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介護夜汰話
変えられないものを受け入れる心の静けさを  変えられるものを変えていく勇気を
そしてこの2つを見分ける賢さを

「投降のススメ」
経済優先、いじめ蔓延の日本社会よ / 君たちは包囲されている / 悪業非道を悔いて投降する者は /  経済よりいのち、弱者最優先の / 介護の現場に集合せよ
 (三好春樹)

「武漢日記」より
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」
 (方方)

 介護夜汰話



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地下水脈 “かわいい”とは何か
芹沢俊介 VS 三好養樹 子どもの暴力・老人のボケ
地下水脈 「評価法」に老人を閉じこめるな icon
地下水脈 つくづく老人は強いと思った ~車イス阿波踊り参加記~ icon

1997 ~ 1996
1997.12月 “かわいい”とは何か

若い人が老人のことを「かわいい」なんて言い方をする風潮を“問題”だとする論調の新聞記事があった。この“かわいい”は介護職から広まったと私は思っている。

24歳で特養ホームに就職した23年前、すでに若い寮母が特定の老人や老人の言動、しぐさを“かわいい”と表現して、寮母長から注意されていた。経験豊かな人生の先輩に対しでかわいい”とはなんですか、という訳だ。ところが「寮母長さんのそういう生真面目なところが、かわいいですね」なんて言われて、寮母長ががく然としていたものである。

ま、感じるな、というのが無理な話ではある。実際私も、この“かわいい”はよく判るのである。これは老人介護の現場にいる人にとっては共通の感覚ではなかろうか。ところが、この“かわいい”を説明するのがむずかしい。ファンシーショップで若い人のセンスに合ったアクセサリーを“かわいい”なんて言ってるのとはちょっと違う。

なにしろ“かわいい”と言われてる老人は、ヨダレをたらしている小汚い爺さんだったり、施設で最も長谷川式痴呆スケールの点数の低いボケ婆さんだったりするのである。

         ◇ 

9月15日の「老人介護塾」で芹沢俊介氏の講演を聞いた。芹沢さんといえば私は、最初の評論集「宿命と表現」以来のファンで、家庭内暴力やオウム事件など、そう簡単には解けそうにない現代社会の問題に、深層から発言してくれる数少ない1人だと思っている。

「ある人が老いたな、と感じるのはどういうことだろうと考えると」と氏は言う。「それは“構え”がなくなった、ということのような気がするんです」と。老いの定義を身体や心理の客観的変化としてばかり習っている私たちには、こうした生活的な印象というところから老いを言語化する方法そのものが新鮮なのだが、私はそれを聞いて、あっと判ったことがあった。

ひとつは、オバタリアンとは何かということである。あれは、老いを待たずしで“構え”を手放してしまったということのようである。男のほうが社会的に“構え”を要求されることが多いために、オバタリアン的にはなりにくいということだろうか。

もうひとつが、あの“かわいい”とは何か、ということだ。構えが必要なときや場所でのそれは、たとえば、常識とか礼儀とか言われるようなものだろう。だがそれが過剰になると、私たちはそこに、何かの「意図」を感じたり、何かから強制されているような不自然さを感じとることになる。

老人や老人の言動を“かわいい”と言うのはこの意図や、何かから強制されているという感じがないことを言うのではないだろうか。つまりそれは、構えがなくなった状態であり、それが自然であると感じられることだ。

がしかし、である。男性のTさんは元銀行員で、誰に対しても、丁重な言葉使いを崩さなかった。つまり、“構え”を手放していないどころか、完全にパターン化さえしているのだが、若い寮母ぱ”かわいい”と言うのである。これはどうしてか。

構えそのものが長い時間たってその人の“自然”にまでなってしまった場合、それも“かわいい”と感じられるようである。それは意図や規範からの強制が習慣化され、Tさんに血肉化したかのようである。こうなると確かに“かわいい”のだ。

          ◇ 

構えを失って、だらしないと感じられるのが、オバタリアン。構えがなくなって、自然だと感じられるのが、かわいい老人。すると子どもがかわいいのは、まだ構えをもっていないからということになろうか。確かに、大人の表情をうかがいはじめ、構えができてくると、かわいくはなくなってくる。

          ◇ 

老いて構えを失ったときに、だらしないと回りに見えるか、それとも自然だと写るか、どちらに行くかを決めるものは果して何だろうか。私は、構えが既製品だったか手づくりだったかではないか、なんて考えている。既製品でもその人にピッタリだったらマルである。Tさんみたいに。

          ◇ 

「年をとってまで回りから“かわいい”と言われる老人にならねばならないとは」。これはある新聞での識者の嘆きのコメントである。大丈夫、回りから“かわいい”と言ってもらいたいなんて意図をもっているような人は決しで“かわいい”とは呼ばれないから。


1997.12月 芹沢俊介 VS 三好養樹 子どもの暴力・老人のボケ

9月15日、東京カンダパンセホールで老人介護塾が開催されました。 セミナーは芹沢俊介さん、三好春樹のそれぞれの講演に加えて福岡の宅老所よりあいの下村恵美子さんからの実践報告という濃い濃い内容でした。このセミナーの最後を飾った芹沢俊介・三好春樹対談を誌上再現バージョンでお届けします。

