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介護夜汰話
変えられないものを受け入れる心の静けさを  変えられるものを変えていく勇気を
そしてこの2つを見分ける賢さを

「投降のススメ」
経済優先、いじめ蔓延の日本社会よ / 君たちは包囲されている / 悪業非道を悔いて投降する者は /  経済よりいのち、弱者最優先の / 介護の現場に集合せよ
 (三好春樹)

「武漢日記」より
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」
 (方方)

 介護夜汰話



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問題行動には必ず理由かある


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2017 ~
2017年3月  問題行動には必ず理由かある

質問
親や配偶者が認知症になるとそれだけで大変なショックを受けるもの。否応なしに介護の日々ははじまり、真面目に一所懸命取り組んでいる人ほど追い詰められ、手にかけてしまうなど悲しい事件が後を絶ちません。そんなつらい道を辿らず、認知症の人を上手に自宅で介護する方法はあるのでしょうか

答え
最適な方法を探していけばいい

認知症の人を介護する家族には、肩肘張らずゆったりとした気持ちでケアに向き合っていただきたいと、常日頃から願っています。 「そんな悠長な! 気持ちに余裕なんて持てない!」と叱られるかもしれませんね。それはごもっともです。認知症には、徘徊や便をこねて壁に塗りつけたりする弄便など、時にたくさんの問題行動がつきまとうものですから。

でも、ケアする側かゆったりと接すれば、ご機嫌はグンとアップ。確実に問題行動が減少していくのです。 介護者が気持ちにゆとりを持つためには、まず、「介護とはこうあるべき」「この問題行動にはこう対応すべき」といったマニュアルや思い込みから自らを解放することが必要です。介護法などは十人十色。自分とと要介護者との間で、最適な方法を創意工夫しながら探していけばいいのです。

まず、認知症の人を、自分とは「異文化」の中で生きていると受け止めてみてください。たとえば、多くの人にとって裸で外を歩くのは恥ずかしいことですし、犯罪にあたりますが、裸族にとっては裸での生活が当たり前。ある宗教の常識が、別の宗教では非常識ということもある。それと同様に認知症を「異文化」ととらえれば、それにまつわる問題行動も「異常」とは言えなくなります。

第一、「こちらは正常、あちらは異常」とくくるのは、ある種の差別・偏見。認知症の人と介護者は、あくまでも対等な人間。差別・偏見が介在した瞬間に、人間不信が生じ、円滑なコミュニケーションが成立しなくなるのです。 「認知症は異文化」というふうに見方を変えると、認知症の人をこちら側の常識に引きずり込むなど、決してできないと気づかされます。

「そんなおかしなことしないで!」と腹を立てたところで、彼らは何が「おかしい」のかさっぱりわからずパニックに陥り、ますます手がつけられなくなるだけです。 そこで、どんな問題行動であれ、ピリピリしながら正そうとするのは無駄な努力と踏まえ、きっぱり諦めましょう。そのかわり、問題行動の原因を、目いっぱい想像を膨らませて考え、もし見つかったら丁寧に取り除いてあげるのです。

考え抜いても本質が見えてこないこともたびたびあるでしょうが、それはそれでよし。「ちゃんと考えてくれた」という雰囲気は相手に伝わり、それだけで問題行動が落ち着く場合もあります。 問題行動の原因を探すためには、相手の妄想の世界に入り込むことを厭わないのが大切。たとえ娘である自分に向かって「はじめまして」と言ったとしても、一抹の寂しさを封じ込め引き受ける。「はじめまして」と返して、相手の世界に寄り添ってみてください。あくまでも愛情ある墟を演じるだけ。

認知症の人とは、あくまで対等に
ピリピリしながら正そうとしない

演じるうえで重要なのは、臨機応変と時間稼ぎです。認知症の人は、頭の中で時間と場所を自在にループさせるので、こちらも瞬時に切り替えていかないと不安にさせてしまいます。また時間が経過するにつれ、「あれ? なんだか変だな」と自分で気づき、現実の世界へ戻りたくなっていく。

お父様を介護するある娘さんが、とても上手な演技をしていました。真面目な公務員だったお父様が、夜中にスーツに着替えている。聞けば「役所で大事な会議がある」と答えるのだとか。そこで娘さんは「夜遅くにご苦労様。じゃ、ネクタイをしないとね」と時間をかけて締めてあげた。玄関までくると「靴を磨くのを忘れていたので、待っていてね」とこれまたゆっくりと磨く。

