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介護夜汰話
変えられないものを受け入れる心の静けさを  変えられるものを変えていく勇気を
そしてこの2つを見分ける賢さを

「投降のススメ」
経済優先、いじめ蔓延の日本社会よ / 君たちは包囲されている / 悪業非道を悔いて投降する者は /  経済よりいのち、弱者最優先の / 介護の現場に集合せよ
 (三好春樹)

「武漢日記」より
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」
 (方方)

 介護夜汰話

2012 ~ 2013
2013年7月  参院選を巡って

「三好さんは誰に投票するんですか?」と選挙の毎に伺ねられる。私は資本主義の下での選挙というものを信用していない。前回の衆院選が典型だが、みんな意識の表層でしか投票していない。つまり、目の前の収入が増えるかどうか、が唯一の選挙基準になっているのだ。

みんな汗水たらして収入を得ようとは思っていない。税金の一部をかすめて、あるいは為替差益で、株でもうけようとばかりしている。”アベノミクス”なんかで喜んでるような奴らだ。奴らを一生信用しない。

でもこの表層は、じつは人間というものの深層なのかもしれない。エゴイスティクな生き物としての生存本能という。いわば、人間の本能的エゴとグローバリズムのエコノミックなエゴが結託したのが現在の日本人の意識である。

それはナショナリズムとしても現れてきている。自分を相対化できない安倍のような右翼国家主義者にあるのは知性でも理性でもなくて、小児的自己中心性である。

領土(占領した土地)問題を、国境をなくす、つまり国家を廃絶することで解決しようと誰も言わないのが、現在の東アジアの悲しい現実である。

日本の憲法が画期的なのは、第九条をはじめとして、国家が国家であることをやめようとする第一歩を踏み出したことだ。その理念は、北朝鮮や中国といった国家主義的国家が未だに残る東アジアではなく、二つの大戦の反省から生まれたヨーロッパの統合という形で現実化しつつあるのだが。

ヨーロッパのように本能ではなくて、知性、いやせめて理性というレベルで政治的選択ができるように、東アジアがなるにはまだ時間がかかりそうである。今はせめて、この憲法を守り、原発に反対している政党と、選挙区の候補の中で最も当選の可能性のある人に投票しようと思っている。この選挙嫌いの私ですらそう考えるようになったこの日本人の<表層>は打ち破られなばならない。

2013年5月  使命に生きた人

♪あなたと呼べば、あなたと答える
やまのこだまの 楽しさよ

遠藤先生といえば真っ先に思い出すのがこの歌である。若い人に、知らないとは言わせない。老人介護を仕事にしている人なら知っておくべき歌である。

私が特養ホームの4年半の介護の仕事を経て、PT 養成校に入って最も驚き興奮したのは、医学、リハビリの知識、技術が介護にとって宝の山だったことである。しかし、この知と技を医療関係者は病気を治すためにしか使わない。これ以上はよくなりません、となってからは途端に興味を失うのだ。その知と技を、いっしょに生きていくために使えばいいんだ、と私は思ったのだ。それが自分の仕事だ、と。その見事な応用問題を展開されていたのが遠藤先生である。

一言もしゃべれない失語症者が、誕生会でマイクを持つと何番まででも歌い続けることの不思議さは、学校に入るとすぐに解けた。言葉を司る中枢は左脳、音楽は右脳だから、失語症がいくら重くてもメロディーは出てきて、それにつられて言葉も出るのだ。

冒頭に紹介した歌詞の曲名は『二人は若い』という。ここまでをみんなで歌う。遠藤先生による失語症者のグループ訓練の場面である。このあと、付き添いの奥さんが隣の夫に「あなた」と呼びかける。すると夫が「な~んだい」。妻の目に涙、そして笑顔。

脳卒中で右マヒになった夫は一度も返事をしてくれなかった。失語症だからしかたないと妻は頭ではわかっているのだがさみしくてしょうがない。一度だけでもかつてのような返事を聞きたい、というのが妻の願いなのだ。そこで遠藤先生が取り入れたのが『二人は若い』である。夫の返事があったからといって治ったわけではない。でもこれでまた妻は介護をしていこうという前向きの気持ちをもてる。

これは医療知識の介護への応用というよりも、創造だと言っていい。私たちに求められているものはこうした“遠藤流”である。それを引き継ぐのが私たちの使命だ。自らの金儲けや地位から背を向けるようにして“使命”だけに生きたような遠藤尚志氏の生き方はとてもできないにしても。

マチュピチュ
2011 年、失語症友の会の皆さんといっしょにマチュピチュへ。遠藤先生と車いすの方5 名、その他7名でマチュピチュの全貌を見晴らす展望台に到着したときの写真です

2013年4月  訃報 遠藤先生が亡くなられました

遠藤先生 2013 年4月1日早朝、言語聴覚士の遠藤尚志さんが逝去されました。享年70 歳でした。

えっ、エイプリルフール!? と思わずツッコミたくなる日に亡くなられたこと、改めて遠藤先生のあのポジティブなユーモアを感じてしまいました。まさか、この日を選んで亡くなられたわけではありませんよね、遠藤先生。

遠藤先生は、闘病中も「今日は気分がいいので翻訳をしてみました」(!)と、失語症に関する外国の新しい文献を紹介してくださったり、1900 ピースのジグソーパズルを完成させたり(完成後は写真を撮ってすぐ解体!)、自己流リハビリの紹介など……、いつも前向きなレポートを送ってくださるなど、かえってこちらが励まされておりました。

突然の訃報に編集部も言葉を失っています。ご冥福をお祈りいたします。

2013年3月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
      その25 自分とのコミュニケーションⅡ

読者に質問がある。英語の問題だ。〈long leg brace〉とは何のことか。私と同じように英語が苦手という人でも、long とleg は中学生英語だからわかるはずだ。braceを英和辞典で引いてみると「締めつける、支える」となっている。

答えは、「チョーカシソーグ」である。「超過しそう?」と聞き返したくなるが、漢字で書くと「長下肢装具」、リハビリテーションの用語である。大腿の上のほうから装着する文字どおりの長い装具で、膝関節と足関節を固定するためのものだ。略してL.L.B と呼ばれるが、L.L.B はもちろん、長下肢装具と言われてすぐにイメージできる人はほとんどいないだろう。

このコトバ一つとってみても、日本で使われている専門用語は、まず一般の人にはわからない。それに比べて英語での表現を見てみよう。long もleg もbrace も、一般の人が普通の生活で使っているコトバの組み合わせである。なぜ英語の専門用語は一般の人にもわかるのに、日本の専門用語はこんなに難解なのか。

難解だけではない。非常識と思える用語も少なくない。たとえば「鼻腔栄養」。鼻からチューブを入れて栄養を胃に注入するものだ。これ、なんて読むだろうか。「ビクウエイヨウ」と言われているだろう。しかし変だとは思われなかっただろうか。腔という字はどの辞書を引いてみても「クウ」と読むとは書いていない。「コウ」としか読めないはずである。

「ビクウエイヨウ」は常識はずれの読み方なのだ。なぜこんな間違いが医療界で定着してしまったのか。医療の世界では優秀だが一般常識には欠けるという人は珍しくない。そんな医者が最も権威ある大学にいて、非常識にも「鼻腔」を「ビクウ」と読んでしまった。なにしろ権威主義の医学界のことである。あの先生が間違うはずがないから、これは「ビクウ」だと他の医者も追従し、医者がそういうのだからと看護婦(現:看護師)もそれを見習って、とうとう……というのは私のでっちあげた話である。

事実ではない。しかし真実ではある。医療界の権威主義を物語るエピソードとして。事実はこうだ。「鼻孔」と「鼻腔」は両方とも「ビコウ」と発音する。だが前者は鼻の二つの穴のこと、後者は鼻の奥にある空洞の意味だ。これを間違えては困る。

「腹孔」と「腹腔」も、ともに「フッコウ」と発音するが、前者は腹に開いてしまった穴のことで後者は胃や腸が収まっている空洞のことだ。いわば異常なものと生理的なものが同じ発音なのである。これを間違えたりしないため「孔」はそのまま「コウ」、「腔」のほうはあえて「クウ」と呼ぶことにしよう、と決めたのだ。それで、ビクウエイヨウ。

漢字のテストである。読み方の問題だ。「蝶番」。正解は頁の下に載せておくが、医療の世界ではこれを「チョウバン」と読んでしまう。関節をその動き方によって分類したときの一つが「蝶ちょうばん番関節」と呼ばれるのだ。こちらはおそらく、私が「鼻腔」に関してでっちあげた“真実” があてはまるのではないだろうか。

専門用語がわかりにくいのは、医療界の権威主義や閉鎖性があえてシロウトにはわからないコトバをつくり出していることにあるのは間違いないだろう。しかしこうした日本特有の「専門用語」が成立する深層には、日本社会の二重構造と呼ばれるものが大きく影響している。

近代的発想や方法論は明治以降、西欧から入ってきた。コトバも英語やドイツ語を日本語に翻訳することから始まった。そのときたとえばlong leg brace は、一般の人にもわかるようなコトバではなく、「長下肢装具」という音読みのコトバに訳された。それはかつて中国や朝鮮からやってきた文化が漢語で表され、一部の特権階級だけがそれを理解、吸収できたことと類似している。

いわば古代になされた外来文化の吸収のしかたを近代においても繰り返したのだ。こうして、一般の生活者の使っている日常的なコトバとは別のところに、上流階級や専門家のコトバが形成されていくという特異な構造ができあがった。これが日本社会の二重構造である。

そこでは専門家になるということは、従来の生活的なコトバから離れて、別のコトバを使いこなすようになるということだった。それがシロウトである生活者との違いであり、専門家のアイデンティティの確認のようにさえなっていった。いわば専門家になるということは、生活者としての自分自身を否定し、それとは別の何者かになることだった。

あたかも自分自身とのコミュニケーションを断絶することが専門性を高めることであることのように思われているのだ。私たちは認知症老人のコミュニケーションについて論じてきた。なぜ専門性の高い職種ほど、そして自らの専門性を主張したがる人ほど、認知症老人とのコミュニケーションが下手な人が多いのか、その理由がわかってきた。

つまり彼らは、認知症老人とどころか、自分自身とのコミュニケーションすら断絶してきているのだ。専門用語なんか何も知らなかった時代の自分とコミュニケーションをとろうとしないから、生活者という非専門家とコミュニケートできるはずがない。

まして認知症老人においてをや、である。認知症老人とのコミュニケーションができる人は、まず自分自身とのコミュニケーションができる人でなくてはならない。

2013年2月  2013「生と死を見つめる旅」緊急レポート

しばらく日常に戻れそうにない三好春樹より
無謀な旅でした。「三好春樹・高口光子と行くインド、生と死を見つめる旅」(2月9日~13日)のことです。まず、定員30人のつもりが、全国の高口ファンが殺到して断るに忍びなく、57人に膨れあがりました。これに日本からの添乗員1人、スルーガイド2人を含む総勢60人。

india その60人のうちの成田発組が、いきなりオールドデリーの街で解散してホテル集合というのがまず無謀。JTBなんかのツアーでは観光バスの車窓からおそるおそるのぞくだけという場所である。

バナラシ(ベナレス)がもっと大変。12年に1回の3ヶ月間にわたる祭りが開かれている最中。といっても120Kmも離れているのだが、聖地バナラシに参ろうとヒンドゥー教徒が押し寄せているのだ。
バスは進入禁止、オートリキシャも途中から入れないというので、やむなく人力のサイクルリキシャでガンガー(ガンジス河)へ向かう。なんと30台。約1時間もかかって、夜の火祭りへ。大群衆の中を歩いて会場へ、そして集合して再びリキシャ乗り場から2人づつホテルへ。

india よく誰も迷子にならなかったものである。奇跡に近い。ところが奇跡は最後までは続かない。最終日、沐浴とそれを見学するグループとバザール散策グループがこんどはオートリキシャで出発。近くまではいけないのでこれまた歩いてガンガー近くで集合場所を設定した。

しかし行ったことのある人は実感できるだろうが、どの街角も同じ風景にしか見えないし、方向感覚も無くなりそうで、迷う人が何人か出て、結局女性2人が所在未確認。
幸いにも2人はオートリキシャと交渉して、なんとちゃんと値切ってホテルに帰ってきた。値切った分はチップで渡したという。その気持は判る、あんな街で迷ったら、いくら金を出してもホテルに連れて行ってほしいと思うもの。

迷った人に心細い思いをさせたり、添乗員さんの寿命を縮めかねない企画を作った張本人として深く反省。もうこんな無謀なことはしません。でも祭りは12年に1回だからあと11年間はこんな人出にはならないということだし、60人は無謀だがもっと少なければ…と、反省はしても懲りないタチなので、来年の「生と死を見つめる旅」は20人ほんとに限定。

2月8日(土)発、12日(水)着の3泊5日で実施。今回キャンセル待ちの人とやむなくキャンセルした人優先です。早めに申し込みください。

なお1泊3日(!)オールドデリーだけを徘徊する”弾丸ツアー”も計画中!3日目の朝には帰ってこれるし、ツアー代金も安くできそうなので、介護現場の人にはいいのでは!?実施するかどうか、代金などは決まり次第このHP上で。

今回も私が感心したのは参加者がみんな”当事者”だったことでした。一般のツアーのような単なる”参加者”=”消費者”ではなくて、何があっても当事者として振るまって頂いたお陰で無謀が実現してしまいました。
皆さん方全員と特に何回もツアーに来ているリピーターの方々の頼もしさに感激、そして感謝です。

2013「生と死を見つめる旅」アルバム
バナラシ(ベナレス)のアルバム

2013年1月  10年に1度の読書体験」とは?
     ~その②『経哲草稿』

ドストエフスキーの『罪と罰』に没入して以降、文学の世界に入り込んでいった私は、“現実より活字の中にこそリアルなものを感じる” という心理状態になっていったように思う。本の中の“仮想現実” にはまってしまったのだ。現在のゲームやネットというバーチャルリアリティに人々がはまっているのと、私のそれとはどこまで同じでどこが違うのか、私はゲームやネットにほとんど無縁なので語る立場にはない。

だが、現在のネットに夢中になっている若者への批判的論調は、かつて文学に対しても存在していたことは確かである。「小説なんか読んでいてはロクな人間にならない」というふうに。その批判は当たっていると思う。ちゃんとした社会人になり、金を稼いで一家を成すという当たり前の人生とは別のところに本当の生き方があるのではないか、なんて思ってしまって、金や地位や名誉なんか放り出しかねない人間になる恐れがあるのが文学であろう。

でもそのおかげで助かることがあるのだ。その実際の人生がうまくいかず、金や地位や名誉なんかを失ってしまうという状態になったとき、“仮想現実” というもう一つの世界をもっていると強いのである。もちろん、そんな人生の危機なんかないまま一生を送るのがいちばんいいのだろう。でも人生何があるかわからない。

そんなとき、一見、何の役にも立たないどころか、邪魔さえしているかに思える“仮想現実” は少なくとも“保険” の役割ぐらいはしているのではないかと思えるのだ。そして私は十分保険料のもとはとった。私がそれ以来もち続けてきた“仮想現実” は、同じ活字の世界でも、文学から思想のほうに移行していくことになる。

時代はベトナム戦争が激化して日本の米軍基地がその出撃拠点となり、反戦運動が巻き起こっていた。この世界の状況をグローバルに解き明かし、解決の方向性を示せるのは当時はマルクス主義しかないかのように思われた。現在のマルクス主義の凋落(ちょうらく)ぶりからは信じられないだろうが、私だけでなく、多くの若者がマルクス主義に憑依(ひょうい)していた。といっても私はマルクスの書いた『資本論』は解説書を読んだだけだ。

「マルクス主義者」を自称していた多くの者もその程度であったろうと思う。でも『経済学・哲学草稿』は読んだ。略して『経哲草稿』。広島大学の中核派の活動家が、われわれ早熟な高校生をオルグ(組織化)するために喫茶店で学習会を開いたときのテキストがこの『経哲草稿』。

第一章の「疎外された労働」を論読するのだが、高校2年の私には難解すぎてよくわからない。でもこれまで一度も見たり聴いたりしたことのない新しい世界が開けていくという実感だけはあって、当時の私はこの小さな岩波文庫に集中し短期間で何度も読み返すのだ。マルクス主義から縁を切ろうと決断したときに自宅の大量の本を処分したのだが、この本だけは手放すに及ばず、いまだに手元にある。

開いてみるとほとんどの頁に線がいっぱい引いてある。これじゃ引かないのと同じじゃないかというくらい。何にこんなに熱中していたのか今では判然としない。しかし覚えていることがある。何度か読んでいるうちに、スーッとマルクスの言いたいことが見えてきたのである。それはちょうど、二次元の絵を見ていたら、ある焦点のあて方で三次元の立体が飛び出してくるのに似ている。あっ、本を読むとはこういうことなのか、人の思想が伝わるということはこういうことか、とはじめてわかった気がした瞬間だった。

もちろんそれがマルクスの真意なのやら当時も今も私の理解力なんかしれているのだが、そのときの解放感が私の人生を変えたのである。というのも、それで私は細々と続けていた受験勉強を一切しないと決めたのだ。こんな快楽とでも呼べるような本の読み方があるというのに、なんで受験勉強をしなくてはならないのか!

