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介護夜汰話
変えられないものを受け入れる心の静けさを  変えられるものを変えていく勇気を
そしてこの2つを見分ける賢さを

「投降のススメ」
経済優先、いじめ蔓延の日本社会よ / 君たちは包囲されている / 悪業非道を悔いて投降する者は /  経済よりいのち、弱者最優先の / 介護の現場に集合せよ
 (三好春樹)

「武漢日記」より
「一つの国が文明国家であるかどうかの基準は、高層ビルが多いとか、クルマが疾走しているとか、武器が進んでいるとか、軍隊が強いとか、科学技術が発達しているとか、芸術が多彩とか、さらに、派手なイベントができるとか、花火が豪華絢爛とか、おカネの力で世界を豪遊し、世界中のものを買いあさるとか、決してそうしたことがすべてではない。基準はただ一つしかない、それは弱者に接する態度である」
 (方方)

 介護夜汰話



List

介護夜汰話 “筋トレ”ブームをどう思う
介護夜汰話 全室個室こそ人権無視である
介護夜汰話 関係論なき制度の末路 ~ユニットケア、グループホーム、介護保険制度を斬る~
介護夜汰話 入浴を作業からアートに変える提言
介護夜汰話 老健施設こそターミナルケアを
介護夜汰話 特養ホームの全室個室化に反対する
介護夜汰話 元銀行マンの効率主義
介護夜駄話スペシャル 幼年期と老年期 ~介護と育児を通底するもの~
介護夜駄話スペシャル 石坂浩二の涙の意味
介護夜駄話 新世紀放談
介護夜駄話 家族と老人のニーズがわかってない
介護夜駄話 学者なんか呼ぶんじゃないよ
介護夜駄話 なんて立派な思いやり! ~排泄ケアに悩む寮母との会話~
介護夜駄話 “呆け予防”に悩む保健婦との会話
講演録 下村美恵子 演劇空間としての痴呆老人ケア
介護夜駄話 「抑制廃止宣言」について
ブリコラージュ・インタビュー 下村恵美子
介護夜駄話 障害の定義が変わる 〈下〉
介護夜駄話 障害の定義が変わる 〈上〉
介護夜駄話 妖怪度認定
介護夜駄話 介護は介護力でも理念でもない
介護夜駄話 亀井静香の無意識 ~社会化される介護のエロス化を~
介護夜駄話 フーコーから介護世界が見えてきた
介護夜駄話 流れに逆らう根拠 icon

2001 ~ 2000
2001年12月 介護夜汰話 “筋トレ”ブームをどう思う

客人 前号の「全室個室化こそ人権無視だ」はよかったですよ。個室を主張するのは人権の側で、そうでないのは人権意識が低いかのように思っている人が多いけど、そうじゃないことが納得できましたね。

三好 本人も個室を嫌がるし、こちらが判断しても個室じゃないほうがいいという老人は確実にいるんです。特に、深い痴呆の人のケアをちゃんとやっている現場ならわかるはずですよ。

客人 個室のニーズもあるし、雑居のニーズもある。フスマくらいで仕切られているのがいいという人もいる。それなのに、全員個室がいいはずだというのは人権無視ですよね。

三好 個別性を無視されているんだものね。

客人 言葉使いもそうですよね。敬語やていねい語を使えなんてマニュアル化したりするのも相手を画一的に見ているということですよ。

三好 そう。言葉使いマニュアルも人権無視だと思う。

客人 人間、特に老人は一人ひとりちがうということが見えていないんでしょうね。人間が抽象的で画一的だから、彼らの考える人権もそうなってしまう。その点、三好さんの人間観は『コトバで人権というより、目の前の婆さんの便秘を治せる人が本当に人権を大事にしている』(『老人介護が上手くなるための10ヶ条』関西看護出版)なんて文章はスーッとしましたね。

三好 ところで、今日のテーマは?

客人 そうそう。申し遅れましたが、これまでに何回か登場したPTです。今日は三好さんに『筋トレ』についてうかがおうと思って来ました。

三好 『筋トレ』って、筋肉トレーニングの略ですね。

客人 そうです。高齢者に筋トレをすることで老化が防げて、医療費が安くなるという効果が出たというので、市町村関係者が注目してるんですよ。老健やデイケアのPTやOTも研究発表する人も出てるようです。ちょっとしたブームなんですよ。

三好 こういうのにすぐ飛びつくっていうのは、これまでやってきてることによほど自信がないんでしょうね(笑)。

客人 だめですか、筋トレは?(笑い)

三好 私、こういう話を聞くと、ああ相手にしている対象が違うんだな、と思い知らされるんですよ。

客人 というと?

illust三好 「保健センターで筋トレ教室をやってるから希望者は参加してください」なんて言ってやってくる人たちを相手にしてるんでしょう?そういう人の大腰筋とかが太くなって老化が遅れるのはそりゃいいことでしょうけれど、私たちが相手にしているのは、誘ったって家から出てこない人たちでしょう。
それどころか主体が崩壊していて、筋肉を収縮させる意思の発動すらなくなりつつある老人が相手なんですよ。そんな人に「筋トレ」が有効なわけがないじゃないですか。

客人 そうか。

三好 もうずいぶん前になるけれど、コンチネンス協会の人と論争になったことがあるんです。おもらしを治療するために骨盤の筋肉のトレーニングを処方したりしてるもんだから「老人にそんな訓練意欲なんてありませんよ」と私が言うと、「老人をバカにしてはいけません。訓練意欲のある人はいっぱいいます」と言われたんですけどね。

ああこの人と私とじゃ、仕事で関わってる老人はまったく違ってると思いましたね。処方した訓練をちゃんとやってくれるような人は放っといたっていいんですよ。私たちにとっての排泄ケアは呆けてて尿意はもちろん、濡れてるかどうかもわからないような人なんですから。彼女らは「そんな人はオムツでもしょうがない」なんて言うんですから。困ったもんですよ。

客人 尿意も皮膚感覚も戻りますものね。

三好 ある医療系の学会であいさつをさせてくれたんで「ハイテクは老人のケアに役立ってない」と言ったら、記念講演の病院長が反論したんです。「三好はあんなことを言うけどハイテクは役に立っている」ってね。それが、義肢や装具のことなんですよ。つまり、それらをちゃんと使いこなせる主体を前提にしてるんですよね。

客人 主体を再建するのにたしかにハイテクは役立たないですね。

三好 専門家という人や病院が相手にしてくれない老人に私たちは関わってるんです。やる気のある老人は他の人に任せて、誰も相手にしない寝たきりや深い呆けの人への方法論を語りましょうよ。
「生活づくり」「関係づくり」と言ってきた私たちのやり方が、『筋トレ』よりはるかに有効であることは言うまでもないですよ。それにしても私はやっぱり、特養とか老人病院なんてところで働いていた人としか共通感覚がないような気がしてしょうがないですね。
そうでなかったら、ちゃんと想像力のある人ね。

2001年11月  介護夜汰話 全室個室こそ人権無視である

『ブリコラージュとしての介護』が出版されるや、「本を読んだ」という反響が、Eメールや手紙でドッとやってきた。こんなことは初めてである。

みんな、私の本を読むのはこれが初めてという人ばかりで、冒頭の「特養ホームの全室個室化反対」にショックを受けつつ納得し、全ページ読み進んだ、というものが多い。「こんな意見はこれまで聞いたことがなかった」とある医師は手紙に書いている。

それはそうだ。ジャーナリズムはほぼみんな、全室個室推進派である。朝日新聞は5月22日付の「全室個室を常識に」と題する社説で、4人部屋や6人部屋の特養の現状を「プライバシーがまったくないこんな生活を人間らしい暮らしと呼べるだろうか」と書いている。
毎日新聞も9月22日付の社説で、全個室を推進しろと書いている。題は「人間らしく暮らす条件だnormal」とある。個室でやっと「人間らしさをもてる喜びを高齢者たちは味わう」とも書かれている。

そんななか、神戸の読者であるKさんから何通めかの手紙をいただいた。そのなかに「全室個室化反対」の内容に通じると思えるので、とある本のコピーが同封されていた。その本は『感性の哲学』(NHKフックス)。桑子敏雄氏の著書である。

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どれも同じような核家族の住宅では、それまでの日本家屋の構造に代わって洋風のものになった。畳とちゃぶ台の居間はフローリングとテーブルに変わった。障子やふすまはなくなり、壁が部屋を仕切るようになった。こどもたちには、こども部屋があてがわれて、プライバシーが確保されたといわれた。

こどもたちは、壁に守られた空間の中で誰にも見張られることなく、自由にふるまうことができるようになった。こうすることが自立を助けることと思われてきた。近代的な自己の自立を助けるこのような住宅が「文化住宅」と呼ばれたりした。

障子やふすまの空間では、なかの様子はのぞけるし、声は聞こえてくる。そのような空間では、壁に仕切られた空間のようにプライベートな空間の確保は難しい。だから、それは前近代的な空間だと思い違いしやすい。だが、これは根本的な思い違いである。

障子やふすまで仕切られた空間では、プライバシーが存在しなかったのかというと、そうではない。この空間では、プライベートなことは、たとえ見えていても見えないことにし、聞いても聞いていないことにする。そのようにするための自己抑制が必要であった。

個であることは、ハードな隔壁によって守られるのではなく、個人の抑制された振る舞いのなかにあったのである。障子やふすまの空間がなくなるということは、そのようなふるまいを訓練するための装置を失うことを意味した。
   (第2章「感性的体験と原風景JP.49より」
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社説を書いている論説委員たちが、いかに皮相な近代主義者であるかが見透せてくるではないか。どうして彼らは個室か雑居か、という二者択一でしか問題を立てられないのだろうか。それは、近代、前近代という、それ自体が近代的な尺度でしか世の中を見られないからである。

illust 「暮らし」なんていうのなら、人間の暮らしは、前近代とか近代なんていう表層の流れとは無関係のところで連綿と流れていることに気付くべきだろう。たとえ、個室ができて近代的白我が強制されようとも、ヒトは歳をとると自然へと回帰していくように、近代という表層から離脱していくのである。

彼らは「人間らしく」と訴える。しかし彼らの「人間」の中には痴呆性老人は含まれていない。「人間」は抽象的なものではない。雑居の生活が人間らしくないというのなら、世界中の人間のうちの大半は非人間的暮らしをしていることになるだろう。これは西欧的価値観がよくて、他の世界は遅れていると考える自己中心的なものだ。アメリカ人の考える“人間らしざとアラブ人の考える“人間らしざは違うように。

近代的自我をもったものだけが人間なのだという傲慢こそが痴呆性老人を“問題”にしてきたのである。それがいままた、その痴呆性老人を“個室”の中に閉じ込めようとするのである。「全室でなくても個室はあっていいですよね?」そう。私は個室があったほうがいいと思っている。

「じゃ、個室のまったくない施設が大半なんだから、全室個室の施設をいっぱい建てるべきじゃないですか」と言う人がいた。どうしてそんな全体主義的発想ができるのだろうか。全室個室にいる老人が深い呆けに至って、個室が“孤室”になり、人の声のするほうに人肌を求めてやってきたときには、他の施設に移れとでもいう`のだろうか。

老いも呆けも一人ひとりにやってくるのだ。そんなとき、個室と個室の間の壁を取り壊すのか、それとも痴呆性老人のニーズよりも自分の近代的理念を大事にするのかが問われるのである。本のコピーを送ってくださったKさんは、神戸市に建設中の特養ホームの開設準備室長である。

いっしょに送られてきたパンフレットを見ると、個室と4人部屋が14室ずつ。「四人部屋にも各人ベッドサイドに窓があり、光と風が注ぎます。また各人別の間仕切りに障子を採用し、プライバシーの確保と併せて、近所づきあいのような人間関係をめざしています」とあった。 バランスがとれてるよなあ。


2001年10月  介護夜汰話 関係論なき制度の末路
 ~ユニットケア、グループホーム、介護保険制度を斬る~

介護保険の問題点

かつて私は、介護保険の問題点を次のように指摘したことがあった。 まず、①ケアを知らないケアマネジャーが大量に生み出されること。そして彼らが介護を数量化してしまうこと。その結果、
②介護は関係づくりや生活づくりという視点を失って、
③介護の後始末化が完成するだろう、というものである(『介護保険がやってきた』雲母書房)。

残念なことにその予想は的中してしまい、介護は、介護関係や生活づくりのための自己媒介化の技ではなくて、寝たきりや呆けという結果の後始末をするための、単なる労働力としてしか扱われなくなった。さらにそうした「後始末としての介護」が、寝たきりや呆けをつくり出しているという事態になっているのである。

しかも事態をさらに深刻化させているのが、そうした事態をつくり出している側にその自覚がまったくなく、うまくいかないのは報酬単価が低いからだ、などと問題をすり替えてばかりいることである。果たして介護はどこにいってしまうのか。

介護保険施行後、わずか3か月で大幅撤退を余儀なくされた大手介護事業者であるコムスンは、「社会福祉協議会があんなに強いとは思わなかった」と言っているという。これが敗因の一つだというのだ。 社会福祉協議会、略して社協は、民間団体とはいうものの実質は半官半民で、しかも、「官と民の悪いところをもち寄ったような組織」である(あ、これは私が言っているのではありませんよ。社協の職員が自嘲気味にいっているコトバです)。

実際、これまでは競争意識なんかまったくなくて、介護保険ができるまでは残業しているのを見たことがないという「民間組織」だったのである。資本主義の最先端の競争を勝ち抜いてきたグッドウィルグループのコムスンにとっては、敵とは思えなかったのも無理はない。

ところが、その社協にコムスンは歯が立たないのである、なぜか。介護とは介護関係だからである。顔を見たらホッとするヘルパーやデイサービスの職員だからこそ、自らや自らの親を託すのである。そこヘテレビコマーシャルのように、「こんにちは、コムスンです」と言って「法人」がやってきたのでは、勝ち目はないのだ。

ヘルパーと老人の関係が密になっては困るからと、定時的に担当を入れかえるし、もっと極端だと、その都度、どのヘルパーが来るのかもわからないのだという。「でも、みんなマニュアルどおりにやりますから大丈夫です」と担当者は言うが、だから困るのだ。介護とは誰でも同じことをする労働力ではなくて、個性と個性の組み合わせによる相性のよし悪しが、介護のよし悪しを決めていく世界なのだ。

生活空間と人間関係の変化が、老人を呆けに追いやるきっかけとなることはよく知られているはずである。だとすれば、一度つくられた人間関係は、原則的に変えてはならないはずなのだ。少人数のなじみの関係こそが老人の痴呆を防ぎ、痴呆を落ちつかせる一番の要因なのである。

関係論なきユニットケア

それを実証してみせたのが、民家を使って始められた「民間デイサービス」や「宅老所」と呼ばれるミニ施設である。病院はもちろん、50人や100人といった大きな施設では手に負えないといって追い出されたような痴呆老人が、そこではちゃんと落ち着いて笑顔を見せているではないか。

こうした実践を見せつけられて、施設の側も反省し、それらから学ぼうとして生まれてきた動きが「ユニットケア」と呼ばれるものだ。これは、たとえば60床を15床ずつの4ユニットに分け、食堂も4か所、職員も基本的にユニットごとに配置することで、少人数のなじみの関係のなかで老人をケアしようというものだ。
ところが困ったことに、この「ユニットケア」に殺到する特養ホームや老人保健施設の多くは、介護の本質が関係づくりにあること、だが大人数ではそれができないことの反省から「ユニットケア」が生まれたことを忘れ去っているのである。

だから、4つのユニットの職員を数か月ごとにローテーションで入れ替える、なんてことを平気でやったりするのだ。「職員の労働が公平になるように」なんて言うのだが、ある日突然、人間関係がすべて変化してしまう老人の側に立って考えてみようとはしないのだろうか。これは大変な想像力の欠如としか言いようがない。

生活空間と人間関係は、私たちが自分が自分であることを確認する2大要素である。その1つがある日突然、痴呆の老人にとっては何の理由もなく消え去るのだ。これは、スターリンがやった民族強制移住みたいなものではないか。そう、施設には、小スターリンがいっぱいいるのだ。しかも自分がそんな権力的なことをやっているという自覚がないだけスターリンより悪い。

もっとひどい例もある。 4つのユニットを「重度痴呆」「軽度痴呆」「重度障害」「軽度障害」と分けてしまうという「ユニットケア」だ。つまり、障害や呆けが重くなると、別のユニットに「移住」させられるのだ。生活空間と人間関係を最も継続せねばならない痴呆や老化が進行するときにそれをやるのである。私はこれを「施設内アパルトヘイト(人種隔離政策)」と名付けた。 
ああ、関係論なき「ユニットケア」の末路は、スターリンもかつての南アフリカも真っ青の、権力的管理主義だった。

グループホームという死んだ制度

そもそも、老人保健施設というものが、退院した老人を何か月か訓練して家に帰そうとして、結局、病院や施設をたらい回しさせることにしかならなかった。これも「関係づくり」という視点を欠いた政策が大量の痴呆をつくり出したものだが、それについては99号で詳しく触れたので、ここでは、その「関係づくり」の視点からグループホームを検討しよう。

グループホームは、痴呆老人を少人数の家庭的雰囲気でケアするミニ施設として、痴呆性老人ケアの切り札のように言われている。政治家の中には「グループホームの鳩山邦夫」なんてキャッチフレーズをつくった人までいる。愚かな人である。なぜならこのグループホームもまた、「関係論なき制度」なのだから。

日本のグループホームのルーツは福岡にある。下村恵美子さんら元特養ホームの寮母たちがお寺の一部屋から始めた「宅老所よりあい」である。最初は、痴呆の老人を中心とした日帰り施設だった。当時は介護保険なんかないから、老人か家族から利用料をもらっての運営だった。

そのうち、夜も預ってほしいと頼まれたことを契機に、「泊まり」を始めた。そして、通ってきていたマンションで一人暮らしをしている利用者Oさんの老化がすすみ、施設入所を勧められたのだが、特養ホームに送るに忍びなく、庭に一部屋増築して住みついたのがグループホームの始まりである。

「あの人が泊まるのなら私も泊まる」という人もいて、デイサービスは、その名のとおりの宅老所、つまり老人たちの家、になっていくのである。すでに、寺の一室から、寺の敷地内にある借家に移っていた。ここが一つのモデルとなって「グループホーム」という制度がつくられていった。

だが、下村さんはつくられた制度には怒っている。いまだに怒りが収まらないといった口ぶりである。それは、制度としてのグループホームは、軽度と中度の痴呆しか入所させない、というものだからである。「身辺動作が自立して集団生活の可能な人」なんて要件までつけている。

つまり、家族と老人のなかで最も困っている重い痴呆は、入れてくれないのである。重い呆けが中度や軽度になる力をもっているのがこうした場所だというのに。ということは、今入ってる人も重くなったら追い出すということではないか。こんなことを平気でよくやるものだ。呆けが重くなるという危機的状況にある人の生活空間も人間関係も変えてしまうのでは、最重度の呆けへと追いやっているようなものではないか。

もちろん、「宅老所よりあい」や全国の多くの(といってもグループホームの中では少数派だが)グループホームでは、重度の人も入ってもらう。いや重度だからこそ入ってもらう。そして最後まで看る。実際「よりあい」に最初に住みついたOさんは、協力的な開業医の先生の往診を受けて「よりあい」で往生された。 98歳だった。

「制度が生まれるとは、死産のようなものではないか」と、私か責任編集した『介護保険がやってきた』(雲母書房)の前書きで書いた。制度をつくり出していくための実践こそが生きている。ニーズに応えるのではなくて、制度があるからやる、というのは死んだ実践だ。制度はニーズに応えるために利用するものだ。制度が不十分な分は自分たちで埋め合わせる。

「よりあい」では、「グループホーム」として支給される介護保険報酬ではとても足りないから、バザーや講演会の開催などで年間1000万円もの運営資金を白らつくり出している。制度を実質上変えていくことこそ、生きた実践なのだ。なにしろ、制度は生まれた途端に死産なのだから。

宅老所よりあいの風景
【宅老所よりあいの風景】 photo by 川上哲也

在宅ケアをやめて地域ケアに

老人保健施設もグループホームも、「関係論なき制度」であるために、その制度が「老人問題」を再生産しているのだが、実は、介護保険という制度そのものもまた、関係論を欠落させているのである。
その介護保険が今、地域ケアを崩壊させているのだ。介護保険は、在宅ケアを支えるというのを大義名分としてきた。ところが開始されて早くも、老人を施設へ、施設へ、という流れを加速している。これはいったいどうしたことなのか。

その原因は、「地域ケア」を「在宅ケア」にしてしまったことによる。本来、在宅でのケアを支えるためには「地域ケア」をつくり出さねばならないのに、「在宅ケア」で対応してしまったのが介護保険の最大の間違いである。

寝たきりや痴呆の原因は、一部の重い身体障害や器質的痴呆を除くと、「閉じこもり症候群」であると訴えてきたのは竹内孝仁氏(日本医科大教授)である。身体障害や脳の器質的変化は治療できなくても、この「閉じこもり症候群」なら治療することができる。つまり、生活空間を広げ人間関係を豊かにする、生活づくりの介護、関係づくりの介護を実践すべきなのだ。

そのとき介護は「後始末」や単なる「世話」ではなくなるのである。 在宅でケアすることのよさは、地域の人間関係が持続できること、会いたい人がいれば地域に出かけていくことで生活空間が広がっていくことにある。痴呆や寝たきりになる危険性の高い介護度の高い人ほどそうした生活づくり、関係づくりが求められているはずなのだ。

しかし、介護保険で大量生産された「ケアを知らないケアマネジャー」たちは、在宅でのケアを、「家の中に閉じこめるケア」にしてしまった。 彼らは、要介護度が1や2といった軽い人には、デイサービスやデイケアに通うというケアプランを立てる。これによって生活空間が広がり、人間関係が豊かになる。ところが、要介護度4とか5とかいう重度の人については、家から出さないのだ。ほとんどのケアマネジャーが、訪問介護や訪問看護で一週間の予定を埋めてしまうのだ。

つまり、最も生活づくり、関係づくりの必要な老人の生活空間を狭め、人間関係を喪失させているのである。毎日のようにやってくるヘルパーや看護婦との接触がいくら増えても、これは人間関係とはいい難い。なにしろ介護してもらうという受身的関係でしかないからだ。周りが自分より若くて元気な人ばかりでは、「世界で一番不幸なのは私だ」と思ってしまうではないか。