●司会(三井)芹沢さんのお話を三好さんにまとめていただいて、副題にもありますように「子どもと老人を通底する地下水脈」ということで、ここからは少しアンダーグラウンドの領域に入って話を進めていきたいと思います。

【質の問題が数量化される世界】

●三好 芹沢さんから、家族の変遷についてお話をうかがって、あっそうか、と思うことがいくつかありました。そのひとつが、どんな家族を形成するのかという選択の自由が拡がってきてるんだという言い方です。
農業社会に適応した多世代同居家族、そして工業社会に適応した単世代同居家族、さらに消費社会型ともいうべき個別同居家族というふうに芹沢さんから整理されて、個別同居では封建的な家からだけでなく、「性」からも自由になって、男と女というよりは個性と個性の組み合わせなんだ、したがって男と男も、女と女も、人とペットという組み合わせだって家族になりうるんだという話でした。

ああ、それが吉本ばななの世界なんだなと私は思いました。ばななさんの小説の登場人物って性的存在じゃないんですよ。『キッチン』の女装したお父さんが象徴的なんだけど、で、それは私には判らなかったんだけど、あ、自分の感覚はまだ消費社会まで行ってないんだ、工業社会にとどまっているんだろうなと思ったんです。

と同時に、これまで私たちは、老人ホーム入所とか、今日実践報告してもらった「宅老所よりあい」のようなグループホームというのは、家族が崩壊してやむなくそうなっているという捉え方をしてきたのですが、そうじゃなくて、これもひとつの選択すべき家族のあり方なんだということを教えてもらったように思います。

で、ここからが芹沢さんへの質問なんですけれど、封建制からも性からも自由になっていったのはすごくいいことだと思うんですよ。でも、自由になってきたという気はするのですけれども、ただその分人開が抽象的になっていないかという気がすごくするんです。

自分の個別性を侵犯されないように生きていけるようになったのはいいけれども、その個別性というのも個性と呼ぶには恥ずかしいようなちょっとした差異だったりね、ダッチが好きか、イブ・サンローランが好きかみたいなブランドが違うぐらいの差異でしかないんじゃないか。

性から自由になったということが、「男である」「女である」という生々しい具体性を失ってしまって、漂白されたみたいな気がしてあまり楽天的になれないんです。 老人介護の現場でも、かかわり方までマニュアル化していくみたいな世界がある。

たとえばケアプランなんてそうですね。「○○さん、戸外散歩」と方針を決めると伝票が下りてきて散歩の仕方までマニュアルになっているのですよ。 80m行って体調を聞くとか(笑い)、全部書いてあるみたいな世界とどうも対応してるような気がするのです。
そういう解放感のない自由みたいなものをどうしたらいいのだろう?ということを芹沢さんにお聞きしてみたいと思いました。

芹沢俊介 芹沢俊介(せりざわしゅんすけ)
1942年生まれの気鋭の評論家。犯罪や風俗への批評や分析をとおして、現代社会の病巣をえぐり、「人間」の暗部を透視するスリリングな評論を書き続けている。「「オウム現象」の解読』(筑摩書房)「「イエスの方舟」論』(筑摩文庫)『子ども問題』『現代〈子ども〉暴力論』(新版、春秋社)「いじめ時代の子どもたちへ」(共著、新潮社)このほか著書多数。


●芹沢 個別性というのは本来は量的な差異ではなくて質的な差異として捉えるのが筋だと思うのですね。「数値化されたこれがあなたです」と表わされた自分と自分自身が感じている自分の差異が出てきて、数値化された「これがあなただ」という言われ方に対して強い抵抗感が出てきていると思うのです。

それは、子ども問題で言えば登校拒否の子どもたちです。登校拒否は飛躍的な増え方をしていて、もう登校拒否をマイナスの視点で見ることはむずかしくなっています。 登校拒否の子どもたちというのは、量的な差異のなかに押し込められる息苦しさに対して、NOだ!、イヤだ!ということを言おうとしているような気がするんですね。
本来の質的な差異が量的な差異にいつのまにか置き換えられてしまっている。目指すべきは質的な差異なんだということなのではないでしょうか。

●三好 質を量にしてしまうといえば、老人ケアの世界だとADL評価、教育なら偏差値ですよね。僕は、偏差値そのものにはそんなに批判的ではないのです。成績なんていうものはもともとおかしなもので、数学の点数と国語の点数と音楽の点数と体育の点数をたして平均値を出すなんて何の意味もないじゃないですか。

でもまあ何か成績というものをつけなくてはいけないから、しょうがなくてそういうものを全部一緒にして偏差値を出している。僕はある種の合理的なやり方だと思うのです。先生の主観が入ったり、エコひいきが入ったりするのに比べればはるかに客観的な基準でスッキリしていると思う。
だけど、他にもいっぱいものさしがあるうちのこれは1本ですよということも同時に言わなければいけないと思う。

三好春樹 三好春樹(みよしはるき)

老人ケアの世界でもたとえば、「宅老所よりあい」の下村恵美子さんたちの実践報告のように、個別の、自分がどう感じて、どういうドラマがあって…と、その物語をちゃんと語ることで聞いている人に感動を呼び起こすことができるのに、全部データにしたがる現実もあるわけです。
あるいはどういう介護をやったらいいのかマニュアルを示してくれ、と現場が求めてくるという側面がありますよね。 なんでヒトはそんなものを求めたがるんでしょうね?