苦手な英語の単語や文法を頭の中に押し込めるようなことをこれ以上続けていたらバカになってしまう、と私は思った。それで大学進学をやめることにしたのだ。『経哲草稿』から学んだこと。それは、何かよくわからなくても魅力を感じた本は何度でも読んでみるべきだ、ということが一つ。

もう一つは「本」という仮想現実は、人生の危機に際しての「保険」にもなるが、人生を外れるという「危機」そのものを生み出すこともあるということ。もっともそれが「危機」であるのは、この“命より金” という日本社会での“まともな生き方” を基準にしているからであって、そうでないなら、人生から外れていくことは「解放」の別の表現なのである。

2013年1月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
      その24 自分とのコミュニケーション

前号で、客観的情報とは、私たちが老人に“客観的に関わったときの情報” でしかないと書いた。意識を失っている重病人についての情報、つまり、呼吸や脈拍、血圧といった、いわゆるバイタルサインならばそれがふさわしいだろう。しかし、生活者である老人や障害者については何の役にも立たない、と。

だって、医師によって観察された情報は、医師の前にいる老人や障害者の姿でしかないのだから。血圧や脈拍が白衣を着た医師の前では特別な値を示すことは、たとえば「白衣性高血圧」というコトバでも知られているではないか。私たちが老人に質問をする。同じ質問でも医師がするのと、介護職、さらに家族、同室の老人がするのでは答えは違ってくる。どれが本当の答えなのか?

医師への答えが客観的? それとも介護職? でも介護職の中でも誰かによって答えは違う。じゃあ家族か?いや、違う。全部本当なのである。つまり生活の場という私たちの日常的場面では、客観性などどこにもなくて、その代わりに「関係性」があるのだ。となると、私たちが記録し語るものは、客観的表現ではなくて関係的表現だということになってくる。

つまり、介護職である私、その私はすでに10 年近くこの老人に関わっており、私はその人が好きで向こうもこちらを信頼してくれているかに思える、という関係の中で、ある質問をしたらこう答えた、という表現である。したがって、この仕事に就いたばかりで、その老人に名前も覚えてもらっていない介護職がまったく同じ質問をしたとしても答えはおそらく違ったものになるに違いない。

介護に必要な表現、たとえば、それは「介護記録」という形で言語化することを介護保険のもとでは義務化されているのだが、それは、誰が誰にどう語りかけたらどう反応したかという具体的な記述でなければならないということがわかる。ところが、医療をはじめとする近代的な専門家は「客観性」こそが価値であるとし、客観的ではないものを「主観的」であいまいなものとして片づけようとする。

近代的思考が「主観性」を排して「客観性」を重要視したのにはわけがある。かつて中世では病気とは悪霊がついていたり、天罰が原因であるといわれていた。権力者であった宗教者の主観(現在のわれわれからは迷信とさえ思えるが)が、真実とされていたのである。だから、誰にも見えない権力者の観念の中にだけあるものではなくて、誰にでも見え、あるいは納得できる現実的なものを病気の原因にしようよ、というのが、「客観性」と呼ばれたのである。

それが医療の高度化と専門化に伴って、データによって数値化されたものが客観的だとされ、むしろ現実的なものから遠ざかっていくことになったのだ。しかし、客観的か主観的という二元論は、少なくとも生活的世界では虚構の世界である。

だって、私がある老人を「かわいそう」と感じたという「主観的」事実は、まぎれもなく「客観的」事実ではないか。そして「なんとかしてあげなくては」と思っていることは、その老人の客観的現実を変えることがあるのだ。としたら介護の関係的記録には、私の「かわいそう」という主観こそ記述すべきではないか。関係的世界は、客観= 正しい、主観= あいまいという二元論を解体してしまうのである。

客観的評価は、意識を失っている重病人の場合には通用するだろうと書いた。じつはそれに対しても反論があるのだ。病院のICU(=集中治療室)に勤務していた看護師から聞いた話である。意識がまったくなくて機械につながれている人でも、家族が毎日やってきて声をかけている人とそうでない人とは回復が違うような気がすると言うのだ。

もちろんデータがあるわけではないが、前者のほうが回復が早いというのだ。彼女はそれを確信していた。つまり、そうした重症の患者ですら関係的に存在しているというのだ。となると、意識もあり重症でもなく生活の場にいる老人や障害者を客観的に観察し記録するということは、彼らを受身的対象= 客体化することになるではないか。

と同時に、ここが大切な点だが、「かわいそう」とか「なんとかしてあげなくては」という主観を表現したり記録したり、感じていることすら禁じられた私たち介護職の側も、「主体」から「客体」へと転落していることになる。つまり、現実的で具体的な世界で、見、聞き、感じている、生きいきした主体を手放しているのである。

前号で引用した中川春彦の「何かが間違っている」という実感とは、自分自身の客体化への違和の表れであろう(『生き方としての老人介護 I』)。主観―客観という二元論が関係的世界で解体されてしまうように、主体―客体という二元論も成立しない。

相手を全面的な客体にしてしまったときに、こちらが完全な主体になるかのように思われているがそれは違う。相手が客体化しているときにはこちらも客体化されてしまうのだ。コミュニケーションとは相互主体という関係でこそ成立する。だとしたら、専門性を求めるあまり私たちはコミュニケーションを手放していると言えるのではないか。

2013年1月  『いのちより金』のこの日本で介護をするということ

「いのちより金」が露出してきた。安倍政権の誕生はその象徴ではないか。かっての日本はインドシナの石油を確保せんとして太平洋戦争を起こした。現在の日本はより安価な電力を求めて原発事故を起こした。

あの侵略戦争を反省していない安倍が、原発推進を反省していないのは至極当然であろう。アジアの人々の犠牲はやむをえない、福島の人々の犠牲もしかたない、そして今後ともそんな犠牲が出るのも経済のためなら見ないふりをしよう、そんな風潮に日本全体が侵されたのである。

そんな日本で介護するとはどういうことか。困っている人、犠牲になっている人がいれば見て見ないふりをしない、そしてどこまでできるかは判らないけど、いっしょに工夫し頑張る、これが介護の原点だ。いわば、介護という仕事をしようとするだけで、現在の日本とは違う価値観を生み出しているのである。

しかしその介護の世界さえ、すべてを金という数字に還元しようとするグローバリズムが押し寄せている。だから私たちは、いくら金になろうとこんなことはすべきではない、金にはならなくてもここは引き下がるべきではないといった歯止めを持たねばならない。

それはおそらく思想といってもいいものではなかろうか。私たちは良い介護をしようとすることで、このクソ社会に抵抗し新たな価値を創造していけるのだ。

Bricolageはそんな歯止めとすべき思想から、フットケアなんていう具体的な方法論(2012年12月号)まで、何でもありの介護職のための雑誌です。いい介護をしたいあなたの定期購読を待っています。いま定期購読を申し込むと、私の檄文が載った小冊子『絆にひそむ残酷さ』(非売品、大反響!)をもれなく進呈。先着順です。

2月のインドツアーも60人超!新刊の『完全図解新しい認知症ケア介護編』(講談社)も早々と増刷になるなど、今年はいい年になりそう!2月のオムツ外し学会横浜版などのセミナー会場でお逢いしましょう!

2012年12月  10年に1度の読書体験」とは?
         その①『罪と罰』

『グアヤキ年代記』と『ピダハン』を、「10年に1度の衝撃的読書体験」として紹介したら、「他にはどんな本から衝撃を受けましたか」という質問をする人が何人かいた。そうか、私はいま62歳だから、人生の中で最低でも6冊はそうした本と出合っているはずである。そこで思い出してみることにした。もちろん、介護とは直接の関係はない本になるが、それでかまわないだろう。だって人生と老いに関わる介護の世界は広くて深いから、なんだって関連があり、役に立つはずだから。

あとになって思えばだが、10代のときに私の人生の方向性を決めた本が2 冊あった。その1 冊がドストエフスキーの『罪と罰』である。私は、中学2年生の夏休みに、家に並んでいた平凡社の『世界文学全集』の中から選んで『罪と罰』を読んだ。寝る前に読み始めたのだが、どうしても先が読みたくてやめられず、徹夜して読了したのを覚えている。

亀山郁夫さんも、中学2 年生の夏休みに『罪と罰』を読んだそうだ。彼と私は同じ歳だから、昭和38年の夏に同じ体験をしていることになる。もっとも、彼はその体験をきっかけにしてロシア文学を専攻し、いまや東京外国語大学の学長にしてドストエフスキー研究の第一人者になっている。それに比べて私のほうはどうか。じつは逮捕歴があって犯罪者ギリギリという私の経歴のほうが、この本の主人公やドストエフスキーの人生とは共鳴するはずだ、と思って彼に対抗(?)しているのである。

主人公はラスコーリニコフという貧乏学生。学業のための金ほしさに、業悪な金貸しの老婆を殺害するのだが、その現場を見てしまった老婆の姪まで殺してしまう。奪った金で大学を卒業し、立派になって人のためになれば、それは犯罪ではないはずだ、というラスコーリニコフの信念は揺らぎ始める。

そのあたりの内面の描写が、私を徹夜させた最大の要因であろう。彼はソーニャという女性と出会い、自首してシベリアに流刑となる。そしてソーニャの足もとでシベリアの大地に口づけして改心するのである。中学2年生の私はそれが物足りない。なぜ最初の信念を貫徹しないのか。

考えてみれば、これは「革命」の隠喩である。犠牲が生じたとしても人民が解放されるのだからやむをえない、という革命の論理と同じだ。私はその後、10代の2冊めの本に出合って「革命」をめざす活動家になっていくのだが、内ゲバの中で、そこから脱却したときに再びこの本を読んだ。すると、前とはまったく違った読み方になっている自分に気づくのである。改心する側から、あるいはソーニャの側から読んでいるのだ。

ところがさらに歳をとって、介護の世界で多くの老人たちの人生と関わったあとに読んでみると、またまた読み方が違うのだ。はたしてラスコーリニコフは本当に改心したのだろうか、という疑問を感じるのである。たしかに改心は本気で真心からのものだっただろう。しかしどこかで「革命」を肯定していたのではないか、そんな最初の信念を保持しつつ、その後の人生を生きたのではないかと空想するのだ。

そして4回め。それは数年前、同世代の男性3人で訪れたロシア旅行のときに、タシケント経由という、ウズベキスタン航空の長い飛行時間に読むことになった。この旅は幸いにも私たち3 人だけのツアーだったため、現地ガイドの予定を変更させ、ドストエフスキーの生家、博物館になっている亡くなった家、そして墓を訪ねるという、名付けて「ラスコーリニコフツアー」と化したのだが、そのときの読書体験は、またもや前の3回とは違うものだった。

私はラスコーリニコフでもソーニャでもなく、この2人を含めた登場人物たちの強烈さに圧倒されて読んだのだ。ソーニャの父親のダメ親父ぶり、狂っていく母の姿、主人公の妹もすごい。言い寄る男をピストルで撃つのだ。その言い寄る男も悪党で、自殺するのだが、じつに魅力的である。どの脇役も、脇役でありながら強い個性を発揮している。その誰が主人公であっても一篇の小説が成り立つほどである。

これらの“濃い” 人物たちは、業悪な金貸し老婆を含めて、ドストエフスキーの家族や親類、周りの人物たちがモデルだとさえ言われている。とすると私は、最初は心理学的文学、あるいは革命の物語として魅ひかれた『罪と罰』を、今では群像劇として興味を惹かれ、それを通してドストエフスキーの生きた時代と彼自身のこれまた数奇な人生――それは彼の父も兄も含めてだが――に思いを馳せるという読み方も変化していることになる。歳はとってみるものだ。自分の変化が思いもかけぬものだから。

熱中した本は何度でも読むべきだ。たとえば『罪と罰』はドストエフスキーという人と出会うことでもある。彼は一回読んでわかるような人ではない。何度も読んで何度も立ちあがってくる世界に読者の私自身の世界が投影しているのだ。さあ、5 回めの読書では何がどうなっているだろうか。さて、10代の2冊めの本とはマルクスである。以下、次号に続く。

▼ Read Me Please
罪と罰〈1〉〈2〉〈3〉
著者:ドストエフスキー
訳者:亀山郁夫
発行:光文社古典新訳文庫
定価:〈1〉819 円+税 〈2〉800 円+税 〈3〉876 円+税

2012年12月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
      その23〝上品なおばあさん"が入居してきたⅥ

ミシェル・フーコーという哲学者は、一方的に視みる、視られるという関係から権力が生じると言った。したがって、一方的に視るという立場にいる医療の専門家は、それだけで権力者であるということになる。医者だけではない。私たち介護職だって、老人、特に認知症老人との関係の中では、“立派な” 権力者になってしまう。視られ、ケアされている老人は、医療者はもとより介護者からも<客体>にされてしまう。

つまり、一方的にその運命を左右されてしまうのである。ここでは相互的なコミュニケーションなんか存在しない。2 人の人がいて、1 人は棍こん棒を手に持っていて1 人は素手である。さあ、互いに自由に自己主張しろと言われてもそうはいかないだろう。棍棒を「金」に代えてみれば、現在私たちが“民主主義” と呼んでいるものの正体がわかるというものだ。

その典型的な姿を、かつての、そして残念ながら日本では現在でも、精神病院にみることができるだろう。治療者と患者である精神病者との関係である。イタリアではすでに1978 年(なんと34 年も前!)に、精神病院を廃止することを決定している。正式には「法律180号」であるが、「バザーリア法」という名で知られている。

バザーリアとは、フランコ・バザーリアという精神科医のことである。彼は精神病院の院長という職を引き受けるかどうか迷って、病室のシーツを交換するスタッフになりすましてその実態を体験する。そこで彼は、医者も看護師もいないところでこそ、患者たちの本当の苦悩が語られていることに気づくのだ。

精神病院という治療者――患者という固定化された一方的関係ではコミュニケーションは存在せず、もちろん治療も存在しない。逆に“治療的関係” こそが病状をつくり出しているのである。イタリアでは現在、急性期の患者を除いてみんな地域で暮らしている。精神科医も看護師もみんな地域に移行した。治療者――患者という一方的関係は、生活者同士の相互的関係の中の一部になったのである。

海外の精神障害の領域の話だけではなくて、日本の介護、それも老人介護の世界にも例をとってみよう。『生き方としての老人介護Ⅰ』というブックレットがある。著者は、中田妃登美(花まるデイサービス/青森県)、風間美智子(たんぽぽの家/新潟県)、細川鉄平(祥の郷・当時/大阪府)というデイサービスの3人と、特養ホームラヴィータウーノ(大阪府)の中川春彦である。じつは監修は私で、短い「介護は自然と同じくらい自由だ」という文を「はじめに」に書いている。

4人ともそれぞれがユニークな介護論・人生論を語っているが、中川の文の中に今回のテーマと関連する興味深い話がある。引用してみよう。

私は「高齢者介護におけるリスクマネジメントシステムの導入に向けて」というテーマで、卒業論文に取り組みました。すごくいいと思った実習先の特養ホームの取り組みをまとめようと思ったのです。介護の最前線の取り組みを文章にしていく作業は楽しくもあったのですが、卒論に取り組む過程で、2つの問題が起こりました。

一つは、あたたかくてゆったりとした空気が流れていたその特養ホームに、少しずつ冷やかな空気が流れ始めたこと。もう一つは祖母の元気がなくなっていったこと。祖母を元気にするために学んでいるはずの勉強が、逆に祖母の元気を奪っているような気がしました。祖母とうまく関わることができず、むしろ重荷に感じている自分がいました。


「何かが間違っている」これは、介護職の一員や孫という介護者であった著者が、論文完成という目的をもった、いわば研究者や学者という立場に移行したことで起きた変化である。それまでは当たり前のものとして特養入所者や祖母に対して共感的に関わってきた。感情移入だってしただろう。