かつて介護保険がまだない頃、熱心な市町村のスタッフたちは、何年も家から出ていない寝たきり老人を温泉に連れていき、納戸に閉じ込められていた痴呆性老人を幼なじみと一緒に花見に誘い出した。死ぬまでに一度、球場で巨人戦を見てみたいというリウマチの女性を、後楽園まで連れてきたのは長野県武石村のスタッフたちだ。

介護保険でこうした介護が消えつつある。温泉も花見も後楽園も、保険の報酬の対象にならないからだ。家にいることのよさは、家族と共にいること、地域のなじみの人間関係があること、暮らし慣れた生活空間に出かけられることだ。

デイサービスで幼なじみと会うこともなく、花見にも出かけないとなると、残るメリットは家族関係だけだが、24時間家の中にいる老人と、家族の関係がうまくいくわけもない。となると施設に入ったほうがましだ、ということになるではないか。

こうして今、地域ケアが崩壊しつつあり、順番待ちを大勢抱えた施設はケアの中身を吟味する必要がなくなって収容所化する、悲観的に見れば現状はそういったところである。

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新刊「ブリコラージュとしての介護」からの抜粋です。『ブリコラージュとしての介護』については こちら をごらんください。


2001年09月  介護夜汰話 入浴を作業からアートに変える提言

「福祉の世界は遅れている」

「介護の世界は、やり手の女とお人好しの男」というコトバがある。私がつくったのだが、現場で受けている。当たっているからだ。女ばかりだったこの世界に男も入ってくるようになった。しかし大半の男は、見るからに真面目そうでやさしそうなタイプばかりである。

そりゃ、やり手の男は競争社会に入っていくから、福祉界にはバリバリやるタイプはこない。それに比べて、女性は、看護婦にしてもヘルパーにしても、社会に出て行こうという積極的な気持ちの人が多いから、女側から見ると、男のやさしさ、というより、優柔不断に「もっとはっきりしなさいよ!」とイライラさせられることが多いのだ。

だが私か主催する「生活リハビリ講座」にやってきた彼は、この世界のタイプではなかった。どう見ても、介護職というよりは、”的屋(てきや)の親分”といった風貌なのである。私の「関係障害論」なんて講義を聞きながらノートを取っている風もない。しかし「介護技術学」なんて実技に入るや、真っ先に身体を動かしてみせる。

「杖でも歩行器でもなんとか一人で歩ける人なら、この方法で床から立ち上がれるはずです」と私が言うと彼は、当時会場に借りていたシニアマンションの住人の1人で歩行器を使っている人をつかまえて、その場でやってみるのである。

こちらは、果たしてうまくいくかどうか内心ヒヤヒヤしていたのだが、彼の指示で初めて一人で立ちあがっだお婆さんは二コニコして受講者の拍手を受けている。”的屋の親分”も人なつっこそうな笑顔である。
車イスのシートに穴をあけて下にバケツを入れる”車イストイレ”の話をすると、翌月の講座では、同じものをつくって寝たきり老人を座らせて便秘を治した実践報告を写真つきでもってくる。ノートはとってなくても頭にはちゃんと入っているのだ。

彼の名は、小松丈祐という。当時はデイサービスセンターの職員だったが、埼玉県大宮市
(現さいたま市)の潰れかかっていた特養ホームの再建のため施設長となり、”奇跡の再建”をなしとげたとして注目を浴びているその人である。

『現代福祉施設経営革命』(筒井書房刊)は、福祉に詳しい経営コンサルタントの大内俊一氏が、この小松さんのやってきたことを書いた本である。大内氏によれば、福祉とは他の業界に比べて驚くほど遅れた世界だという。にもかかわらず、その自覚もなく、逆に、自分たちの仕事は他の仕事とは違うというプライドまでもっている、という。

「社会福祉にとって最も根本的な理念は何か、…私は何よりも人間の尊厳を認めることではないかと思います。人間の尊厳をいささかでも否定したら、社会福祉の価値ないし理念が消失し、社会福祉の拠って立つ存在理由が崩壊してしまうからです」という、高名な学者の発言に対して彼はこう書いている。

「今の日本で、人間の尊厳を否定して成り立つ業界があるでしょうか?」と。
さらに「介護事業が他の職業と比べてとくに大変なわけではない。職業としての介護が、ペンキ職人、地下鉄工事の工夫、神経をすり減らすコンピュータ技術者など他の職業以上にどこがどう大変だというのだろうか」とも言うのだ。

私もそう思う。介護でも看護でも「こんなに大変な仕事です」なんて言う人は、他の職業に就いたことのない人ばかりである。私はミシンのインチキセールス、家具屋の店員、化学工場の下請け作業員など十指に余る職業を経験したが、それらに比べれば、医療も福祉もはるかに甘い世界だと断言できる。

資本主義にもっと学べ

成功した経営者のことを、ちょうちん持ちのライターが一冊の本にするのはよくある話である。でもこの本はそんなものではない。また福祉施設の経営者だけが読むものでもない。介護職こそ読まねばならないのだ。

『現代福祉施設経営革命
著者:大内俊一
判型:A5判/並製/278頁
発行:筒井書房
定価:1,500円十税


著者は「小松さんがやっていることは、中小企業のオヤジなら誰でもやっていることだ」と言う。つまり、ここの職員が、最初はやらされていて少しずつその意味がわかってきたことは、一般の企業の従業員なら誰でもやっていることなのである。

つまり、変にプライドをもった介護の仕事は、じつは一般の企業のレベルにすら達していないのだ。だから、現場の人こそ読むべきなのだ。『上』が変わっても、小松さんくらいの強引さがなければ現場が変わることは難しいだろう。でも『下』が変われば確実に現場が変わるのだから。

心やさしい介護職たちはヒューマニズムに弱い。心を閉じた老人に自己献身的に関わって心を開いた、なんて話や本に感動したりする。私は、そりゃ危ないよ、と言いたい。
私はまず、自分の人間性を自慢するようなことを自ら語ったり本にしたりする人の精神構造がわからない。ちょっと変じゃないか、と思う。

それにそうした倫理主義の裏側には、党派性や宗派性がくっついていることがじつに多い。つまり、目的が別にあって、老人介護はそのダシにつかわれているだけのことがよくあるのだ。純粋な介護職の皆さん、美しいコトバと倫理主義には気をつけましょう。

でも何よりこういう倫理主義がダメだと思うのは普遍性がないことである。みんなに通用しないのだ。なにしろ、介護職みんながヒューマニストにならなければいい介護ができないことになるではないか。世の中みんなが倫理主義者にならねばいけないことになるではないか。そんなことはありえないし、あったら恐い。

しかし、小松さんがやっていることは違う。普遍性があるのだ。心を入れ替えてヒューマニストや倫理主義者にならなくても、今日から誰でもできることなのだ。それは「ふつうの資本主義」と言ってもいい。「ふつうの資本主義」のほうが、倫理主義よりも普遍性をもっているのだ。

頭の中で考えられた「自立と尊厳」を大事にするのではなくて、目の前の婆さん、爺さんとその家族の「顧客満足度」を大事にすべきなのである。福祉関係者よ、ひとりよがりはやめて、資本主義のレベルまで這い上がれ、とこの本は訴えている。

この本をおもしろく思わない人がいっぱいいるだろうと思う。そんな人たちは、顧客よりも『お上』の顔色をうかがっていればよかった”措置費”の時代を懐しがっている人たちだと思っていいだろう。

工場を再建するという仕事

資本主義に学ばねばならない、といえば先日、おもしろいテレビ番組を見た。たしかNHKだったが番組名は忘れてしまった。工場を再建するアドバイザーを取り上げたものである。私がかつて老人介護の仕事に就いたとき、これまでやってきた仕事に比べるとなんと前近代的な世界だろうと思った。

まず、他の仕事では最も大切とされた合理主義が通用しない。痴呆性老人が落ち着いたり、寝たきり老人が起き上がったりするのに、目を見張り喜ぶのだが、そうした方法論に再現性がない。つまり一人に通用した方法が他の人にも通じるかというとそうはいかないのだ。

介護が方法論や学問として蓄積していかないのである。それはあたかも、その場、その場での即興演奏をしているようだった。すごい、と思って五線紙に採符してみて、後で演奏してみてもどうということはない、そんな感じなのだ。

その介護を意味づけてくれたのが、私にとっては、文化人類学者のレヴィ・ストロースであった。『野生の思考』(みすず書房)の中の「ブリコラージュ」という概念に出会ったことによる。
近代的工場に代表される画一的なものを大量につくるという生産方式に対して、未開や原始の社会の器用仕事=ブリコラージュという生産方法を、遅れているものではなくて、近代とは別個の文化として認め、むしろ近代の問題点を越えていくものとして積極的に提案したのがレヴィ・ストロースであった。

私はこれこそ介護という方法論であり、介護のもっている意味だと思った。しかし、『工業社会はこれ(=ブリコラージュ)をもはや「ホビー」もしくは、暇つぶしとしてしか許容しない』とレヴィ・ストロースも書いている(前掲書P41)ように、介護は単なる後始末をする介護力としてしか認められていないのが現状である。

近代の生産方法、つまり大量生産と画一主義が、近代人である我々をも、個性のない1つの歯車へと変えつつある。それを介護という仕事は打ち破れるはずだ、と私は訴えてきた。「介護への過剰な思い入れ」だと言われてもしかたないかもしれない。

しかしどうやら、近代を超えていく力は近代の真っ只中から生まれてくるらしい。資本主義の高度化は工業社会からサービス業、情報化社会を中心とする社会への転換をしてきた。そこでは、画一的な生産方法や思考は通用しなくなってきたのだ。そしてその波は典型的な画一主義であった製造業の現場にまで押し寄せてきているのである。

分業は人間の可能性を潰している

テレビ番組が取り上げていたのは、トヨタの[カンバン方式]を推進してきた人である。その彼が鳥取の家電工場へ出かけていく。その工場では、中国への工場移転がすすむなか。携帯電話の組み立て生産を行っている。女性の工員がラインにズラリと並んで一人が1つの部品を組み立てる流れ作業である。

私はかつて勤めていた靴の製造工場をすぐに思い出した。ベルトの流れに追われつつ、靴の金型を運搬するのが私の仕事だった。あのとき痛めた腰が今でもデスクワークが続くと出てくる。
流れ作業は大量生産には向いている。ところが現在は多品種少量生産が求められている。消費者のニーズは多様化しモデルチェンジが繰り返される。

そうなると流れ作業はかえって効率が悪くなる。人気のなくなった機種の生産をストップしても、ライン上にはいくつもの未完成品が残っている。効率よくするためには次の組み立てをする人を待たせてはいけないから、工員と工員の間にはいつも数個の未完成品がストックされており、これらを合わせると、膨大な損失がでるのだ。

工場再建アドバイザーは、流れ作業による分業をやめるように提案する。ラインを解体し、一人ひとりの工員の回りに、すべての部品を並べ(これを「屋台方式」と呼ぶらしい)1人が最初から最後まで組み立てるのだ。

かつて彼が関わった、ファクシミリの組立て工場では、分業をやめると生産性はガタ落ちとなる。しかし、あっという間に、分業の時と同じ組み立て数となるのだ。それどころか、1人が1日に4台のペースで分業の時のペースだというのに、6台組み立てる工員が現れてくる。

工員の間で競争が始まるのだ。そして組み立てた製品に1台ずつ組み立てた人のサインを入れるのである。これを労働強化と思う人はいないだろう。むしろ非人間的労働からの解放である。肩こりも腰痛も治るだろうなと私は思った。なにしろ同じ作業の繰り返しだったのが多様な作業になり完成する喜びまであるのだ。

携帯電話の組み立ても生産性は落ちる。だが熟練した工員がたった3日で分業のときの生産レベルまで達するのである。「人間のもっている大きな可能性を分業が潰している」と彼は言うのだ。

介護現場こそ分業をやめよう

おいおい、介護職は何をしている。「人間の尊厳を守る」なんて大言壮語をしながら、工場労働者にとてもかなわないではないか。私の頭にすぐ浮かんだのは老人施設での入浴介護である。ものをつくる工場ですら、非人間的な分業をやめようとしてしているのに、人間を相手にする介護現場ではそれが当り前だと思われているではないか。

ある施設では午後からの2時間、5人の職員で20人を入院させる。私たちが推し進めているような、普通の家にあるような1人浴槽が2つもあれば自立度は増すのだが、介護を知らない施設長と設計者のつくった風呂は温泉の大浴場風の風呂だから使いにくくしてしょうがない。

5人の職員の内訳はこうだ。1人が部屋や談話室から老人を風呂場まで連れてくる仕事。脱衣室にいる1人が服を脱がせる役。痴呆のお婆さんはなぜか服を脱ぐのを嫌がるから、ときには大変な仕事なのでそれだけで1人必要なのだ。

浴室の中には2人職員がいて、身体を流したり洗髪したりするのに1人、その後の浴槽への出入りを1人が担当する。浴室から出ると脱衣室にいるもう1人が服を着せる役で、最後に、最初に誘いにきた職員が部屋まで送る、という具合である。

浴室の2人は互いに仕事を助け合ったりはするものの、ほぼ5人の分業作業で入浴は成り立っている。そう、作業なのだ。ある人は20人の服を脱がすばかり、別の人は20人の身体を洗うばかり、もう1人は20人を…。これは作業だろう。

入浴介助
  photo by村上廣夫(誠和園)

老人の側に立ってみよう。痴呆性老人は風呂を嫌がることが多い。それでも誘いに来た人の笑顔に安心して浴室についていったとしよう。すると、別の人が現れていきなり服を脱がし始め、また別の人がいきなり湯をかける。

やさしそうな客引きについていったらとんでもない暴カバーたった、なんて喩えはふさわしくないかもしれないが、老人にとってはベルトコンベアの上に乗せられている「物」のように感じたとしても不思議ではあるまい。

さて、そこで問題です。
携帯電話の組立工場で、工員と工員の間に溜まっていた未完成品は施設の入浴介護では何にあたるでしょうか?
そう、廊下や脱衣室で順番を待だされている老人の姿がそれに当たる。気を遣う介護職は、他の職員を待たせては効率が悪くなると思い、早め、早めに仕事をしてしまう。その結果、老人は、ときには裸のままでじっと待たされるのである。

さあ、「屋台方式」を見習って、分業をやめよう。もちろん風呂は一人浴槽を中心とした浴場に改造する。1人の職員が1人の老人を誘ってきて、脱衣を介助し一緒に浴室に入って介助をし、一緒に出て、着衣を手伝って、部屋まで送るのだ。

嫌がる老人を説得して連れてきた本人が介助するのだから、老人も安心だし、入浴した後の満足感を共有できる。何より人間関係が深まる。作業じゃなくて、一人ひとりの老人の入浴介助をした、という気持ちになる。なにしろ、1人が4人の老人を入れればいいのである。4人の顔は思い浮かぶし、4人の介助法は身体がしっかり覚えている。

工場と同じように、最初は1人が4人も入られなかったりする。でもそれでいい。たとえ”作業”を毎日やるより、週1回でも、ちゃんとした「入浴」をするほうがはるかにいいからだ。

介護がアートに近づいていく

やり始めるとすぐにおもしろいことが起こった。職員間の競争が始まるのだ。工場のような組み立てた製品の数を競う競争ではない。
「私はあの風呂嫌いの○○さんを説得して風呂に入れた」とか「口口さんが初めて笑顔で”ありがとう”と言ってくれた」といった競争である。
「機械浴の△△さんをふつうの風呂に入れたよ」「えっ、△△さんを!どうやったら入れられるの?」なんて会話が職員の間で起こってくる。

こうなると職員がそれぞれ、自分が介助したい人を連れてくるようになる。私なら入る気にさせられる人、私なら上手く入浴介助できる人を誘うようになるのだ。それはもちろん老人にとっても好ましいことだ。

もちろん、自分の好きな老人を誘うことでもある。そんなことをすると、ひねくれた婆さんは誰も誘わなくなるんじゃないか、と言う人もいるが心配はいらない。ちゃんとひねくれた職員が誘ってくれるのである。ここで初めて職員の個性が出てくる。
”相性”のいい組み合わせの中から老人の個性も肯定されるのだ。作業では個性の発揮はない。介護がアート(芸術)に近づくのだ。

浴室から何回も出たり入ったりしたら風邪をひくんじゃないか、なんて言って反対した職員もいた。何を言ってるのだ。在宅介護のヘルパーは1日4軒も5軒も入浴介護して歩くんだよ。廊下どころか屋外にまで出て車を運転して次の家の浴槽に入ることをくりかえしているのだ。

1人で1人を介助するのが当り前の在宅介護を施設も見習うべきだろう。もちろんそのためには、短パンや水着を着て浴槽に入り込まねばならないような”大浴場”をやめて外から介助できる家庭浴槽を設置することは最低限の要件である。

施設の大浴場と入浴機械を使った分業による作業が、在宅の小さなふつうの浴槽による、分業でない介助に代わっていかなければならないのである。ちょうどレヴイ・ストロースがブリコラージュという概念を見つけていったように。


2001年07~08月  介護夜汰話 老健施設こそターミナルケアを

老人保健施設の全国大会が8月に東京で開かれる。今年で12回めになる大会のスローガンは「21世紀、老健施設のアイデンティティの確立を求めて」だそうだ。つまり、アイデンティティがなくなったのである。

病院のアイデンティティとか、特養ホームのアイデンティティが語られることはない。役に立っていて、当然あるべきものだと思われているからだ。ところが老健施設はアイデンティティを求めなくてはならない。どうしてそうなったのか。介護保険制度のせいではない。もともと老健施設という構想そのものに問題があったのだ。

「中間施設」として、社会保障制度審議会が建議して以降のことを思い出していたら、古い雑誌が出てきた。 1985年11月発行の『月刊福祉』の緊急増刊号「中間施設」である。この16年前に出た雑誌に、フリーになったばかりの私が意見を寄せている。以下はその全文である。

*-------- 私はこう考える ------------------------------------*
制度や政策に振り回されず、肝心の生活の場の方法論を
三好春樹 生活とリハビリ研究所 PT

謙虚な私(以下謙)中間施設に関する報告が出て話題になっているようだけど、君の意見を聞かせてくれないか。毒舌家の私(以下毒)正直言ってよく知らないんだ。というより興味がないといった方がいい。そんなことを云々している暇があったらもっと肝心なことをするべきだよ。

謙 しかしこの報告は今後の老人対策にとっては避けて通れないくらい重要だよ。だからこそこうやって『月刊福祉』も緊急増刊号まで出している。

毒 だから駄目なんだ。コロコロ変わる制度や政策が、何か世の中を変えているように思うのは、表面だけしか見ていない証拠さ。そんなものに振り回されてばかりいるから、いつまでたっても現場の状況に見合った方法論が生まれてこないんだ。

謙 相変わらずの皮肉屋だな。まあそういわずに君の意見を聞かせろよ。

毒 結局は医療と福祉の縄張り争いじゃないのかね。老人病院の側は、自分たちは老人医療という特殊な領域を担っている、と主張して特養なんかと同列に扱ってもらっては困るといっているらしいけど、立ったり歩いたりできる老人をマットまで70センチもある高いベッドに寝かせてカテーテルを入れるのが老人医療の特殊性だとでもいうのかね。もちろんなかにはオムツ外しに積極的な老人病院もあるけどね。

謙 君が医療に対して批判的なのは知っているさ。イリイチを読めとしつこく勧めているそうじゃないか。

毒 批判的なのは医療に対してだけじゃないさ。そうした方向に歯止めをかけ、生活の場の方法論をめざしているはずの老人福祉サイドにもいいたいことはあるんだ。そもそもこの中間施設論は、“我われは病弱な老人を抱えてたいへんなんだ。だから職員数を増やせ、医療を充実させろ。措置費を増やせ”という特養の側の論理が逆手を取られた結果なんだぜ。

謙 おやおや、君は特養の措置費や定員、医療の状態が今のままでいいとでも思っているのかい。特養に長い間いた君ならそのたいへんさは知っているはずじゃないか。

毒 国の決めた定員が無茶苦茶なのはよく知っているさ。問題なのは増員を要求する論理の方さ。病弱な老人を抱えているから、という論理では老人病院を越えられないんだ。それに実際、障害を持って歩けなくなった老人は決して病弱なんかじゃないんだ。この間老人の体力検査をしてみてよく判ったよ。たとえ“ねたきり”でも自発的な生活をしている老人は我われ以上に体力を持っていることもあるんだぜ。

謙 つまり、障害老人に必要なアプローチは老人病院や特養が考えているような老人の“病弱”という部分に対するものじゃなくて他にあるというわけかい。

毒 そう。“病弱”なんじゃなくて、“病弱”にしているだけなんだ。一人ひとりの障害と老化に見合った環境や介助方法を作っていくことが大切なんだ。もちろん必要な時に必要な医療を利用できる体制は必要だがね。それが、老人ホームがいってきた「生活の場」づくりのはずなんだ。
ところがほとんどの老人ホームは老人病院を批判するにはあまりに同じ管理的体質を持ちすぎていると思うんだ。手すりがあれば自分でポータブルトイレを使える老人を、「部屋が臭いから」とオムツにしているなんて話はいくらでもあるよ。片や医療管理、片や福祉管理、俺は年をとってもどっちにも入りたくないね。

謙 そんなに決めつけるなよ。頭がさがるほどよくやっているホームはたくさんあるんだ。ところで報告のもう一方の柱、施設と家庭の“中間”施設についてはどう思う。これは面白いと思うけどな。

毒 リハビリを充実させて家庭復帰や家庭生活ができるようにしよう、というんだろう。老人問題を「身体」の問題としてしか捉えてないからこういう発想になるんだ。身体障害はきっかけであって問題は我われも含めた生活の側にあるということは現場では既に常識だよ。
今のリハビリテーションに生活の場で通用する方法を求めてみても無駄だよ。PTやOTは身体ばかりにアプローチしたあげく、効果が出ない、とイライラして結局“老人は意欲がない”と切り捨てるのがオチさ。

謙 おいおい、やっぱり毒舌もいいかげんにしておいた方がいいよ。結局PTである自分自身を批判することになってしまったじゃないか。

毒 若者と都市を標準にした環境と時間の流れのなかに老人を再適応させようとしているのが、残念ながら今のリハビリの主流なんだ。それじゃ老人が呆けるのも無理はないと思うよ。先日もある片マヒ老人の家庭を訪問したんだが、嫁さんがいうには治りかけていた呆けがひどくなっているという。
見てると訓練だから、と杖も持たないで歩かされているし、食事でマヒしていない左手を使おうとすると、訓練だから、と右手を使わせているんだ。これじゃ呆けるのも無理はないと思ったね。つまり社会全体が障害老人に適応を強いているんだ。リハビリはその尖兵のようなものさ。以前は”患者”という治療対象者として安静を強いられ、今は訓練対象者として無理な自立を強いられているように思えるよ。

