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介護夜汰話
変えられないものを受け入れる心の静けさを  変えられるものを変えていく勇気を
そしてこの2つを見分ける賢さを

「投降のススメ」
経済優先、いじめ蔓延の日本社会よ / 君たちは包囲されている / 悪業非道を悔いて投降する者は /  経済よりいのち、弱者最優先の / 介護の現場に集合せよ
 (三好春樹)

「武漢日記」より
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」
 (方方)

 介護夜汰話

2012 ~ 2013
2013年5月  使命に生きた人

♪あなたと呼べば、あなたと答える
やまのこだまの 楽しさよ

遠藤先生といえば真っ先に思い出すのがこの歌である。若い人に、知らないとは言わせない。老人介護を仕事にしている人なら知っておくべき歌である。

私が特養ホームの4年半の介護の仕事を経て、PT 養成校に入って最も驚き興奮したのは、医学、リハビリの知識、技術が介護にとって宝の山だったことである。しかし、この知と技を医療関係者は病気を治すためにしか使わない。これ以上はよくなりません、となってからは途端に興味を失うのだ。その知と技を、いっしょに生きていくために使えばいいんだ、と私は思ったのだ。それが自分の仕事だ、と。その見事な応用問題を展開されていたのが遠藤先生である。

一言もしゃべれない失語症者が、誕生会でマイクを持つと何番まででも歌い続けることの不思議さは、学校に入るとすぐに解けた。言葉を司る中枢は左脳、音楽は右脳だから、失語症がいくら重くてもメロディーは出てきて、それにつられて言葉も出るのだ。

冒頭に紹介した歌詞の曲名は『二人は若い』という。ここまでをみんなで歌う。遠藤先生による失語症者のグループ訓練の場面である。このあと、付き添いの奥さんが隣の夫に「あなた」と呼びかける。すると夫が「な~んだい」。妻の目に涙、そして笑顔。

脳卒中で右マヒになった夫は一度も返事をしてくれなかった。失語症だからしかたないと妻は頭ではわかっているのだがさみしくてしょうがない。一度だけでもかつてのような返事を聞きたい、というのが妻の願いなのだ。そこで遠藤先生が取り入れたのが『二人は若い』である。夫の返事があったからといって治ったわけではない。でもこれでまた妻は介護をしていこうという前向きの気持ちをもてる。

これは医療知識の介護への応用というよりも、創造だと言っていい。私たちに求められているものはこうした“遠藤流”である。それを引き継ぐのが私たちの使命だ。自らの金儲けや地位から背を向けるようにして“使命”だけに生きたような遠藤尚志氏の生き方はとてもできないにしても。

マチュピチュ
2011 年、失語症友の会の皆さんといっしょにマチュピチュへ。遠藤先生と車いすの方5 名、その他7名でマチュピチュの全貌を見晴らす展望台に到着したときの写真です

2013年4月  訃報 遠藤先生が亡くなられました

遠藤先生 2013 年4月1日早朝、言語聴覚士の遠藤尚志さんが逝去されました。享年70 歳でした。

えっ、エイプリルフール!? と思わずツッコミたくなる日に亡くなられたこと、改めて遠藤先生のあのポジティブなユーモアを感じてしまいました。まさか、この日を選んで亡くなられたわけではありませんよね、遠藤先生。

遠藤先生は、闘病中も「今日は気分がいいので翻訳をしてみました」(!)と、失語症に関する外国の新しい文献を紹介してくださったり、1900 ピースのジグソーパズルを完成させたり(完成後は写真を撮ってすぐ解体!)、自己流リハビリの紹介など……、いつも前向きなレポートを送ってくださるなど、かえってこちらが励まされておりました。

突然の訃報に編集部も言葉を失っています。ご冥福をお祈りいたします。

2013年2月  2013「生と死を見つめる旅」緊急レポート

しばらく日常に戻れそうにない三好春樹より
無謀な旅でした。「三好春樹・高口光子と行くインド、生と死を見つめる旅」(2月9日~13日)のことです。まず、定員30人のつもりが、全国の高口ファンが殺到して断るに忍びなく、57人に膨れあがりました。これに日本からの添乗員1人、スルーガイド2人を含む総勢60人。

india その60人のうちの成田発組が、いきなりオールドデリーの街で解散してホテル集合というのがまず無謀。JTBなんかのツアーでは観光バスの車窓からおそるおそるのぞくだけという場所である。