【日常性から革命が起こっている】

●芹沢 一つはわれわれの社会が情報化されてきていると言いますかね、情報を抜きにしては社会が成り立っていかないというのが背景にあると思うのです。 いま三好さんの言われた偏差値も2つの方向で問題があると思います。点数がこうなっているということだけを言えばいいものを「だからおまえはここしか受けられないよ」と、それをベースにして指導されていっちゃう。

つまり指導の材料になることが問題の一つなんです。「どこを受験してもいいけれど、この点数だからそうとう気をつけないとあぶないよ」という言い方が正しいと思うのですが、そうじゃなくて「だからおまえはこっちはやめとけ」という指導の仕方になる。

あるいは、おれはとてもここは受からないからこのあたりにしておこうという自己規制として出てくる。そして、それがやがて学校間差別、偏差値差別みたいなものを生み出す。 もう一つの問題は、たとえば点数ばかりじゃということで「こころの教育」というのをやり始めたことです(笑い)。

ボランティアなどをやり始めるのですけれども、それも点数化されていくわけですよ。点数のなかに組み込まれていく。こころまで点数化されちゃう。学校の先生が主導してやっているとは思っていないのですよ。先ほどシステムと言いましたけれども、一方向に向かってある力が働いているわけですね。

これが権力なのですけれども、システムとしての権力が大きなところで左右しているのだと思います。 いま、偏差値をやめたら、今度は生徒も教員も不安になっちゃうでしょう。ほんとうは、その不安というのが大事な変化のきっかけになるはずなのですが、不安だから元へ戻せという流れが出てくる。

本来ならば質的な違いとして見えてくるものが全部量的な違いに変えられていく。量的な差異をある段階で差別化していく勣きがわれわれを含めて大衆を巻き込んで起きているような気がするんですよ。

●三好 老人介護の世界は、一人ひとりの関係ですから「質」の問題だと言われてQOLなどというコトバを医療の世界が使い始めたじゃないですか。すると、QOLを点数にするPTがいるのですよ。せっかく量じゃないよ、質だよと言っているのに「社会性を確保していると何点」とか言ってね。
いまの芹沢さんの話では、これは資本主義の必然だと言うのですけれども、資本主義をやめなくてはしょうがないのですかね。

●芹沢 このごろ不登校についてずっと考えています。うちも末の子が不登校になったのですが、学校をやめてものすごく元気になりました。 そういう現実を経験すると、子どもたちがシステムの外へ出始めた。システムに乗っていると、この道をまっすぐと黙々と歩いて行けばあそこへ到達するというのが分かるわけですね。それも数値として分かるわけですよね。

●三好 だいたい年収何百万のところへいけるとか…。

●芹沢 そう(笑い)。

●三好 不安もないけど希望もない。

●芹沢 希望もない。だから、すごく閉塞感があって息苦しい。学校へ行かなくなると、後は24時間は自分の時間ですからそれをどう使うかということから考え始めるわけですよ。とりあえず昼夜交代しようかとですね(笑い)。そういうステップを踏みながら自分なりのタイムスケジュールをつくり始めるのです。先行きの見えないことの良さというのか、自分で手にしたものしか確かなものはないのだという感覚を手にしていくのです。

不登校を見ていると、一つのきっかけ、家族自身がシステムのなかに組み込まれているあり方から変わっていくきっかけを登校拒否の子どもたちがつくっている。そういう意味ではとても革命的じゃないかという思いがしているのです。始まっているなと僕は感じるのです。

●三好 いろいろなところから革命が始まっている。日常的諸関係のなかから実は起っているということですか。

●芹沢 ええ、始まっている。

【幸福の条件と無条件】

●三好 私は、この歳でやっと子どもができていま3歳なのです。公園で、同世代の子どもと遊んでいたのですが、だんだん子どもがこなくなるのです。聞くと塾へ行っているという。日本語もしゃべれないくせに英語の塾に行くんですよ(笑い)。

教育環境が悪いからお父さんだけ残して自分たちはどこかへ移るという人までいるのです。夫婦仲良くしているのが一番いいじゃないか、子どもは遊ばせておけばいいじゃないかというのが僕らの常識なんだけれども、そういう常識がなくなっているんですね。

僕は、老人介護でも「専門性より常識、専門性と常識が対立した時はもう躊躇なく常識につけ」と言います。専門性は5年で変わる。10年で残っているものはほとんどない(笑い)。常識は、長い間の歴史で残ってきたのだから絶対確かだと言ってきたのだけれども、常識が残っていないとしたら、後はマニュアルしか頼るものはないなという、敗北感みたいなものを子どもを見てて思いましたね。