謙 適応を強いている、か。ひょっとして登校拒否やいじめの問題とも根がいっしょじゃないかな。

毒 ま、僕は中間施設を巡る論議は横目に見ながら、ベッドの高さを障害老人に合わせる作業を一つずつやっていくよ。

謙 やっと少し謙虚になったな。

「月刊福祉」緊急増刊号(1985.11発行)より
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「16年たってもお前はちっとも変わってないな」という声が聞こえてきそうである。そう、私の言いたいことは今でもこの原稿の中にすべて入っている。急性期に病院で治療・訓練して治らなかったものを、再び何か月か訓練して家に帰そう、というやり方が通用するはずもなく、老人の大半は再入院、再入所を繰り返すばかりである。

この度重なる環境の変化と人間関係の断絶が、どれほどの老人を痴呆に追いやったことか。 現場のスタッフは自分たちのやっていることの意味を見失い、とっくの昔にアイデンティティを喪失しているのだ。そして今や、多くの老健施設が“特養待機場所”になっている。

生活の場として開き直ることもできないから、生活ケアではとても特養にはかなわない。もちろん医療やリハビリでは病院にかなわない。ほんとうに“中途半端施設”なのだ。 では老人保健施設はどうすべきなのか。 私は道は2つしかないと思う。

 1つは「在宅生活応援施設」である。病院から入所してきて何か月かで家に帰すなんてのではなく、退所するときからほんとうの関係が始まるというやり方である。老人が施設入所に至ることなく、家で一生生活できるための「別荘」になることだ。

特養や療養型病床群に入所している老人のなかには、自分の家で生活が可能な人はたくさんいるのだ。だが、「いざという時に心配だから」と家族は入所を申請し、3年もたってやっと順番がまわってくる。 「これを断わるとあと何年も入れませんよ」と言われれば、まだ家で生活できても、このへんで入っておくかと思って入所する人がたくさんいるのだ。

だから、いざというときにいつでも預かってくれる「在宅生活応援施設」があれば、特養に入らなくてもすむ人がたくさんいるはずである。実際、ショートステイ、デイケア、ナイトケア、さらには訪問看護、訪問介護を駆使して重度の障害老人や、深い痴呆を在宅で支えてきた老健施設はいくつかあるのだ。

家族から朝電話がかかってくる。「今日、急用ができたんだけど今からお婆さん連れてっていい?」「いいですよ。1人くらい増えたって食事はどうにかなるから。遅くなってもいいけど、泊まるんだったら今部屋はいっぱいだから廊下の隅のベッドになるけどいい?」なんて答えている。利用者はみんな常連だ。 しかしこのやり方だと、ショートステイ利用者の割合が増える。いくら何度も来ている常連さんとはいえ、出入りの激しい施設ではよい介護が定着することがない。
だからこの「在宅生活応援施設」がちゃんと機能するためには、デイとショートの機能をもった小さな施設であることが望ましい。ちょうど福岡の「宅老所よりあい」のような。

老健施設が向かうべき第2の道とはなにか。 それは「生活の場」をめざすことである。それじゃ特養と同じじゃないか、と、特養とは違ったアイデンティティを求めたがる人たちは反対するだろう。 だが考えてもみよ。総じてだが、介護レベルでは老健は特養にはとてもかなわない。医者がいて、PTかOTがいて、看護職が増えたら介護の質が下がった、と言われているのである。

ひとまず特養並みにならなくてどうするのだ。そもそも、老人のニーズのために施設はあるのであって、施設のアイデンティティのために老人がいるのではない。 もし特養とは違うというプライドを満たしたいのだったら、もっと深い老人と家族のニーズに応えてみせればいい。それは何か。ターミナルケアだ。

科学に管理されて生まれ、科学に支配されてICUで死ぬことに対して疑問や反省が起っている。家で生まれ、家で死ぬことが幸福ではないか、と人々は思うに至ったのだ。 そうだとするならば、生活の場である施設でも、住み慣れた場所で、見慣れた人たちに見送られて死を迎えることがあるべきだ。

じつは特養ホーム、特に地方の施設では、東京や横浜といった職員数の多いところがすぐに病院に送ってしまうのを尻目に、本人や家族の意向を聞いてターミナルケアをやってきた。 ホスピスがたくさんできたのはいいが、医者や看護婦の対応がひどいという新聞記事があった。当然だと私は思う。治療の場の関わり方に慣れてしまった人たちには生活者、さらに死にゆく人とどう関わっていくのかわからないのだ。

その点は、介護をやってきた人たちの方がうまいはずだ。介護を知っており、医者がいて、看護婦が多いとなれば、これほどターミナルケアに向いた場所はないではないか。 さあ老健関係者よ、どちらを選ぶのか。このまま“中途半端”で職員は燃え尽きて辞めていき、老人もスタッフも入れ替わるばかりなんていう落ち着きのない状態をいつまで続けるのだろうか。

「在宅生活応援施設」か「ターミナルケアをやる生活の場」か。あるいは、前者をベッドの2割、残りを後者、というやり方もあろう。 私はいま施設の介護アドバイザーとして各地の老健職員の研修に歩いている。5年前や8年前につくられた施設は、建物そのものが病院の発想から抜けていないため、エレベーターで浴室に行かねばならないなど、介護は作業化している。
こうしたハード面の手直しはもちろんだが、「作業」を「介護」にしていくための少人数化と、入浴介護の分業をなくしたパーソナル化などをとおして生活の場をめざそうとしている。

そこで感じていることがある。医療でも介護でもないという“中途半端”のおもしろさである。ここは医療ほど「近代」に支配されてはいない。そして福祉の世界によくみられる、倫理主義による息苦しさもない。重力を失った浮遊空間のようなものだ。

それが老健スタッフのアイデンティティ喪失感につながっているのだろう。だがこの浮遊感は悪いことではない。ここに、硬直した科学でもなく、強迫的な倫理でもない生活へと向かう重力の場をつくりあげれば、喪失感は逆に大きな可能性になるだろうと考えている。


2001年06月  介護夜汰話 特養ホームの全室個室化に反対する

新聞報道によると、厚生労働省は特養ホームを全室個室化する方針であるという。ほんとうに行政はつまらないことばかりするものだ。
かつて、特養の一部の部屋を個室にしたいというと「ぜいたくだ」と言って認めなかったのも行政だし、いままた、全て個室にせよと言って特養の独房化を強制するのも行政である。

私は一貫して全室個室化には反対してきた。もちろん、「老人にはぜいたくだ」なんて理由ではないし、「職員が労働過剰になる」といった一方的な労働者の側に立った意見からの反対でもない。
全室個室化が、いいケアをすることを阻害するからである。つまり、老人と家族のニーズにほんとうに応えることは、全室個室では難しいからだ。

おそらく、老人問題を語りたがる評論家やジャーナリスト、市民主義者たちは、この全室個室化に賛成して「早くやれ」と厚生労働省をせっつくだろう。彼らのそうした意見を採り入れて、全室個室を売り物にした施設が全国にいくつもつくられた。

しかし彼らは「老人問題」は語れても「老人介護」には興味のない人たちである。現場の私たちは彼らを「同伴文化人」とか「便乗文化人」と呼んでいる(それにしても、かつて「同伴文化人」とは労働者運動に“同伴”する人への皮肉であったが、それが現在では老人介護で語られるようになったとは!)。

彼らには特養ホームに入所してくる老人のニーズがわかっていない。「自分が入りたくなるような施設を」なんて言って、現在の自分の意識状況、つまり、高学歴で高収入のインテリの自意識を基準にして、特養入所老人のニーズを推し計られたのではたまったものではない。

特養ホームに入所せざるをえない寝たきり老人や痴呆性老人のニーズとはどんなものか。秋田県のある特養ホームでの話である。入所した女性がたまたま空いていた1人部屋に入った。しかし、入所時についてきた娘さんたちは、4人部屋があるのを見て、「なんでうちの母だけ淋しい1人部屋に入れられるんですか」と“抗議”したという。本人も「みんなといっしょがいい」と言って、数日後、晴れて4人部屋に転室となった。

生活とリハビリ研究所の主任研究員、上野文規氏がその設計段階から関わった大阪市の特養ホームは、1人部屋、2人部屋、4人部屋があるが、入所してくるお年寄りの希望を聞きながら部屋を決めていくと、4人部屋から埋まっていったという。

こうした事実は、日本の特養入所老人が、文化人の言うのと違って、個室によるプライバシーの確保より、もっと他のものを求めていることを教えているだろう。 それは特に深い痴呆性老人への関わりを探ってきた現場の人には自明のことのように思われる。深く呆けた人ほど、個室は孤室や独房と感じられ、関わりを求めて、人の声のするところ、明るいところへと集まってくる。夜ともなると、与えられた“個室”を抜け出して、寮母室の中で3~4人がくっついて、はじめて安心して眠りにつく、なんてことが毎晩行われているのだ。

そんな介護状況を知らない行政は、痴呆性老人をケアするグループホームまで個室でなくては認めない、と言っている。現場の私たちはやむなく、役人のチェック時に個室にし、老人入所に合わせて壁を取り除く、なんていう無駄なことをせねばならなくなる。おそらく今後建設される多くの特養ホームでも、そんな膨大な無駄が生まれるだろう。

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私たちは個室があることには反対しない。個室が必要な人はいる。特にパーキンソン病の人や下半身マヒ、四肢マヒの人たちは、自律神経に障害があって体温調節が難しいから、室温調整に湿度調整までできる個室にすべきだと思う。また、老いてなお近代的自我から脱却していない都市のインテリ老人たちにも個室がいいだろう。呆けに至るまでの間は。

そして私たちは、大部屋がいいなんて言っている訳でもない。雑居か個室かといった二者択一をやめよう、と提案しているのである。
日本の老人、とくに呆けた老人が落ち着くのは、何をしているかはわからない、つまりプライバシーは守られるが、人の気配がある、といった空間である。ちょうど、フスマや障子で区切られている日本の家屋がそれにあたる。

だから、先に挙げた大阪市の特養ホームを始め、私たちが介護アドバイザーをさせてもらう施設の居室のメインは、4人部屋でありながら、引き戸を引くと1人の空間になる、といった構造のものである。大阪市のその施設では4人の空間の一つひとつに外に面した窓がある。これは私たちの考えに共感してくれた熱心な設計士さんの努力のお陰である。

厚生労働省は、大部屋を強制することも、個室を強制することもすべきではない。文化人や市民主義者は、自分たちの近代個人主義という理念を大事にするあまり、特養入所老人の実態に合わない全室個室化を、行政の権力を使って推進すべきではない。
老人のニーズを知っている現場のいろいろな工夫と、家族、老人の選択に委ねるべきである。


2001年05月  介護夜汰話 元銀行マンの効率主義

私の昔からの友人である特養ホームの寮母長の悩みは、新しくやってきた施設長である。このホームは開設して5年め。民間の社会福祉法人だが、前町長が中心になって町民全体でつくりあげた施設である。

初代の施設長は民生委員会の会長で人徳のあるお寺の住職が就任した。人気があるために激務になっていた住職を息子にゆずって「給料はいらん」といって引き受けたが、そういうわけにもいかず、一般の寮母と同じ給料を受け取っていた。もちろん県下で最も安い給料の施設長である。

しかし、長年民生委員をやっていたものの、福祉とか介護について詳しいわけではなく、ケアについては現場に任せ切りだった。施設の運営も、役場から事実上の出向のような形で事務長が送りこまれており、彼がすべてを引き受けていた。

従って、施設長の仕事は、町長をはじめとする行政や住民との顔つなぎがそのすべてと言ってもよく、そのお陰でこの施設は住民や利用家族の間では評判が良かった。 ただ、私の友人は、施設長がケアの方針について何も言ってくれないのが不満だった。でもそれはぜいたくな不満だったことが後々わかるのである。

施設の5周年記念式典を控えたある秋の日の朝、施設長が倒れた。救急車で運ばれて狭心症でそのまま入院、幸い2週間後には退院に至ったものの、家族はもう仕事を続けないでくれ。と本人に頼み込み、本人もそれを承諾した。なにしろ74歳だったから周りも慰留することはせず、その年の施設の忘年会は施設長のご苦労さん会を兼ねることになった。

■エリート施設長がやってきた!

突然のことで後任については誰も思い浮かばなかった。ところが幸いなことに新年早々新しい施設長が決まったのだ。町長と中学、高校の同級生で秀才、東京の大学を出て都市銀行に就職し、本社の調査部にいるというエリートである。そのエリートの実家の父母が相次いで発病、骨折で入院するという事態になり、夫婦で帰ってきて同居することになったのだという。

彼は銀行の調査部という仕事に未練はなく、むしろその仕事の中で関わったシルバービジネスの将来性に注目していたから、特養ホームの施設長への転職にも抵抗はなかった。そこで、正月に帰省して町長ら同級生と一杯飲んでいて急遽、話がまとまったのである。

問題は給与であった。なにしろ高給取りだから、それまで銀行でもらっていた額の半分の給与でもこの世界では異例の高待遇で、県下で一番高い給料の施設長が誕生することになった。 彼のやり方は、これまでの施設長とは180度違っていた。彼がまず手をつけたのは施設と法人の会計であった。

なにしろこちらの方面はプロである。当時の社会福祉施設の会計はいい加減というか、随分大まかなものであった。だから事務長が施設の金を持ち逃げするなんて事件がときどきあったのだが、チェック機能はないに等しかった。福祉をやる人間は悪いことはしない、というのが前提にあったのだ。ま、昔は悪いことをしようにも余分なお金などないという時代ではあったのだが。

彼は会計の仕組みをすべて民間会社並みに変えてしまった。事務長は新しい経理方法をマスターするために研修に通いつめたもののノイローゼ気味になり、年度の途中で役場に戻って代わりに経済学部卒の若い職員が事務長としてやってきた。

経理を一新させた彼が、次に一新しようとしたのが介護である。いまや彼のことを信奉してやまない新しい事務長と2人で、寮母一人ひとりにくっついて歩いた。ストップウォッチを片手に、移動に40秒、直接介護に60秒、再び移動に40秒、記録に90秒…という具合に寮母の業務分析をするのである。

■余裕が生まれるマニュアル!?

分析が始まって3か月、夜勤に入っている2人の寮母以外の全員が集められた職員会議でぶ厚い資料がみんなに手渡された。『介護業務改革試案』と印刷された表紙を開くと、寮母業務を数量化したデータがズラリと並んでいる。
施設長が言う。「分析の結果、業務に膨大な無駄が発見されました。この無駄をなくすための新しい勤務体制をつくりました」と。資料の後半はその説明である。

私の友人の寮母長はこう言う。「なんか数字とか図ばかりでよくわからないけど、とにかくびっくりしましたね。介護をこんなふうに客観的に見るなんてことは聞いたこともなかったですからね」。 こんな数量的分析が人間、しかも老人相手に通用するものか、という思いはあったという。

しかし、相手は日本経済を動かしてきたエリートである。中学、高校と、町長ですら「とてもかなわなかった」というくらいの秀才でニューヨークにも滞在していたから英語もペラペラという人である。その人が自信満々で提案しているのだから間違いはないだろうと自分を説得させることにしたのだ。

それよりも彼女がこの新しい業務の提案に協力する気になったのは、彼の次のようなコトバだった。 「業務の無駄をなくせば、ケアに余裕が生まれ老人とゆっくり会話ができるようになる」。 仕事に追われて老人に話しかけられてもちゃんと相手ができない、悩みがあるんじゃないかと思ってもゆっくり話を聞けない、というのは彼女だけでなく多くの寮母の悩みだった。だからこの言葉に彼女らは突き動かされてこれまでのやり方を変えてみようと決心したのだった。

■無駄はなくなったけれど…

しかしその期待と希望は、あっという間に落胆と苛立ちに変わってしまう。 特養ホームの業務の中で最も労力と時間が必要なのが入浴介護である。 じつは、特別な風呂ではなくて、家にあるような小さな1人用の浴槽をうまく使えば、立つことも難しい老人でも1人で入れて大変な省力化になることがわかってきた。
私たちはこうした老人の残った力と、これまでやってきた生活習慣を大事にする入浴方法を指導して歩いているのだが、いまだにこうした家庭用浴槽を使わず、広い温泉の大浴場のような風呂を使っている施設が多いのだ。

こうした風呂は安定が悪くて介助もしにくいので大変危険で、実際使いにくいために、「特浴」と呼ばれる機械で寝たままで入浴させねばならない老人が増えてしまうのである。 彼女の施設もその例外ではなく、50人中40人近くが「特浴」の利用者になっていた。
後に温泉のような大浴槽をやめて1人浴槽にすることで「特浴」は8人にまで激減することになるのだが、当時は40人近くに週2回ずつ入浴してもらうためにみんな体力を駆使して働いていたのだ。

業務改革案では「特浴」にかける時間は老人1人あたり12分と決められた。老人を運ぶストレッチャー2台をフルに動かして、午後の120分のうちに20人を入浴させようというのである。
居室にいる1人があらかじめ老人の服を脱がしバスタオルをかけておく、運搬係の2人が老人を抱えてストレッチャーに乗せて浴室まで連れていく。
待ち受けた風呂係の2人が湯をかけ、髪と身体を分担して洗い、浴槽に入れる。すると次の人がやってくるのだが、こうした介助動作の一つひとつが、○分、○秒でやる、と決められた。

影響は1日めから表れた。まず寮母たちは秒単位で時間に追われ、入浴が終わった頃には心身共に疲れ果てた。その日の夜、老人に問題行動が続発した。眠れなくてナースコールを鳴らし続ける人、風呂に入ったにもかかわらず「風呂に入ってない」と言い張る人、その日入浴した老人に落ち着きがないのだった。

後にわかったことだが、この「入浴介護業務マニュアル」の基準になっていたのは、寮母の中で最も手早く仕事をするOさんであった。彼女の動作をストップウォッチで計り、他の人にもできるはずだというので彼女と同じ早さで動くようにマニュアルがつくられたのである。

たしかにOさんの仕事はスピーディだった。しかし乱暴といってもよかった。老人と呼吸を合わせることもせずに髪に湯をかけたりするから老人がよく鼻から湯を吸い込んでむせたりした。老人がもっと湯に入りたがっていても勝手に浴槽から出したりするのだった。

老人が「今日の入浴当番誰?」と聞くので0さんと答えると、老人は表情を曇らせ、あきらめたような表情をしたという。数少ない楽しみの1つであるお風呂で乱暴に扱われ、入浴したという気持ちにならないのだった。

■ケアが作業になっていた

夜になって老人の問題行動が次々と出てきた原因がわかったような気がした。寮母みんながOさんになってしまったのだ。新しい施設長の言う「膨大な無駄」とはOさんと他の寮母とのスピードの差を計算して積み重ねたものだったのだ。じつはその「無駄」こそが老人の満足感を充たしてきたのだということに彼女は1日めで気がついた。

「“○○さんの入浴ケア”じゃないのよね。老人が6人目、7人目という数字になっちゃうの。こうなると介助じゃなくで作業”よね」と彼女はため息をついた。 マニュアル化され、時間を決められたのは入浴だけではない。オムツ交換も、食事介助も配膳も検温もすべて何分以内で、と決められた。職員は疲れ果て、疲れ果てている職員にケアされている入所者は心身の落ち着きを失い、細々とした訴えが増えてきた。

もちろん、寮母長は施設長に新しい勤務体制の見直しを提言した。しかし彼は急に不機嫌そうになり、「職員も老人もまだ慣れていないからだ。慣れればちゃんと余裕が出てくるはずだから」の一点張りである。

たしかに机上の計算では膨大な時間が余り、老人とゆっくり会話ができるはずだった。でも現実は全く逆だった。寮母たちは皆、「前のほうがゆとりがあった」と言う。入所者は何も言わないが、その表情や生活の落ち着きのなさが何より物語っていた。

彼女は心を痛めた。老人をダメにしているのではないか、と感じ始めたのだ。それに、不満を言う寮母たちを抑えきれなくなってきた。彼女の右腕として働いてきた寮母が「疲れ切った」と言い残して辞めていったことでとうとう彼女は決心する。
本人にいくら言っても無駄だ、と彼女は思った。目の前の老人の表情よりも紙の上のデータを信じて疑わない人にいくら言ってもダメだろう、と。
  Illust
■荒れた介護を元に戻す

そこで彼女は町長に直接訴えた。新施設長のやり方への不平、不満は他の職員や家族から町長の耳にも入っていたらしく、「わかった。どうにかしよう」と言ってくれたという。 新施設長就任から1年と少したった年度末、彼は周辺4町で運営している病院の事務長へと転身していった。

送別会の席で町長は「短い期間でしたが、老人ホームの業務の合理化のため尽力していただいた。今度はその能力を医療という場で発揮していただきたい」と言った。形の上では栄転で給料もよくなったらしい。彼は病院で今でも「前近代的な福祉の世界に近代という光を当てたのは俺だ」と言っているという。

寮母長たちには、荒れた介護を元に戻すという課題が残った。これが難題だった。寮母たちが効率的に仕事をする体質になってしまっていたのだ。 「さあ時間が余ったから会話しましょう、ってのは変ですよね。食事しながら話したり、風呂に入りながら話すのが生きた会話ですよね。

だから食事や入浴をゆっくり余裕もってやらなきゃいけないんですよ。でも逆をやってたのね。肝心の食事や入浴を効率よくやってつくった時間で会話しよう、なんて。結局老人は落ち着かないからナースコールで訴えるでしよ。会話の時間が残るどころか1日中走り回る羽目になった。

そこで寮母たちに、ゆっくりやろうって言うんだけど、一度身についたテンポつて変わらないのよねえ。若い人なんか『じゃ1人12分じゃなくて何分でやればいいんですか』って聞いてくるのよ。そういう問題じゃないんだけど…」。

彼女は若い寮母と組んで、ゆっくり声をかけ、老人の昔話に合わせ、「もう出る」というまで入浴させるケアを率先する。すると面白いことに、時間を気にせずゆっくりケアしたときでも、あのマニュアルの時間に追われていたときと、かかる時間は10%増えるだけだったというのだ。
「たった10%時間をかけるだけでみんな満足して夜も寝てくれるんです。こっちも疲れ方が違いますし」。

■老人介護は不思議な世界

こうして老人の笑顔が再び増えていった。さらに彼女はこんな提案を寮母たちにした。 「どんな用で部屋に入っても、その部屋の用は済ませてからしか出ないようにしよう」というものだ。 それまでは検温係は検温のためにだけ入室し出ていった。何かを頼まれても「担当じゃないから」と断わっていた。何しろ、一定の時間内に検温をすませなくてはならないのだ。