バナラシ(ベナレス)がもっと大変。12年に1回の3ヶ月間にわたる祭りが開かれている最中。といっても120Kmも離れているのだが、聖地バナラシに参ろうとヒンドゥー教徒が押し寄せているのだ。
バスは進入禁止、オートリキシャも途中から入れないというので、やむなく人力のサイクルリキシャでガンガー(ガンジス河)へ向かう。なんと30台。約1時間もかかって、夜の火祭りへ。大群衆の中を歩いて会場へ、そして集合して再びリキシャ乗り場から2人づつホテルへ。

india よく誰も迷子にならなかったものである。奇跡に近い。ところが奇跡は最後までは続かない。最終日、沐浴とそれを見学するグループとバザール散策グループがこんどはオートリキシャで出発。近くまではいけないのでこれまた歩いてガンガー近くで集合場所を設定した。

しかし行ったことのある人は実感できるだろうが、どの街角も同じ風景にしか見えないし、方向感覚も無くなりそうで、迷う人が何人か出て、結局女性2人が所在未確認。
幸いにも2人はオートリキシャと交渉して、なんとちゃんと値切ってホテルに帰ってきた。値切った分はチップで渡したという。その気持は判る、あんな街で迷ったら、いくら金を出してもホテルに連れて行ってほしいと思うもの。

迷った人に心細い思いをさせたり、添乗員さんの寿命を縮めかねない企画を作った張本人として深く反省。もうこんな無謀なことはしません。でも祭りは12年に1回だからあと11年間はこんな人出にはならないということだし、60人は無謀だがもっと少なければ…と、反省はしても懲りないタチなので、来年の「生と死を見つめる旅」は20人ほんとに限定。

2月8日(土)発、12日(水)着の3泊5日で実施。今回キャンセル待ちの人とやむなくキャンセルした人優先です。早めに申し込みください。

なお1泊3日(!)オールドデリーだけを徘徊する”弾丸ツアー”も計画中!3日目の朝には帰ってこれるし、ツアー代金も安くできそうなので、介護現場の人にはいいのでは!?実施するかどうか、代金などは決まり次第このHP上で。

今回も私が感心したのは参加者がみんな”当事者”だったことでした。一般のツアーのような単なる”参加者”=”消費者”ではなくて、何があっても当事者として振るまって頂いたお陰で無謀が実現してしまいました。
皆さん方全員と特に何回もツアーに来ているリピーターの方々の頼もしさに感激、そして感謝です。

2013「生と死を見つめる旅」アルバム
バナラシ(ベナレス)のアルバム


2013年1月  『いのちより金』のこの日本で介護をするということ

「いのちより金」が露出してきた。安倍政権の誕生はその象徴ではないか。かっての日本はインドシナの石油を確保せんとして太平洋戦争を起こした。現在の日本はより安価な電力を求めて原発事故を起こした。

あの侵略戦争を反省していない安倍が、原発推進を反省していないのは至極当然であろう。アジアの人々の犠牲はやむをえない、福島の人々の犠牲もしかたない、そして今後ともそんな犠牲が出るのも経済のためなら見ないふりをしよう、そんな風潮に日本全体が侵されたのである。

そんな日本で介護するとはどういうことか。困っている人、犠牲になっている人がいれば見て見ないふりをしない、そしてどこまでできるかは判らないけど、いっしょに工夫し頑張る、これが介護の原点だ。いわば、介護という仕事をしようとするだけで、現在の日本とは違う価値観を生み出しているのである。

しかしその介護の世界さえ、すべてを金という数字に還元しようとするグローバリズムが押し寄せている。だから私たちは、いくら金になろうとこんなことはすべきではない、金にはならなくてもここは引き下がるべきではないといった歯止めを持たねばならない。

