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介護夜汰話
変えられないものを受け入れる心の静けさを  変えられるものを変えていく勇気を
そしてこの2つを見分ける賢さを

「投降のススメ」
経済優先、いじめ蔓延の日本社会よ / 君たちは包囲されている / 悪業非道を悔いて投降する者は /  経済よりいのち、弱者最優先の / 介護の現場に集合せよ
 (三好春樹)

「武漢日記」より
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」
 (方方)

 介護夜汰話



List

認知症老人のコミュニケーション覚え書き その④介護の世界のストーカー
この映画を是非見てほしい
認知症老人のコミュニケーション覚え書き その③介護現場での「傾聴」の限界
認知症老人のコミュニケーション覚え書き その②「声かけ」が過剰ではないか
ヤクザの縄張り争いにはウンザリ! イマジンでも聞くことにしよう
認知症老人のコミュニケーション覚え書き その①「声かけ」のしかた?
介護夜汰話 パラレルワールド
介護夜汰話 いつまで「新しい介護」なの?
介護夜汰話 人気投票を始めます ~『最後の椅子』齋藤恵美子著~
介護夜汰話 「御利用者様」の気味悪さ
介護夜汰話 もっと自虐を ~レヴィ・ストロース追悼に代えて~
介護のコトバ
介護夜汰話 生活か、医療か ~療育員からの質問に答えて~
「なるほど納得介護」の最後の収録

2010
2010年12月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
        その④介護の世界のストーカー
突然だが、私には“ストーカー”と呼ばれる人たちの気持ちがわかるような気がする。相手から拒否されても「本当は自分のことが好きなのに違いない」と思い込んで、嫌がられようがつきまとって求愛を続ける、というのが“ストーカー”である。

なぜわかるかというと、そうした状態はある種、楽な精神状態だと思うからだ。なぜなら彼や彼女たちは、他人によって自分が相対化されるということを拒否しているのだと思う。
これは楽だろう。外の世界、つまり自分が好きな相手がどう思っていようと、自分の精神の内側だけで世界をつくりあげているのだから。そうすれば現実から傷つけられることはない。

相手は自分を好きなはずだ、好きになるはずだという強い思い込みをもっていて、それを相対化しようとしない人が、その相手はもちろん、社会に迷惑をかけることになるのは当然だろう。
介護の世界にもそんな勝手な思い込みの老人観をもっている人は少なくない。「声かけ」が大切だと訴えたり、したがる人に多い「誰からも声もかけられないさみしい人たち」という老人観。「傾聴」をしたがる人に多い「誰からも話を聞いてもらえないさみしい人たち」という老人観など。

こうした一方的で画一的な老人観をもった人は、ボランティアや「老人問題」を語りたがる「市民」に多い。語りたがるのは「老人問題」であって「老人介護」についてではない。
一般の人たちの老人観が一方的で画一的だから、ボランティアや「市民」はそれを反映しているのだ。

かつて私はこう書いた。
老人ホームには、ときどき“慰問”がある。入所者は、かわいそうな、慰めるべき存在だということである。(中略)この慰問を喜ぶ老人がいる。岡田マサさんは一番前の席に陣取って、さかんに拍手を送っている。踊りが終わると同好会のメンバーの手を取って「ありがとうございます。よかった、よかった」と涙を流さんばかりの喜びようである。ところが衣装を着替え化粧を落として帰路につく慰問団を、ホームの玄関まで出てきて手を振って見送ったあとでこういうのだ。「ありゃへただったね」。私は驚いて「あんた、あんなに喜んどったじゃないの」というと、「せっかくきてくれたんだから」。
(「老人介護じいさん、ばあさんの愛しかた」新潮文庫)

さすがに介護職員にはこんな老人像をもっている人はほとんどいない。もちろん就職したときには一般の人の老人像と変わらない。でも現場に数日いるだけでその老人像は打ち砕かれる。林田マサのように、世界を渡る術を身につけている。老人には、やさしさもあればずるさもある。目の前の老人によって自分の老人像が相対化されるのだ。何しろ毎日、生活中の老人に関わっているのだ。相対化されるほかないではないか。

しかし、老人が自分の一側面しか見せない場にしかいない人にはそうした機会が少ない。ときどき介護現場にやってくるボランティアもそうだ。さらに、老人が“患者”としての一側面しか見せにやってこない医療現場も相対化されることは少ないだろう。だから医師や看護師は、たとえ介護現場で仕事をしていても、“患者”という治療の対象者としての老人像からなかなか離れられない。おそらく、自分自身の老人像の中で自己完結した世界にいれば楽なんだろう。ストーカーみたいに。

いくら介護現場で老人に直接関わっていたとしても、ストーカー的精神構造から解放されない人もいる。「人権」とか「ヒューマニズム」なんていう理念の側から老人を見ている人たちにそういうタイプが多い。これも私は文章にしたことがある。

私は『生活リハビリ講座』というセミナーを開催して飯を食っているのだが、その講座に熱心に通っていた当時三十代の女性、Aさんは、講座の終了した会場でももちろん、酒場でも熱心に老人介護の話を続ける人だった。(中略)そのときは、熱心な人だな、という印象であった。だが、私の講座は当時毎月一回開催されていたので、一カ月ごとに受講者とお会いし、何人かと一杯やるのだが、そのうち彼女の話にグチが入るようになった。自分がこんなに熱心にやっているのに相手が認めてくれない、というのだ。

老人の立場に立って仕事をしているのに、管理職や同僚が認めてくれない、というグチはたくさん聞かされてきた。だが、老人が認めてくれない、というグチは珍しい。私は思った。この人は、口では老人が好きだといっているけれど、ほんとうは、老人を介護している自分が好きなだけではないだろうか、と。はたしてさらに一カ月後、彼女は「うちの施設の老人には感謝の心がありません」と言い始めた。

私たちはシラけ、誰も彼女と話そうとはしなくなった。彼女がイメージしている施設の老人とは、不幸な弱者なのである。そんな人に対して自分は真心と熱意で休みの日まで使って尽くしている。そんな自分ってステキ!(若い人ならここにハートのマークでも入れるところだ)??そう思っていたいのだが、現実の老人は“不幸”でも“弱者”でもない。そうだとしても、それは一面でしかない。(中略)そんな老人たちに“感謝の心”を期待しているような人は、三日は続くが半年ももたない。

実際に彼女は四カ月目に施設を辞め、その後、私の講座にも出てこなくなった。風の便りによれば、マザー・テレサの跡をつぐといってインドへ旅立ったとのことである。私には、彼女はもっと“不幸な”人を探しにいったのだろうと思えるのだ。岡田マサみたいに文句や注文をつけたりせず、ましてや、介護する側を憐(あわ)れんだりしない、もっと不幸な人を。そこでは“介護するステキな自分”像は壊されることはないし、彼女の老人像、人間像は無事なままなのだから。(「老人介護じいさん、ばあさんの愛しかた」新潮文庫)

じつはこの文章、京都府教育委員会が発刊した「人権学習資料集 高等学校編」に収録されたのである。マザー・テレサのところを除いてだが。私は「人権」なんて抽象的外来語で語ることに皮肉ばかり言っているのだが、それをおもしろがる関係者もいるのである。
結論。ストーカーにはコミュニケーションは無理だ。

2010年12月  この映画を是非見てほしい

2010年最後の仕事を終えました。
年末年始、この映画を是非見てほしい。前作「ただいま~それぞれの居場所」はヒットして全国で上映されたが、「9月11日」は、そんな大衆性がある作品ではないので、自主上映以外は今後各地で上映される可能性は低いと思う。

でぜひこの年末年始に上京する機会を作ってでも見てほしい。 その際、パンフレットをぜひ購入してほしい。1500円と少し高いが、おすすめだ。というのも「9・11広島介護バカの集い」の7人の全発言が収録されているのだ。

これが実に面白い。話しコトバそのまま(例えばヒロシマ弁も)なので雰囲気や口調まで伝わってくる。もちろん映画を見てから読めば臨場感まで感じられる。 このパンフ、上映館でしか売れないのだという。私は20部くらい買っとこうと思う。

白黒の表紙は、ロック界最高のアルバムの表紙と私が思っている RollingStones の「out of our heads」を思い起こさせる。

みんないい顔してるなぁ。ひょっとして優秀な奴ばかり介護界に集まっとるんと違うか!?いや、優秀な奴はいっぱいいても、日本の企業や役場の中でダメにされてるんだろう。
介護こそ残り少ない才能を生かす解放区なのかもしれない。