これをやめよう、というのだ。検温しているときに「家に連絡してくれ」と言われればちゃんと連絡するし、「リンゴの皮をむいてくれ」と頼まれればそれもやる。そして「もう用はないですか?」と部屋の4人に声をかけてから退室するのだ。

このことの効果もすぐに表れた。老人のナースコールが激減したのだ。それまでは誰かに頼んでも「担当に頼んで」と言って行ってしまう。誰が担当かわからない老人はナースコールでとにかく職員を呼ぶ。人が呼べば自分も呼ばなきや損だ、とばかりに他の老人もコールをする。 ところが、職員の誰でもやってきたときには必ず用を聞いてくれるということがわかると、老人たちが待つことができるようになったのだ。

効率的にやると却って非効率になる。非効率的にやったほうがむしろ効率がいい。老人介護とは不思議な世界である。 「研修会で偉い医者や大学教授がしゃべってても前のように信じなくなりましたね。前の施設長と同じ世界にいる人だなってどっかで感じるんですよね」。 私は医者でも大学教授でもないが、介護職相手に講師として呼ばれるのが仕事だ。“同じ世界の人”になってしまわないよう気をつけなければ。


2001年04月  介護夜駄話スペシャル 幼年期と老年期
  ~介護と育児を通底するもの~

人は人生のそれぞれの世代ごとにそれぞれの課題に直面する。それはそれぞれの世代ごとに危機が待っていることでもある。 よく知られているのは青年期の課題と危機であろう。保護されていた子どもから社会人という大人になっていくという時期であり、精神分裂症の多くがこの年齢で発症する。

ちょうどそれに対応するように、社会から離脱していくときにも危機がある。 50代からの初老期と呼ばれる時期で、初老期うつ病という病名すらついているように、精神症状が出現しやすく、特に男性の自殺が多い年代である。

現在では青年期より前の思春期の少年たちが凶悪な犯罪を起こすことが社会問題化しているこれも男の子である。同年代の女の子は援助交際やブルセラで社会を騒がせつつ、たくましく危機を乗り切っているように見えるのに、男の子たちはなにかをきっかけにして、いとも簡単に異常と思える犯罪に入り込んでいくように見える。
こうした危機の低年齢化に対応するかのように、高齢者の危機は平均寿命の伸びと共に高年齢化し、痴呆という主体の崩壊が人生の最後の危機になった。

三好流人生の年代別区分

一昔前なら、思春期といえば、ほろ苦い初恋の季節であったし、老年期といえば、孫に囲まれて笑っている好々爺のイメージであった。そうした牧歌的な時代は一挙に消え去り、私たちは今、荒涼たる人生の風景を思い描くに至った。淡い思春期と心豊かな老年期がなくなったとするなら人生を楽しむ時期などないのではないか。

特に男の人生は危機の連続である。運よく母親の虐待もなく発達したら、思春期に犯罪者にならないよう気をつけ、続く青年期には分裂病の危機を乗り切らねばならない。 無事社会人になると、会社にこき使われて残業の毎日、定年が近くなると初老期うつ病を乗り越え、定年と老いに伴う痴呆の危機と闘わねばならないのだ。

 図1

人生は前ページの図のように年代別に区分される。(図1)
しかし私は、子どもの危機と老人の危機とが対応していることから考えると、次のように横に区分するほうが適切だと思える。(図2)

 図2

つまり、幼年期、少年期、思春期、青年期と辿った道を、年齢を経てこんどは逆に戻っていく、というふうに。社会に出ていく思春期と青年期が、社会から離脱していく初老期に、少年期が老年期に、そして幼年期が最晩年のたとえば呆けた時期に対応するのである。

老いは退行ではなく回帰

痴呆性老人の「問題行動」といわれているものの一つに「異食」がある。異食とは食べ物ではないものを食べてしまうことで、痴呆性老人の介護の世界ではそれほど珍しいものではない。 Tさんは、寮母と看護婦が金を出し合って共同購入していたハンドクリームの徳用サイズを一晩でなめて空っぽにしてしまった。

Sさんは流しの三角コーナーの茶がらを自分のお腹の中に“処理”してしまった。こうしたものを食べて下痢ひとつしないのも不思議である。 「呆けてわけがわからないのだからしかたがない」なんて言ってては困る。それでは、少なくとも介護のプロとはいえないし、家族でも、よい介護者とは言ってもらえないだろう。

なぜそんなことをするのかと考えるのがプロと、よいアマチュアである。なんでも口に入れると聞くと何を連想するだろうか。そう、赤ん坊である。 フロイトは1歳半までの子どもを「口唇期」と名づけた。口から母乳を摂取するだけではなく、指や手に触れるものを何でも口に運んで味わってみる時期である。いわば口を通して世界と関わっているといっていい。

呆け老人はこの口唇期に回帰したのだと思えばいい。そうすると問題行動は問題行動ではなく、理解できるものになる。 ついでに言っておくと、私は口唇期への「回帰」という言葉を使った。心理学者なら「退行」と言うところだろう。でも、退行には、あってはならないというニュアンスがあるので私は使いたくない。発達至上主義から離れてみればこれは自然過程だと思えるからだ。

そうであるなら、異食する痴呆性老人を叱ったり閉じこめたり抑制したりするなんてことが愚かであることは言うまでもない。必要なのはスキンシップをはじめとした、母の子に対する関わりと同じものだということがわかるだろう。
人生の後半をこうした青年期、少年期、幼年期への回帰としてとらえてみよう。ついでに言えば、死もまた無機的自然への回帰ということになろう。

文学者の自死の理由

問題は第二の青年期である。社会から離脱して一人の老人になっていくこの時期を無事に乗り切れるかどうかが、特に男に問われている。なぜなら、男にとっての社会の占める割合は女性よりはるかに大きく、そこからの離脱の影響も大だからである。

私は文学がそれほど好きなわけではない。だが、この問題を考えるとき、何人かの自死した文学者がどうしても頭に浮かんでくる。 太宰治、芥川龍之介、三島由紀夫……。彼らの自死の理由は、女性問題、文学上のゆきづまり、政治的理念への殉死といったものが挙げられている。しかし、私にはどうしても、自らの老いの拒否による死のように思えるのだ。

自らの老いの拒否とは、自らの幼年期と少年期への拒否である。老いが幼年期と少年期への回帰であるとすると、彼らは自分の幼年期と少年期なんかには帰りたくない、と無意識に思っていたのではないか。

まず、太宰治は実の母を知らずに育った。「乳母の乳で育って叔母の懐で大きくなった。私は、小学校の二、三年のときまで母を知らなかった」と『思ひ出』に自ら書いているが、彼はその乳母や叔母からも一方的に切り離されるのである。

芥川龍之介は、実の母が精神を患っていたので養子に出され、養母、実父の後妻である義母、それに叔母といった4人の“母親”がいるといった複雑さである。自伝と見なしていい『大導寺信輔の半生』には次のようなくだりがある。

「彼は毎朝台所へ来る牛乳の壜(びん)を軽蔑した。又何も知らぬにもせよ、母の乳だけは知っている彼の友達を羨望した。 …(中略)・‥ 信輔は壜詰めの牛乳の外に母の乳を知らぬことを恥じた。これは彼の秘密だった。誰にも決して知らせることの出来ぬ彼の一生の秘密であった」

三島由紀夫もまた母から引き離され、祖母による異常な執着のもとでしつけられたことはよく知られている。 彼らの無意識はあの時代に還らねばならないくらいなら自死を選んだのだ、としても不思議ではないだろう。

老いを受け入れる素地

では、第二の青年期を正しく乗りきれるのはどんな人だろうか。少年期と幼年期がよかった人ということになる。少年の頃、遊んでばかりで楽しくてしかたがなかったという人は定年を迎えるのを待っていたように少年時代の続きを始めようとするのではないか。

よく、鉄道写真を撮るために全国どこにでも馳せ参じるおじさんや、自宅の屋根裏部屋に鉄道模型の線路を敷き詰め、車掌の制服まで着て電車を動かしているおじさんがいるが、あれはまさしく少年に回帰している姿である。

それにしても女は少女には戻らない。ちゃんとお婆さんになって、最後は魔法使いになる感じがするのだが、男の、このかわいらしさは何だろう。 幼年期がよかった人、つまりいい母子関係に包まれていた人は、ちゃんといい呆け方ができると思う。だっていくら呆けていて何もわからなくなっても、赤ちゃんのときと同じように母親さえいてくれれば安心していられるからだ。

フロイトは、無意識は胎内と生後2歳まででつくられると言っている。こうした人は無意識が豊かな人である。胎児と幼児の時に母親への信頼関係があればそれは世界への信頼関係になる。なにしろ、胎児と幼児にとっては母親が世界そのものなのだから。

世界への信頼のある人は、呆けて、ここがどこで自分か誰かさえわからなくなっても安心していられる。周りの世界、つまり介護者に頼ればいいからだ。問題はその信頼に応えるだけの技術を私たちがもっているかどうかだけれど。

しかしこうした世界への信頼のない人は不安でしょうがない。なにしろここはどこなのか、自分は誰なのかわからず、周りは自分をだましたり傷つけようとしている人たちばかりになってしまうのだから。痴呆性老人の世界への拒否とも見える自閉的問題行動の根拠はここにある。

社会から離れて一介の老人になることにも不安を感じず、むしろ、遊び呆ける世界に喜んで入っていけるためには、楽しかった少年期の存在が必要だった。さらに長生きして自我が崩壊してきても安心していられるためには、母性に守られた幼児期、さらには胎児期の存在が必要なのだ。

過去を再構成する

おいおい、それじゃ今さらどうしようもないじゃないか、という声が聞こえてきそうである。過去はやり直せないし、母親を選んで生まれてくることもできないではないか。老いとつき合えるかどうかが幼年期と少年期、さらには胎児期で決まってしまうのならそれは宿命論と同じではないか、と思われるかもしれない。

確かに宿命としか思えないケ-スは多い。先に挙げた作家たちもそうである。しかし、異常とさえ思えるような特別な場合を除けば、救いはあると思う。 なぜなら、過去とは事実ではなく、記憶だからだ。私たちは事実ではなく、無意識に選んだ事実やときには思いこんだことを過去としてしまいこんでいる。だから過去は変えることができるのだ。

かつて、私の幼児期、少年期の記憶はあまりいいものではなかった。物心がついた頃、私の親は私の小さい頃のことを「かんしゃく持ちで育児に手を焼いた」と何度も言っていたし、一人っ子で家の中では両親とのつき合いしかなかったから、我ながら子どもっぽさのないこまっしゃくれた子どもだったと思っていたのだ。

私が自分の子どもを44歳になるまでつくる気になれなかったのもその辺りに原因があると思う。 しかし、いざ自分が子どもをもってみると少し考えが違ってきた。私だって小さい頃は子どもっぽくてかわいかったはずだ、と思ったのである。私は私の過去を書き換えることにした。

1999年、評論家の江藤淳か自死した。彼は次のような遺書を残した。

 江藤淳遺書

私は、無粋を承知であえて「諒」とはしたくない。彼が死ぬまで書き続けていた『幼年時代』、そして先に亡くなった妻について書いた『妻と私』を読んでみると、そこには、「与えられなかった母」を求め続けていた姿が見えてくる。母なき幼年期には帰れなかったのだろう。
あえで '諒’と言わないのなら、私には、過去を書き換える、つまり宿命から脱出する方法を提出する責任があろう。

自分を肯定できる体験

「今年あたり、コロツといくかもしれんぞ」。親しい友人が私に向かってこんなことを言う。というのも、私が長い間、畏敬の対象としてきた吉本隆明氏との対談集ができあがったからだ(『老いの現在進行形』春秋社)。 もう思い残すことはないだろう、という訳である。

吉本隆明といっても若い人は知らなくて、「吉本ばななのパパ」と言わなくてはならなくなったのだが、その吉本さんは、「母の形式は子の運命を決める」と書いている。『母型論』(学研)の巻頭である。 この本は、精神分裂病の原因を、胎児にとっての世界そのものである母親の心理状態に探る画期的なものだ。たしかに胎児期の無意識の体験(と言っていいのかどうかわからないが)は、幼年期、少年期と比べてすら、その人の精神に決定的な影響を及ぼすに違いない。

では、胎児だったとき、母親が極めて苛酷な状況に置かれており、不安や絶望といった心理状態を<世界>として受け止めていた子は、もうとり返しがつかないのだろうか。 私は何回かチャンスがあると思う。 最も大きなものが思春期、青年期の異性との関係だ。恋愛し、性的体験をすることが、胎児期、幼児期、少年期に充足されることのなかった母親(世界)からのエロスを補償することにつながるのではないだろうか。

私は中学生から高校生になる頃から、世界に対する漠然とした嫌悪を抱くようになっていた。特に、世間の大人たちがみんな俗物に見え、習慣や常識といったものをまるごと否定してしまいたい気分だった。それは思春期の心理としては、珍しいものではあるまい。

しかし、性体験を経ると、その嫌悪感は多少薄らいだ。大げさに言うと世界と和解してもいいと感じるようになった。俗物と思えた大人たちもみんなこんなことをしているのだ、と思うと、それだけで彼らとの共通感覚が生まれるような気がした。
あるいは、俗物を嫌っているその自分も、やっていることは同じではないか、と感じることで自意識過剰から抜け出ていったと言ってもよかろう。
イラスト
つまり、性的体験は自分白身をオス、メスという生き物のレベルで確認することで、自分を肯定する力をもっているのだと思う。しかし、それもいい性体験だったから“世界と和解”できるのであって、ここでひどい目にあっていたら、私の世界への嫌悪感は、世界を破滅させるか、もしくは自分を破滅させるエネルギーになったかもしれなかった。

おそらく、苛酷な母子関係を有した人が、この性体験で再び自己を肯定することができなかったとき、精神分裂症へと至るのだろう。 幸い、私はその危機を乗り越えてくることができた。おそらく、私の母子関係は、まずまず健全だったのだろう。
しかしこれから、初老期と老年期という危機を迎える。これまで考察してきたように、第二の青年期、第二の少年期、幼年期、そして最終的には第二の胎児期を迎えられるかという危機である。

じつは、老いを迎えられるためのレッスンの第1段階は、思春期、青年期の性的体験にある。性的な自分、オスやメスとしての自分を肯定できたかどうかが大切なのだ。なぜなら、老いとは自分の中の自然が露出してくることだからである。

それなら今からでもできるではないか、とばかりに、不倫や風俗産業にのめりこんだりしてもだめである。これはあの年代の課題なのだ。いい歳になってオスとしての自分を肯定しても、それは本能をコントロールできない、だらしない自分の肯定にしかなりませんよ。

育児をとおして諦念と自然を学ぶ

レッスンの第2段階は、出産と子育てである。私はここでそのレッスンを引き受けた、あるいは引き受けざるを得なかった女性が、介護や自らの老いに強くなり、逆にこのレッスンから逃げた男が、介護にも自らの老いにも適応できなくなったのだと考えている。

なぜなら、子どもは自然に最も近い人間だ。論理はもちろん、コトバも通じない。ウンチもシッコもすれば、原因もなく泣き叫ぶ。少し気分が悪ければすぐ嘔吐する。それもトイレの便器まで行って吐いたりはしてくれないから、食事が一度に修羅場になる。

育児は、こうした自然にはとても人間はかなわないという諦念を与えてくれるのである。おそらくそれは、近代より前の人間がみんなもっていた諦念なのだ。それを近代人に思い出させるのだ。 そして、自然に逆らわず、それをうまくコントロールする方法を手に入れるのである。

育児を経験した女たちは、やがてやってくる老いという自然にはとてもかなわないという諦念と、それに逆らわずうまくコントロールする能力をここで手に入れたのだと思う。 もちろん子育てしない女性もいるし、子育ての下手な女性もいる。

しかし、男の老い方が女に比べてどうみても下手なことを、生物学的な説明より他にするとなると、この育児体験の他にないのではなかろうか。生物学的な説明とは、たとえ子どもをつくらなくても、女性は子どもを産む性として、自らを男よりもはるかに<自然>として感じているということになろうか。

老いから逃げる夫たち

しかし、せっかくの老いの準備へのレッスンのチャンスを、大半の男は逃してしまう。なにしろこの年代の男は仕事に忙しい。日本の会社は育児に時間を取る余裕を与えてはくれないし、男も仕事がおもしろくてたまらなかったりする。こんな、論理や言葉の通じない世界に関わりたくない、という無意識な逃避の心理もあるだろう。

サラリーマンに比べて、農漁業や職人、自営業者のほうが呆けにくい、ということはよく言われている。定年がないからではないか、と言われることが多いが、サラリーマンは、俗に「セブンイレブンパパ」と呼ばれるように、朝7時に出て行って、帰るのは11時という生活である。休みも接待ゴルフに出かけて、子どもの寝顔を見ることはあっても、子どもがパパの顔を見ることはない。

それに比べると、自営業者は時間の融通がきくぶん、子育てにも関わっているようである。私は年に150回の講演で日本中を歩き回っていて、よく「お子さんと遊ぶ時間なんかないでしょう」と言われるが、ふつうのサラリーマンよりもはるかに子どもと付き合っている。

この原稿を書いているいまも、下の3歳の男の子が私の膝の上にあがってきて視線をじゃましているので、子どもの背中に原稿用紙を押しあてて書いている。昨日は日曜日だったので、上の小学校1年生の長男は新潟での仕事に同行してきた。MAXあさひに初めて乗ってご機嫌である。サラリーマンは、休みの多い公務員でもこうはいくまい。

熟年離婚が増えている。それも妻からの申し出が圧倒的に多い。妻からの訴えには、子育てを夫がちっとも手伝ってくれなかったというものが非常に多いという。もちろんその子どもはもう家を離れて独立している。
男の側からすれば、なにをいまさら、と思うのも無理はないが、これは、かつて育児を手伝わなかったといううらみだけではなく、育児を引き受けた女と、逃げた男では、そのとき以来、人生観や人間観に大きな違いが生じたのである。

熟年に至って、これから老いという自然を迎えるとき、かつての赤ん坊のときと同じように<自然>に老いを迎えるとき、夫がその老いからも逃げるだろうな、と妻たちは感じとっているのである。妻である自分の老いから逃げるだろう、つまり、介護はしてくれないに違いない。そして夫白身の老いからも逃げるだろう。

つまり老いた自分を認められなくて過去の自分に戻り、「会社へ行く」と言い出すに違いない、と。もちろんこの本の読者は、子育ての時期はとっくに終わっているに違いない。後悔したってはじまらない。でもレッスンの3段階があるのだ。それは孫である。

孫育ては最後のチャンス

ありがたいことに、平均寿命は伸びて、老いるより前に孫ができるようになった。「おじいさん」「おばあさん」になるよりはるか前に「おじいさん」「おばあさん」と呼ばれる存在になるのだ。

私と同世代の友人たちが、続々とその「おじいさん」「おばあさん」になった。最初は女性だったが、男性も現れてきた。彼らは「おじいさん」「おばあさん」と呼ばれることに抵抗を表明しつつも、しゃべれるようになった孫に「じじ」とか「ばーば」と呼ばれて相好を崩している。他愛のないものだ。

この孫との関わりが、老いの準備をさせてくれるチャンスになったのだ。自分の子どもの育児で赤ん坊という自然に関わることができなかった人は、孫との関係で遅ればせながら体験することができるのだ。

たとえ子育てしてきた女性でも、かつて育児書を読みながら理屈どおりに育てようとしてきて、ときにヒステリーを起こしていた人も、孫が相手なら、もっとゆとりを持って子育てできるに違いない。ちょうど<自然>が<自然>に関わるように。

「教えない」「怒らない」

いまの若いお母さん、お父さんは、私たちの頃よりももっと余裕のない状態に置かれている、と私は思う。グローバリズムとかでますます効率が求められて父親は依然として「セブンイレブンパパ」だし、核家族化で子育てを見聞きしたことのない母親が、狭いマンションの中で母と子が自閉して育児ノイローゼを患っている。

そんなときに「じじ」と「ばーば」の役割は大きい。教育評論家も斎藤次郎氏は、青森県の小学校4年生のクラスに1年間「留学」した。クラスの後ろに机を並べて1年間授業を受け、子どもだちと遊んだのだ。『気分は小学生』(岩波書店)にそのときの体験が書かれている。

次郎さんは1939年生まれだから、クラスメイトたちは孫といってもいい歳だ。「子どもだちと友だちになりたい」と彼は思った。年の差を乗り越えて友達になるにはどうすればいいか、と考えて、秘訣が2つあることに気づく。

ひとつは怒らない。そりゃそうだろう。友だちから説教されちゃかなわない。ふたつめは、教えない、だそうだ。うーん、大人としては子どもに教えたくなるではないか。しかし教えようと思うから、うまく判ってくれないと怒ってしまうことになるから、怒らないためには教えないことが必要なのだ。

母親に怒るな、と言っても無理である。私は自分よりおおらかで情緒の安定した女性と再婚したつもりでいたが、こと子どもとの関係ではそうはいかない。感情的にもなるし、細かいことに口うるさい。母親とはそういうものらしい。女へんに叱ると書いて、ハハオヤと読ませたいくらいだ。

じじ、ばばの役目

学校の先生に教えるな、という訳にはいかないだろう。となると、子どもには、母親でも先生でもない、つまり、怒らない、教えない大人との関係が必要となる。昔は大家族や地域の共同体の中の大人がその役割を果たしてきた。

学校にもいかず親にも反抗する次男坊を、親族の中で変わり者で通っているおじさんがかわいがってくれる、なんて組み合わせが無数に形成されて、子どもたちはたとえ学校でも家でも疎外されても、ホッとできる場所や人間関係をもっていた。

いまはそうはいかない。放課後も子どもたちは塾通いだし、核家族化で親せきとの付き合いもなくなっている。 若きじいさん、ばあさんの役割は、この怒らない、教えないという、ホッとできる人間関係をつくることだ。

いくつかの少年犯罪を調べてみると、彼をかわいがってくれた祖父や祖母が亡くなったことで精神の変調を来たして犯罪にいたったケースが目につく。彼らは唯一残されていたホッとする関係を失ったことで追いつめられたと考えられないだろうか。

若きじじ、ばばたちよ、核家族のカラを破って娘、息子の家庭に侵入し、孫との関係づくりをしよう。そして、教科書や専門家の言うとおりに子育てしようとするあまり、「虫歯になるから甘いものは一切食べさせない」なんて言ってる母親に内緒でチョコレートを与えよう。そのおおらかさこそが、子どもが犯罪者になるのを救うのだ。


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三好春樹インタビュー
「三好さん、介護界に見切りをつけたんですか?」