それはおそらく思想といってもいいものではなかろうか。私たちは良い介護をしようとすることで、このクソ社会に抵抗し新たな価値を創造していけるのだ。

Bricolageはそんな歯止めとすべき思想から、フットケアなんていう具体的な方法論(2012年12月号)まで、何でもありの介護職のための雑誌です。いい介護をしたいあなたの定期購読を待っています。いま定期購読を申し込むと、私の檄文が載った小冊子『絆にひそむ残酷さ』(非売品、大反響!)をもれなく進呈。先着順です。

2月のインドツアーも60人超!新刊の『完全図解新しい認知症ケア介護編』(講談社)も早々と増刷になるなど、今年はいい年になりそう!2月のオムツ外し学会横浜版などのセミナー会場でお逢いしましょう!

2012年8月  緊急アピール 領土問題に寄せて

「愛国主義は悪党の最後の逃げ場」(※)とはよく言ったものである。尖閣に上陸した香港の”活動家”も日本の都議どもも、みんな悪党面に見える。もちろん石原慎太郎も桜井良子も。

でも同じ悪党でも、韓国や中国側の悪党の気持ちはまだ私には判る。それは「対抗ナショナリズム」とでも言うべきものだからだ。両国民ともかって日本のナショナリズムによってひどい目にあわされた。それを日本が敗北した8月15日を機に、ほんと少しだけ仕返ししようとしてるにすぎない。

だが日本人がそれと同じ次元で反応していてはだめだろう。地球上を近代国家が領土化(領土とは占領した土地である)するのを当たり前とするつまらない近代的思想を超えなばならないのだ。

二つの世界大戦で絶望したヨーロッパは、国境をなくし、近代国家を無化する第一歩を踏み出しているではないか。絶望がないのはアメリカと日本である。

それにしても、どちら側の悪党にも私が違和を感ぜざるをえないのは、どうしてそんな確信が持てるのかという点である。国境線なんか見たこともないだろう。国境とは何か、つまり国とは何かと、学問すればするほど、何の実態もない時代の共同の観念にすぎないことが判るはずである。

確かなことが言えるのは、尖閣なら尖閣の回りを漁場として生活している漁師たちが「ここは自分たちの生活の場だ」と言えるだけである。それさえ保証されれば、どっちの領土でもかまわないし、どっちの領土でもないのが一番だ。

「領土問題なんか知ったことではない」というのが健全な民衆の正しい立場である。二流国家同士の争いに、確信めいた表情と発言で加担してくる奴らは、知性が欠如していることを自己告発しているのである。


(※)愛国心とは、ならず者達の最後の避難所である
   Patriotism is the last refuge of a scoundrel.
サミュエル・ジョンソン(イギリスの文豪)が言った名言
(Samuel Johnson, 1709年9月18日(ユリウス暦9月7日) - 1784年12月13日)はイギリス(イングランド)の文学者。「英語辞典」(1755年)の編集、シェイクスピアの研究で知られる。


2012年5月  高橋紘一(たかはし・ひろかず)さん追悼

国際医療福祉大学 医療福祉学科臨床教授の高橋紘一さんが亡くなった。68歳、肺ガンだった。

かって私が特養の職員だったころ、「老人生活研究」という雑誌に掲載されていた養護老人ホームの生活指導員の文章に強く惹かれた。それは、アルコール中毒の入所者といっしょに断酒会に通うものの、うまくはいかないという結論のない文章だった。私はこんな文を書く人がこの世界にいることに興奮してファンレターを送った。それが高橋さんだ!