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ドキュメンタリー映画 【9月11日】
Love & Pease & Care2010 in ヒロシマ~介護バカの集い~
2010 in ヒロシマ~介護バカの集い
自ら理想とする介護を実現しようと、若者たちが立ち上げた7つの施設・事業所の日常と、彼らが主催・出演したイベント「Love & Pease & Care2010 in ヒロシマ~介護バカの集い~」を記録したドキュメンタリー。
2010年12月18日(土)より、東京:ポレポレ東中野にて


2010年9月11日、広島・・・20世紀と21世紀の歴史を象徴する場所と日付に、自らを”介護バカ”と呼ぶ若者たちが集まった。介護だけにとどまらず、歴史、文化、哲学と縦横無尽に繰り広げられるトークセッション。

人が老い、死ぬということと、日々向き合い続けている彼らが紡ぐ言葉は、新しい生き方、新しい価値観の創造を予感させる.そして、それを実践し、表現する彼らの日常・・・。

監督は、「ただいま それぞれの居場所」で、介護現場のいまと希望を描き、本年度文化庁映画賞「文化記録映画大賞」を受賞した大宮浩一。前作から、間髪を入れずに制作・公開される映画「9月11日」には、21世紀初頭の、現在進行形の”静かな革命”が、なまなましく息づいている。

映画に出演している若い介護職は、”アンダーグランドケア”というコトバを創り出した。「介護という仕事をしてるだけで反体制なんですよ」と言うのだ。永遠に進歩、発展することを至上とするこの世の中で、死に至る老いに関わる介護者たちは、たしかに価値観の破壊者であろう。

政治的テロや革命は新たな抑圧をもたらすだけだが、この映画の介護者たちは、誰もが息苦しいこの世界に風穴をあけているのだ。21010年9月11日ヒロシマから静かな合法的テロが始まった。

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12月26日、東中野のポレポレに行ってきた。上映後のトークのためだ。会場はほぼ満員。ただ、あまりに急な上映決定だったので平日はイマイチだそうだ。

トークの後、大宮監督と2人でパンフレットへのサインをした。パンプレットを買っていく人が多い。映画を見たら3時間のトークを知りたくなるだろうと思う。さらに「感激しました」と言っていく人が続出。私は私だけが面白がってるのかと思っていたがそうではないらしいと判って安心した。

会場には、出演者7人うちの1人、茨城県の高橋知宏さんも来ていて、みんなの拍手を浴びた。パンフレットには7人それぞれの文章ものっていて(個性的!)、彼は「米を送ってくれ」と書いたら、ほんとに送ってくれた人がいたと感激していた。

このパンフレットには私の書いた「新しい世界」という文も載っている。目を通してほしい。このパンフ、上映館でしか売れないらしいのでぜひ映画館へ。


2010年11月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
        その③介護現場での「傾聴」の限界
「コミュニケーション」と名づけられたセミナーには人がよく集まる、と9月号に書いた。じつは「傾聴」をテーマにすると女性や中高年がたくさん来るのだという。そういえば、公民館や福祉セミナーで「傾聴ボランティア養成講座」なんてチラシをよく目にする。
「傾聴」はケースワークの面接技法の一つである。相手の話に疑問を呈したり、自分の考えを言ったりしないで、聞き役に徹するというもの。「受容の原則」の具体的方法の一つと考えてもいい。

ある特養ホームの話である。地元の社会福祉協議会のボランティアグループから「傾聴ボランティアをしたい」と申し出があったという。生活相談員は、「傾聴」が何であるかぐらいは知っていたが、それを必要とする老人は思い浮かばなかった。でも、地域の人が施設に来てくれるだけでもいいことだと考え、迷ったあげく、家族の面会がほとんどなくて訴えの多い入居者(84歳・女性)の話を聞いてもらうことにした。

子どもに手がかからなくなったのでボランティアを志望したという女性が週に1回やってきた。最初は面会室で2人きりだったが、入居者の女性が面会室を嫌がったため、2回目以降は談話室の片隅やベッドに寝転んだままの「傾聴」となった。

ひと月半経過した日のことである。「傾聴」が終わって、入居者はボランティアに機嫌よく手を振り、姿が見えなくなると、大きくため息をついてこう言ったという。
「あの人が来るとしゃべらんといかんから疲れる」。
笑い話みたいだが、ホントの話である。先日、「第2宅老所よりあい」の村瀬孝生さんも同じような経験を講演でしゃべっていたから、どこにでもある話なのだと思う。

私は真面目なボランティアを批判したり、意味がないと言うつもりはない。ただちょっと、皮肉を言ってみたいだけだ。
何に対する皮肉かというと、彼らの老人観に対してである。9月号でとりあげた、老人に「声かけ」が必要だと思い込んでいる介護職は、老人を「誰からも声をかけられないさみしい人たち」というステレオタイプに考えている。それと同じように、「傾聴」をしたがる人は、老人のことを「誰にも話を聞いてもらえないでストレスを溜めている人たち」と思い込んでいるのではないか。

もちろん、そんな老人はいるだろう。でもみんながそうだと思うのは、貧困で画一的な老人観だ。傾聴の相手として選ばれた84歳の女性について、生活相談員は、こう語っている。
「話を聞いてもらいたがっていると思ったんですがねえ。でも、職員に何かと訴えて、とても専門的とは思えない“おばちゃん”介護職にやんわりと断られたり、ときに皮肉を言われたりして、『あーあ、誰も相手にしてくれん』と嘆くのを楽しんでいたような気もするんですよね」

もちろん、介護現場には最低限のプライドすら打ち砕かれて、自分を失いかけている老人がたくさんいる。病気や障害に打ちのめされている人、家族から見捨てられたと思っている人、病院で手足を縛られ、薬を盛られて世界との信頼関係が崩壊した人。そんな人に「傾聴」は有効かもしれない。
さらに、とんでもない介護によって打ちのめされている人だっている。兵庫県西宮市で「つどい場さくらちゃん」という介護家族の“たまり場”をつくっているマルちゃんこと丸尾多重子さんが、活動を始めるきっかけとなった話をしてくれた。

彼女は介護から突然解放されてボーッと家に閉じこもっていたときに、「一級ヘルパー養成講座」の募集案内を見た。すでに二級は持っていたので、少しは社会に出なければ、と応募したという。
特養ホームでの入浴実習でのことだ。ストレッチャーに縛りつけられたおばあさんが泣き叫びながら連れてこられたという。それを寮母長が怒鳴りつけながら“介護”していたというのだ。

新米らしい若い男性と実習生の丸尾さんは一言も発せず、泣き声と怒鳴り声の中で寮母長の指示に従っていたという。
彼女はこれで“ブチギれた”。「資格なんかどうでもいい、これが介護か!」と言うべきことを言って、その足で“たまり場”をつくるために不動産屋へ走ったのだった。

こんな介護現場なら「強制入浴」させられているおばあさんだけではなく、おそらく入居者の大半が言いたいことも言えないでいるだろう。いくら「傾聴」する人がいても足りないではないか。
しかし、こんな現場に必要なことは「傾聴」だろうか。違う。こんな介護を変えることだ。
80年も生きてきた人に、生まれてはじめての“特浴”なんて大げさな機械で入浴させるのではなくて、これまでの生活習慣を大切にした入浴をつくることだ。

幸い、家庭用の小さな浴槽こそが最も障害老人の入浴に向いていることは明らかになってきた。特別な技術はなくても、特養ホームや老健入居者の9割ぐらいはふつうのお風呂に入れることもわかってきた。さらに、ちょっと特別な移乗介助法をマスターすれば(もちろん老人との人間関係ができていることが条件だが)、10割も夢ではないことも実証されている。

いますぐ、そうした新しい入浴方法はできないにしても、入浴ということも理解できず言語的コミュニケーションがとれない人たちに、機嫌を損ねないで風呂に入ってもらうぐらいの方法は、現場に蓄積されているはずではないか。
それをしようとしない介護現場での「傾聴」は、尻ぬぐいにもなるまい。

2010年10月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
        その②「声かけ」が過剰ではないか
前号で「上手な声かけのしかたを考えてください」という質問に対して、私は「用もないのに声をかけるな」と少し意地悪く答えると書いた。周りを見渡してみてほしい。用もないのに意識的に、言い換えれば、わざとらしく声をかける介護職が本当に多いことに気づくだろう。

ある病院に併設されたグループホームを見学させてもらっていたときのことである。ちょうど夕方の日勤者と夜勤者の引き継ぎの時間帯で、入居者たちは居間にそれぞれが座っているという状況だった。
そこへ、引き継ぎが終わったらしい夜勤者が入ってきた。一瞬、入居者が緊張したのがわかった。中年の女性の夜勤者から反射的に目をそらした人もいた。私は「ああ一晩大変なんだろうな」と思った。夜勤一人では相性のよくない職員だと気が休まるひまがなかろう。