三井ひろみ 三井ひろみ(みついひろみ)
1961年、宮城県生まれ。明治学院大学フランス文学科卒業後、文芸出版作品社に勤務。出産とともにフリー編集者。1994年、作家向井承子さんと出会い臓器移植問題を考え始め、現在は医療、いのち、こどものテーマに取り組む。




●司会(三井)むかしはお父さんが心臓発作で倒れたりすると、一家の大黒柱を失って家庭がガタガタッと崩れることがありました。いまはお父さんが倒れても保険があるから大丈夫とか、お父さんが単身赴任してもお母さんがいるから家庭の平和は維持できるとか、家庭の幸福の条件がむかしみたいなかたちでは崩れることがない。

そのことと子どもたちの無気力や家庭内暴力は関係があるのでしょうか? 老人は、暴力というかたちでは表面化しないで無気力・消極的な自殺になって病院へと、つまり家庭の外側に出ていっている。家庭の幸福の条件、幸福の価値観のもち方って何なのでしょうか?

●三好 私は、20数年前から老人介護の現場にいるですが、当時の老人は明治生まればかりでした。明治の人は強いと言いますがあれは嘘、すごい人ばかりが生き残っているからすごく見えただけで、まあほんとうにすごかったです。荒れる人は、明治の老人が消失すると共にいなくなりました。

最近の老人は自分自身との関係を失っているという気がしますね。むかしは怒る自分がいましたよ。自分は悪くない、周りが悪いと怒っている自分がいたのだけれども、いまは自分に自信を失っていて自分との関係を喪失して目がトロンとしてきてボケに至るというケースが膨大に増えてきましたね。

時代の価値観みたいなものとすごく関係があるという気がしますね。大正生まれの人は、戦後の価値観の転換をなんとか受け入れてきた人たちですね。子どもが親をみるのは当り前と思っていたのが裏切られたというので明治の人はワアーと怒ったのですけれども、大正以降の人は怒る対象がないのですね。

自分も個人主義でやってきたから怒りようがなくて、自閉してボケているというんじゃないかなという気がちょっとしているのです。 外に向かうべき暴力が老人の場合は内側、自分の側に向いている気がしてならない。だから子どもがまだ暴力を振るっているというのはまだそこに主体があるという感じがするのですけれども。

●芹沢 1960年代の後半から1970年代の前半にかけて教育家族と呼ばれる家族像が一般化したんですね。教育家族とは、一言で言えば子どもに高学歴を授けたいということが家族の唯一のテーマになった家族のあり方を言います。そうすると、現在の家庭をひっくるめてほとんどが教育家族なんですが、その条件は少しづつ変わってきています。

1980年に金属バット殺人事件がありました。彼が金属バットを振るった時点の良い子の条件は従順であること、成績が良いこと、良い学校に入ることだったのです。ところがこの間、東大出のお父さんが息子さんを金属バットで殺すという事件がありましたが(1996年11月)、この時点になると良い子の条件が変わってきているのです。

良い成績、良い学校というのはなくなって、登校と、従順さと、進学が良い子の3点セットなんです。 これだけ膨大に不登校が増えてきた現実のなかで、良い子そのものの期待が裏切られていく。 1960年代末から1970年代前半にかけて出現した教育家族が終わろうとしているのです。
つまり、わが子に高学歴を授けたいという発想は、内側から崩れる可能性をもうもっているのですね。

●司会(三井)良い老人の条件というのはあったのかしら?(笑い)。かつての家族は老人を邪魔にしながらも受け入れていたけれども、いまは受け入れるスペースが住居的にも精神的にもない。子どもと同じで、はじき出しているような気がする。そのあたりはどうなのでしょうか?

●三好 僕は最初から特別養護老人ホームという、世の中から見れば、吹き溜まり、人生の果て、うば捨て山みたいな世界にポツと入ったのですよ。そこで自分がやっている排泄ケア、入浴ケアの意味を単に社会の厄介者、家族が大変だから代わりにみてあげていますという消極的な位置づけではなくて、何か意味があるのだと思おうと思ったら条件がつけられないわけですよ。

もう、すごいじいさん、ばあさんがいるわけですから。僕は、老人というものは人間が完成していて、介助してもらったら手を合わせて「ありがとうございます」とか言って、お経を読んでいると思っていたのですよ(笑い)。エライ違いですからね。個性が煮つまっていくという世界ですよね(笑い)。もういるだけでいいという世界です。子どもにも、そういう「いるだけいい」という考えが必要だろうと思うのです。

●司会(三井)そうですね。どうですか、芹沢さん?「子ども論」のなかに、子どもって何だというと、つまり口をふさいで目の前にいる子を指差せばそれは子どもだっていうのが一つありますね。

●芹沢 子どもって何だと問われたときに、コトバとして答えるのは大変ですから、とりあえず口をつぐんで、ウロチョロしている子どもを指さして「あれが子どもだ」と言うのが一つの答えだと思うのです。 誰もがそこを通ったという意味で子どもというものを捉える視点が、一つあったなという感じがしています。