そしてお父様が靴を履いたところで「おかえりなさい」と声をかけた。するとお父様は、自分がちょうど帰ってきたところだと思い、すっと靴を脱いで部屋に戻ったそうです。 すんなりと家によかったことを考えると、このお父様も途中で自分の行動に違和感を覚えていたはず。ゆっくりと時間をかけてつきあったことが功を奏したのです。「おかえりなさい」は、まさに助け舟だったとも言えますね。

便秘が解消されたら問題行動も減った

そもそも、認知症の人の問題行動は、不快と感じることを本能的に避け、満足を得ようとする欲求「快・不快の原則」から起こると私はとらえています。この原則は、基本的に赤ちゃん特有のもの。お腹がすいたりおむつが濡れたりして不快と感じると、泣いて親などに世話を求める行為です。通常は、しつけや道徳教育などを受けるにつれ、周囲に迷惑をかけないよう自制心が芽生えていく。

ところが、認知症になると、とっくに卒業したはずのその原則に回帰するように思えるのです。というのも、認知症による問題行動のほとんどが、不快の解消を目的としたものだから。たとえば、弄便。赤ちゃんの場合、おむつが汚れてもお尻に手が届かないため泣いて訴えるだけですが、大人は幸か不幸か手が届く。そこで、おむつの中にある不快な便を自分の手で取り除く。

さらに、手がべトベトして不快だから、壁などで手を拭こうとするわけです。 お尻の穴に指を入れたりするのは、便秘が気持ち悪く、便を掻き出そうとしているケースが大多数です。 ですから、便秘は諸悪の根源。私たちだって便秘をすれば、イライラしたり、夜寝つきが悪くなったりしますよね。認知症の人だって同じ。便秘による不快感から、さまざまな問題行動を起こしているケースが多いといっても過言ではありません。事実、便秘が解消されたら、問題行動が半減したというデータもあるほどです。

では、どうやって便秘を解消するか?です。浣腸や下剤を使用する場合もありますが、それらを投与されること自体が不快なので、よほどひどい症状でない限り使用は避け、朝食後に必ずトイレで踏ん張ってもらうのです。座って踏ん張ると腹筋が効率よく稼働するだけでなく、肛門が真下になるので重力の法則により便が出やすくなる。それを毎日続りているうちに、排便が習慣化されてくるのです。

当然、弄便もなくなる。しかも、踏ん張れば、便は数日おきにしか出なくても尿は確実に出ます。となれば、約3時間はおむつなしでOKに。頃合いを見て、トイレに誘導していく……。これを繰り返した結果、尿意が回復し、「おむつ外し」に成功した例も多々あるんですよ。

おむつといえば、お年寄りが検査のために入院しておむつをされた翌日に、認知症を発症したという報告があります。大の大人にとって、おむつは記憶をなくしたいほどの屈辱とも言えるでしょう。すでに認知症になっている人でも、ふと我に返る瞬間があります。そのとき、自分がおむつをしている現実に胸を痛めているかもしれません。

そう考えると、おむつが外れる、あるいはおむつをしている時間が短くなることは、介護者が楽になるだけでなく、認知症の人自身にとっても幸せなことなのです。 おむつがいい例ですが、認知症になっても、プライドはしっかり残っています。これまでの社会生活で築かれた僻みや情けなさといった感情は、体の芯にきちんと刻まれているのです。だから、「介護をされるなんて嫌。誰にも迷惑をかけたくない」と思っている。したがって介護者は、相手に後ろめたさを感じさせないよう、十分に心がけなければなりません。

被害妄想はなぜ起きるのか 

けれども、自宅で懸命に介護していると、どうしても樵悴しきった顔で世話をしたり、言うことを聞いてくれなくてつい「面倒を見てやっているのに!」と威圧的な態度をとったりしてしまうことはありますよね。すると、認知症の人は、いよいよ耐え切れなくなり、「依存される側と、依存する側」という関係を崩そうとし始めます。

その行く末に生まれやすいのが、「何も食べさせてくれない」「お金が盗まれた」といった被害妄想。「自分こそが、迷惑をかけられているんだ」と認識をすり替えることで、介護者との関係のバランスを保つのです。 特に暴力や暴言は、社会的地位の高かった人に多いのですが、これも得てしてプライドが原因。もともと誰かを頼って生活する「情けない自分」を許せないという素地に、介護者の何気ない言葉が突き刺さり、「この俺を子ども扱いするのか!」と、カッとなったりするわけです。