さて、その職員は居間に入るや、一人ひとりの老人に“声かけ”を始めた。いかにも明るそうなタイプで“声かけ”も大声だ。老人は耳が聞こえにくい人が多いから介護職の声が大きくなるのは職業病の一つだが、それにしても少々大げさである。
おそらく、“お客さん”がいたから余計に意識的になったのかもしれない。私のことは、親の入所を検討するためにやってきた見学者だと思っているはずである。

でも、これは「コミュニケーション」とは呼べない。見ていると気づくが、彼女は自分が“声かけ”をするだけで、それに対する老人の反応は見ていない。興味もなさそうで、一人に声をかけると、すぐに他の人に声をかけて歩く。
明るい笑顔で大きな声で「今日夜勤だからよろしくね」なんて言っているのだから、はじめて介護現場にやってきた家族なら、陽気な雰囲気だなと感じるかもしれない。

でも、介護現場を知っている人ならそうはいかないはずだ。これは、見学に来ている第三者の前で、私は“声かけ”を忘れないいい介護職だ、ということをアピールしているのにすぎない。もちろん、第三者がいないときには、自分自身にそれを確認しているのだ。

じゃあ、用があるときに声をかけるのはいいだろう、というこれも問題があると言わねばならない。“声かけ”が過剰なのだ。
これはおそらく、学校での介護実技のテスト、介護福祉士の実技試験の合否に“声かけ”が重視されていることが原因の一つであろう。
介護福祉士の実技試験では「どんな方法でも声かけさえしてやれば合格になる」とさえ言われたことさえあるくらいである。そこまでではなくても、実際の技術より“声かけ”を評価する傾向はかなり強い。これは困ったことである。技術は大切である。だって、よい技術こそが最もよいコミュニケーションになるはずだからだ。

だが実際には、技術のなさ、あるいは間違った技術をごまかすかのように“声かけ”が多用されているとしか思えない。
居間で車いすに座っている老人のところに、入浴担当の職員がやってきて、居間に入るや否や声をかける。「○○さーん、お風呂ですよー」。しかし、本人の視野のはるか遠くから声をかけられても、自分が呼ばれているとさえ思えないまま、突然車いすが動き出す、いったいどこに連れて行かれるのだろう、というのが老人の側の印象であろう。

職員の側は、スタッフの多くが入浴ケアで奮闘していて、老人はその順番のために待っているのだから、風呂に入るのだということくらいわかっているはずだ、と思い込んでいるようだ。
しかし老人は、今、ここにいるとは限らない。何十年か昔の時代に、そしてその頃いた場所に回帰しているかもしれない。はっきりとした特定の時代と空間でなくても、今ここではない“内的世界”にいるかもしれない。だって私も、著書にサインを頼まれ、日付を入れてくれと言われると、迷いもなく19?と書き始めてあわてることはよくある。今年は2010年だから10年以上も前の世界にいるつもりなのだ。
もちろん“いま、ここ”という客観的世界は大切である。しかし、老人が主観的に思い込んでいる世界をも私たちの世界に含むほうが、豊かな世界といえるのではなかろうか。
こうした“コミュニケーション”は、私たちの客観的世界を老人に押しつけるものだし、老人の固有の内的世界を壊してしまうものだろう。
こうした“声かけ”を見聞きして私が思い出すのは次の詩である。
 
 【不安】
パジャマに着がえて寝てください
暗くなるたび、言われるけれど
「ぱじゃま」も「きがえ」も「ねてください」も
何のことだか、わからない
「かけぶとん」も「うわばき」も
「めがね」も「まくら」も「はぶらし」も、わからないから
服のうえから、ねまきをはおって歩いてみる
窓に、けしきが、ながれている
あかりのなかの雨、のようだ
匂いはしない
はだしになって、椅子のありかをひきよせる
わからない
じぶんはいつまで、この病院にいるんだろう
病院じゃあない、ホテルだよ、ここはね
老人ホテルだよ
息子のようなおとなが声で、おしえてくれた気がするが
「ほてる」もさっぱりわからないし
じぶんの数もわからない
ひとりのようで、ふたりのようで
娘のようで、老婆のようで
むかしは、ひとの親までこなした、そんな気丈な女のようで
もどることができるだろうか
何から、はぐれてきたんだろう
わたしは、パジャマを、おそれている
わたしは、ねまきをもっている
からかみを、背景にして大笑いするあの女
写真のなかのばあさんを
わたしとおもえたことがない
椅子にはさんだ、絹ざぶとんの、ほこりっぽい匂いのなかに
じぶんにちかい湿気があるが
窓のけしきはながれない
わからない
感情だけが、ぽつんと生きのびているようだ
雨の数は、やがて、はやい
椅子から、おしっこがわいてくる
わからない
写真の女の、口をまねして笑ってみる
床がしっとり匂いだす
長谷川さぁん、と呼ばれている
「最後の椅子」(齋藤恵美子 著・思潮社)より

2010年10月  ヤクザの縄張り争いにはウンザリ!
        イマジンでも聞くことにしよう

東アジアの死刑を存続している三流国家同士による”国境問題”=ヤクザの縄張り争いを巡る日本の政治家やマスコミの動きはひどいものである。

まず菅や前原の言う「固有の領土」なんてものはありえない。歴史的領土があるだけだ。そもそも地球上の全てを国境で分割してしまおうというのは、近代国家の仕業である。アフリカや中東の国境を見ればそれがよく判る。民族も宗教も歴史も無視して、ヨーロッパの大国同士の都合でまっすぐの線が引かれている。

東アジアで他に先んじて”近代”という武器を手に入れた日本が勝手に線引きしたのが”固有”の領土なのである。だから朝鮮、中国、アジアへと侵略して人殺しをした日本のその侵略の第一歩だと中国や竹島を巡って韓国が主張するのも一理ある話である。

もっともどこの”領土”になったところで資源が乱開発され自然破壊が起こるのは目に見えている。そんな20世紀的方法はもうやめればいい。どの近代国家にも属さないのが一番いいのだ。南極大陸みたいに。尖閣も竹島も北方四島も国連管理にして世界遺産にするのが最も人類にとっての利益になる。それが21世紀的発想である。

事件そのものの報道も大問題だ。あんな小さな漁船が巡視船にぶつかるなんてのは自殺行為じゃないか。そんなことをするだろうか。権力は何でもするということは、厚労省職員のえん罪でも明らかだというのに、こと外国人相手となると、権力側の言い分をそのまま正しいと信じ込む日本人はどうなっているのか。

権力は嘘をつく。もちろん、中国政府も。どっちも信用しない。ヤクザ同士の争いには加担しないというのが健全なカタギの生活者の道である。日本政府を「弱腰」と批判する連中は、「もっと立派なヤクザになれ」と言ってるようなものだ。近代国家がヤクザをやめることこそが現代の課題である。

しかし、近代国家のヤクザ性を無化していくこと、ヤクザにならない共同性のあり方をイメージしていくこと、それは夢物語に思えてくる。日中両国の反応を見ていると特にそう思える。中国には官製の報道しかないからしょうがない。でも多くの中国人は官製報道なんか信じてないからまだ救いがある。

日本には報道の自由がある、とみんな思っている。その”自由”では「固有の領土」なんかない、という学問的には当り前の意見すら登場しない。海上保安庁の発表を検証しようとする動くすらない。この狭少なナショナリズム!日本がかって国家による集団人殺し=戦争に突入していったのさえ不思議ではない。報道の自由があるという幻想を持った日本のほうがよほど危険ではないか。

こんな状況に絶望しかったときどうするか。まず、ベネディクト=アンダーソンの「想像の共同体」を読む。近代国家を無化する思想がここにはある。ついでジョン・レノンの「イマジン」を流す。この曲、「9.1」の後などでは放送禁止になるという曲である。そんなに危険かよ、と思うが、「宗教も国家もいらない」というつぶやきすら世界は許していないのだ。さらに「幼年期の終わり」(アーサー・C・クラーク)というSFを読む。今までの人間の歴史は幼年期に過ぎないのだ、と考えれば、この状況にも耐えられる気がする。


2010年9月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
        その①「声かけ」のしかた?