僕は「イノセンス」というコトバを与えているのです。どういうことかと言うと、つまり子どもというものは自分の生命、身体、性、家族、親から遺伝子まで全部ひっくるめて自己選択の余地がないのです。すべてのものを強制的に贈与されちゃったという、子どもの側からすれば全部が受動性だということです。

【存在そのもののもつ暴力性】

●芹沢 それは老いに対しても言えると思うのです。僕らは老いを望んでいるか。まあ望んでいる人もいるかもしれませんが、身体が不自由になっていくとか、痴呆になっていくとか、少しずつ記憶が虫喰い始めてということを僕は望んでいないと思うのです。

本人が希望する、希望しないにかかわらずやってくるものですから、老いもまた受動性であって、子どもと同じに老いもイノセンス、根源的な受動性というコトバで捉えることができるという気がするのです。ただ子どもは少しずつ根源的な受動性の段階を離れていきます。

あたかも自分が選んだかのように自分の身体や性や親やさまざまな与えられたものを引き受けていくということができるようになっていくわけですが、老いはそうではなくて自分自身を限りなく引き受けられなくなっていく。つまりどんどん受動性を深めていくのが老いの姿だと思えるのです。

●三好 子どもというのは純粋・無垢で、それがだんだん社会に交わっていくうちに悪くなるというのではなくて、もともと人間は暴力を内在しているということですか。

●芹沢 イノセンスという考え方は無垢という面ともう一つ、子どもは遺伝子から全部決められて書き込まれてきちゃいますから全くの無垢ではありえないわけです。無垢じゃないけれども、自分で選んでいないという意味ではやっぱり無垢なのだという捉え方を僕はしています。
だから子どもは無垢だと言われるとそうだと言いますし、子どもは無垢じゃないと言われてもそうだと僕は答えるのです。

●三好 そうか。僕らは老いとか障害は向こうから不可避的にやってくるものだという言い方をしてきたのですが、人間そのものが向こうからやってきたのですね。

●芹沢 はい。

●三好 それは暴力性を孕まざるえない。

●芹沢 はい。

●三好 それじゃあ、老人が荒れるのは当り前なんだ。

●芹沢 そう思います。最初は暴力で始まるみたいなことはあると思うのです。暴力というのは殴りかかるとかいった意味ではなくて、存在そのものが暴力的であるわけです。

●三好 親なんてそうですよね。それは実感としてよく分かる。

●芹沢 お互いがお互いを暴力だと見なす関係性というのは諸発の段階としてはものすごくノーマルだけれども、じゃあそのままでいいのかというとそうではないと思うのです。 どこかで折り合う地点を探し出していく。そういうことを少しずつ積み重ねることで、尊重すべき1個の他者として見ることができるようになる。それができれば良いかなと思うのですけれども。

●三好 いまのお話、他者との関係というよりも自分自身との関係というところに引きつけて聞いていました。こういう自分、こういう身体でこういう顔で、親の財産がこのくらいの家に生まれてという自分が現としている。思春期の頃、それを受け入れるのに、僕はかなり危うい橋をわたったという気がするのです。
男の子って大変だと思いません?女の子の方がサッーと自然に通っているような気がするのです。

●芹沢 女性は女性で危うい場所を通っていますよ。

  講演会場

●司会(三井)自分の身体の変化のときが一番危うかったですね。どういう家に生まれたとか、階級がどうのとかいう以前に母親の生き方と自分を重ね合わせたときに同じ女としての性(さが)つていうのかな?性的なことを否定したり、潔癖症になったり、または離人症の回復過程期みたいにいろんな人と関係を結ぶとか、そういう危うさを女の子は自分の身体で接して通っていくと思うのです。

●三好 女性は肉体のほうが先に反応しちゃうんだ。精神の問題を肉体で乗り切っていくという感じですね(爆笑)。

●芹沢 拒食・過食っていう問題はそうだと思う。

●三好 思春期の自分の引き受け方が、年をとった時にもう一回問われるという気が僕はものすごくするのです。向こうからやってきた老いに対してどうやって自分があきらめて引き受けていくのか、思春期にやったことを再生産しているような気がしているのです。

【「あきらめるよりないですよ」】

●芹沢 僕は整形というのにとても関心があって、一時期よく考えていたのですけれども(笑い)。たとえば、いま整形することに対して若い人たちはなんでもないですよね。 家庭内暴力の子どもたちは、自分の身体を受け入れられないんです。顔とか身長とか自分のあらゆるところに関心が向いている。

いまは美容整形もスンナリとできるわけで、ちょっと顔の部分をいじったりする、その程度で自分の身体とか顔を受け入れていくことができるんですね。それで何とかなっちゃうのだったらそれも悪くはないのではないか。赤塚不二夫の『天才バカボン』にものすごくいじわるな看護婦さんが出てくるのですが、整形するとすごく優しくなる(笑い)。