しかし、論文をまとめるためには彼らを「観察」する目が必要になる。観察には客観性と冷静さが必要とされる。しかしこの客観性と冷静さが問題である。それは生活の場の常識からすると「他人事として」と「冷やかに」ということになる。それだけではない。そんなふうに関わられた老人は、自分が観察される対象として「客体」になっていることを感じざるをえない。

老人、特に認知症老人、著者の祖母もその例外ではなく、そんなまわりの人の“目” には敏感なのだ。そもそも考えてみるといい。客観的で冷静に観察して得られた情報とは、その人が冷静に客観的に関わられたときの情報でしかない。そんなものは、意識を失っている人か、あとは死体の場合しかありえないではないか。私たちはみんな共感的世界で生活しているのである。

▼ Read Me Please
生き方としての老人介護Ⅰ
著者:中田妃登美・風間美智子・
中川春彦・細川鉄平
監修:三好春樹
発行:ブリコラージュ
定価:1,200 円+税

2012年11月  「グアヤキ」「ピダハン」余話
   ― 「よりあい」の2冊の本の書評に代えて

「グアヤキ」※1 や「ピダハン」※2 は、野蛮で未開のままの遅れた世界だと思われてきた。しかしそれは西欧中心主義的な見方である。西欧は進歩することを選んできた社会だが、彼らは、権力も国家も発生させないという道を選んできたのである。

実際、南米のインディオ、北米のインディアンたちを知れば知るほど、あたかも彼らも一度は西欧的世界を選んでひどいめに合って反省し、それを意志的に拒否してきたのではないかと思いたくなってしまう。私たちは意志というと意識が強くなったものだと考えるが、深い無意識が強くなった意志というのも存在しているのではないだろうか。

これらの著作を読んで想い起こしたものがいくつかある。その一つは「ひょっこりひょうたん島」である。私が中学生の頃、NHK総合テレビで連日放送されていた人形劇である。今は亡き井上ひさしが作者であった。ここには未開社会と同じく、命令するものもそれに服従するものもいない。

ドン・ガバチョという、テレビ画面から出現した政治家が勝手に大統領を名乗り、紙幣の単位を「1 ガバス」「2 ガバス」と決めたりはするが、誰からも尊敬されておらず命令に従う者などいない。資本家のトラヒゲも、国際警察から手配されている悪役のダンディーもいるが、みんな権力とは無縁である。権力の発生を茶化し無化しているのはこの島の主人公である子どもたちである。

生前、井上ひさしは、この子どもたちは死んだ子どもであると語っていたという。そういえば誰一人、父親も母親も島にはいなかったなぁ。サンデー先生はいたけど。井上ひさしは、現実にありえないユートピアとして、この世にはいない子どもたちを登場させたのだろう。でも権力なき社会はユートピアではないのだ。

「ピダハン」で私の頭に去来したものは「大衆の原像」という言葉である。これは、吉本隆明が提起した概念である。名もなき庶民として家庭をつくり、子をつくって育てそして死んでいくこと、このことこそ最も意味のあることであり、どんな思想も実践もそれより立派ではない、決して、そうしたごく平凡な人生を犠牲にすることは許されない、と吉本は主張した。

しかし現代社会で、観念の世界とは無縁の生活や人生を送ることはありえないではないかという批判も受ける。もちろん吉本は「大衆の原像」をあるべき「実体」として語っていたのではない。あらゆる思想が根底にもつべき「理念」として提起したのだ、というのが私たち、“吉本派” の反論であった。ところがどうだろう。「大衆の原像」は「実体」としても存在しているのではないか。

観念の極地の一つである一神教の熱心な信仰を止めてしまうというピダハンの著者の選択は象徴的である。同じく観念の極地である国家もまた無化することができる。いま私にできることは茶化すことだけだとしても。「ピダハン」で連想したことのもう一つは、前号にも書いたように、現場の介護職である。私はまっ先に「宅老所よりあい」の下村恵美子と村瀨孝生を思い浮かべた。

この2 人は、第1 よりあい、第2 よりあいの代表として認知症ケアの只中にいて、そこで見、聞き、感じたことだけを語る。ちょうどピダハンのように。彼らは竹内孝仁や私が使う認知症の三分類なんかを語ることはない。また認知症ケアの方法を提起したりすることもしない。いや「認知症」というコトバすら、まず使うことはない。

語るのは固有名詞のじいさん、ばあさんとその人への関わりである。彼らのそれぞれの新著を読んでみればそれがよくわかる。下村恵美子著『生と死をつなぐケア』、村瀨孝生著『看取りケアの作法』の2 冊である。彼らの本や語りに抽象がないというのではない。でもその抽象性は観念的ではなく、現場の実感を伴っている。色も手ざわりも伴った抽象なのだ。

ピダハンは現実的なことしか信じないし語らない。でも夢は彼らには「現実」である。さらに「精霊」は見えるのだという。ピダハン・ショックを語る私に村瀨孝生がこう言った。ある日仕事に行くと下村さんが口をきいてくれないそうだ。村瀨が「僕なにか気に障ること言ったりしましたか」と尋ねると、下村さん曰く「あんたは昨夜、夢に出てきて私の悪口を言った」「下村さんこそピダハンですよ」。

「ひょっこりひょうたん島」や「大衆の原像」は実体としてアマゾン奥地に存在し、ピダハンも現代日本社会の介護界に健在なのだ。これは希望である。

▼ Read Me Please
※1
グアヤキ年代記  ―遊動狩人アチェの世界
著者:ピエール・クラストル
訳者:毬藻充
発行:現代企画室
定価:4,800 円+税

※2
ピダハン  ―「言語本能」を超える文化と世界観
著者:ダニエル・L・エヴェレット
訳者:屋代通子
発行:みすず書房
定価:3,400 円+税

2012年11月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
      その22〝上品なおばあさん"が入居してきたⅤ

T さんが、コミュニケーションの拒否、というよりも、コミュニケーションの前提ともいうべき、世界を受け入れることさえ拒否していた状態から、私たちとの世界を受け入れ、コミュニケーションが可能になっていく過程を、私は彼女の入所以来、生活の場をともにすることで体験してきた。

いったい何がそれを可能にしたのだろうか。コミュニケーションとは一般に、対人関係技術であると考えられている。ケースワーカーやカウンセラーがその専門家であるとされ、介護関係者もその技術を身につけるべきだと言われている。T さんに対してそれは行われたか。答えはノーである。じつは私が勤務していた施設には、4 年制大学でケースワークを専攻し、ヨーロッパの老人施設で研修までした経験豊かなスタッフがいた。

老人福祉分野の草分け的存在である彼女は、私の直接の上司であった。私は彼女から社会福祉とは、介護とは何かを特養ホームの日常の中で実体験として教えてもらった。まれに見る、優秀なケースワーカーであった。しかし後述するように、彼女の目をみはる仕事ぶりは、いわゆる“ケースワーク” ではなかったように私には思えた。だからこそ目をみはるものになったと言っていい。

私たちが知りたいのは、T さんに対してどんな技法が意識的に使われたかではない。そんなものはほとんどなかったと言っていい。それがあったとすれば、私の上司にあたるケースワーカーの関わりだが、彼女の意図性はもう意図や意識を超えて無意識の中に定着していたような気がする。それも「意識的」と言うなら彼女の関わり方がそれにあたるかもしれない。しかしそうだとしても、彼女の関わりは、T さんにとってほんの部分的なものにすぎない。

では、T さんを変えた意識的とは言えない関わりとはいったいどんなものだろうか。私は何号か前にすでに彼女を変えた要因についてふれておいた(連載のその⑲ )。その一つは、家族の面会と並んで、“大部屋” であると。まずは同室の5 人の入居者である。なにしろ6 人の大部屋である。カーテンはあるものの、オムツ交換や夜間以外はオープンになっていることが多いし、カーテンを閉めたところで何をしているのかはお互いにわからぬはずがない。

そんな場に24 時間おかれたのである。病院も同じく大部屋で一部屋に6 人どころか、当時は8 人なんてのもザラだった。だが、特養ホームに比べると入院患者同士の会話や交流は驚くほど少ない。みんな病人だからそんな余裕はないからだろうか。いろんな年代の人がいるから話が合わないからか。いや、当時の老人病院の“患者” は特養ホームと同じくみんな高齢者だったし、“患者” と呼ばれてはいたが、やはり特養入居者と違いはなかったはずだ。

だから会話も交流もなかったのは別の理由である。その理由とは、あってはならないものだった、というべきだろう。“患者” の役割はまず病気を治すことだ。そのために最も大事なことは医師、看護師という治療者の言うことをよく聞いて安静に専念することである。入院患者同士のおしゃべりなんかは治療にとってはむしろ邪魔だったのである。

大部屋での老人同士の関係と、医師、看護師との関係とはどう違っているのか。私ははっきり断言したいと思う。前者ではコミュニケーションはすぐに生まれる。しかし後者ではコミュニケーションは成立しない。もしくは極めて成立しにくいと。前者では本音が飛びかう。なぜなら横の関係だからである。相手に遠慮もいらない。

「対称性のある関係」と表現する人もいる。“お互いさま” という相互関係のことだ。しかし、後者ではそうはいかない。医師、看護師は専門家であり、患者の側はその指示に従わなければならないという一方的関係である。患者からすると相手の機嫌を損ねてはならないから、本音どころか自己主張はもちろん、控えめな感想ですら口に出せない。ここでは人間関係の対称性は崩れている。つまり相互性はなく、一方的関係が生じているのだ。

“一方的関係” とは言語矛盾である。関係とはコトバどおり、相互的なものを指す。では一方的関係は何と呼べばいいか。ミッシェル・フーコーという哲学者は、その一方的関係から「権力」が生ずると言った。一方的関係とは、権力を産み出すものだというのである。命令するものとそれに服従するものによって権力関係がつくられる。

なんだか難しい話になってきたが、老人、とくに認知症老人のコミュニケーションを語るうえで避けては通れないので続きは次回で。


2012年10月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
      その21〝上品なおばあさん"が入居してきたⅣ

先月号のクイズの答えから。特養ホーム入所中のTさんに、遠い親戚にあたるという医師が面会に来た。Tさんを一目見るなり、日直の私をつかまえてこう尋ねた。「痴呆が治ったみたいですが、なんていう薬を出しましたか?」と。さて私の答えは何でしょう、というものだった。

「いやあ、出ていた薬をやめただけなんですけど」というのが正解。命にかかわるような病気に対して出されている薬は抜くわけにはいかない。しかし、問題行動が認知症に伴うものだと一方的に判断されて(BPSD =認知症に伴う心理行動症状、なんて言い方がその典型だが)処方されている薬はまず全部抜いたってかまわない。

先日、東京で開かれた「宅老所よりあい応援セミナー」で下村恵美子さんが怒りっぱなしで講演したなかに、80 代の女性に23 の病名がつけられ、18 種類の薬を飲まされていたという話が出てきた。これはもう犯罪ではないか。もちろん、すべての薬をやめると首も座らず意識も朦朧としていたのがすぐに普通の高齢者になって食事が自立したという。

「薬をやめよう」と訴えると「急にやめるとショック状態になることもあるから少しずつ」と物知り顔に言う人がいる。しかし、そんなことはない。一度にやめれば元気になるのがそれだけ早いだけだ。なぜか。高齢者は飲んだ薬の成分が長い間血中に残存すると言われている。だから副作用も長いのだが、逆に急にやめても成分は残っているから、少しずつやめたのと同じ状態になっているのに違いない。

このTさんのケースを例にして、コミュニケーションとは何かについて考えてみたいと思う。コミュニケーションをどうとるかという技術としてではなく、コミュニケーションが可能な場とはどんな場なのかという問題について考えてみたいのだ。

入所したばかりのTさんは、コミュニケーションがとれない、というより、コミュニケーションそのものを拒否していたと言えよう。私の宿直の巡回のときに見せた、近づくのを嫌がる手ぶりがその象徴である。いったい、病院という場の何が、彼女をそこまで追い込んだのだろうか。

私はあえてそれを一言で言ってみようと思う。それは「科学」だ。乱暴な言い方だと思われるだろうか。なにしろ科学は私たち現代人にとっては必要不可欠だ。その恩恵をずいぶん受けているし、治らない病気も治るようになり、長生きできるようになったのも科学の発展のおかげではないか。たしかにそのとおりである。

近代科学はまぶしいばかりの光を私たちに照射した。だがその反面、強い光はより強い影もつくり出した。その一例がTさんに対する抑制である、と私は思っている。なぜか。近代科学を根拠づけるのは客観性である。前近代的風習や権威、宗教的確信ではなくて、誰の目にも明らかに納得できる客観性こそがその根拠である。

近代科学の強力な一分野である近代医療ももちろんそうである。だから、医者の処方が客観的に正しいものとされてしまう。本当は、「医者の処方は客観的に正しくあるべきだ」なのだが「正しいはずだ」という仮説が願望となり確信に至る。客観的に正しい、という確信が、それを患者が拒否するということはありえないことになってしまう。それは誤りだとされるのだ。

しかし、点滴を2時間もじっと受けている認知症老人はいないだろう。ましてや、鼻からチューブを入れられて抜こうとしない認知症老人がいるはずがない。だって彼らは、快・不快の原則で生きている。不快なものは取り除こうとする。それを説得しようとするほうが見当識障害である。もちろん現場の看護職は処方を出した医師に報告する。

「本人が点滴を嫌がってるんですけど」と。すると医師は「それをどうにかするのが看護師の仕事だろう!」本人が嫌がったときにどうするかという選択肢がないのだ。だって処方は科学的で客観的に正しいのだから。老人、ましてや認知症老人が嫌がっているという主観など考慮に入れるべきではないのだ。

看護師になろうという人なら誰でも人を縛りたいと思う人はいないだろう。最初は、申し訳ないと思いながら抑制したかもしれない。しかし毎日のことだ。正しいことだと思いこまなければやり続けられはしない。でもそう思い込むのは難しくはない。何しろ「科学」という後ろ盾があるのだから。かくして、医学だけではなく看護の世界まで「科学的看護」が主張されるようになる。

科学の名のもと、認知症老人は、客観的に正しく抑制される。完全な受身的存在にされるのである。そこではコミュニケーションは存在しない。Tさんはコミュニケーションというより、世界そのものを拒んでいた。でもそれは、自分を傷つける世界から遠ざかることで、自分の内的世界を守ろうと必死だったのではないか。あの宿直の夜の彼女の身ぶりと表情が私にそのことを確信させている。

では彼女がコミュニケーションを取り戻した場とは何なのか、そこには何があったのか、今回はクイズはないが、次回はコミュニケーションの核心に近づいていく話である。お楽しみに。


2012年9月  自分自身の見当識のために
      3・11以降、私は何を読んできたのか?①

出版不況と言われてい久しい。若者の活字離れがその主たる原因だが、若い人もミステリーやエンターテインメントはよく読んでいるようだ。私の長男は今年大学生になったが、読んでいたのは東野圭吾の本ぐらいのものだったし、中学3 年生の次男は、湊かなえを愛読している。たしかにこうした作品はおもしろい。読者を飽きさせないし、人間とは何かという深みもそれなりにある。私も東野の『白夜行』は楽しんで読んだ。失敗だったのはドラマ化されたテレビの連続番組を深夜の再放送で見ていたことで、最初から本を読んでいたら数倍も楽しめたのにと悔やんだ。
しかし、そうした小説よりもはるかにミステリアスで謎解きのスリルと喜びを覚えるのはノンフィクションである。地球にはまだ私たちの知り得ない、想像すらできない世界が存在している。特にわれわれとはまったく異なった文化のもとで生活している少数民族たちの世界は、西欧中心主義の私たちの価値観を揺さぶり、ときに絶句さえも強いる。そんな、ブラジルの奥地に足を踏み入れた文化人類学者とキリスト教宣教師の書いた本を紹介しよう。東野圭吾や湊かなえより数段おもしろく、さらに人間とは何かという深みがあることは保証する。

1 冊目は『グアヤキ年代記』。著者のピエール・クラストルはフランスの文化人類学者。レヴィ=ストロースの影響を受け、ブラジルのアマゾン奥地のグアヤキ族のフィールドワーク(現地調査)を始める。そして恩師とも言うべきレヴィ=ストロースを批判するに至る。しかし残念なことに、1977 年、43 歳の若さで交通事故で亡くなった。