どうもこの日本には理念とか思想とかいうものはないらしい。日本人を60年もやっててやっと今頃わかったのか、と言われそうだけれど。少なくとも社会も人も理念とか思想とかでは動いてはいない。
では何で社会や人が動いているか。どうやらその正体は“ブーム”である。老人介護の制度政策すらブームで決まる。さらに政治もそうで、ブームで政権がコロコロ変わる。

介護現場にもブームがある。ほとんど一過性で、日本中の介護現場が夢中になって研修に押しかけたりしたものも、2年も経つとその名前すら忘れられている。
そのなかで「コミュニケーション」なんてのは珍しく長続きしているブームで、「高齢者やその家族とのコミュニケーションのとり方」なんてテーマの講習会には人がよく集まるという。ただそれも、クレームをうまく処理して裁判沙汰にならないためのテクニックを求めて参加する人が大半らしいけれど。

コミュニケーションを大切にしよう、という命題に異議を唱えている人はまずいない。私にも『関係障害論』という本があって「主著」として挙げられることが多くて、これも「コミュニケーションを大切に」という本の一つだと思われているらしい。

セミナーのテーマも「関係づくりの介護」なんてつけているから、これも「コミュニケーション」の流れだと思われている。ま、そう思ってセミナーに参加してくれるのはありがたい話である。勘違いではあるけれど、それほど大きな勘違いというわけでもないからだ。
私は、「コミュニケーションを大切に」なんて言う気はない。そもそもそうした言い方をする人たちにはア・プリオリに、つまりは無前提的に「コミュニケーション」とは何かがわかっているらしい。それが疑問なのである。

まず語られるべきは、コミュニケーションとは何かということだ。まして認知症老人のコミュニケーションとなると、そこから問題を立てていかねばならない。
今私は「認知症老人のコミュニケーション」と書いた。でも一般的なセミナーのテーマはそういう表現はしないだろう。そのほとんどは「認知症老人との44コミュニケーション」となっている。

つまり、コミュニケートする主体としての私たちは、これまたア・プリオリにコミュニケーションが可能であると考えられているかのようである。コミュニケーションが不可能、または困難なのは、その私たちが認知症老人を相手にするという特別な場合であると思われているのだ。ここでは認知症老人は私たちからコミュニケートされる対象でしかない。

でも私のテーマは違う。「との」ではなくて「の」である。私が興味があるのは、認知症老人からのコミュニケーションである。それが私たち、つまり非認知症の側に届くかどうか、私たちがそれを受け止める力をもっているかどうかを問うてみたいのだ。
したがってここでは、「コミュニケーション」は自明のものではない。認知症老人のコミュニケーションとは何なのかが問われるからだ。だって私たちがコミュニケーションだとは思っていないもの、たとえば、「問題行動」として排除、抑圧、無視しているものこそが認知症老人のコミュニケーションだとすれば、コミュニケーションを不可能、困難にしているのは私たち、非認知症の側にこそあると言わざるをえなくなる。

しかし“ブーム”としてのコミュニケーションは、私たちのコミュニケーション能力には問題はないことが前提になっている。でも相手は認知症だから、コミュニケーション能力が劣っている。そこで、私たちに必要なのは、劣った能力の人にもわからせるためのちょっとした技術である。それを求めてセミナーには人が集まる。

さらに私の講座の終了後、次のような質問をする若い人が増えている。
「認知症老人への声かけが大事だと思うんですが、上手な声かけのしかたを教えてください」
私の答えは少々意地が悪い。
「用もないのに声をかけるな」
だってコミュニケーションとは何か用があるからこそ行われるものだろう。用があってそれを伝えねばならない、その結果「声かけ」なのであって、「声かけ」そのものがあるわけじゃない。

そもそもこうした質問の背後には特定の老人観があるとしか思えない。つまり「誰にも声をかけられないでさみしがっている老人」という老人像である。たしかに個別にはそうした老人がいるだろう。でも大多数の老人はもっとたくましく生きてきた人たちだ。もしそんな老人がいたとしても、介護職が「声かけ」することで問題は解決するだろうか?
そうではなくて、誰からも声をかけられることもないという状況そのものを変えることこそが介護という仕事ではないか。

食事、排泄、入浴をできるだけ老人を主体にする方法にしていくこと。そのためには具体的なコミュニケーションが不可欠になるだろう。老人同士の「仲間」と思えるような人間関係をもっていくこと。そのために介護職は媒介=きっかけになればいい。
家族とのコミュニケーションこそ基本である。面会に来てもらおう。家族がいない、来ない人には特定のボランティアに「家族代わり」になってもらおう。そうして介護職が「声かけ」なんかしなくていい状況をつくることこそ介護という仕事なのである。


2010年7月  介護夜汰話 パラレルワールド

午前4時半、看護師がやってくる。同室の患者の一人がナースコールしたらしい。看護師が声をひそめて「なんの用ですか」と尋ねると「生ビール」。「ここは病院だから生ビールはないのよ」「いや、自分が飲むんじゃないんだ……」。早朝からシュールな世界が展開している。

検査から帰ってくるともう一人のおじいさんのベッドを家族がとり囲んでいる。「いくつになったの?」と一人が問うと、本人が「53かなあ」なんて言ってる。「違うでしょ」と言われて「…63か」「そうそう」と拍手まで起こっているが、私は驚いた。

どう見ても10歳ほどは歳上に見える。80歳といってもいいくらいだが、私より3つ違うだけだとは!残った一人は歩行もできるし、主治医とのやりとりもちゃんとしていると思っていたが、フロア全室への放送があるたびに「はい」「わかりました」と大声で返事をしている。

5月の中旬、「腸閉塞」で緊急入院した。入院という体験は中学2年生のときに赤痢(!)になって以来、生涯で2度めである。前回は法定感染症だから30日を越えたが、今回は5泊6日だった。

治療の場である病院と、生活の場である特養ホームという違いはあるが、認知症や障害をもった老人たちの世界という点では違いはない。だから、特養ホームに長くいた私にとっては、前述のような多少の驚きを伴ってはいてもそれほど違和感のある世界ではない。むしろなつかしいくらいである。

しかし、もし私が、医療とも介護とも縁のない会社員だったとしたらどうだろう、と考えてみる。別の世界にきたと思うのではなかろうか。毎日ラッシュアワーの中を通勤し、出張で飛び回っているときにはこんな世界があるとは思ってもみなかったはずだ。

まずはホッとするだろう。突然の発病で日常世界にこれまでどおり存在し続けられなくなったとき、「病院」というものがあってそれを支えてくれる。そのために医師や看護師が存在していること、ふだんは実感できないが、そのありがたさが身にしみるはずである。

私自身もそうである。激痛から解放されるだけで他のものには代えられない喜びだ。たとえ食事は「湯茶300cc」だけで1日点滴4本につながれていようが。だって食欲すら起こらないのだから。

「3分粥」「5分粥」となっていった頃、やっと周囲の状況に関心が向く。一般の人にとってはそもそも高齢者が珍しい。しかも要介護の老人が3人だ。「要治療」というよりは「要介護」の人たちだ。実際に、食事や移動、掃除、シーツ交換など日常的なことは介護職が関わっている。

「えっ、こんな世界があったのか……」と驚くのではないか。介護という世界があるということは情報としては知っているだろう。だが、それまでの生活とは無縁のはずの特殊な世界が、いま目の前に、しかも日常として存在しているのだ。

「パラレルワールド」に踏み込んだと感じるのではなかろうか。この現実の世界とは別の次元のいくつかのパラレル=平行した世界があるはずだという物理学の仮説に伴う世界が「パラレルワールド」だ。

この「パラレルワールド」にふれて「こんなところに二度と来たくない」と感じて、退院=日常生活への復帰を喜んでもう一つの世界を忘れてしまうか、それとも価値観も人間観も違うらしいこの世界に興味を示して、少し生き方が変わるか、病気、入院という人生の中の出来事はその試金石ではなかろうか。

考えてみれば介護職、看護師は、現実の世界とパラレルワールドとを毎日のように自在に往復している人間だということになる。病気なんていう特別なことがなくても、毎日勤務するだけで次元を越えているのだ。

そのことの意味は大きいと思う。大多数の人は21世紀初期のグローバル経済の中の日本という現実でしか生きていない。それは合理主義に裏うちされた効率優先の世界である。でも介護現場という「パラレルワールド」は違う。合理主義が必ずしも効率をよくしない。非合理なものを受け入れる包容力こそが人間を人間らしくするという世界なのだ。

だから、「パラレルワールド」をもっている人は強いと思う。現代社会の価値観が崩壊したって平気で生き残れるはずだ。世界観も人間観も広く深くなっているから。

時間をもてあまして病院の図書コーナーから借りて読んだのが『OUT』(桐野夏生著)。かつてのベストセラーでテレビの連続ドラマにもなったものだ。主人公ら弁当工場のパートの女性4人は、家庭内閉じこもり、貧困と介護、夫の浪費、ブランド中毒とそれぞれ現代の病理を抱えている。それがある事件をきっかけに、この現代社会から“drop out”していくのだ。

この世の中、みんなこの小説の4人のようにもうとっくに人生が破綻しているのではないか。穴だらけの現実にしがみついているか、drop outするか。でももう一つの世界があるということを知っていたら……。私たちの強みはそこだ。もっともその「パラレルワールド」までグローバリズムが押し寄せてきているのだが。

「やっちゃーん、今日夜勤だからよろしくねー」。
入院患者を○○様なんて言わないところがいい。看介護現場はまだまだ健全である。私は病院スタッフと老人たちに同志的連帯感を感じながら退院してきた。

2010年6月  介護夜汰話 いつまで「新しい介護」なの?