--- 私も三好さんとほぼ同世代なので、前号の「石坂浩二の涙の意味」は身につまされました。親子というタテの人間関係をうまくとれないというのは自分にもぴったりなんです。

三好 職場の上司とうまくいかないのも、介護方針の違いだけじゃないのかもしれませんね(笑)。

--- 続く今号の「幼年期と老年期」も納得のいく介護=育児論でした。『介護覚え書き』の「異食とは何か」にショックを覚えたのですが、それが深められてここまできたという感じですね。両方とも今度の新しい本の内容なんですよね。

三好 そうです。全部で20章あるうちの前号で1つ、今号で2章分を載せました。残りの17章分はぜひ本屋さんかBBCで買って読んでいただきたい(笑)。

--- 三好さんの文章でおもしろいのは、今回の文なんかもそうだけど、介護の話から人生の話まで普遍化されているんだけど、一方で、三好さん自身の個別の体験がより語られているんですよ。子ども時代のこととか、性体験についてとか。いつか岡野純毅さんというOTが、三好さんの魅力を「抽象と具体とを往復する肺活量」と評したことがあったけど、普遍化しながら深みへ降りていくという文章はあまりないですよね。

三好 そう言っていただけると、年末から1月いっぱい書き続けた甲斐がありますねえ。

--- そもそもなんでこんな本を書こうと思ったんですか。

三好 ある日、フリーの編集者がやってきて、「ビジネスマン向けの本を書かないか」と言うんです。聞けば、もう出版社に企画を持ち込んでOKをもらっているっていうんです。

--- ビジネスマンつて、一番縁遠い人たちですよね。

三好 そう。介護職相手に本を書いてきたし、一般の人向きに話もするけど、その90%は女性で、男性の、しかもビジネスマンなんか見たこともない(笑)。

--- よく書く気になりましたね。

三好 とても書けないと思っていたんだけど、書き始めると、彼らとこそ男の悲しさを共有できるような気持ちになってきて筆が進むんですよ。自分でも気づかなかったものを引き出してくれたという意味では、この編集者は「媒介」としての役割を果たしているんですね。介護職が求められているものもそれなんですけどね。

--- 老人の能力を引き出さないでおいて、大変だとばかり言ってますね。

三好 ベッドが狭くて高いんじゃ介助量が増えて当たり前、私物がまったくないんじゃ呆け老人が落ち着かないのも当たり前。そんなことやっているんじゃ、他の仕事でも通用しないですよ。

--- 世の中は不況だというのに介護の世界だけは仕事が増えてるもんだから、みんな甘くなって質が低下しているというのが実感です。三好さんはそんな世界に見切りをつけて、一般の人向けに仕事をシフトしたのかな、と思ってました(笑)。テレビやラジオにも出るし(笑)。

三好 いやいや。私はあまり期待をしないから失望もない。介護保険も、どうせこの程度のもの、としか思ってませんしね。

--- その、醒めた冷たい目でこれからも状況を語ってくださいね(笑)。介護保険が、介護を介護力だとしか考えていないまま推進されている、なんていう批判は、三好さんからしか聞けなんですから。新刊(男と女の老いかた講座)読むのが楽しみです。


2001年03月  介護夜駄話スペシャル 石坂浩二の涙の意味

テレビ局から電話があった。かつてNHKが私を取り上げた30分の教育番組をつくってくれたことがあるし、朝の教養番組に生出演したことも何回かある。しかし今回は民放の朝のワイドショーに出ろというのだ。

「石坂浩二と浅丘ルリ子が離婚したのはご存知ですよね」と番組のディレクター。もちろん知っている。私はテレビをよく見ている。それも昼間、家にいることが多いので、主婦向けのワイドショーを見ながら原稿を書くこともある。
私のお気に入りは、午前は「突撃!隣の晩ごはん」、午後は「亭主改造計画」あたりだと言っても、仕事に出かけているみなさんたちはご存知あるまい。

で、石坂と浅丘の離婚について、離婚歴のある私にコメントしろというのだろうか?と一瞬考えたが、もちろんそうではなかった。 「この離婚が『介護離婚』と呼ばれてましてね。介護と夫婦のあり方についで激論”というコーナーで介護の専門家として話してはしいんです」。

ワイドショーに縁のない方のために少し説明しておくと、2000年の年末に石坂・浅丘夫婦が記者会見して離婚を発表した。もともとこの夫婦、十数年も前から実質的には夫婦とは言えない状態だったというから、芸能記者たちは、何で今さら、という気持ちで記者会見に来たらしい。

石坂の側から説明された離婚理由は次のようなものだった。石坂の母が年老いて介護が必要な状態となった。しかし妻である浅丘は女優の仕事があり、介護をさせるわけにはいかない。だから離婚するのだ、と。 だが、会見での浅丘ルリ子の表情は憮然としたもので「何で私がこの席にいるのか…」と語るなど、この離婚と会見が石坂浩二側の意思と演出で行われたであろうことが伝わってくるものだった。

週刊誌が発行されない年末を狙ったとされた記者会見だったが、テレビのワイドショーが21世紀に入って早々、再びこの問題を報じ始めた。というのも、この会見の5日後に石坂が若い女性と再婚、入籍したことが判明したからである。

この女性は長い間、浅丘も黙認の愛人だったらしく、石坂の両親ともいい人間関係をもっていたらしい。石坂は「これで親孝行ができる」とテレビの画面で涙を見せた。
さあ、これがワイドショーの石坂批判に火をつける形になった。特に、女性芸能レポーターは、介護ができないからと離婚された浅丘を哀れな被害者に見立て、介護ができるからというので相手を決めるなんて、相手を1人の人間として見ていないじゃないか、と石坂を非難した。

「再婚の相手に対する恋愛感情が感じられないんですよね。これじゃ女性は男の親の介護のために結婚するみたいじゃないですか」と。 女性たちは「純粋な愛」が好きだ。「純粋な愛」とは「計算がない愛」のことらしい。しかし私に言わせると、どんなに純情な女の子でも無意識に計算して男を選んでいるとしか思えない。

もちろん、そう思いだしたのはこの齢に近づいてからのことで、若い頃は男である自分の方が女を選んでいると思っていた。でもあれはこちらが値踏みされ、選ばれていたのである。どうも主導権はあっちにあったなあと思わざるをえない。
思えば10代後半から20代の頃は、女性は自分が守ってやらねばならない弱い存在に見えたものだ。今になって、弱い女なんて1人もいないことがよく判ってみると、なんであんな錯覚に陥ったのかと不思議に思ってしまう。

あれは女の戦略なのだろう。いや遺伝子の戦略だ。子孫を絶やさないためにああやって男を女に向かわせているのだ。 計算のない純粋な恋愛なんてない。恋愛そのものが遺伝子による計算なのだ。だから、純粋な恋愛ではないといって石坂浩二を非難するのは正しくない。

「石坂さんの評判が悪いようだけど、考えてみてください。料理の味に惚れるってことがあるでしょう。それと同じように、介護の手に惚れて恋愛することだってあっていいじゃないですか」。 もちろんこの私の発言は、他のコメンテイターからのブーイングを引き起こした。 でも、病院で患者にやさしい看護婦さんに惚れたり、老人にやさしいヘルパーさんを好きになったって何の不思議もないと私は思う。

そこに、この人なら自分の親をちゃんと介護してくれるかも、なんて計算が入っているかもしれないが、それ以上に、そんな人なら子どもとの関わり方も、夫婦関係のとり方もうまいだろう、ということを感じとっているからである。 このことは、相手が美人であるだとか、スタイルがいいなんてことよりはるかに大切なことだろう。
もっとも、仕事でやさしくしている人がプライベートでもやさしいかというと大間違いで、美人だからというので結婚してひどい目にあうのと同じくらいに裏切られることは覚悟しておいたほうがいいとは思うが。

illust 番組のテーマが「介護離婚」ということで、介護の専門家を1人、離婚の専門家を1人呼んだらしい。離婚のほうの専門家とは、東京家族ラボの池内ひろ美さんで、番組では彼女のところに寄せられた相談例が紹介された。台本に書かれたとおりをここに引用してみる。

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10年前から夫の父親を介護。夫も義理の√親も嫁が介護をするのは当然だと考えており、6年間それに応えた。義父の葬式の時、やせ細った義父の姿を見た義理の姉が「ろくなことをしてもらえなかったんでしょうね」と言った。それを聞いた夫は「こいつはバカな女だから申し訳ない」と発言。6年間、感謝の言葉もなく、この発言への謝罪もない。母親のときにも同じことが起こると思うと、一緒にいられず離婚を決意。(妻54歳、夫54歳)
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“石坂浩二擁護派"の私も、いくら男同士とはいえ、これじゃ擁護できかねるなあ。私より少し齢が上だけだけど、親子というタテ軸の関係が強すぎて、結婚相手は“家”にやってきた「嫁」だという古い観念に支配されすぎているもの。 でも次のケースはどうだろう。

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学生時代からの恋愛の延長で結婚した夫は、家庭のことはすべて妻まかせ。そのうえ、一人暮らしの姑から電話がかかると、自分では行かないくせに「寂しいのだから行って話を聞いてやれ」と言う。夫は「子どもの頃から母親には大切にされた。だから恩返しをしたい」とよく口にするが自分ではまったく何もしない。この先、姑に介護が必要になったときでも、すべて妻に押しつけて自分だけいい顔をしそうな夫に疑問を感じ離婚を考え始めた。(妻43歳、夫43歳)
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こちらは若い世代だけあって、むしろ逆に「タテ軸」とどう関わっていいかわからず、そこから逃げたがっている夫の姿が見てとれる。 この2人も、石坂・浅丘夫婦も、かつて、個人として“純粋な”恋愛をして夫婦になったのだろう。そのときには親の介護のことなど考えなかったに違いない。少し頭をよぎったとしても、それは不純なことだと考えて打ち消しだのかもしれない。個人と個人の純粋な横の軸の関係だけが重要なのだから、と。

しかし人はタテ軸から逃れることなんてことはできないのだ。あらゆる関係から自由な「個人」なんていうのは理念の中にしかない。実際には私たちは、誰かの子であり、親であり、誰かの夫であり妻であり、上役であり部下であるといったふうに関係づけられた存在である。 もちろん、関係づけられた受身的存在であると共に、自ら関係づけていく主体的存在でもある。

ところが、「個人主義」は、こうした関係性を認めず、拒否する「排他主義」になっているのではないか。 個人を家の従属物のようにみなす封建的な家族主義はもちろん困ったことだが、だからといって、個人主義を対置すればいいというものではなかろう。

「自立した個人」を至上の価値として教育された私たちの世代は、社会や家庭に残っていた前近代性に抗ってきた。親と地域から脱出して都会の大学に出て一人暮らしをすることが夢だった。そして大学に残る前近代的な権威主義に抵抗して学園闘争を始めた。親と子だけでなく、先輩一後輩も、教師一生徒も、タテ軸の人間関係はすべて否定すべきものだった。

その世代が子育てを誤った、と言われている。私もそう思う。タテ軸を否定するあまり、自分が親子関係の親の立場を関係づけられたとき、それを引き受けることができなかったのだ。「子どもの主体性を大事にする」と言うのは、関係から逃げる言い訳だった。排他主義が自分の子どもたちにも及んだのだ。

そしていま、親の老いを迎え、介護という形でどう関係づけていくかが問われているのだが、池内さんの相談例からは、子育てに続いて、親の介護にも失敗しつつある私たちの世代が見えてくる。 石坂浩二は、再婚入籍の会見で「これで親孝行ができる」と涙を見せた。

女性問題のゴシップを親孝行にすりかえるしらじらしい涙だと言う大もいるが、私の見解は違う。 あれは、横軸の人間関係、つまり純粋な愛の力さえあれば人生でも何でも乗り切っていける、と信じていたものが挫折したことへの涙ではないか。彼は子どももいない夫婦という横軸から、「親孝行」というタテ軸へ回帰した。彼の挫折は私の挫折でもあり、“自立した個人”という幻想をめざした近代人の挫折でもある。


2001年02月  介護夜駄話 新世紀放談

客人 おめでとうございます。 三好さんとの付き合いは気が楽ですよ、年賀状も出さなくていいし。ほんとに一通も出さないんですか。

三好 プライベートには妻が出してるみたいです。家族の写真付きのをね。

客人 常識のない人と常識的な人がペアになってちょうどバランスが取れてるんですね。ところで21世紀初頭にあたって、三好さんに介護以外のことでたずねてみたいことをまとめて聞こうと思いますが、まずは年賀状を出さないというのは何か主義があるんですか。郵政省が嫌いだとか。

三好 若い頃にこうした習慣も含めた世の中全部に嫌悪を感じていたことがあって、その名残りですね。

客人 選挙に一度も行ったことがないというのもその嫌悪からですか。

三好 それもあるけどちょっと違います。投票しようと思う政党や人がいないんです。

客人 でも投票は国民の義務ですから、少しでもまともな政党に入れようとか思わないんですか。
三好 思わないですよ。いいですか。ヒトラーとスターリンとヒロヒトが立候補していてよりましな候補がいますか?今の自民党と民主党と共産党の違いはそれくらいのもので、権力を持たせたら権力的になるのは同じですよ。投票はそれを支えることでしかない。権力をどう無化するかというはるかに遠い場所から見てみれば、政党による政策の差なんかほとんど意味がないでしょう。

客人 じゃ政治嫌いという訳じゃないんだ。

三好 そう。政治大好き(笑)。ただし政治を人間というところまで還元して捉えたいと思ってるので、政党の選択なんてレベルの政治はほんの表層だとしか思えないんですよ。

客人 世紀の初めだけにスケールが大きくなってきた(笑)。たとえば少年法の適応年齢を引き下げようという動きがあって賛否が分かれてますけど、三好さんの意見は?

三好 法律でどうにかしようというのはじつはもう負けてるんですよね。社会の側が解決能力を失ってるから法律に頼らなきゃならない。しかも刑罰の強化という形でしょう。それで原因のほうが解決する訳がないんです。

だから解決法を持ってないという意味ではそんなものどっちだっていいんです。ただ、家族や学校や社会が牢獄だと感じている人に刑罰を強化しても犯罪抑止にはならないし、自分が死んでるのも同じだと思ってる人には死刑も脅しにはならないのは当然ですよね。だから虚しい議論ですよ。

客人 じゃ教育改革なんてのも同じですか。

三好 学校による子どもの管理をできるだけ部分化するより救いはないにもかかわらず、ボランティアまで強制して評価の対象にするなんてのは、わざわざ子どもを犯罪に走らせるようなものだと思うね。

「命を大切にする教育」なんてのも逆効果でしょう。少年犯罪は吉本隆明が言っているように荒れた無意識がある日突然噴出してきているとしか思えない。意識的世界でいくら「命を大切に」と教えてもそれを無意識の世界が承認していないなら、意識と無意識を乖離させるだけだろうと思う。

客人 じゃ政治家は何をすりゃいいんでしょうね。

三好 何もできないし、変なことをすれば逆効果になるだけなんだから、頼むから何もしないでくれと言いたいね。森首相に誰も何も期待してないでしょ。とにかく変なことを言わないでくれ、恥ずかしいから、くらいしか期待してないですよね。それが政治に対する健全な姿勢だと思う。

客人 でも現状を変えなきゃいけないとは思わないんですか。

三好 思ってますよ。でも意識的に変えてやろうとしても変わらないですよ。痴呆性老人だってそうでしょ。変わるとしたら変わるべくして変わるんです。生活の仕方とか人との関わり方とかが変わって無意識とか感じ方とかが変化してはじめて世の中が変わるとしたら変わるでしょう。

特に老人や自分の老いとどう付き合うのかというのは、人間が自然をどう扱うかということだから、エコロジーなんてこと以上に社会を変えることにつながってるはずなんですよ。だからそこのところをちゃんとやらないで政治なんかに幻想を持つなと言いたいですね。

客人 三好さんが組織をつくって厚生省と交渉したりなんてしない理由もそんなところにあるんでしょうね。

三好 そう。そんなの「官僚と業者の癒着」に行き着くのは目に見えてますよ。対立しててもその差はヒトラーとスターリンぐらいになるんです。反権力ってすぐ権力に転化するからね。それが政治を動かしているとか思うのは手前勝手な白昼夢でしょう。現場はそんなヒマはないですよ。もっと大事なことが目の前にあるんだから。

客人「生活リハビリはムードばかりで技術がない」なんて批判してる人もいますけど。

三好 老人を研究の対象としてしか生活の場に入ってこない学者さんには言わせておけばいいですよ。彼らはマヒで固まった指の開き方ひとつ提起してこなかったんですから。

客人 最後に仙台のクリニックでの看護士による筋弛緩剤による殺人未遂容疑について一言。

三好 容疑者が否認しているので彼の犯行かどうかはわかりません。でも、マスコミの反応に少し問題を感じています。みんな動機を不思議がっているんですね。いろんな風評があるけれど、好青年で自分の入院体験で親切にしてもらったので看護の世界に入ってきた。そんな人がなぜ、という訳です。

でもこれ逆なんですよ。別に看護をしたかったんじゃないけどたまたまそうなった、という人がこんなことをやったとしたら意外なんです。人の命を救いたい、なんて目的意識を持ってる人がやったほうが不思議じゃないんです。

というのも「人の命を救いたい」というのは「人の命を左右したい」という支配欲の表れでもあるんです。医者はそれを満たせるでしょう。いつも生かしたり殺したりしてるから。でも准看護士の彼の仕事ではそれが満たされなかったんでしょう。自分は人の命を左右できるんだということを確認するためにやったと考えるべきでしょうね。

特養の老人も殺したのではないかと言われてますね。惜しむらくは彼が給料は安くても特養の看護職になっていれば「命」というものをちょっと違ったふうに見ることができたかもしれないと思いますね。毎日の生活を支え創ることこそ命を左右することだと。おっと、これは介護に肩入れしている私の白昼夢でした。


2001年01月~2000年12月  介護夜駄話 家族と老人のニーズがわかってない

客人 前号の「学者なんか呼ぶんじゃないよ」がえらく好評とかで、またお前が担当しろと言われた理学療法士です。自己中心性まる出しの学者さんにあきれていたんですけど、その討論会のテーマは「介護保険」は成功か失敗か、というものでしたね。

三好 そう。賛成派は“介護地獄”を救うには「介護の社会化」が必要だ、とにかく急がねば、と訴えてきた。マスコミや多くの評論家がその推進役だった。

客人 ところが始まってみると、家族や本人は利用限度額の半分強しか利用しない。それで大手介護会社が次々と撤退するという事態になっている。

三好 反対派は、それ見たことか、と言って「税方式に戻せ」とか「家族への現金給付を認めるなど大幅な修正を」と言っている。

客人 会場にいたのは、例の学者先生を含めて反対派が中心だったけど、なぜ、利用限度額いっぱい使わないのかという原因についてはピンとこなかったですね。

三好 そう。例の学者さんは全体の1割を占める低所得者層が1割負担に耐えられないからだ、と言って「弱者を見殺しにするのか」と大声でアジテーションしてたけどみんなシラけてたね。

客人 そうですね。それだけでは説明できませんものね。逆に言うと9割の人にとっては、1時間1500円で家事を手伝いに来てくれるんだから、随分安い話ですよね。それでも使わないというのは、他にもっと理由があるということですよね。

同じく反対派で、会場で報告していた滝上宗二郎さんは、利用が少ないのは日本人の権利意識が低いからだ、と書いた朝日新聞の社説をこっぴどく批判していましたね。問題だらけの制度を先頭に立って推進しておきながら、うまくいかないとなると日本人のせいにするとは何事か、とね。三好さんは介護保険の現状をどう分析していますか?

三好 介護保険推進派が特に問題なんだけど、みんな老人や家族のニーズをわかってないと思いますね。

客人 というと?

三好 介護は大変で家族は倒れてしまうから、早く介護力を確保しなきや、というんで、大急ぎで法律をつくって、ヘルパーを促成栽培のようにつくったでしょう?しかし、老人と家族が求めているのは「介護力」じゃないんです。「良い介護」が欲しいんですよ。

客人 なるほどね。

三好 変なヘルパーが家の中に入ってくるくらいなら、いくら身体は大変でも自分でケアしたほうがよほどマシだと思ってるんです。デイケアやデイサービスに行った老人が屈辱を感じたり淋しがっているのなら、そんなところには行かせたくないと思ってるんですよ。

客人 それはよくわかります。家族のニーズは、とにかく大変だから楽になりたいなんて単純なものじゃないですよね。あんなに憎んでいたのにいざ施設入所となると躊躇する家族が多いですね。
三好 いい介護かどうかは家族や本人はどうやって判断してると思いますか?