レヴィ=ストロースといえば、この雑誌のBricolage という概念を提唱し、西欧の自民族中心主義を痛烈に批判した文化人類学者である。私が彼の熱烈な読者であることは言うまでもない。だが、ピエール・クラストルのこの本を1 頁読むだけで、あのストロースさえ凡庸(失礼千万!)に思えるほどの迫力なのである。まず、寝ているところを起こされて、アチェ(グアヤキ族の自称。人間の意)の出産に立ち合うという記述からページは始まる。彼とレヴィ=ストロースとは文体が異なる。

『野生の思考』をはじめ、冷静な学者の目と、帰納法と演繹法を自在に組み合わせた方法論で記述していくのがレヴィ=ストロースだ。例外は『悲しき熱帯』(みすず書房)だが、これも上品な思想的エッセイと言っていい。だがピエール・クラストルは学者でありながら、その表現は文学的である。自分がグアヤキの村で直接見、聞き、感じたことを記述する。出産をはじめ、夫婦の性愛、同性愛者も登場する。他部族との戦争と同盟、残酷としか思えぬ男性の成人への通過儀式、そして死体の処理方法……、理解不能、不思議、まさにミステリーである。

著者はその謎を解いていく。そして全9 章のうちの第8 章、西欧人が最も忌避するある行為を老婆が彼に告白する。そしてその意味が明らかになる! さてその行為とは……。おっと、ミステリーも結末を書くのはルール違反である。少し高いけどなんとか手に入れて読んでほしい。なぜ私はこの本に行きついたか。人類の最大の犯罪とは何か。人に命令し服従させて戦争と死刑という殺人を強制する国家をつくったことだと私は考えている。

国家の形成は歴史の必然ではないこと、そしてそれを廃絶する道をつくること、それが人類の課題だと思っている。だから「国家」を当然のことだと考えて、それへの帰属と強制を進めようとする石原慎太郎や橋下徹は私の天敵のようなもので、夜毎酒を飲みながら呪いつつ、国家を乗り越える思想を求めているのだ。

「3.11」以降、特にその想いは強くなり、王や神、国家の発生の根拠を探った、中沢新一の「カイエ・ソバージュ」シリーズを再読することにした。「ソバージュ」とは野生、「カイエ」は覚え書きの意で全5 巻。①「人類最古の哲学」、②「熊から王へ」、③「愛と経済のロゴス」(これは読書会で読んだ本だ)、④「神の発明」、⑤「対称性人類学」の連続講義録である。

その第5 巻に、ピエール・クラストルが紹介されている。その題名が『国家に抗する社会』。これを読まずにいられようか。石原や橋下を没落させるために。『国家に抗する社会』と本書を読んで私は衝撃を受け、困惑している。ここには、文に書かれた権威的な法の代わりに拷問に近い身体罰がある。国家がない代わりに戦争があるというのだ。

私は混乱している。戦争とは国家が行うものではないのか。これは部族間の「抗争」と言うべきではないのか。しかしここには権力はないのだ。命令も服従も存在しない。少なくともわれわれのような国家をつくり出した者よりもまっとうな人類がここにいるではないか

もう1 冊は……。ここで枚数が切れてしまったので次号へ。紹介する本は『ピダハン』。この3 月にみすず書房から出版されたばかり。3,400 円。著者は元キリスト教伝道師のダニエル・L・エヴェレット。これまた衝撃的な本である。次号までに読まれることを切望する。

▼ Read Me Please
グアヤキ年代記  ~遊動狩人アチェの世界
著者:ピエール・クラストル
翻訳:毬藻充

国家に抗する社会  ~政治人類学研究
著者:ピエール・クラストル
翻訳:渡辺公三



2012年9月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
      その⑳〝上品なおばあさん"が入居してきたⅢ クイズ付き

さて、最初に、前号(7・8 月合併号)の問題の答えから。まだ読んでないという人は、これを読むのをいったん中止して前号に目を通すこと。面会に来た家族が泊まっている部屋、ふだんはボランティア室として使っているが、本来は何の部屋でしょう、という問いだった。答えは「霊安室」。

当時は霊安室をつくらないと許可が出なかったのだ。だがほとんど使うことはないので、ボランティアの休憩室として活用している。でも県の監査が来ると大変だ。“目的外使用”として指摘されるのである。そこで監査当日になると、カバーの「ボランティア室」を取り外して「霊安室」に戻し、線香の1 つも置いておかねばならない。

6 人部屋という、いささか濃密すぎる“関係の場” に投げ込まれたTさんは、すぐに思ったはずだ。「あっ、ここは縛られない」と。事実、私の2 回め以降の宿直の巡回では、1 回めのような“近づくな” というジェスチャーを見せたことはない。もっとも、いつも寝ているのだけれど。つまり安心して眠れるくらいに心理的に安定したということだ。

怯えたような表情は数日で消え、少しずつ本当に上品なおばあさんになってきた。これまでいないタイプである。失礼ながら職員にもいないタイプだ。幸いなことに、脳卒中の片マヒはほぼ治っていて機能障害はほとんどなかった。それでも当時は「絶対安静」と言われてリハビリどころか、自発的な動きすら阻止されていた。それでも動こうとすると“抑制”されていたのだ。これでは“安静強制看護” である。

私たちは、たとえ治療であれ、リハビリであれ、安静であれ、強制なんかはしない。本人が嫌がったら別の方法を考える。それでもそれしかないとなると、本人に頭を下げてお願いする。しかもT さんの場合、必要なのはどう見ても治療でも安静でもない。何かを強制することではなくて、むしろ必要なのは、何も強制しないこと、本人の自発性を待つことである。

いつのまにか(これが大事なことなんだ、つまりこちらが何か意図したことではなく、T さん自身の意図でということだ)、T さんは自ら起き上がってベッドから足を降ろして端座位で座っているようになった。これはもちろん、エアマットなんか使ったりしなかったからできたことである。エアマットは介護用品とはとても言えない。“身体的拘束具” と呼ぶべきである。

何しろ動けなくさせるのだから。ゴソゴソするから筋肉が収縮して血行がよくなり褥瘡も治るのだ。では、まったく動けない人ならエアマットを使ってよいのだろうか。とんでもない。ゴムやビニールの上に人間を寝かせようという発想そのものが常識的ではないじゃないか。

ある日、昼休みに寮母室で弁当を食べていると、若い寮母が廊下を小走りで帰ってきた。「あの子、走ってるわよ、めずらしいね」とベテランの寮母。そう、落ち着いた、と言うと表現がよすぎる。トロい、と言うとちょっとかわいそうだが、年輩の寮母は少しイライラさせられる、そんなタイプなのである。彼女は寮母室の和室のコーナーに顔を出して、シューズを脱ぐひまも惜しんで「T さんが笑いましたよ」と報告したのだった。

「えっ!? 笑っているのなんか見たことないけどね」「冗談言うと笑いますよ」午後から部屋へ行って他の老人たちと冗談を言い合うと、たしかに笑っている。と言っても、顔を歪め、「フッ、フッ」とわずかに声が出ているだけだが、これは笑顔の初期段階である。いつのまにか(再び!)T さんはトイレに通い始めた。

偶然にもT さんの部屋のすぐ隣りがトイレで、壁伝いに危なげなく移動して自分でオムツを外し、便器の内に排尿したのだという。そのオムツをもう一度着けようとしてトイレの中で四苦八苦しているT さんを夜勤の寮母が見つけたのだ。

さて私が日直の日、このT さんに男性の面会者がやってきた。長男と次男は2 ~ 3 度面会に来ていて私も一度会ったことはあったが別の人である。私が不審そうな顔をしていたのだろうか、彼は名刺を差し出した。遠い親せきにあたるという病院の勤務医である。脳卒中で倒れて以来、相談を受けていて、もうとっくに退院しなければならないのだが、医者同士のコネで(コネの好きな家族である)いさせてもらったが、もう限界だと言われたという。

他の病院を探したがどこも満床で、やむなく特養ホームに入所したと聞いて、「正直言って先は長くないと思いました」と言う。そう、当時の特養ホームのイメージはそんなものだ。特に医療関係者から見れば、文明の及んでいない『未開』や『野蛮』の世界だと思われていたのではないか。

「でも家族から話を聞くと元気になってると言うじゃないですか。びっくりして、ホントかどうか確かめに来ました」なんて言う。私が「3 番目の部屋です」と言うと、彼はその部屋に入り、ベッドのそばに座ってテレビを見ているT さんを一目見るや、引き返して私をつかまえて、こう尋ねた。「痴呆(当時)が治ったみたいですが、何ていう薬を出しましたか?」さあ、今月の問題です。私はそれに対して何と答えたでしょう。答えは次号で!


2012年8月  緊急アピール 領土問題に寄せて

「愛国主義は悪党の最後の逃げ場」(※)とはよく言ったものである。尖閣に上陸した香港の”活動家”も日本の都議どもも、みんな悪党面に見える。もちろん石原慎太郎も桜井良子も。

でも同じ悪党でも、韓国や中国側の悪党の気持ちはまだ私には判る。それは「対抗ナショナリズム」とでも言うべきものだからだ。両国民ともかって日本のナショナリズムによってひどい目にあわされた。それを日本が敗北した8月15日を機に、ほんと少しだけ仕返ししようとしてるにすぎない。

だが日本人がそれと同じ次元で反応していてはだめだろう。地球上を近代国家が領土化(領土とは占領した土地である)するのを当たり前とするつまらない近代的思想を超えなばならないのだ。

二つの世界大戦で絶望したヨーロッパは、国境をなくし、近代国家を無化する第一歩を踏み出しているではないか。絶望がないのはアメリカと日本である。

それにしても、どちら側の悪党にも私が違和を感ぜざるをえないのは、どうしてそんな確信が持てるのかという点である。国境線なんか見たこともないだろう。国境とは何か、つまり国とは何かと、学問すればするほど、何の実態もない時代の共同の観念にすぎないことが判るはずである。

確かなことが言えるのは、尖閣なら尖閣の回りを漁場として生活している漁師たちが「ここは自分たちの生活の場だ」と言えるだけである。それさえ保証されれば、どっちの領土でもかまわないし、どっちの領土でもないのが一番だ。

「領土問題なんか知ったことではない」というのが健全な民衆の正しい立場である。二流国家同士の争いに、確信めいた表情と発言で加担してくる奴らは、知性が欠如していることを自己告発しているのである。


(※)愛国心とは、ならず者達の最後の避難所である
   Patriotism is the last refuge of a scoundrel.
サミュエル・ジョンソン(イギリスの文豪)が言った名言
(Samuel Johnson, 1709年9月18日(ユリウス暦9月7日) - 1784年12月13日)はイギリス(イングランド)の文学者。「英語辞典」(1755年)の編集、シェイクスピアの研究で知られる。


2012年7月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
        その⑲“上品なおばあさん”が入居してきたⅡ

入所する前から“上品なおばあさん”と噂になっていたTさん。でも、目の焦点も合わず、会話もできそうにない。だけど、付き添ってやってきた5人の親族の女性はたしかに上品だ。その5人が、Tさんを特養ホームにおいて帰るときに、みんなでワンワン泣いた。情の厚い家族だな、と私は思ったが、どこか不自然な感じもした。

その日から数日経ってもそのうちの誰も面会には来ないのだ。私の上司の主任生活指導員が、最も近くに住んでいる次女に電話を入れた。「あれから誰も面会に来られませんが、大勢いらしたから誰か行っていると思って互いに遠慮でもされているんでしょうか」と問うと、次女が「えっ、面会に行ってもいいんですか?」と言うのである。

なぜ面会に行ってはいけないと思い込んでいたのか。主任生活指導員によると、うちに入所する前に他の特養ホームに家族が見学に行き、ほぼそこへの入所が決まっていたのだという。その施設の職員からこう言われたという。「入所してしばらくは、里心がついてはいけませんので面会には来ないでください」と。だからどの特養ホームも同じなのだと思い込んでいたというのだ!
老人のことをまるで犬か猫のように扱う介護関係者がいるのだ。施設入所は老人のアイデンティティの危機である。環境、生活習慣、人間関係が一挙に変わってしまう。ましてや当時の特養ホームのイメージは“姥捨山”だ。本人は「死んだ気で来た」なんて言っていたし、家族は強い罪悪感をもって自分の親を連れてきた。「医者や看護婦(当時)といった専門家に見捨てられてこんなところに親を入れなければならない」と。

なにしろ病院と違って専門家はいない。有資格者はわずかに2人、看護婦(当時)と栄養士。調理師もいたかもしれないが……。あとはみんな素人で、寮母は“介護力士士(かいごりきしし)”である(注:介護力士士については『実用介護事典』参照)。

今までよりも症状が悪化することはあってもよくなるなどとは想像すらしていない。「専門家から見放されてしまった」「世間から排除された」「家族に忘れさられてしまうのではないか」、老人がそう思ったとしても不思議ではない。しかし、離れたのは“距離”だけで、気持ちが離れたわけではない、心は家族や世間とつながっているんだ、と思えれば、老人たちは、不自由な身体で、赤の他人ばかりの見知らぬ施設で、もう一度自分らしく生きていこうかと、かろうじて思い始めるのだ。

だから施設入所の直後ほど、家族や友人の訪問が必要になる。「本人は大変なときですから毎日でも来てあげてください。心配なら泊まっていってもいいですよ」私の上司の生活指導員の電話に次女は「えっ、家族が泊まる部屋があるんですか?」と驚いている。

個室であれば、家族が泊まり込むのには支障はない。でも6人部屋の当時、家族が寝るのは6畳間である。小さなキッチンがついていて、お茶くらいは淹れられる。昼間はボランティアがお茶を飲んで休憩する部屋である。たしかに名札には「ボランティア室」とあるが、よく見ると、カバーをかけたその上に「ボランティア室」と書いてある。さて……。そのカバーを取り外すと本来は何の部屋でしょうか(正解は次号で!)。

上司が電話をした次の日から家族が毎日面会に来た。例の娘3人、長男と次男の妻の5人である。女性の面会が一人で来ることはめずらしい。この5人も必ずと言っていいくらい2人1組である。私の上司は統計を取り始める。「長女と長男の嫁は一度もいっしょに来ないからあれは仲がよくないんだろう」。みんな専業主婦で子どももそれほど手がかからなくなっているらしく、一度来園すると持参した弁当の時間を含めて半日以上は母親といっしょに過ごしてくれる。

それがTさんが元気になる要因の一つ。もう一つは「大部屋」である。現在では「多床室」なんて変な日本語が使われている。大部屋は否応なく多様な人間関係の中に投げ出される。これが問題点であり、じつはいい点でもあるのだ。Tさんが投げ出されたのは6人部屋の他の5人の入所者との人間関係の中だけではない。この5人に関わる介護スタッフ、やってくるボランティア、5人それぞれの面会にやってくる家族……無数に交叉した関係の網の目の中にTさんは入り込んだのだ。

入所者のナースコールでやってきた寮母とのやりとり、寮母が去ったあとの入所者同士の本音、スタッフの噂話、今日の夜勤は誰だろう?○○さんなら頼み事をしてみよう…etc.……。T さんは思ったはずだ。あ、ここは病院と違ってこんなことを要求してもいいんだ、スタッフにこんな慣れ親しい言い方をしてもかまわないんだ、入所者同士で本音が言えるんだ、と。

なにしろ当時の特養ホームの入所者とスタッフの人間関係ときたら!! 私が部屋に入ってくると片マヒの太った口の悪い、だが人のよいOさんが「おっ、親不孝者が来た」なんていう。こっちも「おーい、クソババア」なんて声をかける。そんな雰囲気だったのだから。(つづく)

Read Me Please
対談 三好春樹×高口光子
人生を見届ける仕事にふさわしい舞台(場所)になりました



2012年7月  0716反原発集会レポート

反原発集会  反原発集会
反原発集会  反原発集会
●三好春樹より呼びかけ

介護関係者反原発行動を2回実施しました。組織動員もない自発的行動は画期的です。私と、茂木敏博、佐藤義夫というオジサン3人が呼びかけ人ですが、今回は、映画『ただいま それぞれの居場所』で脚光を浴びる石井英寿さんに呼びかけてもらって、特に若い人に参加してもらおうと思います!

zenkeさん 4種のスローガン(経済よりいのち 原発より介護/安価な電力 安価ないのち/金と嘘と暴力で作った原発に さよならを/命と自然を 売るな、買うな)を用意しますが、前回の善家裕子前市議のように手づくりで参力[]して=日らうことも大歓迎!