4月25日の日曜日、神奈川県川崎市で1日を通してのセミナーが開かれた。驚いたのは、西日本からも多くの参加者があったことだ。その人気の理由の一つは、講師の顔ぶれと組み合わせだろう。私の話は珍しくないが、午前中の大田仁史先生の講演は大きな大会でないと聞けないし、特に首都圏ではあまりチャンスがない。

トークセッションには、金田由美子さんと下山名月さんの2人が加わった。この2人は日本の介護を変えるきっかけとなった「生活リハビリクラブ」を創った人で、私も関わらせてもらったのだが、3人がそろったのはひさしぶりのことだった。

いつまで新しい介護なの?
理由の二つめは、トークセッションのテーマである。セミナーの名称は「新しい介護セミナー」なのだが、トークセッションのテーマは「いつまで新しい介護なの?」なのである。『完全図解 新しい介護』が最大手出版社の講談社から出版されたのが、2003年6月。編著者は大田先生と私の2人。金田さんと下山さんも「執筆協力者」の欄に名前を連ねている。

おかげさまで、この本はいまだにベストセラーを続けている。日本ではすでに22刷りで16万部を売り上げ、韓国版、台湾版に続いて中国版まで出版されるに至った。おそらく介護の本では世界で一番売れているとしてギネスブックが認定してくれるのではなかろうか。

新年度に入った4月5月6月と、毎月1回ずつ講演の依頼が来ていた。いずれも関西圏で、続けてオープンする有料老人ホームの記念講演だ。母体はいま全国展開中のビジネスホテルを経営している会社だという。そういえば、施設の名称もそのホテル名と似ている。

私はいつも特養ホームやグループホーム、ホームヘルパーの人たちから呼んでもらっている。だから施設に行っても講演会場であっても、迎えてくれる人たちとはある親密性がある。同じ介護職としての安心感、共通性と言ってもいい。たまには、“連盟”とか“協議会”の偉い人もいたりするけれど、その俗物性にさえどこか近しい気持ちになったりする。

しかし、介護と縁のなかった世界の人たちがこの仕事を始めたという場合では、どうも違和感があるのだ。日本の資本主義のもとでそれなりに成功して、介護“業界”に進出してきたなんてところでは特にそうだ。「人種が違う」なんて表現すると、差別になりそうだから「文化が違う」と言っておこうか。

そんな施設でも、現場で実際に働いている人たちとは共通性を感じるのだが、スーツにネクタイという“本部”から来ている人たちにはどうしても「文化の違い」を感じてしまうのだ。そういえば、以前にもこんな感じ方をしたことがあったなあ。ああ、コムスンに行ったときだ。いまはなくなったけど。ワタミからはまだ呼んでもらったことがないからわからないが。

文化の違いが一番よくわかるのが人に対する態度である。講師には気を遣って慇懃(いんぎん)、でも業者には横柄。これが共通している。こんな“上”ばかり見ている人材を集めなければ日本経済を乗り切れないのだということがよくわかる。

でも、考えてみたら、私からは彼らの世界が異文化だが、彼らからは私たちの介護の世界こそ異文化なのである。そして、彼らの側がこの世界では主流派なのである。真新しい施設を見せてもらった。豪華さは抑えてリーズナブルな料金で使ってもらおうというコンセプトは、チェーンのホテルと同じらしい。

風呂場を見て「あ、またか」と思った。新築の老人施設の浴場が『完全図解 新しい介護』で“悪い見本”として示した温泉風の大浴場と機械浴そのものなのである。講師に呼ぶくらいだから、少しは私たちが主張してきた介護の方向性に共感しているのだと思った私が甘かった。私は客を呼べそうな“記号”でしかないのだ。彼らは、介護の中味には興味はないのである。

情報社会である。インターネットで無限ともいえるほど情報は入手できる。しかし、主流派社会での情報は、いかに金儲けできるかという情報であって、何が障害老人や呆けた老人にとっていいのかという情報ではない。だから、企業のトップにも建築士にも、そして上ばかり見ているスタッフにも、本物の情報は伝わらないのだ。

大田先生には『新しい介護』、そして『実用介護事典』の監修・著者まで引き受けていただいた。先生は、NHK教育テレビにもBSにもいっぱい出演して、なんとかまともな介護ができる社会にしたいとがんばっておられる。でも、その先生がこう言うのだ。「団塊の世代の老後にはとても間に合わない」と。そうだなあ、主流派の壁は厚い。ということは『新しい介護』はずっと“新しい”ままで売れ続けるということだ。

「日本年金機構」というところから「重要書類」が送られてきた。60歳の誕生日が過ぎたら年金を受け取るための手続きをしろという。もらえるという年金の額の少なさには、いまだにGNP大国である日本の内実が見える気がするが、売れ続ける『新しい介護』の印税がそれに加わるとしたら、私にとってはうれしい。しかし、日本の介護にとっては困ったことではないか。

2010年5月  介護夜汰話 人気投票を始めます
       ~『最後の椅子』齋藤恵美子著~

私は文学は好きだが、文学的な人間ではない。たとえば、中学2年生の夏休みに朝まで興奮して読み続けた『罪と罰』(ドストエフスキー)は、その後何回も読み返すのだが、どうしても「革命」をめぐる話として読んでしまうのだ。

つまり、主人公=ラスコーリニコフの「嫌われ者の金貸しの老婆を殺して手に入れた金で、困っている自分が救われ、将来人のためになる仕事をすればそれは正しいのだ」とする考えを、マルクス主義の革命の論理として読み解いて、それが崩壊していく物語として見てしまうのだ。文学的ではなくて、論理的で政治的なタイプの人間なのである。

『赤と黒』(スタンダール)も夢中になって読んだが、この2冊以外に好きだった小説には、なぜか洋の東西を問わず女性を主人公としたものが多い。『ボヴァリー夫人』(フローベール)『椿姫』(デュマ)『人形の家』(プーシキン)『火の鳥』(伊藤整)『斜陽』(太宰治)などなど。

自分自身の社会への違和感を、女性の立場に重ねるという女権論的(フェミニズムなんて表現は私が中高生の頃はまだなくて、こう呼んでいた)見方で読んでいたのだろう。やはり論理的、政治的である。もっとも今になって読み返してみると、男の作家から見た一方的な女性観ではなかったかと思い知らされるものが多いのだけれど。

介護の世界に入ってみると、介護を自分の支配下に置きたがっている世界、つまり、医療や看護、リハビリ、そして福祉に至るまで、そこで必要とされるコトバは決して文学的ではなく、論理的というよりは無味乾燥な帰納法的文章なのである。

ところが、介護を表現するとなるとそうはいかない。なにしろ介護は社会科学系でありながら、自然科学系、つまり文系でもあり理系でもある世界だからだ。さらに、客観性なんかないかわりに関係性があるという世界なのである。

そこでの私は柄にもなく文学的表現に魅力を感じざるを得なくなる。そうでもしなければとても介護現場を表現しきれない、介護職同士の共感をつくり出せそうにないからだ。特に最近になって、それを実感することが多くなった。ある読者から送られてきたのは、学会での抄録コピーである。「三好さん、これひどいと思いませんか」という手紙が同封されていた。

内容は、介護現場での老人から介護職への暴力、セクハラに関する調査(といったっていつものアンケートというやつだが)とそれへの考察である。それによると、介護現場では老人の暴力とセクハラが日常化しており、多くの介護職が声をあげられないでじっと耐えている。こうした介護職への人権侵害に対して、本人も管理者ももっと毅然とした対応をすべきだ、というのである。

さらに、そうした行為を、老人からのスキンシップの一部として許容してしまうような風潮が事態をより悪化させていると主張している。このコピーを私に送ってきた人は、この抄録が「ひどい」理由を何も書いていない。考えられるのは2つ。

1つは、介護現場での暴力、セクハラがこんなに蔓延しているのに、ちゃんとした対処がされていないのが“ひどい”というこの発表者に同調する立場からのもの。もう1つは、老人の「暴力」「セクハラ」と学会発表者が呼んでいる行為をすべて「人権侵害」ととらえ、あってはならぬものとすることが“ひどい”という立場。しかし、本誌の読者で私にコピーを送ってきて同意を求めるくらいだから、後者の立場であろうと、私は勝手に推察している。