客人 一般的には資格があるかどうかとか、会社の資本力があるかなんてことが大事だと思われていますよね。

三好 家族や本人は「人」を見てるんですよ。どんなヘルパーなのか、どんな人がいるデイサービスなのかをじっと見て、使うかどうかを判定してますね。それには時間がかかるんです。地方で仕事をしていると特にそうですけど、デイサービスに来てもらうのに半年かかるなんてよくある話ですよ。

illustまずスタッフが説得にいく。 10年も家から出てないなんて人だからそう簡単にはいかない。婆さんなら男性スタッフ、爺さんなら若い女性が説得役だ。デイの利用者の中に知り合いの老人がいればその人を家に連れていったりもする。それでも不安がってるから、デイの様子をビデオに撮って見てもらう。興味がないと言いながら、じっと見てるね。自分より重い障害の人がいるかどうかを。で、やっと安心してやって来てくれる。

客人 小さな村の話だけど、ヘルパーさんの週に1回訪問を受け入れてもらうのに1年かかったことがありましたね。ベテランのいい仕事をしているヘルパーさんが毎月1回ボランティアで顔を出して1年かかった。後で知ったけど、家族は村の中の他の利用者のところに行ってそのヘルパーがどんな人かいろいろ聞いて回っていたそうです。

三好 そうやってやっと利用者を1人確保するというのが私たちがやってきたことだ。それを知らないから、テレビのコマーシャルでフリーダイヤルのナンバーを流せばどんどん電話してくる、とコムスンは思ったんだよね。

客人 ニュースステーションのスポンサーでしたよね。番組の選び方からして間違ってますよ。『演歌の花道』のほうがよほど効果がありますよ(笑)。

三好『水戸黄門』の再放送とかね。『女ののど自慢』もよく見てるよ。老人も家族も。

客人 老人や家族といい人間関係をつくれて信頼してもらえる人が必要だということですね。「介護力」じゃなくて「介護関係」だと。

三好 そう。昔はそういう介護関係をつくれる人が介護に向いている人として自然淘汰されていたんだけど、いまでは2級ヘルパーなんていう資格があるだけで仕事についちゃうので、関係づくりのできない人がヘルパーや訪問看護をやるようになってしまった。これじゃ家族は利用する気にならないよね。

客人 家族のニーズの中に「良い介護をしたい」という気持ちがあることを見落としてきた気がします。勉強になりました。


2000年11月  介護夜駄話 学者なんか呼ぶんじゃないよ

客人 長い間の病院勤めを辞めて、診療所での訪問リハビリとデイケアに関わりはじめた理学療法士です。先日(9月23、24日)の京都での「在宅ケアを支える診療所全国ネットワーク」の全国大会で久しぶりに三好さんの話を聴きました。

三好 以前にも聴いていただいたことがあるんですか。

客人 病院にいたときに聴いたんですけど正直言ってピンとこなかったんです。でも今の仕事を経験してから聴くとよく判りました。特に、いくらいい仕事をしていてもデータにならない、というのは痛いくらい判ります。

三好 この大会もだいぶ「学会」に近づいてきて、データ発表も増えたけど、まだ“大事なことはデータにならない”という気持ちをどこかに漂わせているのが救いだよね。

客人 そう思いました。派手なケンカまであるし。そう言えば、夜9時には寝るという三好さんが、夜9時から始まる「徹底討論」に出てて、しかも最後までいたのには驚きましたね。

三好 いや、1日目は同じ京都での「すすむ&すすむファーラム」にゲストで呼んでいただいて参加できなかったので、せめてと思って出たんだけど、何かひとこと言って帰らなきゃと思って最後まで帰れなかった。

客人 学者さんというのはホントに困った人たちだと思いましたね。「私は学者だ。私の何という論文のどこにそんなことが書いてあるか証明してみろ」ってマイク投げたりしてましたよね。

三好 現場の人の素朴な感じの反論に対して「私の月刊○○という雑誌の○月号の論文をあなたは読んでないのか!」とか言ってたでしょう。誰もそんなもの読んでないって(笑)。

客人 すごい自己中心性ですよね。まああの人は医者で福祉系の大学教授らしいから、自己中心性が二乗されるのもしかたないけど。

三好 年取ってくると三乗になるね(笑)。

客人 学者って、つまんない世界にいるんだなあって参加してた人はみんな思ってたんじゃないですか。学会らしい学会へ行くと、データの出し方なんて細かいことばかり質問してケチをつけるのが学者なんですよ。

illust 三好 いくら学者だといっても、老いとか介護に関わっていくなら、データだとか論理なんかが通用しない世界がそこにあることに気付きそうなものだよね。「生と死の問題を削除することで近代は成立する」と言ったのはミッシェル・フーコーだけど、老いとかケアという世界が、論理や、さらにコトバとか自我なんてものを超えたところに厳然と存在することに気付かないとおかしいと思う。
そこで生じる自己限定性、つまり謙虚さのようなものがないことこそ、私の彼への根本的な不信だね。

客人「厚生省と闘ってきた」というのが彼の自慢みたいでしたけれどね。でも会場にいた仙台の開業医の女性が「私たちは忙しくて闘うヒマなんかありません」と言ったのはおもしろかったですねえ。言外に「あなたたちはヒマだから闘っているんだ」という皮肉があって。思わず拍手しようとしたけど、教授ににらまれると恐そうだからやめました(笑)。

三好 私は次の日に2時間もしゃべらせてもらうんだから黙っていようかと思ったけど、どうしても言わなきゃと思って挙手してしまった。
これは私たち現場の人間が現場的であるために、何度も確認しておかなければならないことで、そうでないとすぐに、データとコトバの世界の閉じこもり症候群である学者みたいになったり、評論家みたいになってしまう人が多いので、ここにちゃんと整理しておきたいと思う。
当日のテーマは介護保険制度を巡るものでした。これを批判するか賛成するか、どう見直すかを巡って“けんか”もあった。

だが私はこう思っている。たしかに制度を抜きに現場の介護を語ることはできないだろう。だが制度はよい介護をするために使いこなす武器である。武器がいくら立派でもそれを使いこなす主体がいないのでは何の役にも立だない。逆にたいした武器はなくとも、主体がいれば、身の回りのものを何でも武器にしていい介護をしてしまう。

たとえばかつて「老人保健法」しかなかったときに、その「訪問指導」と「機能訓練教室」を武器にして、寝たきりから痴呆、一人暮らしまで、老人と家族のニーズに応える実践をしてきた地域がたくさんあったはずである。こんな町にはわざわざ、介護保険法なんかつくる必要はなかったと思われるくらいである。

実際に介護保険施行後、「墓参りに連れていく」とか「野球見物に行く」なんて個別のケアができなくなっていると聞く。いまやっている現場の実践の方向性が変わらないまま、いくら制度が良くなっても、老人は幸せにはなるまい。たとえば、老人病院のスタッフの数が2倍になったって「ゆとりをもって手足を縛る」ことにしかならないはずである。大事なのは一貫して、介護というものの中身なのだ。
従って、マスコミの報道でも、制度について1語られるなら、介護の内言は9語られなければならないと思う。ところが現状は1対9どころか、逆の9対1でしかない。

学会でもそうだ。現場のすごさ、おもしろさを実感していない人が運営するものほど、学者やジャーナリストの名前がズラリと並ぶ。私たちが大学のセンセやジャーナリストを呼ばないのはそんな9対1という逆転した現象を何とか正常化したいからだ。いや何より、そんな会はちっともおもしろくないからである。

客人 なるほど。最後の三好さんの「権力と闘ってきた、と言われるけど、どう権力でない生き方をするかとか、いかに権力的でないモノの言い方をするかのほうが大事じゃないですか」という発言は、その学者へのすごい皮肉でしたよね。内心拍手。

三好 皮肉が通じる相手じゃなさそうだけどね(笑)。


2000年10月  なんて立派な思いやり
  ~排泄ケアに悩む寮母との会話~

客人 特養ホームの副主任をやっている経験10年の寮母です。看護婦さんや保健婦さんがこのページに出て質問しているので、介護職も負けちゃおれないと思ってやってきました。

三好 大歓迎です。排泄ケアについての質問だそうですね。

客人 生活リハビリ講座に参加したスタッフを中心にして7~8年前から排泄ケアの見直しに取り組んできました。ベッドを低くしたり、移動用バーを取り付けたり、朝食後にトイレに座ってもらったりしてオムツ使用者は3分の1にまでなったんです。

三好 そりゃすごい。

客人 すごいでしよ(笑)。でも施設長と事務しかしない指導員は何も認めてくれませんけどね(笑)。“介護保険時代への対応"ばかりに興味があって、セミナーへ行っては経営の話をしてる。排泄ケアをちゃんとやることこそ介護保険時代への対応だと思いますけど。

三好 まったくそのとおり。

客人 そんなときにこの4月に老健施設から転職してきた介護福祉士の寮母がケース会議でこんなことを言い出したんです。オムツ外しはもう古い、って言うんです。いまではいっぱい吸収できるオムツがあって、しかもサラッとしてて気持ちもいいんだからオムツを使用して安心して生活してもらうべきだ、と。

三好 しかも、オムツ交換の回数は少なくしろって言うんでしょう。

客人 よくご存知で。

三好 それってA社のセールスウーマンたちのセールストークなんですよ。Tという商品を売るためのね。職員も楽になるし、老人もオムツ交換という屈辱的な体験をする回数が減りますよ、つて言うんだよね。

客人 そのとおりです。何だか笑うちゃうでしょ(笑)。

三好 そう、そこまで老人の気持ちを考えてるなんて何て立派なんだろう(笑)。

客人 私も皮肉でそう言うんだけど、その皮肉が通じない人がいるんです。うちの役立たずの指導員と看護婦なんだけど、こういう主張に同感してしまうんですよ。現場のケアに入れ込んでいない人の悲しさですね。こういう新しそうに見える考えにすぐ飛びつくのは。でも私たちはなかなか彼らを論破できないんです。そこで三好さんにお話を伺おうと。

三好 こうした論理が通用するには2つのことが前提になければならないと思います。まず1つめは、オムツ交換の恥ずかしさを何とかしてあげようと思うくらいなんですから当然、老人をオムツにしないための工夫をとことんやってなくてはならないはずです。あなたの施設のように、歩けなくても足が立てればベッドを低くし、手すりを取りつけて車イスやポータブルトイレへの移乗ができるように工夫しているはずです。
illust
自分では立てない人や、便意のない人でも、朝食後に介助して座って、ふんばってもらうという生理学に沿った介助も行われているはずです。 ですから、入所者のうち、オムツ使用者が20%くらいになってから言い出すのならともかく、半数もの老人がオムツをあてているなんて施設でこんなことをするとしたら、排泄ケアを放棄したうえで開き直ってるとしか言えませんね。

客人 三好さんがいつも言ってるように、オムツをしなくていいための工夫を10考えよう、というのが排泄ケアだと思うんです。実際、オムツで入所してきた人のほとんどは外れますもの。それをやらないで“いいオムツだから使おう”と言われてもねえ。

三好 さらにそんな、本来の排泄ケアをちゃんとやったうえでも、大容量の尿を吸収するオムツでオムツ交換を減らせという論理にはならないと思います。もしその論理が通用するとしたら、そういう自分たちがそのオムツを日常的に使ってなきゃいけないと思いますね。今日は夜勤明けで疲れててトイレに行くのもやめてぐっすり眠りたいのでオムツを使って眠ろう、なんていうふうにね。
客人 いくら熟睡したくてもそれはイヤだわ。

三好 サラッとしてて濡れた感じがしない、といくら言われてもねえ。生理用品に喩えれば女性にはもっと判りやすいでしょう。3日分吸収してくれてサラッとして装着感がないからといって3日間続けて使おうという人はいないでしょう。

客人 すごい喩えだけど、そのとおりです。

三好 もちろん、夜間熟睡してもらうために何回分か吸収できる、できるだけ使用感のないオムツを使用することはいいことです。夜間おもらしをするのにそれでもオムツには拒否感がある人の場合には、熟睡を犠牲にしてでも夜起こしてトイレに誘導することもあります。熟睡よりプライドのほうが大切だからです。どうすべきか老人一人ひとりによって違っていて、今夜どれを選ぶかは、本人のニーズを感じとっていて表情を見ている現場の介護職が判るはずなんです。

客人 私も老人が「無理してトイレに行くよりこのオムツなら着けてもいい」なんて言うなら使いたいと思うけど、まだそんなレペルじゃないですね。

三好 オムツを売るほうは商売のためにつくり出した理屈だけど、こういうのに飛びつく現場の人には、排泄ケアなんて面倒なものは効率良く片づけて、残った余裕の時間でもっと意味のある介護に当てよう、なんて気持ちがあるんだろうと思いますね。

でも排泄ケアが一番意味があるんですよ。やり方によっては屈辱にもなるだけに、逆に排泄ケアをちゃんとすることで自分を取り戻すことにもなるんです。ここにこそ時間と労力を充てなくてどうしますか。

客人 これですっきりして職場に戻れます。


2000年9月  “呆け予防”に悩む保健婦との会話

客人 役場の保健婦をやって二十数年目になります。三好さんに質問したいことがあってやってきました。

三好 はい、どうぞ。

客人 近隣の町村で保健婦が中心になって、呆けの予防活動というのに力を入れるところが出てきました。“浜松方式”と呼ばれる、かなひろいテストなんかをやって呆けの早期発見をしようという取り組みです。

彼女たちが言うには、寝たきりや呆けの介護も大事だけど、予防活動にこそ保健婦のアイデンティティがあるのだから、呆け予防をやらなきゃ保健婦じゃないとまでは言わないけれど、かなり圧力を感じるんですよ。でも私はどうしても、こうした取り組みはピンとこないんです。それはどうしてなのか、私はどうしたらいいのか、三好さんに整理してもらいたくて来ました。

三好 まず、呆け予防に飛びついた保健婦さんって、老人の問題にちゃんと入り込んできた人は少ないですね。私の知る範囲では、寝たきりや呆け老人とその家族に対して積極的に取り組んでた人はいないですよ。

客人 そういえばそうです。

三好 この“呆け予防”は、そうした人には救いだったと思うんです。脳卒中予防活動もデータ的には効果を挙げていないし、各種の検診も効果のないことが実証されて批判が強くなっているでしょう。でも老人介護に入っていくには「予防してこそ保健婦」という建て前が邪魔をしてしまう。そこへ「呆けが予防できる」なんて話がやってきたから、アイデンティティを喪失している保健婦ほど飛びついた、というのが現状ですね。

客人 当たってると思うわ(笑)。

三好 そうだとしても、問題はこの活動が意味があるかどうかですよね。

客人 そうです。そこで“浜松方式”に関する本を何冊か三好さんにお送りして読んでもらったんですがいかがでしたか。

三好『脳が壊れるとき』(浜松医療センター副院長・金子満雄著)『ボケません私の老後』(同臨床心理士・高槻絹子著)の2冊を中心に読みました。これがなかなか面白いんです。

客人 あれ、批判してもらおうと思って読んでもらったのに(笑)。

三好 まず、これまでの医療の側の痴呆論が脳の萎縮とか変性といった器質的変化に原因を求めているのに対して、脳の機能に原因を求めていることが評価すべき点の1つです。従って「アルツハイマー型」という表現で、器質的変化によって起こる「アルツハイマー病」と同じように扱うことに異議を唱えていますし、「脳血管性痴呆」という概念にも否定的です。

脳卒中そのものではなく、その後の「ぼんやりした暮らしそのものがボケの原因」だと言っています。これは竹内先生の「閉じこもり症候群」こそ呆けの原因だという考えや、私たちの「生活障害」「関係障害」が原因だという主張と同じだと思います。このあたりは全面的に共感できます。

客人 じゃあ私たちも「かなひろいテスト」をマスターして早期発見の取り組みをすべきなんですかね。

三好 いや、そんなことは言ってません。面白いことに、この「かなひろいテスト」の結果が呆けの判定に効果があるんだということの実証として、本の中で、テスト結果と個々の生活実態とがよく合っている、と繰り返し主張しています。ということは、生活実態をちゃんと見ている人であれば、呆けの判定は早期からでもできるということなんですよ。

客人 テストなんかするより訪問してれば判るはずですよね。

三好 そう。私たちが提案してきた生活の評価、特に生活空間の狭小化が起きてないか、そして関係障害が起こっていないか、つまり人間関係が乏しく一方的になっていないかという点を見ているなら早期発見できるはずなんです。

わざわざ特別なテストをしなきや判らないというのは、病院の診察室でしか人間を見られないとか、生活実態に入り込むことをやめてしまった保健所なんかが、やむなくやる方法でしかないでしょう。

客人 そうか。机についてる時間の長い保健婦ほどこのテストをやりたがる理由が判ってきました。現場で飛び回ってる人はそんなこと言わないもの。

三好 そう。訪問に行って、生活障害や関係障害が起こってるなと思ったら、すぐに機能訓練教室やデイセンターに誘ったり、幼なじみのお年寄りに訪問してもらったりしているじゃないですか。テスト結果が出る前にすでに治療に入っているのが現場のやり手の保健婦ですよ。

客人 そうか。私がやり手かどうかは別にして、これまでやってきたやり方でいいということですよね。安心しました。ただこれだけは言っておきたいんですけど、この“浜松方式”を推進したいあまり「呆けたらもうおしまいだ」なんてことを平気で言うんですよ。
呆け予防のために呆けの人への差別意識を煽ってるんです。「呆けは虫けら以下」みたいな表現までする人もいると聞いてます。これはやめてほしいですね。

三好 呆けの原因が生活実態だからこそ、今さら生活を変えられないで進行していく人もいっぱいいるんです。でも、深い呆けに至っても二コニコして落ちついてる人はいっぱいいますよね。せっかく脳の器質から機能へと目を移しだのなら、さらに脳の機能がなくなっても生活していける方法論にまで踏み込んで欲しいと思いますね。

 火事を防ぐために防火活動をするのは大切です。でも、火事で燃えているのをそばで見ていて「あんなにならないように気をつけようね」という人を誰が信用しますか。すぐ消火と人命救助に駆けつける人こそ信用できるんです。さあ、一番困っている最も深い呆けと家族のために必要なケアをつくりだしましょう。その中からこそ予防の方法論も見えてくるはずですから。


2000年9月 講演録 下村美恵子 演劇空間としての痴呆老人ケア
   福岡・宅老所よりあい 代表下村恵美子

私は高校時代は芝居をやってました。今でも芝居を見るのは大好きですし、芝居を見られないときは映画をよく見に行きます。皆さんも、ぜひ芝居とか映画とかと親しまれたらいいと思います。だって、自分以外のいろんなことを体験できるでしょう。

ぼけの世界っていうのは、自分じゃない、相手が思ってくれている自分でお年寄りとつき合えることですよね。同窓生だったり、恋敵のトシコさんであったり、その時、その時でいろんな役をくれるわけです。今日はお年寄りとどんなふうにつき合っていくのかっていう役回りをもらうことなのだと私は思っています。

下村美恵子 プロフィール ●下村恵美子(しもむらえみこ)
1952年8月15日、福岡県粕屋郡生まれ。3人兄弟の長女。 母の看病のため金融機関のOLを辞め、母の死後、日本福祉大学へ。 実習やアルバイトで、医療に幻滅し老人介護の世界に。「自分たちが入りたくなるような老人ホーム」を目指すが、管理主義的な運営と過労で肉体的精神的苦痛から退職。
特養の仲間2人と宅老所「よりあい」を設立。同代表。三好春樹氏いわく「ヨウカイ度認定5」。しかし、博多弁の威勢のよさにはきめこまやかでほんとうのやさしさがある。 お年寄りのアイドルたるにふさわしい。カラオケの熱唱は一聴の価値あり。
宅老所「よりあい」
福岡市中央区地行1-15-14 TEL 092-761-4260


プロが仕事として関わろうとする醍醐味っていうのは、本当はここにあるんだと思うんですね。ぼけを常識の世界に封じ込めないで、そのぼけの世界にどんどん白分たちを連れていってもらう。その中でその人が住んでる世界を一緒に見る、一緒に体験するだけでお年寄りは生き生きとしてこられます。

お年寄りは、どんどん過去にさかのぼって、自分が一番居心地よかった人生に確実に返っていかれます。一緒にタイムマシンに乗っていくっていうんですか、これがいい。これがあるからおもしろくて、不思議だと思います。「こげん、おもしろか人たちはいない」っていうのが、つきあってきた私たちの実感です。

だから、ぼけがない人とつき合うのは、えらいしんどいです。ぼけのお年寄りが一人いると、問題老人になったり、問題行動になったりするけど、それが2人、3人、4人、5人といらっしゃると、花もどんどん咲いてくるし、たわわな実がなるような世界ができあがる、そんなことを思います。

「やっと迎えに来てくれたか」

特養で出会った方の話をします。シズさんていいます。戦後三十何年、病院でずっと働いてきた人です。福祉事務所から連絡があって、「大ぼけさんなんですけどいいでしょうか」って言われました。「大歓迎ですよ」って言って、その病院に行きました。

ベッドがカラッポなんです。「シズさんはどこですか?」って横のベッドのおばあさんに聞くと、「廊下でかっぽう着着てうろうろしようじゃろうが、あれがシズさんたい」って……。「はあ、掃除しよんなさるですか」「一日じゅうあげんして掃除しよござる、まだここで給料もろうて雇われとるぐらいに思ってしゃるもんね、給料出なくなって十何年なっとったい」って、言われました。
私が「シズさん」って声かけたら、「あんた、やっと迎えに来てくれたか」って言われるのです……!。初めて会ったんですよ。「迎えに来てくれたね」って言わしやった。これは、しめたと思いましたね。だれかと勘違いしていらっしゃったのです。

最初、お年寄りと会ったときに、私をだれと思ってくれるかってのは、けっこうドキドキすることですよね。初めて会う人と思われたら、そこから関係をつくっていかんといけんですけど、だれかと勘違いしてくれてるっていうのは絶好のチャンスでしよ。それがだれなのかは、また別の問題なんですけど(笑)。

「はあ、お迎えきました、遅うなってすいませんでした」って、私は答えました。「また、あんたがあんまり遅かったもんで、わたしや、こげんしてまだ働いとうに…」って言われたとですね。「なら、行こか」っておっしゃったけん、「すぐ行ってもよかですか?」って聞いたら、「もう長いこと待っとったけ、はよ行かな」って言って、スタスタと歩いて行かれました。

シズさんは、その病院の厨房の皿洗いの仕事を、三十何年間やって生計を立ててきた人でした。病院の裏に小さな四畳半のアパートを借りていたんですけど、ぼけが出始めて、一人では火事が心配だということになりました。

でも、そこの院長先生がすごくいい人で、病院のベッドに寝て、厨房に働きに行きなさいって言ってくれたみたいなんですね。そんなお医者さん今、いますか。そげん言うてもらって、厨房に行っていたのですが、厨房でも仕事にならなくて、廊下がシズさんの仕事場になっていたようです。

「それは私の仕事やけん」

福祉事務所の人と一緒に荷物を運びました。幾つあったと思いますか?ダンボール55箱です。
シズさんには「うちの若か人たちは、気が利かんけん、シズさんの長年のお仕事の経験で若か人ば鍛えてください」って言ったら、「私もそのつもりでおるたい、まかしときんしゃい」って言ってくれました。

シズさんには、やっぱり、ここで自分が切り盛りして働いてきたっていう意識があるので、こりゃよかったなと思いましたね。私のことを仕事を斡旋した人と思ってたんでしょうか。「頼んどった人がやっと来てくれた」って言われましたが、夢の中で見た人と私が似とったとでしょうね。

さて、シズさんの55箱の荷物をどうしようかなと思いました。新設の老人ホームでしたから、まだ倉庫がだだっぴろかったので、そこに40箱ぐらい詰め込んで、彼女のお部屋のベッドサイドに十何箱全部、どんどん詰め込みました。

彼女が給料をどうしてたかっていったら、全部洋服につぎ込んでたんです。だから、和服から、毛皮の襟巻きから、コートから、立派な洋服がたくさんありました。お金はほとんど残してなかったです。

ホームにきてから彼女は私を「お母さん」と呼び出したんですね。食事どきになると、お年寄りがテーブルについてきんしゃるんですよね。私が銘々のテーブルに行って、お茶をくんで、どうですかって声かけて回ったりしてたんですけど、シズさんが私の横にきて、「お母さんがそんなことしちゃいけん、それ私の仕事やけん、私の仕事とらんとって」って言われたんですね。
「そうね、ごめんね」って言って、それからはシズさんがしゃなりしゃなり和服着て、ずーっとお茶を配って回るようになりました。

