ツアー」。40年前に読んだドストエフスキーの『罪と罰』(主人公の名がラスコーリニコフ)を再読しての旅行で、3人以外にはツアー客がいないのを幸い、日本語ガイドさんに、モスクワのドストエフスキーの生家、ペテルブルグの没した家と墓まで案内してもらってきた。

in russia
驚いたのは、『罪と罰』の始まりの文章が「七月初旬のおそろしく暑い時分のこと」から始まっていたことで、ペテルブルグに夜行列車で着いたのが7月2日の暑い日なのである。なんたる偶然。もちろん、定番の観光案内もついていて、モスクワの赤の広場、そしてペテルブルグの夏の宮殿も見学してきた。

観光の目玉ともいうべきエルミタージュ宮殿と、そこに収集された美術品には圧倒された。でも途中で「ハイハイ、あなたたたちがすごいのはよくわかりました」と言ってやりたくなった。いやあ、ヨーロッパ文明はすごい。しかし、そのヨーロッパ文明にコンプレックスを抱いた奴はもっとすごいことをする、それがペテルブルグとエルミタージュへの私の感想である。
まずペテルブルグという大都会そのものがピョートル大帝の命令でヨーロッパの町並みを真似てつくったのだ。何もない湿原に、である。その労働によって北欧の戦争捕虜が何万人も死んでいる。美術品はエカテリーナ2世を始めとする王室によって全世界から収集された。その陰で農奴は飢えていたのだが。

ヨーロッパに強烈なコンプレックスを抱いたのはロシアとわが日本だろう。明治天皇はピョートル大帝にたとえられることが多い。また農村の惨状を踏み台にして、軍備の近代化に突き進むのもロシアに似ている。かたや革命と社会主義の悲劇として、かたや無謀な開戦によるアジア民衆の大量の死というかたちで破滅へと至るのも共通性がある。
ヨーロッパ近代へのコンプレックス、つまり相手との距離がうまくとれず、自分自身を見失ってしまうことによる悲劇はいまだに続いている。

老人施設の全室個室化もその一つだと言っていい。ヨーロッパ、特に北欧なんかを見学に行ったインテリたちが、全室個室の施設を見てうらやましがり、日本もそうなるべきだと考えたのだ。
私は「近代的個人」という枠内にいる人が生活する場は個室がいいと思う。つまり、自立している人や、身体が不自由でも、自分の意志の発動が可能で、介護者を活用できる主体があるなら個室がいい。しかし、老いも痴呆も、「近代的個人」という枠から大きく外れて、“生きもの”という自然に回帰していくことなのだ。現場の私たちはそのことをよく知っているから、全室個室化なんておかしいということはわかる。しかしインテリたちは違う。なにしろ「自分が入りたくなる老人施設を」なんて平気で言うくらい、自己中心的な人たちなのである。

軽費や養護、それに有料老人ホームなら個室でもいいだろう。しかし、特養ホームなど、どんな人でも、どんなになっても、最後まで介護するつもりの施設なら、個室も2人部屋も4人部屋も必要なのだ。つまり、個室ばかりのグループホームなんてのは、重い人はケアしません、と宣言しているようなものである。実際、呆けが進行した老人が次々と精神病院に送りこまれ、生活を断念させられている。

インテリの近代へのコンプレックスが老人に悲劇をもたらしているのだ。ロシアの農奴のそれとは比べものにはならないが、1人の人間の人生としてみれば等価である。そのことがわからない人は1年でいいから特養ホームで働いてから意見を言ってほしい。働くといっても、施設長や事務長じゃなくて介護職としてだけどね。

情報筋によると厚労省の内部では「ユニット・全室個室」が間違いだった、と言っているそうだ。「ユニット・全室個室」を強制された施設は、多額の建設資金の返済のために経営が難しく、厚労省に「責任をとれ」と突き上げているかららしい。つまり理由は、老人の立場からではなくて、自分たちの立場がなくなったからだ、というのだから情けないではないか。

「ユニット・個室」を推進した張本人でさえ「ハード優先の建築家に惑わされた」なんて言い訳をしながら「やっていけないので『ユニット』に補助金を出せ」なんて言っているというから、厚労省よりもっと情けない話だ。そもそも「ユニット・個室」にすればいいケアができて老人が落ち着くからというのでつくったんだろう?だったら、ユニットでも個室でもない従来の施設のほうが介護は大変なんだから、そちらにこそ補助金を出すべきじゃないのかね?