私はこういうものに対しては根底的に「暴力とは何か」という問いかけをすることで反論してきた。『痴呆論』の「暴力行為」(旧版p. 210?、増補版p. 205?)を読んでみてほしい。「行為としての暴力」だけでなく「存在としての暴力」こそが本質的で、そう見れば「大学教授」こそが暴力的存在ではないか、という趣旨である。

もちろん、女性を性的対象としか見てこなかった封建オヤジによるセクハラめいたものは介護現場にはいくらでもある。「歳とってなにもできないんだから、かわいいもんじゃないの」という人もいるが、そうじゃないものもあって、これは断固として対応すべきだろう。

だが、この演者のように「暴力」や「セクハラ」を近代法による個人の客観的行為としてのみとらえたのでは現実は見えてこない。などといっても、私の反論は論理という一面的なものからでしかない。こうした大学教授といった肩書までもった連中への、われわれの側の“ひどい”という実感をちゃんと共有するには論理だけではあまりに不十分だ。

最後の椅子
ここに一冊の詩集がある。畏友(いゆう)ともいうべき看護師の上條美代子さんからもらったものだ。彼女はこの詩集に感激して配っているのだという。齋藤恵美子『最後の椅子』(思潮社)である。おそらく特養ホームと思われる著者の仕事場での老人介護そのものから生み出された詩を私は他に知らない。

これを読んでもらえれば、学者さんたちへの“ひどい”と思う私たちの根拠に確信がもてるはずだ。この詩の力に論理は遠く及ばないだろう。しかし、実用的な本しか売れないと言われている介護の世界で、「詩集」なんてものが売れるだろうか。

そこは奇人変人ぞろいのブリコ読者(このひやかしは好意の表現であることは2010年3月号の「介護夜汰話」を参照のこと)が先頭を切らねばならない。そこでこの詩集の購読を促すために詩の人気投票をしようと思う。

詩集『最後の椅子』には、29編の詩が収録されている。そのなかで好きな詩を1人2編投票してほしい。投票した人の中から30人(!)に、拙著『老人介護常識の誤り』(新潮社)を抽選で寄贈したい(もちろんサイン入り)。この本、新潮文庫になったため今回の版が単行本としては最後になる。その他にも景品を用意したい。私も投票するつもりだが、どれかは内緒。発表時に明らかにしたい。

2010年4月  介護夜汰話 「御利用者様」の気味悪さ

シンポジウムというのが好きではない。シンポジウムの語源は「酒宴」だそうで、それなら大好きだが、老人介護の大会なんかのシンポジウムにはその自由さも楽しさもないことが多い。

多くの場合、シンポジストが自分の専門性や主張の中に閉じこもったままで、他の人との「対話」にならない。たまに攻撃的なシンポジストがいることもあるが、これも「対話」にはならないのでシラけるだけだったりする。

だから、シンポジウムへの参加を求められても、よほどおもしろそうなメンバーでなければ断わることにしている。助言者の仕事もそれほど好きではない。そもそも現場の人に説教するのはイヤだし、シンポジウムもそうだが、皮肉や冷やかしが通用する場ではなさそうである(「皮肉」や「冷やかし」については前号参照)。

それでも講演の後で、現場からの実践報告への助言者の仕事をすることがある。選ばれた発表だろうから当然だけれど、立派な実践が報告されている。なにしろ私が特養ホームで働いていた頃は、研修会も本もない時代だったから、報告するのは現場の思いつきや試行錯誤。今から思うと人権侵害としか思えないような発表まで堂々となされていたのだ。

それに比べれば、現在の発表はたいしたものである。認知症老人に見当識を教え込むなんてものはなくなって、ちゃんと老人の「内的世界」を大切にしようという主張になってきている。介護の世界も変わったなと率直に思う。

そもそも私は現場の介護職に、高い専門性や豊かな人間性を求めようとは思わない。給料が安くて人手不足の現場に、それを求めても非現実的であることももちろんその理由だが、もっと大きな理由は老人たちは強いからである。

私たちが関わっている80代の老人は人の2倍も生きてきた人たちである。平均寿命は今年生まれた赤ちゃんが何歳まで生きるかという推定値であって、80年前に生まれた人たちの平均寿命はその半分近くしかないからだ。老人とは強い人たちなのだ。

だから介護は特別なことをする必要はない。普通でいい。老人をダメにしないことでいい。もちろん、老人が危機に陥っているときに専門性と人間性を持ち合わせていれば申し分ない。だから、専門的で特別な療法がこんなに効果があったなんて発表は必要ない。

しかし、他の事業所と差別化して特色を出したがる事業主ほどそんな発表をしたがる。必要なのは、どこでも誰でもできるよう生活的方法で老人に落ち着いてもらうことである。そんな発表は目立たないし、発表者もぎこちないことが多い。しかし、私はそんな発表が好きである。

だが最近、どんな発表にも気になることがある。老人のことを「御利用者様」というのである。私は説教じみた助言なんかしないけれど、それに対しては疑問を呈する。“御”と“様”と丁寧語が2つもあるのは日本語として正しくない。「御利用者」か「利用者様」かどちらかではないのか、と。

じつは、日本語の使い方として正しいかどうかに私の興味はない。そもそも「御利用者様」が気味が悪いのである。「御利用者」でも「利用者様」でも気味の悪さは変わらない。いつからこんな風潮になったのか。もちろん介護保険制度が始まってからである。

介護がそれまでの措置(そち)から契約になり、サービスなんて言葉が使われ始めてからだ。サービスという言葉が新鮮だった時代は確かにあったけれど、あっという間に陳腐化してしまった。サービスは利益のための手段にすぎないという底の浅さがすぐに露見したからである。サービスの語源が“奴どれい隷”であることはこれまで何度も指摘したところである。

老人に“様”をつけて呼ぶなんてのもその典型である。私は60年も生きてきたが、「三好様」と言って近づいてくるのは、なにかよからぬ魂胆をもったやつばかりだったと思う。高いものを売りつけようなんていう……。

本当に老人や家族が求めているサービスとは何か。それは“様”をつけたり“御利用者様”と呼んだりすることとは違う。立派なホテルのような建物でもない。老人と家族が本当に困ったときに見放さないでなんとかしようとしてくれることだ。

たとえ結果としてうまくいかないとしても、いっしょに困ってくれることだ。それさえあれば、ふだんは無口でも無愛想でもいい。言葉遣いなんかどうだっていい。見てみるがいい。ふだん「御利用者様」なんて言っているところほど、本当に困ったときには「他の施設に行ってください」なんて言って見放すんだから。

それより何より私には、現場の介護職が、話しコトバまでマニュアルに縛られて自分自身の表現を失っているのが最大の問題だと思える。もちろん、発表者は施設長に原稿をチェックされて言わされているんだろうけど、それだけに現場の表現の自由は守り抜こうぜ。上司がずっとチェックしているわけじゃないんだから。

2010年3月  介護夜汰話 もっと自虐を
       ~レヴィ・ストロース追悼に代えて~

レヴィ・ストロースが亡くなった。100歳という高齢だった。本誌の12月号でも書いたように私に介護の意味、老人問題とは何かを教えてくれただけでなく、マルクス主義に代わる世界の見方を示した人だった。

知性的な人だったという。なにしろ90歳を超えた頃に『中央公論』(2001年4月)に「狂牛病の教訓」という新しい論文が掲載されていて驚いたものだ。もっともイタリアで最初に発表されたのはその5年前だったそうだが、それにしてもすごいではないか。

私が個人的に好きなのは、彼の表現に皮肉が多いことである。“未開”民族を研究している文化人類学者が、その社会での品位とは、悪意や善意を直接あらわさないことだ、と書いていた。悪意は皮肉として、そして善意は冷やかしという仕方で表現するのが上品だというのである。

そういう意味でもレヴィ・ストロースは知的で品のある人だったのである。そして私に冷やかされた人は、私の善意のあらわれだと理解してほしい。

レヴィ・ストロースの表現の特徴のひとつが皮肉だとすると、もうひとつは自虐であろう。近代以降、ヨーロッパの文化は人類の知性の到達点であると自他ともに認めていた。それを「自民族中心主義」だとして切って捨てるのである。

アフリカやアジアの文化のほうがすぐれている、と主張したのではない。文化はみんな違っている。それは多様性による差異であって決して優劣ではないと断じたのだ。彼は、ヨーロッパでも最もプライドが高そうなフランス人である。