「一回もお給金もろとらん」

夕方ちょっと薄暗くなる頃から、シズさんのお化粧が濃くなります。真っ暗になったときには、お化けかなって思うくらいに濃くなるんです(笑)。真っ赤っかな口紅をつけて、目の周りをどんぴしゃり青く塗って、「うわー、化け物だあ」って聞こえないようにみんなで言うてましたが、洋服は夕方から夜にかけて20回から30回着替えます。

ここをどこと思っとるちゃろかと思ってましたが、一か月ばっかして、やっとなぞが解けました。ある日、私がお部屋に行くと、「お母さんここへ座って」って言われるので、座っとたら、シズさんは寮母室に行って、「お母さんが私の部屋に来てなさるけん、お茶とお菓子、はよ用意して」って、寮母さんたちに言いしゃったんですね。

彼女の世界でちゃんと一緒に遊べる人がいるときはうまくいくんですけど、遊べん人ばかりが周りにいる時はうまくいかんです。遊べる人間が一人でもいると、「シズさん、わかったよ」って言って、ぱっとお茶とお菓子と用意してくれます。
シズさんは、「ここに来てお給金一回ももろうとらん…」「お給金ね、すぐ用意するけんね」って言って、それを何回か繰り返しました。

「私、今月客少なかよ」

私が今福岡で一緒に「宅老所よりあい」をやってる永末里美がその時は副主任寮母だったのですが、シズさんにとっては彼女が一番のライバルのようでした。なんでかっていうと、彼女にとっては、この永末が、寮母さんの中で一番美人と思った女性だったからです。

永末は、とっても男らしい女なんですけど、色が白くて京人形のようなので、みんな容貌にだまされるんです(笑)。シズさんは、この永末をすごくライバル視してて、彼女にすーっと寄ってきて、「あんたお給金幾らもらいんしゃった?」って言うわけですよ。

「私は今月3,000円もろうたよ」って言いよるわけですね。お給金、お給金ってずーっと言わっしゃったけん、やった方がよかっちゃないってことになって、封筒を用意して、彼女の年金から出してきた1,000円札を5枚入れて持っていきました。

そうしたら、こそっと、便所に行きんしやったんです。便所ですーっと見て帰ってきて、私に「おかみさん、1枚多い」つて言って、1,000円返しんしやったんですね。「あら、どうして?」って言ったら、「私ね、今月客が少なかよ」って……。はっとしました。

シズさんが輝いていた時代へ

そんなことでわかったのは、シズさんにとってこの老人ホームは若い時にいたらしい花街にいるつもりだったということです。彼女はそこのナンバーワンだったらしいということがわかってきました。私は、そこのおかみさんだったんです。

illust 彼女はとても色が白くて、肌がピンク色で、入浴なんかしてもらうときもすっごい恥ずかしがっちゃって、長禍絆で身体を隠すようにもうしゅしゅしゅしゅって感じでお風呂に入られていました。老人ホームに来たときには、厨房のおばさんだったのに、来てしばらくすると、いつのまにかこげんなっとるけん、特養っていうところがそういうふうに見えたんやなと思いましたね。

後で、福祉事務所の人から聞くと、十幾つのころから花街で働いてきんしゃったみたいです。赤線で働いていた時期の思い出っていったら、私たちから想像するとすごい悲しかったんじゃないかって思うじゃないですか。

だけど、お父さんもお母さんも早くに亡くなって、自分が食べていくすべっていったらそれしかなかったわけですよね。そんな世界だけど彼女にとってはナンバーワンのときの華やかりし、いい時代として記憶に残っていたんでしょうね。

彼女にとっては、寮母さんたちは全部ライバルなんです。ああ、すごいなと思いました。彼女と一緒の世界でつき合ってくれる寮母さんが、その日何人いるかで、彼女の混乱が左右されるのです。
施設長の息子の指導員が、ときどき2階にある居室に上がってくるのです。すると、シズさんが、「ああ、まともな男が来た」って言って、すーっと寄っていって、手をふっとつかんで、しゃなりしゃなり自分の部屋へ連れていこうとするのです。

連れていかれる指導員は、黙ってついていきゃいいものを、「気持ち悪いな、勘弁してくれ」ってはねのけたりするのです。「あんた、給料もらいよろが、抱きかかえてキスの一つだってしてみい、これも仕事のうちたい」。
彼は、「気持ち悪うてしきらん」。いつもそれで言い合いになっていたのですけど、ばあちゃんの身体も抱けない指導員でどうする!

本当のことを教えるって何だろう

その特養ホームは、経営者が、オムツをこれ以上替えるなとか、経営のことばっかり考えるようになってきて、若い人からどんどん辞めていきました。そして、お年寄りに向かって「あんたは、ここ追い出されたら精神科の病院よ、ここは老人ホーム!」って、怒り飛ばすようなどうしようもないおばさんが入ってきました。

後で聞いた話ですけど、そのお年寄りを怒り飛ばす、一番先頭に立っとった人が、痴呆性老人の県の研修施設の寮母長やった人です。その人は「本当のことを教えないかん」っておっしゃるんですけど、本当のことを教えるってどういうことやろかなって思いましたね。

本当のことを教えてお年寄りを混乱の世界に追いやっていくのは、たやすいことです。痴呆のお年寄りがどういう世界に住んでて、どんなふうに「今」を生きてるかっていうことを感じられない、感じようとしないっていうのはプロとしても失格だし、一人の人間としての感性も疑ってしまいます。

介護専門学校の学生が20人ぐらいでよりあいへ見学に来ました。最後に質問ありますかって聞いたら、「痴呆のお年寄りばっかりだそうですけど、徘徊は日に何人が何回ぐらいなさいますか」「帰宅願望があられる方は何人いらっしゃいますか」「放尿はないですか」とか、「専門用語」でそういうふうに言いしゃったんです。

「徘徊っちゃあ、意味なく歩くちゅうことやろ、うちは散歩する人はおります、徘徊する人はおらん、みんな理由があるけん、出て行きんしゃるだけの話で、ここが人の家と思ったらやっぱり出ていきんしゃるわさ、あまりそげんな言葉使わんがよかよ、わかったふうに思っとってちっともわかっとらんやろうが」って言ったんですけど、言ってるうちにだんだん頭がカッカカッカしてきて、「家に帰りたいっちゃ、当たり前の話やろうが、あんたも今日から一週間ここ泊まれって言われたら、帰りとうなかね」って言うたんですよね。「いや、帰りたいです」って……。

「そうやろが、あんた、80年も90年も生きた人が、家で家族と住めんことになって、しぶしぶここに来とんしゃってね。私たちがここで何やかや言うわけでしよ。帰りたいと思いしゃっても、雨も降りよりますけん、雨がやんでから行きなされですかとか、おいしいお菓子がありますけん、おいしいお菓子とお茶ば飲んで、一息されて行かっしゃれんですか、明日になったら私たちが車で送りますけん、今日はちょっと一晩泊まっしゃれんですか、そげんやって言いながら一週間、一か月過ぎていって、いつのまにか毎日1分単位で出て行っとった人が一か月たったときに30分単位になって、一年たったら一か月に何回かしか出ないような感じになっていきんしゃる。
私たちの嘘をちゃんとわかっとって、この人たちがこげん言うてやりようしゃるけん、そりゃ、ちょっとおってみようか、おってやってみようかって、どこかで折り合いをつけてここにおってみようかと思ってもらえる」という話をしたわけです。

彼らは「はあー」って言ってましたけど、こういう関係がわかる介護職に、若い子がなってほしいと思ったですね。

ここにいてもいいんだと思える場をつくりたい

徘徊だ、帰宅願望だ、やれ異食だとマスコミも含めて大騒ぎしているけれど、ぼけるっていうことは、老いることの自然な姿だと思うんです。ぼけを特別な病気であるというふうに位置づけてしまうと、特別な施設をつくって、特別な治療を工夫していって、特別な訓練と医療と薬でもって、お年寄りをなおさらぼけの世界に追い込んでいくような、そんな気がしてならないんですよ。

今までの痴呆のお年寄りに対するアプローチの仕方、特に医療の側から見たお年寄りを痴呆の病気をもつ患者さんとして仕立てあげてるところのアプローチの仕方っていうのは、まさにこれだったような気がするんでね。

専門病棟とか痴呆専用棟に行くと、一切その人の個人のものを周りに置かない。混乱の原因になるから、トラブルの原因になるからって言われますけど、自分が自分でなくなっていくという道を歩んでいる人たちだからこそ、自分につながる思い出の品をベッドいっぱい置いてやりたいと思います。

トラブルも起こるでしょう。起こるかもしれないけど、混乱した人をより混乱の世界に追い込んでいくよりは、はるかにすてきなケアができるんじゃないかなと思いますね。問題を問題としてとらえて、問題老人に追いやっていくケアではなくて、一緒にその世界を遊べるような、そんな関係がすごくおもしろいなと思いながらやっています。

ケアの出発点は笑顔です。最終目標も笑顔です。自分たちが目標にする生活介護の到達点っていうのは、そこだと思うんですね。笑顔が出ればご飯が食べられるようになります。飲み物も入ります。笑顔が出るということは、ここにいていいんだよ、みんなの仲間だよという場をつくれたということですから、食欲もわいてくるし、食欲がわけばオシッコもウンコもちゃんとトイレで出るようになるし、身体のリズムが戻ってきます。
一緒に笑える関係をつくるということがすべてのケアにつながっていくと思っています。
      ( 2000年3月18日「痴呆性老人との関わり学研究会」
               (北海道)での講演より抜粋 )


2000年7-8月 介護夜駄話 「抑制廃止宣言」について

客人 2か月ほど前に三好さんの講座を初めて聞いて、目からウロコ状態で会場で本を買って読み漁っている病院の看護婦です。いきなりこんな役になってしまっていいんでしょうか。

三好 そのほうがいいんです。何年もお付き合いしていただいてる人だと、今さらそんなこと聞けない、なんて気持ちになったりするんで、新鮮なうちに率直に質問してもらうほうが読者を代弁することになると思いますよ。

客人 じゃあまずは、いま看護の世界では「抑制廃止宣言」なんてのを出して「縛らない看護」というのがマスコミでも取り上げられてるんですけれど、三好さんはどう評価してるんでしょうか。

三好「今さら何言ってんだろう」というのが正直なところですね。

客人 あ、やっぱり(笑)。

三好 介護の世界では30年前に特養ホームができて以来、縛らないというのは当たり前だったんです。病院と違って法的に縛れないし、シロウトの寮母たちはそんなこと考えもしなかった。その代わりにいろんな工夫をしてきました。

ベッドから落ちる危険があるのなら、ベッドから出して畳を敷いたり、食欲がないのなら近所のうどん屋に連れて行ってみたり。そこから老人介護は始まったんです。縛れるところからは生まれなかった。

客人 オムツ外しもその一つですよね。

三好 そう、不潔行為をして困るから抑制しよう、というんじゃなくて、オムツにしなけりや不潔行為もないんじゃないか、ということで、初めて「排泄ケア」が生まれた。それまでぱ汚物処理”だったんです。

客人 看護界の「抑制廃止」にはそうした具体的な方法論の豊かさはないんですよ。

三好「縛っちゃいかん」という理念だけが強調されてますよね。だから、裏では「そんなことできっこない」とみんな言っていますね。

客人 よくご存知で(笑)。「抑制廃止」の病院に行ってみたら、車イスにみんな縛られていたり、薬でおとなしくさせられていたり。

三好 特養の寮母たちが30年前にやった時点からもう一度やろうとしてるんだけど、具体的方法論の工夫がないという点ではもっと以前のレペルじゃないでしょうか。

客人 そうした工夫を看護という世界はもっていたし、もっていると信じたいんですけれど、どうしてなくなってるんでしょうか。そしてどうすればいいんでしょう?

三好 一つは具体的方法論をちゃんと生理学的根拠に基づいて提起することでしょうね。オムツを外して、口から食べて、チューブが不要になれば大半の抑制は不要になるはずですから。

客人 生理学的根拠というのは大切なところですね。病院のスタッフは「老人ホームでやってる方法」というと「うちは病院だから」と言って学ぼうともしませんから。

三好 医療も看護も介護から学ぼうなんて夢にも思ってない。だから、病院がつくる老健施設なんか30年も前のレベルからスタートしてしまうんです。その生理学に基づいた方法論と、もう一つは、これは私がなぜ『関係障害論』(雲母書房刊)を書いたかということになるんだけれど、やはり人間観が変わらないとダメだと思うんですよ。

客人『関係障害論』で述べられている、足し算の関係論から掛け算の関係論へ、ということですね。あれ、スーツと判りました。これまで何となく、でも、ずーつと疑問に思ってたことを判りやすく解説してもらった感じ。もう、便秘が治ったみたいな気持ち(笑)。

三好 現場で矛盾を感じている人ほど判ってくれるみたいですね。大げさに言うと、近代的で合理的な思考が、具体的方法論を貧しくし、さらに近代的人間観が、縛ることに抵抗をなくし、むしろ理由づけをしてしまってるんですよ。

客人「近代」とか言われると急に判りにくくなるけど、それは身体としてだけ見るということですよね。

三好 そう、さらに心理を付け加えても、個体としてしか見ないという見方です。これは根が深い。

客人 じゃ、「抑制廃止宣言」したって夜明けは遠い?(笑)

三好 うん。それにしても先日の朝日新聞に「身体的拘束ゼロ作戦」のシンポジウムが開かれたという記事があったけど、その見出しに「やめよう、縛る介護」とあっだのには、腹が立った。介護は縛ってないですよ。
縛ってる施設もあるけれど、そこは医療色の強い施設で、看護婦の指導で縛ってるというのがほとんど。「やめよう、縛る看護」とすべきじゃないか、と抗議してやろうかと思った。

客人 でもそれって、今や看護まで介護という分野に含まれてしまったからそういう表現になってるんじゃないでしょうか。一昔前だと、看護の下に介護があるとか思われていたし、看護の中に介護が含まれるなんて言い方を看護協会の人なんかもしてだけど、今や完全に逆ですよね。
だからそういう見出しになってるんだと思いますよ。

三好 そうか。じゃ、そう解釈して抗議はやめておこう(笑)。

客人 関係障害論を聞いて次の日病棟に行ってちょっとした変化があったんです。病棟一の問題老人に興味が湧いてきて、私何かと世話を焼いたみたいなんですね。するとその人の私を見る目が優しいんですよ。

少なくとも私にとっては問題老人じゃなくなったんです。あ、こんなものなんだ、と思ったですね。それまでは老人が変わるか、職員の数が増えて看護体制を変えなきやダメだと思ってたんだけど、一人ひとりが変わるという方法があるんだ、と気づいたんです。これからも追っかけをしますんで、よろしく(笑)。


2000年7-8月 ブリコラージュ・インタビュー 下村恵美子
【あなたに逢いたかった】 インタビュアー:宇佐神武捷

●今回は…下村恵美子さん宅老所「よりあい」(福岡市)代表
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いま、全国に宅老所が増えている。前回の稚内「ひだまり」もそうだが、“お年寄りが、自分が生まれた地域の、より近いところで年をとって、ボケても障害が出てきても普通に暮らして、普通に死ねる”。そういうケアをしたい。宅老所にはその思いが込められている。

下村恵美子さんたちが9年前、福岡市につくった宅老所「よりあい」はその草分け的存在である。宅老所「よりあい」の実践は、さまざまな機会に紹介されているのであまりにも有名だが、ここでは、下村さんが「よりあい」をつくるに至る経過を紹介しながら、下村さんのお年寄りへの思い、ケアに対する考えにふれてみたい。
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下村恵美子画像 ●下村恵美子(しもむらえみこ)
1952年8月15日、福岡県粕屋郡生まれ。3人兄弟の長女。 母の看病のため金融機関のOLを辞め、母の死後、日本福祉大学へ。 実習やアルバイトで、医療に幻滅し老人介護の世界に。

「自分たちが入りたくなるような老人ホーム」を目指すが、管理主義的な運営と過労で肉体的精神的苦痛から退職。
特養の仲間2人と宅老所「よりあい」を設立。同代表。三好春樹氏いわく「ヨウカイ度認定5」。しかし、博多弁の威勢のよさにはきめこまやかでほんとうのやさしさがある。 お年寄りのアイドルたるにふさわしい。カラオケの熱唱は一聴の価値あり。
宅老所「よりあい」
福岡市中央区地行1-15-14 TEL 092-761-4260
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トセさんのこと

「お年寄りのボケの世界にすっと手を取ってもらって一緒に入っていける。こんなおもしろいことはありませんよ。プロが仕事として関わろうとするときの醍醐味はここにあるんだと思うんですね。
ボケを常識の世界に封じ込めないで、どんどんどんどんボケの世界に自分達を連れていってもらって、その人が今住んでいる世界を一緒に見ていく、一緒に体験する。そのことをトセさんと付き合って知りました」。

トセさんは、下村さんの母方の祖母。下村さんが金融機関に勤め、お金を相手に忙しく仕事をしているときにボケが始まった。「トセさんは働き者で通ってきて、周りからも尊敬された人だったんです。娘達もみんな尊敬しているんですけれど、それがなにもわからなくなってしまった。

実の娘は、情けなさが先にたって、何とかしてもとの毅然とした母に戻したいという思いから、どんどん教育して連れ戻そうとする。そういう中でトセは、『あれは娘やなかと、赤鬼やってきて一日中うちを怒鳴りつける』と。そして問題もどんどん起こりました」。下村さんは、ボケの人を自分達の常識といわれる世界に引き戻そう、引き戻そうとするから、問題がどんどん起こってくることを知った。

「一番おもしろいと思ったのは、その日によって年齢が違うことです。今日はトセさんがいくつになっているかというのが私たち孫の一番の関心ごとで、それによって自分達がどう付き合うか、探っていけばいい。
ほんとうの今の自分でない、相手が思ってくれている自分として、バアチャンと付き合うわけでしょう。孫でない私、同窓生であったり恋敵であったり、なんかいろんな役をくれるわけですよね。だから、それで今日はどうバアチャンと付き合ってみようかっていう役回りを演じるわけですね。
私は高校時代から演劇をやっていました。主演女優賞にはなれなかったですけど、脇役で賞をいただけるくらい鍛えていただいたのがトセさんじゃなかったかなあと思っています」。
自分以外の他人になれる。トセさんとつきあうことで、演劇の世界でしか味わえなかった世界がまた広がる。おもしろいと思った。

福祉を志して

お母さんがガンで闘病生活を続けていた。痛がるので、仕事が終わってからさすり続ける毎日だった。どうも危ないらしいということをお父さんから聞き、仕事を辞めて付き添った。それから3か月ほど後お母さんは亡くなった。

「ほんとうに痛がって、家に帰りたがってしょうがないのに、私も若いし、父も仕事をしているから、連れて帰って看護するっていうことにならなかった。今だったらいくらでもできるけど…。チューブがついて、薬がころころ変わるというなかで、病院で死なせちゃったんですけど」。

働かなくてはならなかった。いろいろアルバイトをしてみたりしたが、生きた人相手の仕事をしてみたいと思うようになった。精神科のソーシャルワーカーを目指すことにした。昼間働きながら、日本福祉大学の夜間部に通った。

「いろんなところに見学や実習に行って、精神科の老人病棟でも何か月か働かせていただいたけど、ちゃんと自分の足で歩いて入ってきて、その人らしい顔つきで洋服もちゃんと着て入ってくるのに、1週間、2週間、1か月たったら、もうみんな同じになっちゃうじゃないですか。

実習に行ったある病院では、音楽療法の大会に出るために練習をしてました。毎日毎日2時間ぐらい、楽器持たせて。私なんか、一緒に座っていると臭いが気になってしょうがない。ここでカスタネット鳴らしているよりかトイレに連れて行ってオムツ替えてやったほうがどんなに気持ちいいだろうと思って、それしようとすると余計なことしちゃだめっ、今はみんなで訓練しているんだからって言われた。

職員さんたちはすごく熱心だし、そこの先生もすごく良心的でいい先生だといわれている病院だったのだけど、こういう世界だとボケってもっとひどくなるよねって思った。それで、私、医療は合わないわと思ったんですよ」。

在学中に結婚、しばらく別居結婚を続けたが、事情で大学は中退、福岡に帰った。その後通信教育で卒業資格をとり、初めての社会福祉士の国家試験を受験、九州で2人という難関を突破したが、それを就職に生かすのは難しかった。

「どこも雇ってくれない。今考えれば当たり前なんですよ。経験もない、もう30半ばのおばはんがよりによって国家資格持ってやってくるなんて、使いづらいよね。何の役にも立たない。20近く就職活動して、やっと入れたのが、デイサービスのパートの寮母だったんです」。

12年前のことである。デイサービスの寮母としてB型のデイサービスだったが、ボケの人も必ず引き受けたし、障害が重くて車イス、でほとんど自分じゃ何にもできないという人もどんどん受けていた。他のB型のデイサービスは、老人クラブのお年寄りを集めているようなものが多く、車イスの人やボケの人が7、8割を占めるデイサービスなどどこを探してもなかった。

「施設長に言って、だ一ってゴザ敷いて、お年寄りを車イスから全部降ろして、みんなはいつくばってセリ採るわけですよ。若い職員はどれがセリかわからないけど、年寄りはちゃんとセリをわかってね。採って、厨房でゆでてもらって、切れるだけにして『今日おばあさんが採ったセリです』って持って帰ってもらうと、家族はじゃあ今日の夕飯に使いますとか言ってくれるわけでしょ。そうすると、おばあさん達の顔もちょっと違う」。

そのうち「ご先祖様の墓参りがしたい」というおばあさん、「喫茶店でコーヒーを飲みたい」というおじいさんも出てくる。墓参りに行った。近くの何軒もの喫茶店に車イスを連ねて遊びに行った。デイサービスの中庭で、みんなで餅つきをやったり、焼肉の鉄板を持ち込んで焼肉パーティやって昼間からビールで乾杯したり、そんなことをやり始めた。

そうこうしているうちに、近くに特養ができることになった。施設長の推薦で、指導員として勤めることになった。特別養護老人ホームの指導員として50床しかない特養に10部屋個室があった。監視カメラがあり、トイレはカーテン。灯りも一斉点滅。電子ロックでドアが閉まり、中からは鍵が開けられない。まさに独房だった。

「これはなんとえらいところに就職してしまった」と思ったという。一緒に入った人のなかに下村さんと同じように感じた人が何人かいた。顔色でわかって「ああ、この人は一緒にやれそうだと思って、3人くらいチェックして」。