その後彼は、栃木県の那須塩原で特養ホーム生きいきの里を立ちあげることになり、フリーの私がそのオープニングセミナーに呼ばれるとは思いもしなかった。

博識や地位を決して自慢したり利用したりしない人だった。しばらくの無沙汰のままこんな事態になったことを悔いている。ごめいふくを祈る。

※「老人生活研究」の彼の寄稿文をお持ちの方がいたら連絡いただきたい。


2012年5月  吉本隆明さんの追悼に代えて ~失礼を顧みず~

介護夜汰話ロゴ
吉本隆明さんが亡くなった。私は何か書かなくてはならない。なにしろ彼は、私の青春時代に圧倒的な影響を与えた。私は高校生運動を圧殺されたあと、新左翼の党派活動に参加した。それ以外には私の道はないかのように思えていた。しかしそれは、私の中の何かを意識的に断念することで成立する世界だった。

その断念したものを、せめて忘れないために、吉本隆明さんの詩を、紙片に書き写して常時身につけることにした。『贋アヴァンギャルド』という詩である。アヴァンギャルドとは「前衛」のこと。大衆に対する革命の指導部といった意味である。

はたして現在、この詩は、どんな本に収録されているのだろうか。私の本棚の中では「吉本隆明全著作集」の 1「定本詩集」の中に収録されている。けっして詩的ではない私が、生涯忘れえない詩がいくつも入っている本である。

贋アヴァンギャルド
きみの冷酷は
少年の時の玩具のなかに仕掛けてある
きみは発条をこわしてから悪んでいる少年にあたえ
世界を指図する
少年は憤怒にあおざめてきみに反抗する
きみの寂しさはそれに似ている
きみは土足で
少女たちの遊びの輪を蹴散らしてあるき
ある日とつぜん一人の少女が好きになる
きみが背っている悔恨はそれに似ている

きみが首長になると世界は暗くなる
きみが喋言ると少年は壁のなかにとじこもり
少女たちは厳粛になる

きみが革命というと
世界は全部玩具になる
(『定本詩集』212 頁より)

この詩を身につけてなくても、この詩や吉本さんに共感しつつ党派活動をやっていた奴はたくさんいたはずである。意志的に生きるということはあえて矛盾を背負うということだ。しかしそんな矛盾はいつまでも背負えるものではない。党派の論理は“内ゲバ”に至り、とてもついていけない私たちは、活動からの離脱を選ぶことになる。

そのとき、私たちを、それは“背教”であり“転向”であるという罪悪感から救ってくれたのは吉本隆明さんだった。そんなことを言ってくれるのは他には誰もいなかった。

吉本さんは、自分の著作にふれることで自死に至った若者について責任を感じているという文章を書かれたことがあった。だが、私も私の周りにも、吉本さんの文章によって自死しなくてすんだという人はたくさんいたと思う。

それくらい私たちに、“それでいい”というメッセージを与えてくれた人であった。私が特に影響を受けた彼の文章や本を挙げてみたいと思う。まず、『マチウ書試論』。『マチウ書』とは「マタイ伝」のこと。文庫本で読めるはずだ。『芸術的抵抗と挫折』『転向論』『共同幻想論』『心的現象論序説』『母型論』などなど。

ずいぶん厚かましい話で、私自身が吉本さんの自宅に何度か訪問して『老いの現在進行形』(春秋社)という対談集を出させてもらったのは、おそらく私の生涯を通しての最大の自慢である。吉本隆明さんは、私の父親と同じ齢である。そういう意味では私にとっての吉本さんはアンビヴァレンツ(=両価的)な存在でもある。圧倒的な影響力を与えたこの人は、でも晩年には私に違和感を増大させる存在であった。

高校生のとき以来、吉本さんが書き、語っていたことは、そのときにはさっぱりわからなくても、何年かあとには了解できることであった。しかし、何年経っても違和が残り、それが拡大していくということが現れてきた。最初は『反核異論』であった。これはかつて吉本さんが、核兵器を廃絶しようという運動に対して違和を唱えたものである。このとき、広島在住の被爆詩人である栗原貞子さんが激しく吉本を批判した。私は高校生の頃に栗原貞子さんにある恩があった。どちらにもつけない私は、態度を留保することにした。