当然ながら、同じフランスの哲学者のカイヨワをはじめ多くのヨーロッパ人から「自虐的だ」との声が起こった。もちろん彼は見事に反論する。得意の皮肉を込めて。悪意を皮肉という表現に代えるのも、自らを客観視して自己反省、自己批判できるのも知性の力である。

したがって、日本の近代史を客観視して述べただけで「自虐史観」だと批判する人たちは知性の欠如を告白しているようなものである。自虐的になれるのは知性の力だ。近代の侵略の歴史はもちろんだが、それ以前のアイヌや南島の人々への卑劣で過酷な歴史を知れば、われわれはもっと自虐的になるべきだと思う。

そんなことを言うと「それでも日本人か」とか「反日的だ」などという知性なき人たちがいる。ある時代の政府、権力の特定の政策が誤りだと主張するのを「反日」と言うのなら、それは民主主義の全面否定である。

そもそも何が「日本」なのか。「日本」はもともと多様で重層的文化の束のようなものだ。日本民族だけを特別だと考える排他的な文化は、明治以降の特殊なものだ。靖国神社の首相参拝に反対する者は反日的だ、などという主張もまったく当たっていない。

近代以前の日本人は、“死ねばみんな仏様“という仏教と神道の混在した宗教観で、敵の死者であってもいっしょに祀まつったという。自国の、しかも官軍だけを祀る靖国神社こそ日本的伝統に反していると言っていい。

でも、レヴィ・ストロースは寛容である。偏狭なナショナリズムとしか思えないものですら「ある文化が他の文化に対抗し、その価値を拒否することは自己確立の欲求の発露である」として擁護しているのだから。

こうした「自己確立の欲求」は、近代日本では国家主義として発露し、戦争によって膨大な命を奪った。現代社会でのそれは、たとえば専門家が自らの領域に閉じこもり「ある専門性が他の専門性に対抗し、その価値を拒否する」という形であらわれ、多くの老人の生活を破壊している。

職場の介護職や家族の声に耳を傾けようとしない医者や看護師が多すぎる。自信たっぷりにふるまってはいるが、彼らは「自己確立」していないのだろう。学会と称して同じ職種ばかりで集まって自らの専門性の高さや科学的であることを確認し合っているのも、同じ介護形態、たとえば、特養とかユニットとか小規模とかばかりで集まって自画自賛したりというのも「自民族中心主義」である。

必要なのは自己肯定ではない。自虐だ。自分たちの職種に文句を言っている人こそ学会に必要だ。介護形態に批判的な人の声こそ聞くべきなのだ。レヴィ・ストロースの医療への皮肉は強烈である。12月号の私の小文を掲載した『思想』(2008年12月号、岩波書店)に収録された「われらはみな食人種(カニバル)」では、近代的医療と、野蛮とされてきた食人が同列に並べられているのである。

もちろん私たちは、医療や看護より介護がすぐれているなんていうのではない。もっと普遍的な「生活者」という視点から職種や介護形態を相対化しようよ、と言いたいのだ。それにしても、レヴィ・ストロースは、いかにしてこうした自虐的な究極の知性へ至ったのか。おそらく、『悲しき熱帯』(著書のタイトル)=アマゾンを体験したことが大きな影響を与えたのに違いない。

それはヨーロッパからは最も見えない、見たくない文化だったに違いない。私たちは専門性から外部へ出て、生活というシロウト的で主観的で非科学的世界を体験すべきだろう。そこから自虐=知性が生まれる。

日本という世界から出て異文化を体験する。そこから生まれる何ものか、それを求めて私はインドツアーを呼びかけているのかもしれない。

2010年3月   介護のコトバ

( 2010・03・17 毎日新聞くらしナビ欄 「介護のコトバ」掲載記事)
【 し 】私物 ‐‐‐‐ 「自分」を確認できるもの

「いい老人施設とそうでない所を見分ける方法を教えてください」。介護家族からよく受ける質問である。私の答えはこうだ。まず施設に行ってみること。

行政や第三者評価のデータなんか信用しないで、自分で見て聞いて感じることが大事です、と。だって自分の親の人生を託すんだもの。まず利用者の部屋を見せてもらおう。一番のチェックポイントは、私物がどれだけあるかということだ。

私は全国を講演して歩くのが仕事なので、年間180回もホテルに泊まる。夜中に目が覚めホテルの天井を見て「ここははどこ」と思うことはよくある。自宅ならまわりに私物があるからそんなことはないけれど。

私物が何もなくて、白い天井と壁とシーツだけだったとしたら、老人が「ここはどこ」だけでなく「私は誰」となっても不思議ではあるまい。私物とは「人生をともにしてきたものであり『自分が自分である』ことを確認できる身近で具体的なもの」 (『実用介護事典』講談社)なのである。

しかし私物を置かせてくれない施設は多い。「他の認知症老人が持って行ってトラブルのもとになるから」という理由が最も多い。でもトラプルのない生活なんかないはずだ。

それどころか、迷惑をかけ合うことこそ人間関係の基本ではないのか。母子関係だってそうだ。入所者同士のトラブルこそ、ともに笑ったり泣いたり、けんかしたりする人間関係作りのきっかけにすべきなのだ。

先日、講演先で母親が施設入所している人の話を聞くと、そこでは時計もカレンダーも置かせてくれないという。行政はどんな指導監査をしているのだろう。

「宅老所」という名は使うなとか、自主事業はいっさい認めないなんて指導をしている暇があったら介護の中身をチェックしてくれ。我が故郷だけに情けない。

2010年1月  介護夜汰話 生活か、医療か
       ~療育員からの質問に答えて~

今回は、メールできた私への質問を紹介し、私の答えを公開したいと思う。なお、質問はもっと長くて他にもあったが要約している。

【質問1】
保育士を経て、重症心身障害者の施設に療育員(介護職)として勤めています。「易感染、易重篤化」の人たちが相手のため医療による管理が強く、何をするにも、科学的根拠が求められます。
たとえば、新型インフルエンザが流行しているからと、すべての外出が禁止されました。またオムツ交換の時、カーテンで仕切らないので理由を聞くと、「他の入所者の観察ができないから」というのです。

口から食べることにこだわっていた本人と家族に、リスクを説明して半ば強制的にチューブにしたり……。ここに生活はあるのでしょうか。生活と医療はどのように共存すべきだと思われれますか?

【質問2】
「近代的進歩主義」からなかなか足が抜けません。そのせいか、幸せを感じることが下手なようです。高齢者や障害者が幸せを感じるのはどんな時でしょう? 三好さん自身の幸せとは何ですか?

【答え1】
[質問1]を読んでいると、これはもう「障害者観」の問題だなと思いました。かつて(そして現在でも)老人介護もこうした「老人観」で仕事をしていました。老人は「弱者」であり、手厚く保護=管理して、身体としての生命を保証するのがいい介護なのだと。

ところが、そうした介護は、「いのち」をちっとも輝かせませんでした。それどころか、「身体としての生命」さえも保証しないのです。目の輝きを失った身体はやがて生命も失っていくからです。

介護現場は開き直りを始めます。「家に帰ってみたい」という老人に「元気になったらね」と言っていた看護師は考えます。今が一番元気なんじゃないか、と。そこでいっしょに故郷に行き、実家に外泊することを始めます。

「目がトロンとしたまま長生きするより、自分らしく生きて短いほうがいい」と、タバコも酒も自由にし、出前、外食も積極的にすすめる特養ホームが現れます。すると意外な結果が出てくるんです。

少しずつ老いていくだけだった老人が見違えるようにイキイキしてきます。酒、タバコ、出前、外食するほうが長生きするんです。でも考えてみると、「意外な」と書いたけど、それは医療的人間観から見ると「意外」なだけで、生活的人間観から見れば、当たり前の話なんです。

インフルエンザが流行しているからといって、外出はもちろん家族の面会すら禁止する施設があります。でも、こんなことには何の科学的根拠もありません。感染の防止には免疫力を高めねばなりません。免疫力はどうやって高まるか。それは生活空間を広め、人間関係を豊かにして、いっしょに泣いたり、笑ったりすることが一番だと最新の科学が証明しています。

つまり、外にも出られない、家族にすら会えないというのは、肝心の免疫力を低下させているのです。自尊心を奪われるなんてのは、もっと免疫力の低下を招きます。オムツ交換で、カーテンを使わない理由が本当に「他の人の観察」なら、上部がレースになったカーテンを使えばいいことです。

本音は、入所者の自尊心など、いちいちカーテンを引いたり開けたりする配慮に値しないと思っているからだと私には思えます。そうした障害者観をもった人たちにケアしてもらっていることこそ、自尊心を奪われる最大の要因でしょう。