●石井英寿さんのメッセージ
石井英寿
人間を基準に考えるから想定外が起こる。
繰り返してきた自然を基準に考えろ。
人間より前に住んでいた動物や自然のおかけで
僕らは住めているのに
その自然を壊す人間は本当に愚かだ。
自分たちの手で住めなくしている。
核と人間は共存できない。
自然と仲よくしないともっと地球が怒るぞ。
自然エネルギーにシフトしていくべきで。
歴史は必ず繰り返す。
推進派も地球に住めなくなるぞ。
自分の代ばかりで物事を考えるな。
子どもや孫、その後の代も考えろ。
いわば母目線で。そう、介護といっしよ。
認知症状の深いおばあちゃんは母を求める。
自然代表の海も母を使う。
苺も母(?) 雲母も母(笑) キーワードは母。
党利党略のため、利権のため、
お金を追求してばかりいる
価値観がまったく違う人たちに対して
全国の介護職のみんな!
今まで何も考えずに電気を使ってきたことを反省して
声を挙げていきませんか。
経済より命。
原発より介護。
その癒着した大金を介護職に回せえ!

2012年6月  「権力者」の課題  ~「高校紛争1969-1970 」考~

高校紛争1969-1970 『高校紛争1969-1970』(小林哲夫著・中公新書)という本が出版された。といっても、私と同じ年代で、しかも観念的に早熟だったという人くらいしか興味はないかもしれない。ましてや、本誌の読者、特に若い介護職には何のことやらと思うだろう。

だから私がこの本について書くのは個人的な感想にすぎない、ということをあらかじめ断っておきたいと思う。そんな文を載せるのはブリコラージュの私物化だと怒らないでほしい。もともと私物化している雑誌なのだから。いい意味でも悪い意味でも。

歴史は勝った側の権力者によって書かれる。だから「高校闘争」でなくて「高校紛争」となる。それはしかたない。この本には当時、同世代=同時代でありながら私たちもほとんど知ることのなかった全国の高校生運動が紹介されている。

かつて高校生活動家で、現在名が知られている人は多い。音楽家の坂本龍一、作家の村上龍、高橋源一郎、さらに、活動家ではなかったみたいだが俳優の石田純一の名前も出てくる。じつは私の名前も出てくる。著者は私のところに取材に来た。なのでこの本が刊行されると私にも1冊送られてきたのだ。

読んだ感想? 当時を思い出して血湧き肉躍る、ほど私は単純ではない。ノスタルジー(郷愁)に浸るというわけにもいかない。何しろ、あの体験とその後の人生は、60歳を過ぎた今でもその意味を私に問い続けているからだ。

その60歳を過ぎた私はこの本をどう読んだか。途中で気がついたのだが、私は高校生活動家ではなくて、高校教師の側に立って読んでいるのである。京都府立桂高校の高田という教師の話が出てくる。

……高田直樹は、(中略)封鎖中の生徒部部室に窓から出入りした。机の上にインスタント・ラーメンがあったので、高田は「これ、食べるぞ」と作りはじめた。全闘委は高田に声をかける。「僕たちの主張に基本的に賛成か」「よう、わかる」「では、僕たちと一緒に闘ってください」「アホか、お前らと俺は立場が違う」校長は生徒部部室に高田が出入りしていることを知って、封鎖した生徒の氏名を尋ねる。高田は「そんなことを調べるために入ったのではない」と答えなかった。
(『高校紛争1969-1970』180-181 頁)

魅力的な人物ではないか。私にも忘れることのできない教師が2人いる。一人は定年を過ぎて私たちの高校で現代国語を教えていたNという人である。教科書を題材にしながらじつに楽しそうに無駄話(当時の高校生にはそう思えた)を続ける人だった。受験テクニックなんか教えるわけではないから、生徒はみんな英語や数学をやっているのだが、何があっても注意ひとつしない人で、私はこの無駄話がおもしろくて、おそらくクラスで一人だけ熱心に聞いていたのは私だけだったろう。

闘争が始まると、大学で党派活動をしている先輩(その後、内ゲバで指名手配された)に連れていかれたのが、そのN先生の家の書斎だった。それ以来N先生は私たちのスパイになった。毎晩遅くまで職員会議が続いていた。何しろ毎日生徒集会で授業にならないのだ。その対策を話し合っているのである。

職員会議が終わってN先生が帰宅した頃に私たちがバイクで訪問する。そして職員会議で話し合った内容を教えてもらうのである。そして帰るやいなや私がガリ版で翌朝校門で配るチラシを書き始める。次の日、教職員は自分たちの対応策が筒抜けなのにびっくりするのだ。

もう一人はKという音楽の教師である。進学校での音楽の時間も当然ながらN先生の授業と同じように“内職”の時間だと思われている。私は音楽だけはずっと満点で、合唱部にも入っていたから向こうは私のことをよく知っていたはずである。その私が校長室を占拠して閉じこもったと聞いて、夜中に訪ねてきたのだ。体育の教師が棒を持って襲ってきたこともあったので警戒したが、K以外には誰もいないようだ。

校長室のソファに座って彼は私たち一人ひとりに尋ねた。「なぜこんなことをするんだ。家族も呼ばれてこのままじゃ処分されてしまう。展望もないじゃないか」と。高校生の私たちはそれぞれ自分の思いを語った。彼は黙って聞いていたが、一言「実存主義的なんだなぁ」とだけ言って校長室から出ていった。本に出てくる高田、そしてKも、今の私よりは若かったはずだ。N先生だけが私と同じくらいだったか。果たして私たちは、生意気な若者の自己主張に対してこんな反応ができるだろうか。

教師は高校生から見れば権力者である。なにしろ評価権をもっている。クビにだってできる。実際に私を含めた何人かはクビになった。権力者にできるまともなことは、少しでも権力的ではなくなることだ。権力をもたされながらも非権力を目指すという矛盾を生きることだ。

介護職もまた要介護老人から見れば権力者である。「生意気な高校生」を「認知症の高齢者」と言い換えてみれば、私たちの課題が見えてくるのかもしれない。おお、やっと本誌にふさわしい話になったじゃないか。

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特集対談 松本健史×三好春樹
 リハビリ専門職、介護に学ぶ



2012年6月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
        その⑱“上品なおばあさん”が入居してきた

私が特養ホームを辞めてフリーになり、「生活リハビリ講座」を始めて数年経った頃である。当時講座を受講してくれていたのは特養ホームの寮母さんたちと保健婦さんたちであった。介護に興味があるという、当時としては奇特で今思えば先進的な医者や看護婦、PTやOT もわずかながら存在していたけれど。今では、「寮母」は「介護職」と呼ばれ、「保健婦」は「保健師」に、「看護婦」は「看護師」へと名称が変わったが、あえて当時の名前で呼ぶことにする。

その保健婦さんの一人から「“べてるの家”って知っていますか?」と問われたことがある。「三好さんの言っていることとどこか共通するところがあるんですよね」と言って彼女は若干の資料を私にくれた。“べてるの家”は、はじめて聞く名前だった。

精神障害に関わる人たちの間では少しずつその名前とユニークな活動が知られてはいたものの、まだマスコミが取りあげたことも、本も出ていない頃である。その資料も、わら半紙4~5枚の8~ 10 頁くらいのガリ版の手書きをホッチキスでとめたものであった。いわば“レジュメ”(=要約)である。

名前は「向谷地生良」となっていて、彼の講義の要約であるらしかった。いくつかの刺激的なフレーズが目に入ったが、強調してあった大きな章題となっていたものの一つが「リハビリテーションよりコミュニケーション」であった。私はこのフレーズに深く納得した。そのとおりと思ったのだ。

当時、リハビリテーションは時代の寵児だったと言ってよかった。脳卒中による手足のマヒも寝たきり老人という問題も、リハビリテーションによって解決するという期待がふりまかれていた。もちろん、「脳卒中になったら絶対安静」と言われた時代が長く続いたのだから、リハビリテーションが治るべきマヒを回復させ、寝たきり老人を起こし、立たせてADLの向上が図れることは大きな時代の進歩であった。

しかし、治らないマヒは依然としてあるし、老いを止めるリハビリなんかあるはずもない。でも近代人は科学と医学の進歩に過大な期待をもちたがる。そして医療関係者はその期待を利用する。この私も例外ではない。「生活とリハビリ研究所」を名乗り「生活リハビリ講座」を開催するのも介護現場の「リハビリテーション」への過大な期待(=幻想)を利用して仕事をしてきたと言ってもいい。

リハビリテーションへの過大な期待(=幻想)を剥ぎとったとしよう。それでもリハビリテーションには問題が残る。私が思うに、リハビリテーションにはコミュニケーションが成立しないのだ。だから、べてるの家のレジュメの「リハビリテーションよりコミュニケーション」というスローガンに私は反応したのだった。いったいなぜ、リハビリテーションにはコミュニケーションが成立しないのか。

PT やOTが患者に関わるときにはコミュニケーションは不可欠だし、実際に訓練場面でもちゃんとした会話が成されているではないか、と思われるかもしれない。しかし私は、リハビリテーションに限らず、もっと広く医療という場にもコミュニケーションは成立しないのではないかと思っている。それは医師や看護師が、インフォームドコンセント(=説明、理解と同意)をちゃんとしているかどうかとは関係がない。もっと本質的な問題なのである。

主任生活指導員の話では「由緒ある家の上品なおばあさん」というのが、今日入所予定のTさんである。何しろ特養ホームの入所を待っている人が16 人もいるのに、それを飛ばして優先入所するに至ったのだから、政治家のコネの利く地方の実力者の家系らしい。病院の救急車からストレッチャーが降りてきた。

迎えに出た私が「いらっしゃい」と声をかけるが何の反応もない。Tさんという色白の女性。目がトロンとして焦点すら合っていない。「上品も何もないな」というのが私の第一印象である。だが、いっしょについてきた家族は上品な人たちであった。女性ばかり5人。娘が3人、長男と次男の嫁が2人。ウィークデイだったこともあって、男は来ない。この5人は、別れるときに「ごきげんよう」なんていうタイプである。

4月号にも書いたとおり、当時10 日に一度宿直があった。たしかTさんが入所して3日めの夜だったと思う。宿直の私が部屋から部屋へと巡回して歩く。みんな落ち着いてよく寝ている。だがTさんだけは眠れないらしくゴソゴソしている。歩いて近づいてくる私が目に入ると、おびえた表情になり、右手で私に“近づくな”というジェスチャーをするのだ。念のために言っておくが、私がこわかったということはありえない。優しい美青年であった。

あとで家族からの話でわかるのだが、彼女は長い期間、病院で“抑制”、つまり手を縛られていたという。だからここでも、人が近づくと縛られると思って拒否しているのだった。このTさんは最初はまったくコミュニケーションがとれない状態、次にコミュニケーションを拒否している状態である。ここから彼女はどう変化していっただろうか。

さて、前号の問いの答え。「水ならここにいっぱいあるじゃないか、これを使え」という森田さんに、M看護婦は「あんたのおチンチンがつかっとるような水は汚のうて使えんでしょうが!」。それを聞いた森田さん。「それもそうじゃの」と納得したのである。


2012年5月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
        その⑰森田仁之介さんの年表

第二次世界大戦末期の空襲、あるいは阪神・淡路大震災、さらに東日本大震災といった歴史的災難が原因であれば、認知症老人の問題行動と思えるものが、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の現れではないか、ということは想像しやすいだろう。

私が働いていた広島の特養ホームでは、夜中に「ピカのせいで家が焼けてしもうた」「広島が燃えとる」などと訴える老人がいた。ピカとは原爆のことである。しかし、一人ひとりの個人的体験が原因になっているものは想像しにくい。できたら本人、それが無理なら家族からその人の生活の歴史を聞きとるといい。

特に人生の大事件は知っておきたい。一人ひとりの年表を頭の中に入れておくといい。私が出してきた本の中で、文庫になっているものが4冊ある。そのなかでもよく売れているのが新潮文庫の2冊で『老人介護常識の誤り』『老人介護じいさん・ばあさんの愛しかた』という題だ。介護関係の本が文庫化されることがそもそも珍しいのだが、おかげで、介護とは縁のなかった人が読んで介護に興味をもってくれるいいきっかけになっている。

老人介護じいさん・ばあさんの愛しかた 広島のデパートでブランド品を販売していた女性は、『老人介護じいさん・ばあさんの愛しかた』を読んで介護の世界に転身し、今ではデイサービスセンターで老人のウンコ、シッコのケアに喜びを感じているという。ちなみに、文庫本は著者名の、あいうえお順に並べてあって、私の本は、村上春樹の前にあるはずだから探すときの参考にしてほしい。


さて、この『老人介護じいさん・ばあさんの愛しかた』、“問題老人”だらけ、という本である。現場で出会った“問題老人”を忘れないうちに書いておいてやろうと思って出版したものだ。そのなかでも、忘れようにも忘れられないのが、第一章に登場する森田仁之介さんである。脳卒中左片マヒで何年も寝たきりながら、利き手でモノを投げる、人をひっかく、ツバは吐くという“問題老人”である。

その彼が心を許したのはどんなタイプの介護職だったか、逆に反発したのはどんな人かというエピソードの紹介がこの文の目的である。今回取り上げるのは、その彼がすっかり落ち着いた頃から出現し始める“精神症状”のことである。

本から引用してみよう。不思議なことに、心理的に落ち着いて笑顔が出始めると、誰彼かまわず暴言と暴力をふるっていたときにはまったく出なかった精神症状が出現してきたのである。

ある朝、私たちが出勤すると、森田さんは電動ベッドのスイッチを自分で使って、ベッドを一番高い位置にしているではないか。驚いたのは、その上、背中を起こす装置、これはギャッチと呼ばれているのだが、それもほぼ直角近くまで起こしている。なにしろ彼の背中はカマボコ板で腰が曲がらず、入所時にはとても普通の車イスには座れないため、リクライニング式の車イスに苦労して座ってもらい、少しでも起こすと「痛い!」と大騒ぎだったのである。
その腰の痛みを我慢して、ベッドの背中さえ起こして高い位置を確保しているのには、もちろんわけがあるのだ。「洪水じゃ、水がここまできとる。助けてくれ」左でおへその位置を示しつつ、恐怖のまなざしで訴えるのである。
(『老人介護じいさん・ばあさんの愛しかた』44 頁-45 頁より)

さて、彼は過去にどんな体験をしてきたのだろうか。私たちは週に1回、彼の好物を手づくりして持って訪問してくる奥さんに聞いてみることにした。「水害で死にそうな目に遭っとるんです。2回も」と奥さんはすぐに答えてくれた。広島県北部の三次という町で、江(ごう)の川という大きな川が氾濫したのだという。現在のように河川工事が行われていた時代ではないから、大雨や台風のときには水害は珍しくはなかった。

床上浸水で2階や屋根に避難した経験のある高齢者は少なくない。前回(4月号)の「空襲警報発令!」と訴える田山さんの場合には、突然の停電と自家発電装置のモーター音が、空襲時の灯火管制と爆撃機の爆音を思い起こしたために、そのときの心理状態が再現されてしまったものである。森田さんの場合は少し違う。かつてと同じような不安な心理状態になったときに、当時の光景が幻視として見えるということではなかろうか。

前者が、過去の状況の再現⇒かつての心理状態の再現、であるのに対し、後者は、かつてと同じ心理状態⇒かつての状況の再現(幻視)となっていると思える。いずれにせよ私たちの心理と具体的状況とは密接に結びついているということを教えてくれるエピソードである。となると、現在の心理学という領域は、こうした具体的状況から切り離された心理だけを評価しアプローチしているかのように思えてならない。

人が心理的に落ち着くためには具体的な状況をつくることこそ有効なはずである。そうすると心理学よりはソーシャルワークのほうが、さらに生活づくりの介護のほうがはるかに心理的落ち着きのために役立つと思えてくる。

さてこれも前著にも紹介されているエピソードだが、ここでもふれておこう。彼の水害の“幻視”が出たときは夏場であった。施設の井戸が枯れ、毎日「水がない」「今日も風呂ができそうにない」などと職員がバタバタしている時期であった。

森田さんのナースコールが鳴った。私と看護婦(当時)のM さんの2人で部屋に顔を出した。「なんですか?」。すると森田さん「水ならここにいっぱいあるじゃないか、これを使え」と言うのである。さてこれに対して、M 看護婦はなんと答えたでしょう。答えは来月。早く知りたい人は文庫本を読もう。


2012年5月  高橋紘一(たかはし・ひろかず)さん追悼

国際医療福祉大学 医療福祉学科臨床教授の高橋紘一さんが亡くなった。68歳、肺ガンだった。

かって私が特養の職員だったころ、「老人生活研究」という雑誌に掲載されていた養護老人ホームの生活指導員の文章に強く惹かれた。それは、アルコール中毒の入所者といっしょに断酒会に通うものの、うまくはいかないという結論のない文章だった。私はこんな文を書く人がこの世界にいることに興奮してファンレターを送った。それが高橋さんだ!