だけど、老いに関してはどうなんでしょうか。三好さんの言われる生活障害とか関係障害がもたらしたものだったらそれを外せば解決するかもしれないけれど、老いは自らの障害を押し進めていくという側面ももっていますね。その暴力性に対してはどうしていったらいいのかなとやはり思うのです。

その暴力性はどこから来るかははっきりしていて、誕生と同じところですよね。裏返せば、死の方から来るわけですけれども、その暴力性に対してどうやって逃れようか、どうやったらなるべくそこへ近づかないですむだろうかみたなことを考えている自分に気づくわけです。逃げたい。

●三好 リハビリの世界には「障害受容論」というものがあります。障害をどう受容していくか。最初はショック期、それから否認期、混乱期、それから受容期。最後に受容することによって価値観の変換が起きるというのです。つまり足を失ったことぐらいで自分の価値がなくなるわけではない、という新しい人間的な価値観に目覚める過程を障害受容論と言いまして、この障害受容過程を促進しなければいけないと言うのです。

だけどね、障害を負った人だけがより新しい人間的な価値観にめざめなければいけないというのはおかしな話でしょう。 僕は最初は障害受容論っておもしろいなと思ったのですが実体は全然違います。実際はあきらめるのです。「障害受容過程」なんてそんな美しいものではないです。あきらめなきゃいけないですよ、芹沢さん(笑い)。

  講演会場

●芹沢 自分は年をとらないんじゃないか、死なないんじゃないかと思う時ってあったんですね。でもある時そうじゃないということに気がついて愕然とするということがありました。でも、あきらめるかというとそうじゃないですね。そこまで自分のなかで捨て切っていないんです。もしそういう段階があるとすると何回も繰り返すだろうなという感じだったんです。

●三好 可逆的過程ですね。しょっちゅう戻るのです。ただ、固い人は老いに弱いと思います。狭い人間観をもっている人はキツイと思います。 村上セツというおばあさんがいました。いつも和歌をつくっているインテリでした。ストレッチャーに乗って風呂に行く老人を見て「あんなにだけはなりとうない」と言い続けていた人でした。

膝が痛くなってふつうの風呂に入れなくなりましたが、誰もストレッチャーで特殊浴槽に行こうとは言えないのです。私が「良くなればふつうのお風呂に入れると思うけれどもまだ膝が痛いから、あの風呂で我慢してくれませんか」と言うと、「いいよ」とスッと入るのです。

しかも、帰りには歌を歌いながら「こんないい風呂に初めて入った」と帰ってくるのです。たいしたものだなと思いました。それまでは自分を叱咤激励するつもりであんな風呂には入りたくないと言っていたのです。ところが状況が変わった、自分が歩けないとなったとたんそれをちゃんと受け入れましたね。受け入れたどころかこっちが気にしているのを知っていて気をつかってそういう言い方をしてくれたのです。

向こうからやってきた老いや障害とかに応じて、別の自分がパッと出現するような、変化しうる自分がいて、いまはこの若さがあってこういう状況で家族もいて、だから自分はこういう生活習慣でやっているけれども、状況が変わればまた形を変えますよみたいな可遡性がポイントだと僕は思うのです。自分というものの広さと柔らかさみたいなものでなんとか乗り切っていけないかなと思います。

【「何かをしない」という関わり方】

●司会(三井)子どもの問題、老人の問題、それから彼らを社会の突出者として暴力と感じている中間層だってかなりユラユラしていますよね。人と人との関係性、そういうところはいかがでしょうか。

●芹沢 僕はいま何かするということのなかに「何かをしない」ということを組み入れていかないといけない時期にきていると思うのです。つまりほっとけよ、ほっといたほうがいいんだ、という観点がどこかにないとすごくおっかないのですよ。

世の中が倫理、死生観をひっくるめて根本的な動揺期に入っていて、ことによったらわれわれが資本主義と考えていた時代が終わるかも知れないのです。一つの例として不登校の問題を出しましたけれども、たとえば、登校拒否の対策というのは、これまではなんとか学校へやらなくてはならないという考え方でやってきました。

でも、その子は家のなかでは自由にしていたのに、両親と話もできていたのに、登校させようと思って働きかけを始めると閉じこもって、家庭内暴力が起ってというふうになるわけです。これは対処をしたことによって悪くなったということなのですね。

三好さんのチューブを外しちゃえ、オムツを外しちゃえも同じだと思うのです。近代医療の専門家は問題を見つけて対処をしたわけですね。だけど、対処したことがさらに悪い状況をつくりだしている現状があらゆる場面で見えてきている。
地殻変動のなかで起きていることだから、既成の対処じゃ対応できなくなってきているのです。やみくもに対処していくというやり方は基本的にダメだと思うのです。

●三好「こころの教育」なんてまさしくそうですね。いま必要なのは「こころの教育」ではなくて教育の自己限定だと思うのです。むしろ手をひくことではないのか。教育のやるべき領域をもっと狭くするということを自らやることではないか。これは医療もいっしょです。

どうも私は子どもから老人介護の世界に至るまで無意識の世界がなくなっているというのかな、無意識が荒れている、そのツケがドンドン出てきているような気がしています。近代は、すべてのものに光をあてていきました。病気が治るようになったということもそういうことですね。