また、かつて入院していた病院で拘束された経験があって人間不信が根深く、二度と拘束されないための対抗手段をとっているという事例もあります。 いずれにせよ、「依存される」と「依存する」の相互的な関係をつくるとプライドが保たれ、自然と「悪者扱い」も暴力も薄らいできます。

たとえば、認知症になった元芸者さんから泥棒扱いされていたあるヘルパーさんは、ケアのたびに都々逸を教えてもらうようにしたそうです。粗暴な元ヤクザには、生ゴミを荒らす野良犬の番を頼んだ。すると、その問題行動は消え去りました。 こんなふうに、認知症の人に何らかの社会的な役割を与えることは、いかなる問題行動の防止にも効果があります。よく、自宅にいるのに「家に帰る」とゴネる人がいますが、認知症の人のいう「家」は「自分が必要とされる場所」、言い換えれば「自己肯定感を持てる場所」なのです。

ただし、役割を与えるときには次の3つの条件に気をつけましょう。
1つ目は、昔やっていたことかそれに近いこと。とはいえ、プロ意識の高かった人は、若い頃と同じレベルを求め、そこに達しないと落ち込んでしまうので要注意です。
2つ目は、今の能力でできること。
3つ目は、周りから褒められること。たとえ立つのがやっとの衰弱したお年寄りであっても、カレンダーの日めくりやカーテンの開け閉めなど、小さな雑用を頼むといい。そしてやり遂げたときには、「ありがとう! 本当に助かりました」と大いに褒めましょう。

このほかに覚えておきたいのは、環境や生活習慣の変化が、認知症発症の引き金になること、症状の悪化や問題行動が増える大きな要因となってしまうということです。これまで多くの価値観や風潮の変化に適応して生きてきたお年寄りは、今もなお、体力の低下や物忘れなど、これまでに経験したことのない「老化」に日々適応し続けています。それに加えて、「新しい環境や生活習慣に」と促されたら、さすがの適応力も限界を超え、認知症という形で表れると推察できなくもないのです。

介護者には同志が必要である 

そこだけに焦点を当てれば、環境をなるべく変えることなく、住み慣れた家での介護がやはり最適なのです。長年パンとコーヒーの朝食を通してきた人でも、認知症を発症すると、幼少期に食べていた和食が食べたくなるケースもあります。在宅だから対応できるケアはもちろんたくさんありますが、かといって何が何でも在宅ケア優先の「在宅原理主義」に縛られるのはいただけません。

介護者が疲れ果て、家族関係にも歪みをきたすくらいなら、定期的に施設などのサービスを利用して距離を置き、「心の距離」を縮めるほうがよほどいいと私は思います。 その際、介護者に寄り添い、ともに考え悩んでくれる「戦友」のようなケアマネジャーが在籍しているところでサービスを受けることが望ましい。

加えて、ケアマネジヤーが要介護者の生まれ故郷と同郷ならば、まさしく棚からぼた餅。ケアされる側にとっても、聞き慣れた言葉でやりとりできるので、心の底からホッとできるはずです。同時に、要介護者ひとりひとりが積み重ねてきた食事や入浴などのスタイルを、なるべく尊重してくれることも大切です。評判のいいケアマネジャーを探すには、クチコミが一番。地域の介護経験者に尋ねてみましょう。

自宅では孤立しがちな介護者。孤立は、精神状態をどんどん追い詰めるだけです。だからせめて、同じ境遇に置かれた人だちとの関わりを試みるのはいかがでしょうか。今ではすべての都道府県に存在する「家族の会」。あるいは認知症の人やその家族、介護士や看護師などの専門家が集う「認知症カフェ」に足を運んでみる。

家族会やカフェの情報は、地域の社会福祉協議会などでも入手可能です。 「同志」とコミュニケーションをとり、それぞれが抱える悩みを共有しあえば、計り知れないエネルギーが得られます。自分が穏やかになれば、相手も必ず穏やかになれる。心のゆとり、大切にしてくださいね。


【認知症ケア8つの心得】
1、認知症の人を、こちら側の常識に引きずり込まない
2、想像を膨らませながら、相手の世界に寄り添う
3、妄想につきあうときは、臨機応変に、時間をかけて
4、便秘は諸悪の根源。排便を習慣化させよう
5、介護者を悪者扱いするのは、プライトがあるから。
 「面倒をみ てあげている」という態度はNG
6、いまの能力でできる、小さな仕事を頼んでみる 
7、認知症の人の環境や生活習慣を、急に変えない
8、「同志」と思えるケアマネジャーや介護者と交流する



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金と嘘と暴力で作った原発に さよならを
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