その後彼は、栃木県の那須塩原で特養ホーム生きいきの里を立ちあげることになり、フリーの私がそのオープニングセミナーに呼ばれるとは思いもしなかった。

博識や地位を決して自慢したり利用したりしない人だった。しばらくの無沙汰のままこんな事態になったことを悔いている。ごめいふくを祈る。

※「老人生活研究」の彼の寄稿文をお持ちの方がいたら連絡いただきたい。


2012年5月  吉本隆明さんの追悼に代えて ~失礼を顧みず~

介護夜汰話ロゴ
吉本隆明さんが亡くなった。私は何か書かなくてはならない。なにしろ彼は、私の青春時代に圧倒的な影響を与えた。私は高校生運動を圧殺されたあと、新左翼の党派活動に参加した。それ以外には私の道はないかのように思えていた。しかしそれは、私の中の何かを意識的に断念することで成立する世界だった。

その断念したものを、せめて忘れないために、吉本隆明さんの詩を、紙片に書き写して常時身につけることにした。『贋アヴァンギャルド』という詩である。アヴァンギャルドとは「前衛」のこと。大衆に対する革命の指導部といった意味である。

はたして現在、この詩は、どんな本に収録されているのだろうか。私の本棚の中では「吉本隆明全著作集」の 1「定本詩集」の中に収録されている。けっして詩的ではない私が、生涯忘れえない詩がいくつも入っている本である。

贋アヴァンギャルド
きみの冷酷は
少年の時の玩具のなかに仕掛けてある
きみは発条をこわしてから悪んでいる少年にあたえ
世界を指図する
少年は憤怒にあおざめてきみに反抗する
きみの寂しさはそれに似ている
きみは土足で
少女たちの遊びの輪を蹴散らしてあるき
ある日とつぜん一人の少女が好きになる
きみが背っている悔恨はそれに似ている

きみが首長になると世界は暗くなる
きみが喋言ると少年は壁のなかにとじこもり
少女たちは厳粛になる

きみが革命というと
世界は全部玩具になる
(『定本詩集』212 頁より)

この詩を身につけてなくても、この詩や吉本さんに共感しつつ党派活動をやっていた奴はたくさんいたはずである。意志的に生きるということはあえて矛盾を背負うということだ。しかしそんな矛盾はいつまでも背負えるものではない。党派の論理は“内ゲバ”に至り、とてもついていけない私たちは、活動からの離脱を選ぶことになる。

そのとき、私たちを、それは“背教”であり“転向”であるという罪悪感から救ってくれたのは吉本隆明さんだった。そんなことを言ってくれるのは他には誰もいなかった。

吉本さんは、自分の著作にふれることで自死に至った若者について責任を感じているという文章を書かれたことがあった。だが、私も私の周りにも、吉本さんの文章によって自死しなくてすんだという人はたくさんいたと思う。

それくらい私たちに、“それでいい”というメッセージを与えてくれた人であった。私が特に影響を受けた彼の文章や本を挙げてみたいと思う。まず、『マチウ書試論』。『マチウ書』とは「マタイ伝」のこと。文庫本で読めるはずだ。『芸術的抵抗と挫折』『転向論』『共同幻想論』『心的現象論序説』『母型論』などなど。

ずいぶん厚かましい話で、私自身が吉本さんの自宅に何度か訪問して『老いの現在進行形』(春秋社)という対談集を出させてもらったのは、おそらく私の生涯を通しての最大の自慢である。吉本隆明さんは、私の父親と同じ齢である。そういう意味では私にとっての吉本さんはアンビヴァレンツ(=両価的)な存在でもある。圧倒的な影響力を与えたこの人は、でも晩年には私に違和感を増大させる存在であった。

高校生のとき以来、吉本さんが書き、語っていたことは、そのときにはさっぱりわからなくても、何年かあとには了解できることであった。しかし、何年経っても違和が残り、それが拡大していくということが現れてきた。最初は『反核異論』であった。これはかつて吉本さんが、核兵器を廃絶しようという運動に対して違和を唱えたものである。このとき、広島在住の被爆詩人である栗原貞子さんが激しく吉本を批判した。私は高校生の頃に栗原貞子さんにある恩があった。どちらにもつけない私は、態度を留保することにした。

そしてずっと留保を続けて、3. 11 と原発事故である。そのときの私の思いは文芸評論家の加藤典洋が代弁している。

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原発については、僕は吉本隆明さんの考えに説得されてきた人間です。科学を進めて起こってくる問題には、さらに科学を進めることで克服していくしかないという考え方です。(略)その意味で、情緒的な反科学は反動ですから、情緒的な反原発には反対、という立場を持してきました。いろんな反原発の言説がある。そこの違いには耳を傾けなかった。(略)何もしなかった。何ということをしてしまったか、させてしまったか。強い自責の念に襲われました。
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これは、3. 11 以降、数多く出版された本の中で一番まともだと思えた『思想としての 3.11』(河出書房新社)に収録されている。ちなみにこの本の冒頭に、佐々木中あたるの講演録が載っている。これは 3. 11 以降の私の最も大きな影響を与えた文である。この間の吉本隆明さんの著作は、編集者やジャーナリストのインタビューに応えるものが大半だった。そんな本の 1 冊で老いをテーマにした新書の中で、私は吉本さんから名指しで批判を受けた。

ある雑誌のインタビューで特養入所者の老人を笑い物にしているという批判であった。だが、あきらかに吉本さんの誤読もあって、私は私の発言を誤ったまま引用して本にまでした編集者の怠慢だと思った。もっと名の知れた人の発言ならちゃんとチェックしたのだろうが、私ごときだから手を抜いたのだろう。ちょうど同じ時期に、雲母書房で吉本さんを著者の一人とした本を編集中だったのだが、突然吉本さんから編集部にクレームが入るということがあった。

編集者には身の覚えのない吉本さんの一方的な思い込みであった。そんなことが重なって私は吉本さんにも「老化に伴う人間的変化」が生じているのだろうと推察してきた。今回、3. 11 にともなう原発事故という事態に際しても吉本さんは自説を変えることはせず、反原発は縄文時代に帰るようなものだ、と主張し続けた。果たしてそれは、彼の「老化に伴う人間的変化」によって現実を見ることができなくなったせいなのかどうか、私は判断を留保している。

---- 関連資料 01 -------------------
 吉本隆明 聞き手=今野哲男

 

マスターべーションを変なことだと思っていたら、老人間題は間違えます
  -老人の性ー 

生涯現役 ご老人の性については、野球で有名な桜美林高校の親玉である大学の医学部が真っ当な形で研究してると思います。あそこには老人病専門の科があって、そこの人たちが、ご老人の性の問題まで本格的な医学の対象として扱い、取り組もうとしていると思いますね。
でも、ぼくの知る限りでは、いまのところそこだけではないでしょうか。医学関係ではそこが唯一で、普通のお医者さんたちはそんなことは全然構ってくれません。

老人ホームの世界でも、一般に嫌がられるといいますか、敬遠されているようで、とても真面目に取り組んでいるとは思えない状態です。
介護の世界で知られている三好春樹さんが、ロッキングオンの雑誌で、編集長の渋谷陽一さんと介護者の権威としてインタビューといいますか、対談しているのを読んだことがありますけれども、あの人がそこで何をいっていたかといいますと、ご老人のなかには、われわれが及びもつかないような達者な人がいましてねと、そういういい方をしていました。
どういうことかといいますと、そこの責任者の女のお医者さんかなんか知りませんけど、その方にラブレターなんか出しちゃってねなどといって、要するに笑い話にしているんです。それを読んだときに、老人について何だかんだいっていても、この人たちはそういう問題についてはあまり考えたことがないんだなということがすぐにわかりましたね。

女の人については、灰になるまでとか、灰になってもとか、昔から老いても性的な欲求が残るといわれてますけど、ぼくは、それは男の人でも同じであると思います。
だけど、男のほうは性的な実際行為といいますか、性交の肉体的行為はまずできないと思いますね。
何かの薬の力、たとえばバイアグラなどの助けを借りればできるというけれど、ぼくが聞いている限りでは、バイアグラを使っても、自分がそういうことをしたいっていう気持ちとは全然関係しないというんですよ。
つまり、ただ無機的に充血して硬くなるというだけの話で。だからちっともよくないってわけです。
それがぼくなんかの知り合いがいうセリフです。肉体的なものと欲望とが別のものというわけではありませんが、そうやって無理をしても、寿命を縮めるだけの話で、面白くも何ともないと。

そんなことをする必要を感じないということは、欲望がそういう意味合いで肉体的に残っているのかというと、そうではないということですね。
それはひとりでに衰えてくるものですから老人が女性の介護者にラブレターを出したのと同じ話じゃないですか。
精神的なだけの性をからかっちゃいけませんや。

ただ、専ら精神的な欲望といいますか、それはあります。たぶん死ぬまであるんじゃないかと思います。それをどうするんだということがあるわけですね。
その場合に、ラブレターを出すとか、看護師さんに突然抱きついちゃうとか、あるいはベッドで一緒に寝てもらいたいとか、看護師さんが承知すればですけど、そういういろんな要求の形があるんでしょうけど、それがないと思うのは間違いであって、ぼくなんかも老人ホームで介護している人に、マスターベーションをしている老人を見かけることがあるけどどう思いますかと、確かそういうことを聞かれたことがあります。
そりゃいいんじゃないですかっていうふうに答えたんです。
いいったってそれはトイレで慎み深くとか、そういうことは当然あるわけでしょうけど、少しでも変なことだと思っていたら、老人問題は、問違えますよということがあるわけです。そういうドラマを見たこともありますけともそれを変に思うのはおかしい。

だから三好春樹さんは達者な老人などといってましたが、ラブレター、をもらった責任者の女の人は、嬉しいわねくらいのことをいえばいいわけです。
周りの人がそういうことをいえる精神状態になっているのであれば、老人の問題に対して正当な対応の仕方ができると思いますね。
嬉しいわねっていったって、何かをするわけじゃないんですよ。そんなことそもそもできやしないし、そんな気分だって滅多におこるわけではないですから。
だから・嬉しいとでもいってもらえたら、ご老人のほうはそれだけですこぶる満足になれるってことになるんです。でもからかわれたらちょっと面白くない。こいつ老人のことをちっとも知らない奴だと、ご老人のほうでは思うと思いますね。

それで、ぼくの見たドラマでは、いきなり抱きつかれちゃった看護師さんが、医者のところに泣きながら訴えにいくという場面がありました。そうしたら、その医者をSMAPのメンバーの中居正広が演じているんですが、「寝てやりゃいいじゃないか」っていうんですね。
冷淡そうな少し変わった医者という役どころでしたけど、すると看護師さんが老人が寝ているところにベッドの脇から黙って背中を向けて入っていって、じっとしているという場面がありました。
ご老人はそのときに別に何をするわけでもなくて、重体になったときに、どうも有難うとお礼をいって亡くなるというドラマでしたけども、よくここまで脚本を書いたなと思いました。中居正広も、冷淡そうに見える普段の態度と、そういったときの有無をいわせぬセリフのいい方がよくて、いまごろよく心得たもんだと思いました。
めずらしいドラマですけどね。

だから看護師さんでも医者でも責任者でも介護者でもいいけれど、そこまでいったらたいしたもんだと思います。実際にそれに近いところまでいっているのは、たぶんその桜美林の老人病専門の人たちで、彼らはいろんなことをやろうとしていると思います。
でも、三好春樹さんのようないい方をしては駄目です。ちっともわかっていないと思いますね。ご老人のほうは、そんなことをいわれたら気分が悪くて恥をかいたと思うだけで、世話になってるから口にこそ出さないでしょうけど、達者だなんていわれて冗談じゃねえぞって感じると思います。

嫌らしいと思っているのがわかったら、ご老人はもうそこにはいる気がしません   -介護と性-

老人になって何が面倒かといったら、そういった性の問題と、あとは介護ですね。
介護ではとくに小便と大便です。ぼくの場合は前立腺障害で症状がいろいろあるんですけども、とくに頻尿と残尿感に往生します。つまり、排尿しても終わったって感じがちっともなくて、その代わり、いつでもしたくなるというね。

昼に来客があるときなどは、棒状といいますか、紙のオムツみたいなものをして、それの具合がいいからそうするようにしてますけど、夜は、つまり眠ってしまっているときは、尿道の開け閉めが弱くなってるからでしょうけど、入院中にもずいぶん失敗しました。蒲団を濡らしちゃってね。
看護師さんは、嫌な顔をしながらでも仕事だから世話してくれましたけどね。病院に売店があって、そういう点ではいろいろ道具も発達してますから、ぼくなんかは、いまでもそれがないと夜は駄目ですね。だからそうしてますけど。

そういう問題は人によって微妙に違うわけですよ。友だちのなかには、残尿だろうが頻尿だろうがお前は出るんだからまだいいじゃないか、俺は出ないという奴もいます。
トイレに坐って、時問をかけて気分もゆったりしてというところにもっていかないと、出てこないわけです。それから、その人の場合は透析ですね。これを一週間に何回か。あれも厄介なもので、人によって事情は違うのでしょうが、大変なことに変わりはありません。

大便や小便で失敗してしまった場合に、下着を取りかえたり、拭いてくれたり、汚れた蒲団をとっかえたりっていう介護の人がいるわけです。
ぼくが入院していたときは、臨床的なところまでやった経験があるいい人でしたけども、でも慣れるまで、あるいはあるていど回復するまでどうしようかということになると、症状によって、用心深く、やはり自分の力で見つけていくしかないですね。
もしかすると手術をすればいい場合もあるのかもしれないけれど、いい歳になってわざわざ手術をしろなんていわれても、手術して簡単に治ればいいですけど、化膿したらどうしようかなんて考えると、普通はやらないですね、ご老人は。
それに、防御用の紙オムツをすると一口にいっても、どういうときにして、どういうときにしないですむなんてことも人によって違ってきますし。

もっと先のことをいえば、そのときにどういう気分になるか、嫌な気分には違いないわけですけど、それも人によっていろいろです。
そんなときに介護で何かからかわれるようなことをいわれたら、ぼくなんかはとくにそうかもしれないけれど、嫌だろうなぁと実感でわかります。そういうときにはさっさとやってくれればいいわけだけど、もし少しでもからかうようなことをいわれたら、ご老人はつらいです。一番コンプレックスをもってるところですからね。
だから、そんなこといわれたら嫌だなって、不快感が増すだけだろうなって実感で思います。そういう考え方やいい方をされるのはちょっとかなわない。
だから、さきほどのラブレターの問題にしても、もらった責任者の女の人、その人がお医者さんだったかどうかは知りませんが、ラブレターをもらったというので嫌らしいわねって少しでも思っているのがわかったとしたら、ご老人はもうそこにはいる気がしないというのが本音だと思います。

本当は、ああ嬉しかったぐらいのことですむわけですよ。ご老人は、それ以上のことというか、たとえばデートに誘うなんてことはめったにあり得ないわけですから。
よっぽど機嫌がよくて、からだの調子もよければ誘うことだってあるかもしれないけど、そういうときはそういうときで、女の人のほうからちょっとそこらへんを散歩でもしましょうかといってもらえたらいいと思うんですけどね。あるいは、せめて、忙しくていけないよとかね。
ですから、気を使うといってもそれくらいのものでね、実害のあるようなことはするわけがないんです。というより、できるわけがないと思いますね。
そういうところをわかって気を配ってくれたら、老人にとってはもう申し分ないといいましょうか。この上ないだろうし、きっと敬意も表してくれるだろうと思います。

何かご老人のコンプレックスにザクッと触れちゃうところにいくのは、避けるべきだというふうに思います。本当は基本的にその人の勝手なんですけどね。マスターべーションするのがその人の勝手だというのと同じ意味でね。
だから勝手なんだけど、でもそこまで医療の考え方、あるいは老人介護の制度がいけたらいいとは思いますね。いまのところ、日本では、大学はもちろんですけど、どこかの病院や老人ホームがそこまでいってるっていうことは、ぼくには考えられないです。
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 洋泉社新書 『生涯現役』より一部抜粋しました(p46~p54)。