たいへんけっこうなことなんだけれども光が強烈な分、影も強いのです。光に眩惑されているものですから、僕らは暗いところが見えなくなっている気がしています。老いとか障害を見ないように見ないようにしてきた。もう光はいいのではないか。むしろ僕らの目を暗順応させていく。

暗いところに入ったら、最初は見えないけれどもその暗さに馴れるとだんだん見えるようになる、そういう目に僕らの目を変えていかなくてはいけないのではないか、という気がしています。 私は14歳の頃に『罪と罰』を読み、主人公のラスコーリニコフにすごく共感したのですが、象徴的に言うとラスコーリニコフにとってのソーニャが世の中から消えているような気がすごくするんです。

そういう意味では、老人介護の世界というのはソーニャがいっぱいいるおもしろい世界だという気がします。ソーニャが天使ではなく娼婦であったみたいに、俗っぽい天使みたいなのが、人間くさい天使がいっぱいいる世界だなという気がしています。


1997.11月 「評価法」に老人を閉じこめるな

拝復
Aさん。『生活障害論』のさっそくの感想、ありがとうございました。『関係障害論』に続いての刊行のため、私の健康への気遣いまでいただき恐縮です。 でも、6月には土日の生活リハ講座以外は仕事を入れない態勢を組みましたし、10年以上もしゃべり続けてきた内容でもあり、夜9時にはベッドに入るという日常生活を変えることなく原稿を書き終えました。

          ◇

『生活障害論』の前半の生活評価法で私が訴えたかったことは、Aさんに「徹底した個別性」と評価していただいたことに尽きます。各項目の評価を自由な記述式にしようという提案も、一人ひとりの生活の個別性を、評価する私たちの側の貧しい生活観のなかに閉じこめてしまわないためなのです。

多くの「生活評価法」が提案されていますが、そのほとんどが項目の数をどんどん増やし、その項目ごとに、どこかに○印をつけるという形式です。たとえば、本のなかで私が批判しているように、本来ADLの項目ではない「移動」が項目として登場します。そして、独歩、杖歩行、歩行器、車イスなどのどれか1つに○印をつけろ、というのです。

しかし、考えてもみればいいのです。ほんの少しでも在宅老人に関わったことのある人なら気がつかないはずがありません。私たちが関わらねばならないようなケ-スほど、こうした選択肢のどれにも当てはまらないということを。 たとえば、「いざり動作」なんてのが移動の項目の選択肢に入っていたのを見たことがありません。「四つ這い」も「膝歩き」もです。どこにも○をつけられないのです。

ところが、これまた私が批判していることですが、多くの評価法がそれを数量化することを目的にしているため、どこかに○をつけないと困ってしまうのだそうです。そこで彼らは無理やり、「いざり動作」を「車イス」に“匹敵”させてしまうというのです。おいおい、これじゃ“でっちあげ”じゃないの。

          ◇

やらねばならないのは逆のことです。どんなによくできた評価法であろうと、あるがままの老人の個別の生活を表現するために、評価法そのものを変えてしまえばいいのです。 食事、排泄、入浴という共通したADL項目に、その人だけにとって大切なものを“項目化”してしまおうという、「個別項目」なる空欄もそのひとつです。

さらに、月1回の入浴サービスという生活実態を、「全介助で行っている」ではなくて、「行っていない」の上に勝手に“月1回しか”と書き加えて○をする、なんてのもその一例です。

          ◇

それにしても、生活を評価するための評価法なのに、その評価法そのものが目的化され、かえってあるがままの生活が見えなくなるという倒錯はどうして起こるのでしょうか。 また、とうてい数字という一本の価値観に還元できるはずのない生々しい生活を、数量化せねばならぬと考える人がこんなに多いのはどういうことなんでしょうか。

人は、たとえば、立体を多方面から認知することの困難さから逃れるために、無理やり平面にしてみたり、さらには線分にまで倭小化して安心したいのでしょうか。だとすれば、数え切れないほどの「評価法」は、そうした私たちのどうにもダメな部分にお墨付きを与えるために生まれてきているとさえ思えてきます。

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ですから、この本のなかで提案した私の「ADL評価法」(無断複製歓迎)も、その形よりは、なぜその形なのかという根拠の方をこそ伝えたいのです。さらに、その形を個別の老いの生活の側が突き崩していく回路をこそつくりたいと思っているのです。

したがって、『生活障害論』の後半部分の、食事、排泄、入浴についての介護法の提起もまた、その方法論そのものよりは、なぜそうなのかを伝えたいと思っています。「評価法」と「生活実態」との関係は、「方法論」と「現場実践」にもそのまま当てはまるからです。

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さて、本のなかに出てくる“福田和子”は、出版の1ヵ月前に、時の人となりましたが、果たして何年後まで人々の記憶に残っているでしょうか。何しろこの本は、10年や15年は売れ続けるだろうとおこがましくも自負しているので、その点だけが心配です。