「全室個室」なんていう、“エカテリーナ2世”がやったに等しい施策を推進したかどうかは、本当の介護を知っているかどうかのリトマス試験紙だったと私は思っている。


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追記 ~ロシアで考えたこと2~

「ヨーロッパ文明はすごい。しかしそのヨーロッパ文明にコンプレックスを抱いた奴はもっとすごいことをする」と書いた。あの飽くなき美術品の収集はいったい何だ?という私の疑問に、ツアーで同行した土井新幸さん(ブリコラージュ 2005年7・8月合併号に登場した”寅さん”)がこういうのだ。
「仏教のすごいところは権力者にさえ、無常ということを知らしめたことではないか」と。

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そうか、日本人なら途中で虚しくなってやめるだろう。往くだけではなくて、還り道があるのだが、西欧にはそれがない。”神の国”めざして往きっぱなしである。アメリカやイスラエルといった西欧よりもっと”西欧的”な国家のやり方を見ていてもそう思わざるをえない。

エルミタージュ美術館でほっとできたのは印象派のコーナー。それに私の大好きな、スーチンの「自画像」に会えたのは予想外の喜びだ。しかし、スーチンくらいエルミタージュに似合わない画家もいないだろう。

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2006年3月  異文化としての老い

海外に行って来た。といっても北欧なんかへの視察旅行なんかではない。プライベートな旅で、行き先は北アフリカだ。風景も想像を超えたものだったが、もっと驚いたのはそこでの人々の生活である。迷宮のような街での中世と変わらないような生活、砂漠に行けば今度は古代から続いている生活がそこにあるのだった。

モロッコにて 旅行会社のパックツアーに男ばかりのグループ6人で申し込んだ。30人を超えるツアーのなかで働き盛りの男6人というのは珍しく、残りの大半はすでに定年で仕事を辞めた年代の人たちである。しかも、北アフリカなんかに来るのは、ハワイやヨーロッパにはもう行ったという人が多く、時間にも、経済にも余裕がありそうな人たちである。

モロッコにて
そのなかの男性たちが私には気になった。朝食でテーブルがいっしょになったのだが、会話をする気にならないのだ。「ロクな食べものがない」「クサい」…etc。その言い方が差別的なのだ。日本人の自分の口には合わないというだけではないか。そもそも納豆を食べている民族がよく「クサい」と言えたものだ、と私には思えるのだが。
気に入らないのは食べ物だけではないらしい。ホテルのスタッフの教育がなっていないとか、店員の態度が悪いとか、悪口だらけである。現地のガイドをつかまえて説教をし始めたりする。

旅行、特に海外旅行の楽しみとは何だろうか。日本とは異なる風景を見て感動し、異なる文化に接して驚くことだろう。日本の文化との距離を感じ、その背後にある自然や歴史の大きな違いに思いを馳せ、判断を停止して、あるがままを認めることではないか。いわば自分が相対化されるおもしろさを味わいに行くのだ。

モロッコにて でも、彼らはそうではないらしい。自分たちの文化の価値観のなかに、相手の文化を組み入れようとするのだ。西欧や近代化された日本は進んでいて、この国は遅れている、と見なしてしまう。だから、けなすか、教育してやろう、となるのだ。相対化するどころか、自分を絶対化してしまうのだ。

彼らの世代は決して狭い世界にいた訳ではない。実際に、商社マンとして海外生活の長かった人もいるのだ。でも考えてみれば彼らは、その海外でも現地の人たちと交流しようとはせず、日本人だけで、日本の価値観や会社内の序列まで持ち込んでいた人たちなのだ。空間的には広い世界を体験していても、その意識は狭いままだったらしい。

同世代でも女性はちょっと違う。好奇心旺盛でよく笑い、よくしゃべる。男性のほうは表情が乏しい。好奇心もあるのだろうが、カメラのレンズを通してしか向き合おうとはしない。いわば客観的な観察者になることで、異文化の衝撃から自分を守ろうとしているかのようである。

よく似ているなあ、と思った。医師や看護婦、PTやOTといった医療関係者が老人に対する関わり方に、である。彼らは「老い」とか「障害」「痴呆」という「異文化」に出会った時、“判断を停止してあるがままに認める”のではなく、自分たちの価値観のなかに組み入れようとしているのだ。

医学書を開いてみよう。「老人の特性」なんて項には老人の悪口ばかりが書いてある。「体力の低下」「適応力の低下」「刺激に対する反応時間の遅延」etc…。いったい基準になっているのは誰なのだ。若い人ではないか。

パックツアーのおじさんが「自民族中心主義」(レヴィ=ストロースが西欧中心主義を批判してつくったコトバ)なら、医療関係者は「自世代中心主義」である。その“問題だらけ”の老いを教育(=治療)してやろうとして、かつては(今も)点滴潰けにして手足を抑制し、最近では「筋トレ」をしない老人は非国民だと言わんばかりなのだ。

彼らもまた、狭い世界で生きてきた。実社会での経験のないまま専門家になり、コンプライアンス=従順であることを義務づけられた患者ばかりとつき合ってきた人たちだ。「老い」も「痴呆」も従順な訳がない。自分たちに理解できない「老い」や「痴呆」を目の前にして彼らは「冷静な観察者」として振るまい「問題点」を列挙し、治療、リハビリの対象にすることにしたのだ。狭い世界の自分を守るために。

帰国してからの数日、忘れかけていた昔の夢を続けて見た。どうやら無意識が撹拌されているようだ。今回の見聞は、長い時間かけて自分のなかで整理されていくだろうと思う。確かなことは、近代とか医療とかよりも「生活」にこそ普遍性があると考えてきたその「生活」が、よりシンプルなものになっていくだろうということだ。
つまり、ヒトはただ生まれて、食べて、死んでいくのだというところへ。

モロッコにて

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