---- 関連資料 02 -------------------
 『ねたきりゼロQ&A』より

 
質問老人ホームに入所中の七四歳の男性のことで質問します。ときどき布団の中で自慰行為をするので、私たちがどう対応していいか困っています。
ときには下着が汚れて後始末が必要なこともあります。寮母の問では、性的に嫌がる人と「まあ、いいじゃない」と理解を示す人と二つに分かれています。

■■ 見て見ないふり■■

答え私が最も不得意とする領域の質問がとうとう来てしまいました。性の問題はとことん個別の問題なので、一般的には答えにくいんですよね。
自慰行為にどう対応すればいいかという問題は、研修会なんかでもよく取り上げられていますよね。介護職の大半が女性なので、男性のこうした行為には生理的嫌悪感が強いようです。

特に若い人は「いい年をしていやらしい」なんて感じるようです。それに対し、研修会の講師の先生が言うことは、いつも決まっています。「いくら年を取っても性的欲求は残っているし、自慰も自然で当たり前のこと。いやらしいなんて思わないように」という趣旨のことを言うはずです。

でも、私は「いやらしい」派と「当たり前」派のどちらもピンときません。
問題は自慰行為そのものではなくて、それが周りの人に不快感を与えているということにあるからです。性的欲求がいくら自然なものだといっても、それを他人の前であからさまにするのはマナーに反しますよね。
若い女性もいるというのに、他人に分かるように自慰をしたり、後始末まで他人にやってもらうなんてのはルール違反なんです。

従って、この男性への正しい反応は、自慰を止めさせるのでも、逆に勧めることでもありません。「人に迷惑をかけないように、うまく隠れてやりなさい」とアドバイスすることです。
その役割は男性がいいでしょう。でも、さっぱりした男まさりの女性でもいいですよ。ただ、いくら隠れてやっていても、老人ホームですから、こちら側は気づいてしまうということもあるでしょう。
そのときは見て見ないふりをする、というのが正しい対応でしょう。この「見て見ないふり」というのは、性的なことだけじゃなく、ケア全般にすごく大事なことだと私は思っています。


質問私は特養ホームで寮父をしています。最近、男性入所者のAさんが、女性の裸が掲載されている雑誌を買ってきてくれ、と私にせがむのです。同じ男性ですのでその気持ちはよくわかりますし、本人の希望に沿いたいとは思うのですが、それによる問題が生じはしないかと心配です。
Aさんの家族がその本を見たらどう思うか、それを職員が買ってきたと聞いて、施設に対して悪い印象を持たないか、ひいては地域での評判を落とさないだろうか、といった点です。こうした問題をタブーにしないで、かつ現実的に解決していくにはどうしたらいいのでしょうか。

■■ 男同士、秘密の共有者として■■

答えうーむ、私の最も苦手とする領域の問題ですね。性や恋愛に関する問題は、最も個別的なこととして立ち現れるので、とても一般論では語れないからです。にもかかわらず、Aさんの事情からではなくて、自分自身の理念からこうした問題を語る人が多いのは困ったものです。

まず、職員がヌード写真集や雑誌を買ってくるなんてとんでもない、という意見です。いくらAさんが喜ぶからといっても、人間の動物的な部分をイキイキさせるのがいいこととは思えないという主張でしょう。
「性の商品化に手を貸すべきではない」なんて言うかもしれません。清らかな福祉の世界にそんないやらしい物をまぎれこませるわけにはいかない、なんていうストイックな感情がどこかにあるかもしれません。

それとは反対に、性はもっと大らかで自由でいいはずだ、という主張もあります。七〇歳になった老人の訴えに、説教じみたことを言って禁止するより、喜んでもらおうよ、明日があるかどうかわからないんだし、というような柔軟な意見です。
禁止派の意見は、いわゆる「正しい」意見ですが、少し堅苦しいですよね。何より、自分の世界観のみで語ることが多くて、現実のAさんの訴えや悩みを理解しようとしていないような気がします。だって、人はいろいろで、高齢でも性的欲求が強くて、人生に占める性の割合が大変大きい人だっていますものね。

でも、自由気ままにして、ヌードだろうがなんだろうがドンドン買ってきて、部屋の壁にポスターでも張り付けりゃいいじゃないか、というのもちょっとねえ。
こうした積極賛成論は、型にはまることがなく、常識にとらわれないという点では魅力的ですが、"常識や型にとらわれない"ということにとらわれている、という感じがしないでもありません。

私の立場は、世問一般で許容されていることなら、老人ホームでも許容されるべきだということになります。
ヌード写真を見ることも、風俗の店に通うことも、今の世の中では許容されていますから、老人ホームの老人がそれをしたければしてもいいと思います。
しかし、それらは世の中でもあまり、おおっぴらにやることではありません。法的に罰せられることはなくても、道徳的には問題があると感じられていることです。ですから、ふつうそれらは人に隠れてこっそりするものです。

つまり、Aさんもこっそり買ってきてこっそり楽しめばいいのです。でも身体の不自由などで自分では買い物にいけないので、あなたに頼んだのでしょう。
ほんとうは面会に来た友だちにでも頼んで手にいれればいいのでしょうが、家族くらいしか面会がないのでしょうね。そこで男性職員で話のわかりそうなあなたに頼んだということでしょう。

ですからあなたも、職員としてではなく、仕事で知り合った男性から頼まれたことを私的にやってあげるという形で、希望の本をそっと手渡せばいいと思います。
その際、家族やまじめでストイックな職員には見つからないように、とアドバイスしてあげると、男同士の秘密を共有したみたいで二人の関係はグッと近くなるでしょうね。

それによって興奮して何か問題を起こさないか、というのは心配のしすぎです。ポルノの解禁によって性犯罪は減っています。道徳的とは言えない雑誌や風俗店は、むしろ社会の秩序を保つためのもののようです。

万が一、Aさんが性的な問題を起こしたとしたら、それはそれでちゃんと対応すべきことです。ヌード写真を一人で楽しむことは許されていても、ワイセツ行為は許されていないのですから。
職員としてではなく買ってきてあげればいい、と言いましたが、実際には職員としてのあなたと、一人の人間であるあなたを区別できるものではありません。
ですから、もし上司がちゃんとわかってくれる人なら、「頼まれたので買ってくるけど、職員としてではないので、例えば、運悪く家族に見つかって文句が出たら私のせいにしていただいて、施設の方針でやっているのではない、と申し開きして欲しい。道徳的には問題があるだろうが、禁止することのほうが問題になると思うので、見て見ないふりをしていてほしい」と事前に話しておくといいと思います。

掃除の時に雑誌を見つけて、取り上げてしまう「正しい」職員もいるかもしれません。私は迷惑をかけていないのなら、人の持ち物を取り上げる権利なんてないと思いますが、まあ老人もイロイロ、職員もイロイロだから、世の中おもしろいんです。
取り上げられたら、またAさんとあなたが共謀して買ってきましょう。でも、今度は見つからない場所をちゃんと探して。 ----------------------
 『ねたきりゼロQ&A』より一部抜粋しました(p206~p213)。

2012年4月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
        その⑯ 見ているのは周辺症状か、それとも人生か

特養ホームに就職すると、宿直という仕事があることがわかった。夜勤の寮母が2人に、男性スタッフが1人交代で宿直で泊り込む。当時介護職は寮母と呼ばれていたように全員女性で、男性は園長、事務長、事務員、用務員と生活指導員として就職した私の5人だけだ。

その5人が交代で宿直をする。管理宿直で、特に事件や事故さえなければ夜の11 時に見回りをして歩く以外には、仕事はないとはいえ、5日に一回の宿直は少々きつい。なにしろ宿直明けの日にも普通どおりの仕事があるから、宿直の夜をはさんで、32 時間以上連続して特養ホームという職場にいることになるのだ。

民主的な職場だったから、出張の多い園長も宿直のローテーションに加わってくれていたが、さすがに園長もきつかったのだろう、警察官を定年退職した人が宿直専門で2日に一度、来てくれることになった。おかげで園長はローテーションから外れることができたし、男子職員が一人増えたので私たちは10 日に一度の宿直になった。10 日に一度特養ホームに泊まって過ごすのはむしろ楽しみである。昼間は見えないものが見えてくるのだ。

たとえば人間関係。入所者のじいさんとばあさんがそっと話をしたりしている。昼には決して見せることのなかった組み合わせだ。夜になると人格が変わる人は珍しくないが、人間そのものまで変わることもある。いや別に何かに化けるのではない。入れ歯を外すとまったく別の顔になるし、カツラを外しているため誰かわからなかったこともある。

入所者同士の噂話もたくさん聞ける。当人たちはヒソヒソ話のつもりだが、お互い耳が遠いので大声になるため、聞こうとは思わなくても聞こえてくるのだ。「寮母のTさんは離婚して女手一つで息子を育ててきたけど、今再婚の話があるらしい」……どこから情報を仕入れるのだろうか。

でも入所者たちは夜の7時くらいには早々と寝る態勢に入る。しかしこちらは11 時の見回りがあるから寝るわけにはいかず、昼間にやり残した仕事をしたり、宿直室のテレビを見ながら11 時になるのを待つことになる。ようやく11 時になって私が見回りのために宿直室から廊下へ出た途端に真っ暗になった。停電らしい。あとでわかったのだが、風の強い日で、樹木が倒れて送電線が切れたのだ。特養ホームにはこんなときのために、自家発電装置がある。重油でモーターを動かして発電するもので、停電になると自動的にスイッチが作動する。それで廊下の非常灯がすぐに点灯し、私は手に懐中電灯を持って2階の居室へと向かった。

すると、早々に寝入っていたはずの田山さんというおばあさんが廊下に出てきて大声で叫んだ。私の講義ではここで、さて田山さんはなんて叫んだでしょう、となる。読者の皆さんも活字を追うのを止めて考えてみてほしい。

聞いている人の反応は二つに分かれる。そんなのわかるわけないじゃないかという表情をしている人と、ああ、わかったという表情の人と。やはり前者は若い介護職、後者は人生経験豊かな人に多い。答えは「くうしゅうけいほうはつれーい」。そう聞いてもキョトンとしている若い人もいて、「空襲」の説明が必要になる。じつは『実用介護辞典』の210 頁にちゃんと出ている。若者向けだ。空襲になると「灯火管制」が行われた。これまた説明が必要となる。“とうかかんせい”と読み、爆撃の標的になるからと、灯りをすべて消したのだ。

停電でいきなり真っ暗になる。しかも、自家発電装置のモーターの低い音と爆撃機の音が似ているのだという。かつてと同じ状況に直面したとき、そのときの恐怖感が再現されてパニックになる、これはPTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状だと言っていいだろう。

PTSD については、阪神・淡路大震災で語られ始め一般の人にも理解が進むようになった。しかし子どもについて語られることが多く、老人について考察されることはほとんどないと言ってよい。まして認知症老人となると、問題となるような言動は中核症状や周辺症状という言葉で括られてしまっていて、その人の過去の人生経験の及ぼす心理的反応として理解しようとはしないのだ。

PTSD は異常な状態ではない。むしろ人間ならではの正常な心理的反応であるとされている。であるなら、認知症老人だからこそそれがより純粋に現れてくると考えられるのではないか。第二次世界大戦の空襲は、日本人の特定の世代の人たちにとっては集団的PTSD の原因だと考えていいだろう。となると私たちは、阪神・淡路大震災や東北大震災と原発事故を体験した多くの人々が、将来高齢になったときに現れてくるのであろうPTSD の症状について予見しておかねばならないだろう。

と同時に生命を危険にさらす体験や残酷なシーンの目撃といったPTSD の原因となったものを一人ひとりの老人がその生活史の中にもっていることも想像しておかねばならないだろう。私たちが見、体験しているものは、認知症老人の中核症状や周辺症状ではなくて、その人の人生そのものであるかもしれないのである

2012年4月  緊急アピール

石原慎太郎がまた尖閣問題でつまらないことをやっている。これは人類の愚かさの象徴である。近代国家というワナにはまらない人たちよ、このホームページの「介護夜汰話 番外地」の「石原にこそ天罰」(新刊『希望としての介護』(雲母書房)にも所収)を必読のこと。国家を超えることこそ人類の課題である。

2012年3月  3/24さようなら原発集会レポート

3 月24 日(土)、「さようなら原発1000 万人アクション」が開催された日比谷公園野外音楽堂入口に介護関係者が集合、集会参加後、東電本社前を経由して銀座、東京駅方面のデモに出発した。元市議会議員の善家裕子さんや、友人の目黒区のやはり元議員の安あん久きゅう美与子さんも過激な姿で合流。いしいさん家の石井英寿さん、土居新幸さんらの姿も。
  スライドショーを見る

2012年3月  泣きながら乾杯する
 ~「季節、めぐり それぞれの居場所」評~

画面は突然、木更津の宅老所「井戸端げんき」へと向かう小路から始まる。これまた突如「ストトン節」が聞こえてくる。テレビで流せば良識ある人たちからクレームが来そうな男性中心主義的歌詞を、数人がやけくそのような大声で歌っているのだ。

この映画は『ただいま それぞれの居場所』の続編である。『ただいま それぞれの居場所』は、介護現場を描いたシリーズの3作めで、すぐに介護職の間で話題になり、主要都市での劇場公開のあとに、介護関係者による自主上映会が全国各地で続いている作品である。

今回の題は『季節、めぐり それぞれの居場所』となっているが、私に言わせれば『それぞれの死に場所』とすべきと思える内容である。前作で「元気な亀さん」を利用していた、その作品の主人公とでもいうべき子安さんが亡くなっている。さらに彼を介護してきた奥さんまでが、自分の仕事を終えたとでも言うように白血病でその後を追っているのだ。残された姉妹が登場するのだが、2人とも明るい。本人たちも回りが驚いているという。

「亀さんでよかったと思う」と語るのである。いい居場所こそがいい死に場所なのだ。できるだけのことをした、と思える人は、死を受け入れることができる。もちろん、どんな死にも後悔はあり、迷いはある。でも後悔が最も少ない死を支える、つまり生を支えることはできる。だから2人はさわやかなのだ。

『看取りケアの作法』という本が出た。日本のケアを変え、認知症老人のターミナルケアを家族、地域とともにつくり出している福岡の宅老所「よりあい」の村瀨孝生さんの著書である。この本と村瀨さんの各地での講演が私たちに衝撃を与えている。彼は訴える。看取りを医療に丸投げするな、と。だっていい居場所こそがいい死に場所なのだから、家族と介護職こそがケアの中心でなくてはならない。

さらに、身体をさわれ、と。さわれば、死がわかってくる、と。死がやってくるのが触覚で実感としてわかれば、余計な医療なんかしなくてすむのだ。もちろん人工的な手の入らない、より自然に近い死はいつでも“想定外”だから、家族と介護スタッフは死までの時間を延々と待たねばならないこともある。やっと、死が訪れると、家族と泣きながら乾杯したという話を彼はするのだ。悲しいのでもない、うれしいのでもない。生きて死ぬ、見事に人間の最も大切なことを成したのだ。

そして、われわれはその最も大切なことに立ち会った。田中千代さんも亡くなった。病院から井戸端げんきに戻ってきた、あの伊藤さんが抱いて移動していた、あのおばあさんだ、と前作やそれに続く『9月11 日』を見ている私は言いたくなってしまう。その千代さんがいつも歌っていたのが「ストトン節」だった。映画の冒頭の歌は、その千代さんを送り出すスタッフたちの歌声なのである。いわば“泣きながらの乾杯”である。

生活の場で、そして関係の中で看取るとはどんなことであるかを、村瀨さんも彼らも私たちに示しているのだ。津波でわが家を流されながらも、入所者の居場所を守っている宮古の有料老人ホームスタッフも登場する。さらに、特養ホームを辞めて自らデイサービスを運営し始めた女性(本誌ではおなじみの中田妃登美さん)がつぶやく。「わかっていると思ってたけど、今はなんにもわからないと思うようになった」と。

彼女は津軽の雪景色の中、利用者を自宅に送っていく。味噌をつくっていた大きな家の一画に、都会から帰ってきた娘さんと2人で暮らしている。カメラはその家の中を見回す。ああこれが居場所だ。まっとうに老いて、まっとうに死んでいくのにふさわしい場だ、と私は思った。

わかってなくていい、この場に身をゆだねればいい、と。私たちはそんな場を失ってきた。いや、自ら手放してきた。もう一度“津軽”を新しい形で取り戻すこと。介護現場の最深部で起こっていることが見えてきた作品である。介護職だけでなく、日本資本主義という人殺しシステムの共犯者に組み込まれている日本国民が、悔い改めるためにも見るべき映画。