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私ぱいつまでも若々しくなんて思っていませんので、ちゃんと「年相応」に生活しています。どうか身体の心配はなさらぬよう。それよりも、老人のニーズに突き動かされるようにエネルギッシュに動きまわっておられるAさんこそどうかご自愛くださいますよう。
          1997年秋、十勝にて        敬具


1997.10月 つくづく老人は強いと思った ~車イス阿波踊り参加記~

私ぱ“雨男”らしい。かつて、月に一度、訪問活動に伺っていた広島県沼隈町でも、その日はだいたい雨。でなければ、記録的寒さの日だったりして訪問活動を終えて福祉会館にたどり着くや、トイレに駆け込むなんてことが多かった。

北海道や九州で初めてセミナーを開催したときも、天変地異に見舞われるといった具合である。 徳島のケア付き阿波踊り「寝たきりになら連」も、これまでの4回のうち私が参加した2回が大雨。特に昨年は台風の真っただ中、雨のなかを車イスで行進し、その直後に大会自体が中止になったほどである。

それにもこりず、「今年も行きたい」と言いだしたのが、大阪市生野区在住の地木さん、89歳。それならということで、今年も「なにわ老人ケア研」のスタッフが大阪港からのツアーを組むことになった。車イスの老人4人を含む総勢11人のツアーである。

大阪港に見送りに来られた地木さんの娘さんは「去年より元気ですから今年はもっと踊れると思いますよ」とおっしゃる。う~ん、89歳になって“去年より元気”か…。しかし、私がもし家族だったら、これはどの状態の人を見も知らぬボランティアに託す勇気があるだろうか。

同じ生野区からは、84歳の石橋さんという女性も参加。こちらは訪問看護婦さん同行だが、もし私が担当だったらこのおばあさんを阿波踊りに誘う勇気があるだろうか。 あとの2人は、尼崎の特養ホーム園田苑からの樋口さん(86歳、女性)鶴田さん(76歳、男性)。う~む、私が施設長だったら、よりによってこの2人を徳島まで1泊2日の旅に出す勇気があるだろうか。

なにしろ、ハードな日程である。午前10時に大阪港を出港し昼に徳島着。実行委の人たちの迎えの車に分乗して、四国電力が提供してくれている“よんでんプラザ”で昼食、阿波踊りの受付を済ませ、ボランティアに手伝ってもらって着替え。全国からの参加者が集まって簡単に自己紹介した後、踊りの練習。さらに「新のんき連」の踊りを見学。
軽く腹ごしらえをして、いよいよ市役所前の演舞場へ。車イス43台、総勢150人近い“寝たきりになら連”は、見物客の拍手を浴びてさらに次の会場へ……! 夜の8時半から着替え、宿舎に着いて入浴。夕食は10時過ぎから始まり、舞台でまたひと踊り(!)して、日程終了は11時半である。

私は4人の老人たちが気になってしょうがないのだが、彼らはいたって元気である。そういえば、昼食・軽食・そして宴会のときも4人ともよく食べていた。これくらいでないと長生きできないよなあ。 そういえば、最初に参加したとき、雨のなかボランティアがバタバタ倒れた。ひどい下痢なのだ。昨夜食べたものの何かにあたったらしい。

“正露丸”を回し飲みして本番をもちこたえたのだが、同じものを食べたはずの車イスの老人たちはなんともないのである。いや、恐れ入った。 世間にはこうした老人たちを、患者だとか弱者だとかいって安静を強要したり、ただ自分の博愛主義の対象にしてしまう人たちがいっぱいいるが、一度でもこの“車イス阿波踊り”に出てくればそんな老人観は吹き飛んでしまうにちがいない。

今回は、遠路東京から15人、鹿児島からも4人参加した。もっと全国の大勢の人に体験してもらいたいと思うのだが、受け入れ体制にも限界がある。なにしろ一度来た人が“常連”になってしまうのだから。 今年の阿波踊り大会実行委員長の石川富士郎先生の言語機能の大幅な回復に驚かされたのも大きな喜びだった。

雨がほんの小雨だったことも。 来年こそは!と思う人は、早めに現地にお申込みを。
★「ねたきりになら連」事務局
徳島県阿南市新野町西馬場3-3
富士医院 事務長、久米秀昭さんへ
0884-36-2024

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「三好さんは外国に行かない主義じゃなかったんですか?」と何回か尋ねられた。 10月のカナダ・アメリカツアーのちらしを見た人からである。私は、北欧のような恵まれたところを見なきゃいけないのは政治家だと思っている。現場の人間は恵まれたところを見てもしかたがない。むしろシビアな条件のもとで、それでもこんなにやっているというところを見ればすぐに役立つではないか。

というわけで、日本国内のツアーばかりを呼びかけてきた。今回はクリスチャンが自発的にグループホームをつくり、そこに州政府から補助金をつけさせているという実践を見にゆく。それなら“民間デイ”と同じ発想でないか、というわけだ。 金と時間のある人はご一緒に。もちろん、東京と札幌発の「誠和園・よりあいツアー」もよろしく。


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