そしてずっと留保を続けて、3. 11 と原発事故である。そのときの私の思いは文芸評論家の加藤典洋が代弁している。

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原発については、僕は吉本隆明さんの考えに説得されてきた人間です。科学を進めて起こってくる問題には、さらに科学を進めることで克服していくしかないという考え方です。(略)その意味で、情緒的な反科学は反動ですから、情緒的な反原発には反対、という立場を持してきました。いろんな反原発の言説がある。そこの違いには耳を傾けなかった。(略)何もしなかった。何ということをしてしまったか、させてしまったか。強い自責の念に襲われました。
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これは、3. 11 以降、数多く出版された本の中で一番まともだと思えた『思想としての 3.11』(河出書房新社)に収録されている。ちなみにこの本の冒頭に、佐々木中あたるの講演録が載っている。これは 3. 11 以降の私の最も大きな影響を与えた文である。この間の吉本隆明さんの著作は、編集者やジャーナリストのインタビューに応えるものが大半だった。そんな本の 1 冊で老いをテーマにした新書の中で、私は吉本さんから名指しで批判を受けた。

ある雑誌のインタビューで特養入所者の老人を笑い物にしているという批判であった。だが、あきらかに吉本さんの誤読もあって、私は私の発言を誤ったまま引用して本にまでした編集者の怠慢だと思った。もっと名の知れた人の発言ならちゃんとチェックしたのだろうが、私ごときだから手を抜いたのだろう。ちょうど同じ時期に、雲母書房で吉本さんを著者の一人とした本を編集中だったのだが、突然吉本さんから編集部にクレームが入るということがあった。

編集者には身の覚えのない吉本さんの一方的な思い込みであった。そんなことが重なって私は吉本さんにも「老化に伴う人間的変化」が生じているのだろうと推察してきた。今回、3. 11 にともなう原発事故という事態に際しても吉本さんは自説を変えることはせず、反原発は縄文時代に帰るようなものだ、と主張し続けた。果たしてそれは、彼の「老化に伴う人間的変化」によって現実を見ることができなくなったせいなのかどうか、私は判断を留保している。


2012年4月  緊急アピール

石原慎太郎がまた尖閣問題でつまらないことをやっている。これは人類の愚かさの象徴である。近代国家というワナにはまらない人たちよ、このホームページの「介護夜汰話 番外地」の「石原にこそ天罰」(新刊『希望としての介護』(雲母書房)にも所収)を必読のこと。国家を超えることこそ人類の課題である。

2012年3月  追悼 吉本隆明氏

以前行なっていた毎月定例読書会においても 『母型論』 『共同幻想論』 『マチユ書試論』を読ませてもらいました。氏の視点を抜きにして現代は語れません。吉本隆明氏の冥福を心よりお祈ります。

2012年1月  何にでも終わりがある

10数年間続けてきた毎月第2水曜日の定例読書会を1月で終了することにした。何にでも終わりがある。『介護のことば』(講談社)の『ん』の項に書いたとおりだ。(因みにこの文章、「薔薇族」の編集長がHPで誉めてくれてたぞ)

読書会といっても、1時間ほど輪読すると酒盛りに入るというゆるい会で、最近では始まる前から酒という状態だったくらい。この間読んできた本を並べるとすごいなあ。現代日本の状況が伝わる感じがする。

『野生の思考』(レヴィ・ストロース)…これが一番長かったなあ
『フーコー』(桜井哲夫、講談社の「現代思想の冒険者たち」シリーズ)
『母型論』『共同幻想論』『マチユ書試論』(吉本隆明)
『愛と経済のロゴス』(中沢新一、講談社のカイエ・ソバージュ・シリーズ)…シリーズの他の4冊も読みたかったなあ
『経験としての死』(芹沢俊介)…芹沢さんにも参加してもらいました
『自閉症論に異議あり!』(村瀬学)
『心はなぜ不自由なのか』(浜田寿美男)
『野口体操 からだに貞く』(野口三千三)
『ためらいの看護』(西川 勝)
『表徴の帝国」(ロラン・バルト)
そして『引き裂かれた自己』(R・D・レイン)

他に忘れているのがありそうだけど。よく読んだものである。介護関係者のみならず、おすすめの本である。
多数の参加者の皆さん、各地で同時進行で読んできた皆さん、通底している地下水脈でまた会いましょう!



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金と嘘と暴力で作った原発に さよならを
命と自然を売るな、買うな