口から食べることのリスクはあるでしょう。でも、チューブのリスクはもっとあります。「主体喪失」というリスクです。それを本人や家族には説明してないはずです。だって自分たちの狭い医療的人間観の中には「主体」なんかないからです。

私は、ご質問にあるような「生活と医療の共存」を目指すべきだとは思いません。狭い医療という人間観を、当たり前の人間観の中に呑みこんでいくことだと思います。なにしろ、医療より生活、人体より人生のほうがはるかに広いのですから。生活や人生を大切にするほうがはるかに長生きするし、それを新しい科学は実証しているんですから。

関係障害論〈新装版〉(シリーズ考える杖) じつは私はそれを訴えたくて『関係障害論』(雲母書房刊)を書きました。人間を〈個体+関係〉という足し算でとらえる医療的人間観に対して〈個体×関係〉という、かけ算でとらえようという提案をしてきました。この本のサブタイトルは「老人を縛らないために」となっています。抑制こそ医療的人間観の象徴ですから。


【答え2】
[質問2]への答。私が幸せだと感じることは毎日5つあります。3度の食事、入浴、そして寝ること。これはいくら高齢になっても得られる幸せです。高齢者にとっても、こうした日常的で具体的なことが幸せになりうるんじゃないでしょうか。

進歩主義者だった頃には、幸せははるかな未来にあるものでしたが、老人に出会って転向した今では幸せは「いま、ここ」にあると感じています。

2010年1月  「なるほど納得介護」の最後の収録

3年間続けてきたNHK教育テレビの「なるほど納得介護」の最後の収録が終わりました。3年で29本もの番組を作ってきました。収録後、NHKのスタッフが私とモデルの土居さんとに“ご苦労さん会”を開いてくれましたが、そのとき取材先などからメッセージを頂いてきてくれました。
なかなか励みになる文章で、ガラにもなくジーンときたりしたので、ヨイショしてもらってることを承知の上で紹介させてもらいます。
通所介護事業所玄玄 藤淵安生
いろ葉 中迎聡子
関東病院 稲川利光
鶴舞乃城 高口光子

--------------------------※ 通所介護事業所玄玄 藤淵安生
3年間にわたる“なるほどなっとく介護”本当にお疲れ様でした。放送が始まると聞いた3年前、僕たちの現場、玄玄のオープンの年でした。「1年間、全10回の予定でNHK]と聞いただけで、とても興奮したのを覚えています。毎回、映像を通して、介護の基本中の基本、とても大事で丁寧な部分をわかりやすく番組にまとめられ、毎回ビデオに録画して周りのみんなと拝見させていただいておりました。

2年目、番組が続くと聞き、僕は三好さんに「認知症についても、三好さんの番組で企画してください」と、お願いしました。
3年目、「三好さんがNHKで認知症について話すのは無理なんだろうなぁ」と思っていたら、なんと認知症についての番組が企画されました。
それだけでも、僕の念願だったのですが、取材先として、僕たちの現場、玄玄を取材していただき、少しでも番組に協力できたことは、本当に一生の記念ですし、大変誇りに思っています。三好さんは執筆、講演などを通じて、なんにもできない僕たちでも今日からできること、お年寄りにやっちゃダメなこと、そのヒントをたくさんくださっています。

そしてその日々の小さなことの積み重ねが、実は介護、お年寄りには大変重要なことなんだよと教えてくださっています。これは全国の、僕たち介護現場にいる者にとって、大きな励みになっています。また、この3年間さらに多くの人にブラウン管を通して伝えられたことは、介護職はもちろん、多くの介護されているご家族にとっても大きな力になっていると思います。

ちなみに”徘徊”ではなく“歩き回り”で取材された“青木一郎さん”のご家族の声かけが、メチャメチャうまくなりました。番組の影響だと思います。娘さんが「青木さ~ん、帽子忘れとるよ~」とよく言っています。

番組は終わりますが、また今後も、三好さんのさらなるご活躍、ご健康を心よりお祈りいたしております。重ね重ね、本当に3年間お疲れ様でした!それでは、僕はまた、介護の音の中に潜ろうと思います。
ありがとうございました。

--------------------------※ いろ葉 中迎聡子
思えば10年前、介護の「か」の字も何も知らない、現場をイメージすらできない研修中に「三好春樹イズム」を1ヶ月間延々と学ばされました。私にとって「三好春樹」は遠い遠いリアルではない存在でした。

一年後、「三好春樹が鹿児島に来るぞ!」と田上先生に言われた私は、思わず「えっ、三好春樹って生きているんですか?」と驚いたのを今でも鮮明に覚えています。

偶然にも私の誕生日に三好さんは鹿児島に来ることになっており、「記念にリアル三好春樹の話を聞いてみよう。」とセミナーに行くことにしました。その頃の私は「施設介護」に納得できず、この業界から足を洗おうと考えていましたが、三好さんの話がポカリスエットのように身体に心地よくしみわたり、もう少し頑張ってみようとエネルギーチャージされました。

それから今日まで、三好さんの話を何度も聞きましたが、時代が変わろうとも制度が変わろうとも、いつでもどこでも誰にも三好さんは同じことをずっと言っています。そして、そんな三好さんが天下のNHKから、変わらない三好春樹イズムを発信し続けてくれました。私と同じようにに、三好さんの話を聞いて、「もう少し頑張ろう。」「なるほど~。なっとく~。」と思う人がたくさんいたことだと思います。

お願いです!
何のしばりもない?!三好さんが、現場で戦っている私たちの盾となって、これからも発信し続けてください。
本当に3年間ご苦労様でした。

--------------------------※ 関東病院 稲川利光
三好さん、土居さん
「なるほどなっとく介護」、3年間ほんとにお疲れ様でした。この番組を見て、どれだけ多くの方々が元気を掴んだことでしょうう。生きる勇気を得たことでしょう。偉大な功績に乾杯!です。よくしゃべる三好さん。黙っていても絵になる土居さん・・・絶妙なコンビでしたね。僕も出させてもらって、ほんとにありがたかったです。番組の中で、懸命に生きる方々の思いに触れ、大いに感動しました。ほんとにお疲れ様でした。

またどこかで一杯やりましょう!ちなみに余談ですが・・・ポン寿司に使う計量カップ、あの細長いタイプの計量カップですが、正月に帰省したら、博多のおふくろが20個ほど溜めていて、お土産にくれました。昨年の盆に帰省した時もくれました。
近所のスーパーで買う洗剤はあの細長タイプの計量カップがついた洗剤で、なぜか、うちのかみさんもそれを使うようになって、あの細長タイプの計量カップを溜めています。今、僕の机の引き出しには60個以上の細長タイプの計量カップがありますが、未だに、あの、感動のお寿司は作れていません。そのとき、が必要なのでしょう。

また、同名半盲の患者さん用のミラー帽子は「特許が取れるぞど!」とワクワクしました。番組の後、出演されたご夫婦にはご迷惑かと思いましたが、期待を込めて、ぜひ使っていただくようお送りしました。奥様からは「そううまくいきません、でもほんとにありがとう」と暖かな返事を頂きました。さらなる研究が必要です。
・・・いろんなことを学びました。三好さん、土居さん、ほんとにありがとう。これからも、よろしくお願いしますね。ではまた。

--------------------------※ 鶴舞乃城 高口光子
介護界のドラエモン 三好春樹さま
このたびは、なるほどなっとく介護のお仕事お疲れ様でした!
あのあきっぽい三好さんがなんと☆三年間も続けられたのですね!
介護現場の片スミで、”これでいいのかなぁ”・・・と悩んでいた介護職たちが
”あの三好さんがNHKで言ってる・やってるンだから!
きっと大丈夫!!よし、やってみよう!”と、どれだけ勇気をいただいたことでしょう
本当にありがとうございます

また、私自身も、あの三好さんがメイクさんと一緒に髪の毛ひとつとっても、少ないものを多く見せる・・・人知れない努力をしていることにあらためて人は努力だと教えられました
これからも、身体を大切にして現場の元気のためによろしくお願いします

介護界のトラサン 土居新幸様
三好さんの我がままにこれほど味わい深く今まで付き合うことのできた土居さん
このたびは慣れないTVなんて日のあたるお仕事お疲れ様でした
画面で見る土居さんのややうつむき加減のその横顔に介護の哲学を感じた人も多かった・・・かもしれません
なんといっても、芸能界広しといえども便器にあんなにもっともらしく座ることのできる人は土居さんをおいて私は見た事ありません
淋しがり屋の三好さんの友達は大変だと思いますが今日まで続けられたのは土居さんのおかげです
ぜひ、これからも寝返り・起き上り・便器にすわれば日本一!の土居さんでこれからもよろしく!

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