2012年3月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
        その⑮ 内コミュニケーショる

私は、統合失調症といわれる人たちとの仕事上の関わりはない。ただ、かつて“精神分裂病”であった人が、歳をとって認知症と呼ばれている老人には何人か関わったことがある。ただ私的には何人かを知っている。知人の一人から高校生の頃に、「幻聴がある」と、ごく普通に打ち明けられた。ある女性は私を一方的に友人だと思い込んでいて何日もわが家から帰らず、妄想めいた話を繰り返していた。

だから、仕事として病院や在宅で精神障害者と関わってきた人たちに比べれば、私の見聞きしたものはとるに足らないものである。そのことを前提として書いていきたいと思う。私の体験では、彼らはコミュニケーションの回路を閉じているように感じられた。そういう感じは、認知症の高齢者からも感じることはよくある。でも一部分である。混乱期や、認知症の特定のタイプがかなり進行した結果、そうなることはあるが、統合失調症の場合にはやはり認知症の高齢者から受ける印象とは質的に違っているのである。

しかし、その後2つの体験をとおして、その感じ方を変えるべきだと思うようになった。体験の一つは読書という体験である。吉本隆明の『母型論』(思潮社)に出合ったのだ。彼はこの本で、統合失調症の原因についての仮説を提出している。もちろん医学界は無視しているが。『母の形式は子どもの運命を決めてしまう』から始まる第1章の中で、彼は「受胎八か月から出生後一年くらいのあいだ」の「母親と胎乳児とのかかわる場」にその原因が生じているというのである。

彼は、胎児と母親とのコミュニケーションを“内コミュニケーション”、出産後の乳児と母親とのそれを“外コミュニケーション”と呼ぶ。内コミュニケーションでは「密閉環境のなかで、生命維持の流れは母から子へじかにつながっている。外の環境の変化を感じて母親の感情が変化すると代謝に影響するため、(中略)母親が思い、感じたことはそのまま胎児にコミュニケートされ、胎児は母親とほとんどおなじ思いを感じた状態になる」と書く。

つまり、「この母と子だけに閉じられた交通の世界」では、「考想察知、超感覚、思い込み、早合点、誤解、妄想、作為体験」が、異常でもなんでもなく生じているのである。

そうか。私が体験した「閉じている」という感じは“外コミュニケーション”についてであり、彼や彼女たちは“内コミュニケーション”のほうに開いていて、その分、外には閉じていると感じられたのである。彼や彼女たちは、コミュニケーションが乏しいのではなくて、外と内という種類の違うコミュニケーションをもっていると考えればいいのではないか。それはわれわれより豊かだとも言えるかもしれない。

2つめの体験が「べてるの家」である。「べてる」には仕事で一度行って見学させてもらったことがある。「GM 大会」(前号参照)のある「べてるまつり」には日程が合わず参加ができなかったのだが、ようやく今年の8月に、本誌でツアーを呼びかけて行けることになった。しかも、うれしいことに評論家の芹沢俊介さんまで行くというのだ。「GM 大会」と並んで私が楽しみにしているのが「当事者研究」である。

「研究」といえば、専門家が学会で統合失調症や認知症高齢者を「対象」として語るものだ。その語り口は、冷静に、客観的に。つまり、冷ややかに、他人事として。そして固有名詞をもった生活者を、専門用語の枠の中に“ケース”として押し込めるものである。ところが、「当事者研究」は違う。これは「研究」への皮肉だ。開き直りだ。統合失調症の本人が自分のことを語り、回りの仲間やスタッフがそれに応じて演じ、笑い、“介護方針”なんかが出るわけでもないのだが、何か気が楽になっているという代物なのだから。

私は一度だけ東京で開かれた「研究会」に参加したことがある。通行人が自分の悪口を言っているので家から出られない、という女性がボランティアに付き添ってもらって参加して話している。すると参加者の一人がその悪口を言う通行人役になる。彼女の幻聴や妄想の世界をその場でつくりあげてみんなで共有するのだ。夕方になるとかつての職場の上司の巨大な顔が現れて大声を出すという人には、みんなで家に行って、その巨大な顔に「出てこないでくれ」と頼むとか、アパートの部屋の壁と天井が迫ってきて圧迫されると訴える人のところにも行ってメジャーで部屋の大きさを計って狭くなっていないことを確認する、なんて実践も報告されていた。

もうこれは、統合失調症を内コミュニケーションをもった人としてとらえ直すなんてことだけではなくて、その内コミュニケーション、つまり異常とされているものを、外コミュニケーションに転化してしまおうという戦術なのである。

この戦術は認知症ケアの現場でも登場している。本誌の2011 年10 月号、田辺鶴瑛さんのインタビューを読んだだろうか。『馬のかぶり物を買ってきて、(義父が)「掻いてくれ」といった晩、満を持して馬をかぶって行くと、「なんだ馬か! 馬には掻けんわな。もういいから帰れ」』認知症老人の内的世界をうまく介護に転化しているのである。同じ号の村瀨孝生さんの『よりあいレポート』のテーマは『問題行動は地域をつなぐ』である。

問題行動というマイナスを、コミュニティの創造というプラスに転化しようというのだ。これはもう、介護の戦術を越えて、同じ発想で世の中まで変えようという戦略だと言っていいのではないだろうか。。

2012年3月  追悼 吉本隆明氏

以前行なっていた毎月定例読書会においても 『母型論』 『共同幻想論』 『マチユ書試論』を読ませてもらいました。氏の視点を抜きにして現代は語れません。吉本隆明氏の冥福を心よりお祈ります。

2012年3月  2012 インドツアーレポート

今年は2度もインドツアーを組んだ。「2度目のインド」と題したエローラ、アジャンタの旅も良かった。でもやっぱり、オールドデリーとバナラシを徘徊する「生と死を見つめる旅」が面白い。

●2012/02/22~26

特に今回は、インドはもちろん、海外旅行は初めてという人が多くて、そんな人のピュアな反応に、こちらまで新鮮な気持ちになれた。

デリー特に到着した夜、今回初めてオールドデリーのホテルを指名したのが良かった。ホテルの前で通りを見ているだけで刺激的だ。人、リキシャ、オートリキシャ、馬車、それに象までやってくる。

そのオートリキシャに分乗してガンジス河岸まで行くのが翌日のバナラシである。アルティ・プジャーというヒンズー教の火祭りを見に行くのだ。そのまた翌日は、ガンジスを小舟で観光。この際希望者8人が途中下船、再乗船して沐浴を体験した。

最終日はオールドデリーの街を徘徊。なにしろ他のツアーでは観光バスの窓から見るだけで決して下車なんかさせない街である。

そういえば到着日の夜にもみんなでオールドデリーを歩いた。狭い道のもっと細い路地の向こうで音楽が鳴っている。行ってみると住民が集まって踊っている。結婚式の前夜祭だそうだ。そこに一行23人が参加して大騒ぎ。さぞかし日本人は変だと思われたのではないか。

夜のガンジスと朝のガンジス、夜のオールドデリーと昼のオールドデリーが3泊5日にぎっしりつまったツアーである。我ながらいい日程だと再確認。来年こそはあなたも。

●2012/02/08~12 インドで体験したこと日本文化の特殊性?

私はインドツアーの添乗員代わりなので、団体バスの一番前に座る。嫌でも前方が見えるのだがこれが怖い。

日本はどちら側通行か? と聞かれたことがある。「左側だ」と言うと「そうか。イギリスも左、アメリカは右、片寄っている。インドを見ろ、両側通行だ」。

だから、混んでくると、右側の車線に入るのは当たり前。トラックやオートリキシャなど遅い車が多いので片側一車線の道で追い越しだらけである。追い越す側が警笛を鳴らす。すると前の男のドライバーが窓から右手を出して返答をする。いいよ、という意味だ。追い越しを始めるが前から車が来る。そちらはライトを点ける。思わず、アーッと声が出るくらいの職人技で追い越しが完了する。

日本には「阿吽(あうん)の呼吸」という表現がある。何も言われなくても通じ合うことで、日本人特有のものだと言われている。しかし、このインドの追い越しも、合図があるとはいえ、まさしく「阿吽の呼吸」である。日本文化の特殊性なんてものは怪しくなってくる。

しかし、確かに日本文化の特殊性を実感させられたのも今回のツアーだった。成田から10時間かけてニューデリーに着いたのが現地時間の18時半(日本時間では22時)。翌朝早い飛行機に乗るため、モーニングコールは3時50分である。

しかしモーニングコールはまったく必要なかった。3時過ぎに楽団のラッパの声が響き渡るのだ。ホテルの隣が結婚式場。夜遅くまで騒いでいたのだが、3時過ぎに新郎と新婦が車で出発するそうだ。それで再び大騒ぎ。

日本ならとてもありえないだろう。「周りの人に迷惑をかけないように」なんて言われてきているからだ。だがインドでは、公的なことより、私的な婚礼の習慣のほうが優先されるのである。

私は日本文化の特殊性というよりは、近代日本の寛容性の欠如だと思えてならない。いいじゃないか、一生に一度の日に周りに迷惑をかけたって。もっとも日本では一生に一度というわけではなくなっているけど。

2012/02/08~12 インドツアーアルバム

●自己決定より星占い?

昨年、谷川俊太郎さんや徳永進さんたちとのインド旅行に行ったときのことである。毎晩のように誰かの部屋に集まって話が盛りあがった。

なかでも同行のM君の離婚がちょうど進行中だったし、谷川さんは離婚のベテランだからその話が中心である。離婚に悩み、再婚すべきかどうかで悩み、という話に、現地のインド人ガイドが発言した。

「なんでそんなことで悩むのか。インドでは結婚相手は占星術で決めるから悩む必要なんかないんだ」と。それを聞いた谷川さん。「自己責任がないうまいシステムですよ」。

そうか。うまくいかないのは星のせいで自分のせいじゃない。見合い結婚なんてのもそういうシステムの一種なのだろう。恋愛結婚より見合い結婚のほうがはるかに離婚率は低いらしい。

2002 india

自己決定なんてのは所詮“誤る自由”もしくは自意識過剰のセコいプライドに過ぎないのではないか。そんなことも考えさせてくれるインドツアーである。

2012年1月  認知症老人のコミュニケーション覚え書き
        その⑭コミュニケーションはもう始まっている

「回想法」をやらなくても、とっくに「回想」は始まっている、と前章で書いた。つまり、少なからず専門的技法をマスターし、時間と空間を特定し、わざわざ老人を呼びたてて、「さぁ回想法を始めましょう」なんてやらなくても、老人の自発的な「回想」は始まっているのだ。

風呂場の浴槽の中で、デイサービスの送迎の車の中で、庭での日向ぼっこで、廊下のソファのおばあさん同士のほとんどかみ合っていない“会話”の中で。もちろん、施設に訪問してきた家族との思い出話に、ベッドサイドに置かれた写真立てをきっかけにしたスタッフとの会話の中にも。

じつは、この連載のテーマであるコミュニケーションについても、この「回想」と同じことが言えるのだ。つまり、私たちがわざわざ意図的にコミュニケーションしようと思わなくても、すでに老人は私たちに自発的にコミュニケートしているのである。ところが老人を治療しようとしている人たちはもちろん、介護する私たちまでそのことに気がついていない。それどころか、それをあってはいけないことだと考え、抑圧さえしているのである。

コミュニケーションが大切だと言っているくせに、老人の側からのコミュニケートを拒否し、抑圧しているのだ。それはいったい何か?答えは「問題行動」。老人、特に認知症と呼ばれている人の「問題行動」こそ、老人の側からの私たちへの自発的コミュニケーションなのだ。しかし私たちはそうはとらえない。問題行動は「周辺症状」だと教えられている。

つまり、認知症という脳の病気にともなう「中核症状」から派生するのが「周辺症状」であり、それは、治療や介護、それも特別な対人関係技術によって解消すべきものだと教えられている。しかし「問題行動」は解消すべき、意味のないものなのだろうか。私にはむしろ、認知症老人の自己主張、非言語的な訴えではないかと思えるのだ。

「問題行動」「周辺症状」と呼ばれるものそのものに、その主張、訴えが隠されているのではないかと。もちろん、どう考えても、そしていろいろ仮説を立てたけど結果的に主張や訴えがあるとは思えない、無意味としか思えない問題行動はいくらもある。しかし、意味がある、ない、どちらであろうが、老人の「問題行動」を、現にそこにあるものとして肯定的に、というより、そうするよりないという半ばあきらめに近いのだが、受けとめるということが大事だと思えるのだ。

実際、そうした「受けとめ」が、認知症老人をずいぶん落ち着かせるのである。「受けとめ」というのは何かをしているのではない。なにしろ受動的である。それは、何かをするという能動性から免れるということである。つまり、「問題行動」、さらには認知症と呼ばれる老人、さらには、老いそのものをあってはならないものとして、治療し、矯正し、教育し、管理しようとする能動性からである。それらをしないということが「受けとめる」ということではないか。

専門性をもった人にこそ多い「能動性」による関わりと、それから免れている、一見何もしない「受けとめ」との違いを、老人たちは、じつに見事に見抜くのである。前者には目を閉じて心を開かず、後者の眼差しの中では落ち着いて眠りについたりする。

「べてるの家」は、介護関係者の一部でも語られるようになった精神障害者の運動体である。北海道、日高地方に浦河町という町がある。そこの日赤病院の精神科を退院した人たちが、退院しても行くところがない、することもない、といって町の教会に集まってつくったグループである。本誌では、ほぼ1年に1度、施設見学ツアーを実施してきた。北海道の特養ホーム湧愛園が最初で、広島の特養ホーム誠和園、福岡の宅老所よりあい、第2よりあい、広島のデイサービス玄々などなど。

2年前から、はじめて老人施設以外へのツアーを行っている。それが「べてるの家」である。全国各地で認知症老人のケアを仕事としている人たちが、浦河町で1年1回開かれる「べてる祭り」にぜひ行ってみたいと言い始めたのだ。彼らのいちばんの興味は「べてる祭り」の中の「G.M. 大会」である。正式には「GM 発表大会」。さて、このG とM とは何のことでしょう、と質問すると、真面目な人はgとmから始まる専門用語を探し始める。ちょっと遊び心のある人は、G は爺さんかな、なんと考えたりする。

答えは、G は幻覚、M は妄想である。一番すごい幻覚や妄想を発表した人が“優勝”して祝福を受ける。「この人が去年の新人賞です」なんて紹介されたりする。「べてるの家」に伴走してきた浦河日赤病院の精神科医の川村敏明先生も、同病院のソーシャルワーカーだった向谷地生良さんも、彼らの妄想や幻覚をあってはならないものとして治療してなくそうとしない。ちゃんとつき合い、まるでおもしろがっているようである。統合失調症でもそんな考えと実践が出てきたのだ。老人の認知症につき合えない理由なんかないではないか。



2012年1月  何にでも終わりがある

10数年間続けてきた毎月第2水曜日の定例読書会を1月で終了することにした。何にでも終わりがある。『介護のことば』(講談社)の『ん』の項に書いたとおりだ。(因みにこの文章、「薔薇族」の編集長がHPで誉めてくれてたぞ)

読書会といっても、1時間ほど輪読すると酒盛りに入るというゆるい会で、最近では始まる前から酒という状態だったくらい。この間読んできた本を並べるとすごいなあ。現代日本の状況が伝わる感じがする。

『野生の思考』(レヴィ・ストロース)…これが一番長かったなあ
『フーコー』(桜井哲夫、講談社の「現代思想の冒険者たち」シリーズ)
『母型論』『共同幻想論』『マチユ書試論』(吉本隆明)
『愛と経済のロゴス』(中沢新一、講談社のカイエ・ソバージュ・シリーズ)…シリーズの他の4冊も読みたかったなあ
『経験としての死』(芹沢俊介)…芹沢さんにも参加してもらいました
『自閉症論に異議あり!』(村瀬学)
『心はなぜ不自由なのか』(浜田寿美男)
『野口体操 からだに貞く』(野口三千三)
『ためらいの看護』(西川 勝)
『表徴の帝国」(ロラン・バルト)
そして『引き裂かれた自己』(R・D・レイン)

他に忘れているのがありそうだけど。よく読んだものである。介護関係者のみならず、おすすめの本である。
多数の参加者の皆さん、各地で同時進行で読んできた皆さん、通底している地下水脈でまた会いましょう!



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