向こうもこの指導員は話せそうだって思ったらしい。下村さんたちはまず、個室を改善し、元気な、自立した人から入ってもらうようにすることから始めた。「50人のうち10人分の個室があるなんて夢のような話じゃないですか。だから、みんな喜んで、元気な人からどんどん入りました」。

新設の特養だから日課も行事もない。だから1年そのままやってみようということにした。「お年寄りが自分らしく生活するのを、自分たちの専門的ケアと称することでどんなにぶち壊しにしているか。いたらんことせんということが、お年寄りにとっていかに大事かっていうことをすごく感じました」。その結果、ほんとうにすごいことが起こった。

16年間、病院を転々としてきた寝たきりのSさんが3か月くらいで起きられるようになったのである。起こしてポータブルトイレに座ってもらった。山のようなうんこがとぐろ巻いて出たという。バケツの中いっぱいになったうんこを見て、病院看護助手をしていたスタッフが驚いた。

そして、そのうんこを寮母さんに見せて回った。側にいた奥さんが「うんこをしてこんなに誉められてよかったね、お父さん」と言うと、これまで表情に変化のなかったSさんがふっと笑った。また、痴呆専用の病院で監獄のような個室にずっと入れられていたMさんは、腕力が強い人で暴力が出てしまう。オムツを替えるのも3人がかりだった。

下村さんはとにかくMさんとひたすら歩いた。そうしていると、言葉は出ずまったくコミュニケーションがとれなかった人が、数を数え始めた。数が出たら今度は五十音が出てきた。そして歌を歌い始めた。Mさんが一番好きな「青い山脈」。奥さんに「今日歌われました」つて言ったら「奇跡です。やっぱり病院と違いますねえ」と涙をぽろぽろ流された。

「ボケのお年寄りのケアは結局のところ、横に座って同じ風景を見るとか同じ話を一緒にするとか、横に一緒にいることやないかなあ。一緒にいるというところから始まる。そういう体験していくと職員もどんどん変わり始めるし、すごくおもしろくやれていたのにねえ…」。

特別養護老人ホームの寮母として

いい状況は長くは続かなかった。当初の隔離個室が復活、管理主義が横行するようになった。Mさんが暴力を振るったということで閉じ込められた。オムツの使用枚数が制限され、外出も制限され、寝たきりが温存され、効率主義が進められるようになった。寮母が次々に辞めていった。

そしてある日、下村さんは園長から「明日からあんたは寮母だ」と言われる。「特養の寮母は今しか経験できないなと考えて寮母をやることにしました。でも、欠員のなかの夜勤が続き、夜中にオムツを替えているときに、もともと悪かった腰がグキッていってしまったんです」。ある寮母は夜勤のナースコールを切って、時間を決めてオムツ交換するようになっていった。

老人病院でやっていたようなケアがだんだん幅を利かせ始めた。腰痛をこらえながら下村さんは、何人かの寮母さんと必死になってこだわってやり続けたが、そういう状態の中では気持ちもささくれ立ってくる。腰も痛いし、自分もナースコールをとめてしまうのではないかという心理も働き始める。

「人相手の仕事をするときには自分が健康じゃないとおかしくなってくるなと思って、それで辞める決意をしました。お年寄りの家族から散々言われました。『あなたまで辞めるのか』『あんたらは辞められるからいい。だけど、ここを頼って来た家族と年寄りは逃げられない』つて。

ちゃんとやれなかったっていう負い目もありましたし、すごいグサッときて、かなり悶々と悩んで。でも、しょうがないですよね。で、辞めました。この世界からは足を洗おうと思ったんですよ」。しかし、下村さんは足を洗わなかった。

ひまになったので前から行きたかった三好春樹さんのセミナーに行った。そこで、やっぱり老人介護はおもしろい、やめられないと実感する。そして、「その人らしく、当たり前の生活を続ける」ために、自分が生まれ育った地域で、家庭的雰囲気の小規模なホームだったら、お年寄りは心おきなく過ごすことができる。そうしたこじんまりした施設であれば、一人ひとりのお年寄りを主人公としてきめ細かなケアが可能だし、私たちでもやれると考えたのである。
かくして、特養の3人の仲間による宅老所「よりあい」が誕生した。

宅老所「よりあい」で

「よりあい」で亡くなった1人のおばあさんを紹介したい。この人の生と死こそ「よりあい」のあり方を示すものだからだ。「お医者さんのお母さんで、しばらく通っておられたけど病院のほうが忙しくなったのと、その人に大腸ガンがあって、夜の介護が難しくなった。『じゃあ、うちで泊まってもらうことにしましょうか』となり、泊まりが始まりました。

宅老所「よりあい」 しばらくして大腸ガンが転移して、寿命が3か月と診断されました。しかし、余計なことはしないで、このまま寿命をまっとうしたほうがいいということで、全面的に『よりあい』で過ごすことになったんです。それから3年生きられました。

全身にガンが転移していって、どんなに痛いだろうって想像するわけですよ。でも死ぬ2、3か月前まで痛いなんてほとんど言わなかった。日頃は疲れるので横になっていて、みんなの声や歌声なんかが聞こえると出て行く。『早春賦』がすごくうまいんですよ。

死ぬ3週間くらい前まで歌ってくれました。途中で脳梗塞を起こして入院した病院から、リハビリができてチューブで栄養管理できる老人病院に移しましょう、医療のない宅老所では無理ですって言われました。でも医者である長男さんが自分の責任で退院させると言って退院させた。

宅老所が彼女にとっては最高の生活だったから、死ぬまでいさせてやりたいと言って。管が何本も入っているのを全部管抜いてもらって車イスに乗せて『よりあい』に連れて帰ってきた。そしたらすぐにみんなが集まって食べている食堂の、昔いた位置に座って小さなおにぎりを5個、いいほうの手でむしゃむしや食べ始めた。

それをお嫁さんが見てて、病院では自分から食べようとしなかったのに、魔法が起きたみたいってびっくりされて…。私は宅老所に帰ってきたら絶対に食べられると思っていました。病院という特別な空間でなくて、当たり前の、人がご飯を食べるっていう環境といっしょにテーブルを囲む人間関係、そして、その人が食べられるものを用意すれば、十分食べられますよって言ったんです。

宅老所よりあい 息子さんは『神様はよくしてくれたもので、ボケを母に与えることで、その痛みを感じさせないようにしてくれてる。ボケっていうのは母にとってすばらしいプレゼントなんですよ』って言われた。最期が近くなって、息子さんが息があるうちに駆けつけたい。今だというときに必ず電話をしてくれって。

それで、駆けつけて来られて、じいっと見てて、今日は持ちそうだって言って帰られる。そういうのを4回か5回、繰り返したかなあ、もういよいよだと思って電話をしたのだけれど、ぽんと急だったんです。玄関の戸がガラッと開いた瞬間にふっと息を深くついて逝ってしまわれた。
だから、ガラツと開いたのをたぶん聞いて逝ったと思うんだけど…。中学生だったお孫さんもしょちゅう会いにきて弱っていくおばあちゃんと自分なりにつきあえて、死にゆく姿を自然に受け止めていたように思うのです」。

よりあえば花咲き実なるボケ満開

お年寄りが重いボケや障害があっても、住みなれた地域で、できるだけ住み続ける、家族も一緒に、ぎりぎりまで在宅で暮らせる。その先に泊まりがあったり、住み込みがあったり。そして、生をまっとうさせるまで。それが宅老所だ。

ケアの出発点は笑顔。最終目標も笑顔。生活介護の到達点はそこにある。笑顔が出るということは、そこにいていい、みんなが仲間だという場をつくれたということだ。もちろん、いい時ばかりでなくケンカもあるし、混乱もある。宅老所は狭くて小さな空間なので当然のことなのである。でも、一緒に笑えるような関係をつくるということが、すべてのケアにつながってくる。

「句をつくったんですよ。『よりあえば花咲き実なるボヶ満開』。一人でいるとだめなんだけど、よりあえば花もどんどん咲いてくるし、実もどんどんなってくるような。たわわな実をならすような、ボヶの世界を満開に開いていくような、なんか、そんなことって思いませんか」と言う、下村さんの笑顔がまたいいのである。

●インタビュアー:宇佐神武捷(うさみたけかつ)
労働団体の広報担当、制作会社を経て、現在フリー。「とうきょう地域ケア研究会」の事務局を担当する。下村さんのバイタリティーの源は、無邪気さと好奇心の旺盛さにあり。その人柄がお年寄りをも魅了するにちがいないと納得。


2000年6月 介護夜駄話 障害の定義が変わる 〈下〉

WHOが今年新たに提案している障害の定義は、ICIDH-2(国際障害分類第2版)と呼ばれる。 「フィールドテスト用草案日本語仮訳」によると、従来のIDH、つまり
I   lmpairments(機能障害)
D  Disabilities(能力低下)
H  Handicaps(社会的不利)
という表現に変更がなされている。 Iはそのままだが、DとHに対応する部分は、それぞれ、AとPになる。
A  Activity(活動)
P  Participation(参加)
これは、前号で私か指摘したIDHの持つ個体還元論的傾向から離れ、私たちが定義した「生活障害」「関係障害」という表現に近づいているように思える。活動とは生活の主体であることだし、参加とは、関係し、関係づけられていく相互的存在のことに他ならないからだ。

図2 私たちの障害の定義

だがこの草案の「活動」と「参加」の定義を読んでみてもこうした新しいイメージはほとんど感じられず、従来のDとHから脱却しているとは思えないのだ。この用語の変更は、障害についての差別的表現を避けたいという意図が主たるもので、それ以上のものではなさそうである。

Ability には「才能豊かな」というイメージがあって、Disability というと「才能のない」ということになってしまう。 Handicap となると、“帽子を手で持つ”即ち“物乞い”を意味するらしいから確かに不適当ではある。それにしても「差別用語を使うな」とか言って説教する人たちが、このハンディキャップという用語は平気で使っているというのはどうなってるんだろうね。

第2版に意義があるとすれば、こうした用語の変更ではなく、これらI、A、Pを、相互に関係し合うものとして双方向の矢印でつないだことになる。従来のI、D、Hは、I→D→Hとすることによって、あたかも因果関係であるかのように捉え、それが個体還元論をますます強くして訓練第一主義を作り出してしまった。

人間が生活の主体となり、相互的関係の中でこそ生きているのだということがスポイルされていたのである。それをWHOの原案では「諸次元の相互作用についての現在の理解」として、図③のように提出している。

図3

私たちの障害の定義(図②に再度示す)に似てきていることが判る。「活動」を「生活障害」に、「参加」を「関係障害」に置き換えてみてほしい。WHOの新しい定義で評価すべきもう1つは、図③で示されたように、出発点を「健康状態」としている点である。従来のIDHはDisease ordisorder(疾病または変調)から出発していた。

発病という特殊で非日常的なところから出発するのではなく、一般的で日常的な健康状態という文脈の中で障害を捉えようとするのは評価できる。だがここにも問題がある。健康状態という出発点が、障害とは無縁のところに位置づけられている点である。

障害者も障害を持って生活しているのである。また私たちも多かれ少なかれ生活障害や関係障害をもって生活している。たとえばパソコンを操れない私は、インターネットという場からの参加制限を受けており、パソコンとiモードを駆使するろうあ者と比べると特定の場面では障害者として存在する。

医者の多くは、医者同士でしか話が通じないという関係障害を有している。それは身体障害がないために顕在化していないだけである。となると私たちの障害の定義を図に表すと、次ページに示した図④のようになるはずである。

図4

つまり、障害を内包した生活の場から出発し、疾病や変調による直接的な身体障害にアプローチするものを治療的リハビリテーションと呼ぶ。そして身体障害そのものだけでなく、生活障害や関係障害を治癒することで身体障害と障害のより全体的な像にアプローチするのを生活リハビリと呼ぶのである。

もちろん、生活障害、関係障害が及ぼす身体障害への影響は、WHOが言っている廃用性萎縮なんてものだけではなく、前述した如く「身体の非生活化」「身体の非関係化」とも言うべき本質的な障害なのである。

それにしても私たちが専門家から白い目で見られながら実践してきた遊びリテーションは、遊びを通して老人が身体の主体となり、みんなといっしょに身体を動かすというものであった。WHOの活動と参加を文字どおり先取りしてきた画期的なものだったと言えるだろう。

さあ、WHOの定義が変わるや一斉に教科書が変わりカリキュラムが変わって、猫もしゃくしも「活動」「参加」と言い始めるだろうが、私たちはこれまでやってきたように、遊びリテーションと一人ひとりの生活づくりと関係づくりのリハビリをやっていこう。


2000年5月 介護夜駄話 障害の定義が変わる 〈上〉

WHOをご存知だろうか。誰か判らないからWHO?じゃないの、などと言わないでほしい。世界保健機構のことである。
このWHOが1980年に「国際障害分類」を発表している。これはICIDH80と呼ばれている。 ICは国際分類の意、そしてIDHのそれぞれが障害の分類を表す。すなわち、
I  lmpairment(機能障害)
D Disability(能力障害)
H Handicaps(社会的不利)
のことである。これらはいまやリハビリ関係者だけでなく、ケアマネジャーをはじめとして多くの介護関係者が憶えておかねばならないものとして広まるに至っている。介護福祉士の受験のために暗記させられた人も多いだろう。

私たちは以前からこうした障害の捉え方に異議を唱えてきた。まず主な第1点は、I、D、Hのいずれもが、近代的な個体還元論に依拠しているという点である。

I(機能障害)が個体の問題として捉えられているのはいうまでもない。従ってこれに対しては、個体への治療や治療的リハビリテーションという方法が対応することとなる。

D(能力障害)もまた、Ability という十全な能力をもったものを前提としたDisability という個体の問題としか捉えられておらず、障害に応じた生活づくりという我々の現場での実践に向かうことなく、“本来あるべき標準生活”に個人を適応させようとする「ADL訓練」が対応することとなった。

H(社会的不利)もまた同様である。この一見、個体から離れた社会的位相を持ったかに思える言葉も、社会を個々の障害者とはかけ離れたところに前提的に存在させ、その社会と障害者個人とを対立させるものとして捉えている。

従って個人を社会の側に適応させるという、「ウルトラ能力主義」(障害者に健常者以上の能力を!)になるか、逆に「社会を変えよう」と叫ぶ社会派による「バリアフリー運動」や、政治理念への障害者の囲い込みになるといった結果しか生んでこなかった。

一人ひとりの障害者に人間関係づくりをすることで、そこに具体的な新たな社会を「社会」の中に内包していくことにはならなかったのである。そこには『僕がキミのバリアフリーになってやるよ』(人気TVドラマの木村拓哉扮する主人公のセリフ)といった具体性すらイメージされてないのである。

第二の主な問題点は、こうした3つの概念のもつ個体還元論が、さらに図①のように、I→D→Hを一方的に矢印で結びつけたことによって、障害者へのアプローチを決定的に誤らせたことにある。

図①

これによれば、社会的不利(H)や能力低下(D)は、機能障害(I)の一方的結果であるとされてしまった。そこから出てくる実践的結論は、当然身体に対する治療と治療的リハビリテーションだということになる。

もちろんそれらは重要である。一定の時期と一定の割合ならば。だがここでは、Iが全てを決定するのである。障害者の社会的不利や低下を防ぐためには、機能障害を軽減せねばならない、という善意(医療の支配欲や産業の利益?)によって、他のものを犠牲にしてまでなされる医療とリハビリが何をもたらしただろうか。

「早期発見、早期治療」という名による「早期選別、早期隔離」は、障害児を社会はもとより家族からも切り離してリハビリの対象として一生を送らせるといった愚行を行ってきた。生活や人間関係から遠ざけることで、治そうとしてきた身体すら維持・改善していかないのである。

なぜなら、身体機能は、生活と人間関係の中でこそ生きた機能を発揮し、維持、再構成されていくものだからだ。障害老人が「もっと手足が良くなるため」と言われて長く入院させられると何が起こったか。

訓練による苦痛と、若いPTやOTに怒鳴られた屈辱によって、生きていく気力さえ失った老人を大量に排出している。これらは「廃用性萎縮」つまり、使われない筋力が少しずつ低下したといった牧歌的な現象ではない。「身体の非生活化」「身体の非関係化」とでも言うべきものによって主体が崩壊を来しているのだ。

そしてこうした主体の崩壊によって、身体機能は、もともとの身体の障害による以上の障害をこうむっているのである。それはそうである。筋肉や関節可動域は生活していくための武器である。いくら武器が立派でもそれを使いこなす主体が崩壊していては何の役にもたたない。

かくしてI(機能障害)が基本であるとする個体還元論は、身体にのみこだわることで身体をも救えないのである。こうした障害を巡る現実的な実態に対する方法論を手に入れるため、私たちは、I、D、Hにこだわらず、15年前から「生活リハビリ講座」で「生活障害」と「関係障害」という概念を提出してきた。
そしてそれを、図②のように相互的関係として提起した。

図2

私たちは老人介護の世界にいるので、Iにあたる部分は「身体障害」としているが、精神障害などの世界も含めて、WHOと同じように「機能障害」としてもよかろう。
そのWHOが今年、障害分類を見直すのだという。その試案は、私たちの考え方にかなり近づいてきているのだが、その検討は次号で。


2000年4月 介護夜駄話 妖怪度認定

三好 毎日遅くまで仕事してるそうじゃないか。

客人 介護保険のせいで毎日残業が続いている。夫婦仲まで影響しそうだよ。

三好 お前のところはもともと夫婦仲は悪かったじゃないか(笑)。介護保険のせいにしちゃいかんよ。

客人 こんなに忙しいときでも各地の研修会にはよく人が集まってるらしいな。みんないったいどうなるのか不安だから君の言うことを聞きたがってるんだろうな。

三好 矢島嶺先生の話なんか聞くとホッとするもんな。そういえば、福岡での「介護保険がやってきたセミナー」の前夜、一杯飲んでて「よりあい」の下村恵美子さんたちが矢島先生と意気投合、終了後温泉へ行こうということになった。

原鶴温泉の旅館の男性用露天風呂に下村さんたちが入って矢島先生の“介助”をしたらしい。いっしょに来てたPTの中井さんは「九州ではみんなこうなんですか」と驚いていた。

客人 やはり下村さんが惚れ込んでいる詩人の谷川俊太郎さんも黒川温泉で身体を流したりマッサージしたりしたらしいじゃないか。

三好 谷川さんが「よりあいの介護の本質がよくわかった。年寄りをオモチャにすることだ」と言ったとか。でもあそこは混浴だったからまだしも、今度は男風呂乱人だもんなあ。そこで下山恵美子らの妖怪度認定5とする。

客人 なんだいそりゃ(笑)。こっちは要介護認定に振り回されてるというのにそんなことやって遊んでるの(笑)。妖怪度といえば3月4日、埼玉県狭山市で開かれた「特養オリーブ開設セミナー」にやってきた講師たちも妖怪度は高いよなあ。

三好 高口光子に鳥海房枝、阪井由佳子と女性が3人。妖怪度5、4、3といったところだろうか(笑)。

客人 高口さんは相変わらず刺激的だったし、今回初めて聞いた鳥海さんは、東京にもこんなことやってる特養があるというのに驚いたなあ。阪井さんの話には涙ぐんでる人も多かった。

三好 もう1人の男性講師の斉藤次郎さん(※)はどうだった?

客人 あの人も妖怪の部類じゃないの?(笑)最初は障害児の絵本の話なんかして、心温まる話かと思ったら、だんだん怪し気になってくる。だいたいあの齢で小学校に“留学”したというのが変わってるよなあ。

三好 青森県の小学校の4年生のクラスに1年間“留学”して『気分は小学生』(岩波書店)という本も出してる。

客人 そこで子どもに友だちだと認めてもらうにはどうしたらいいかという話になるんだ。そこで出た結論が「怒らない、教えない」。あれはおもしろかったね。

三好 怒らない、はわかるけど、教えないというのがいいよね。

客人 教えたがる教育熱心な先生ほど怒るんだけど、生徒には嫌われてたよね。怒らない、教えない先生って誰も授業聞いたりしてないんだけど、授業中の無駄話なんかが、今でも印象に残ってるんだ。教えない先生のせいで成績が下がったということもないしね。

三好 この「怒らない、教えない」は、老人との関わりにもそのままあてはまるなあ、と思って聞いてたね。

客人 看護婦には「怒る、教える」タイプが多いなあ。介護職でも資格もってる奴ほどそういうのが多い。

三好 老人とのいい関係というのはちょうどこの反対じゃないかな。つまり「怒られる、教えられる」という関係。

客人 あ、それいいなあ。老人に介護職が怒られたり教えてもらったりしてるっていうの。介護職が老人に「すいません、気がきかなくって」とか「ヘーえ、そうなの」なんてコトバを言ってるところは間違いなくいいケアやってるはずだよな。

三好 そういえば高口さんは、何かあると入所者の最年長の人にお伺いを立てに行くなんて言ってたなあ。

客人 若い職員が穴だらけのジーパンで仕事するのがいいかどうかという件ね。そのお年寄りが「言うてやるな、家が貧しいんじゃろう」と言ったという話ね(笑)。

三好 子どもと遊ぶ名人として良寛のことも出てきたな。良寛はいろんなものを捨てていくことで子どもと出会えたという話。

客人 未だ持たざる子どもと、若さや力を捨てていく老人との共通項として「無力な者の力」と言ってたのは印象的だったな。生産第一主義の世の中に必要なのは確かに「無力の力」かもしれんな。

三好 子どもと老人の無力者連合で日本資本主義を倒そう、なんてアジテーションまでやってたなあ。

客人 あれはご愛敬だろう。案外本気かな(笑)。

三好 じゃ、斉藤次郎さんの妖怪度認定はいくつだろう?

客人 立派に5じゃないの(笑)。

三好 審査への不服申し立てがくるんじゃない

客人 高すぎる、という不服ね(笑)。そういえばうちの市は要介護認定の不服申し立てを受け付けてくれないんだ。

三好 そんなことありえないだろう。法律でちゃんと決まってるじゃないか。

客人 でも家族が窓口で再審査を要求しても、何だかんだと言い訳やら書類の不備を言いたてて受け付けないんだ。2~3回追い返されたら家族は不満でもこのままでいいか、と思ってしまう。それを狙ってるとしか思えない。

三好 ひどい話だなあ。おそらく担当者は、判定委員会の偉い先生方のご機嫌を損ねてはいかんなんて思ってるんじゃないだろうか。せっかくこうした民主的ルールをつくっても、権威にへつらう連中がいるおかげで何ら機能しないのが日本の社会だよな。

客人 まさしくフーコーの言うとおり、権力は下からつくられる。

------- ※斉藤次郎(さいとうじろう)
1939年埼玉県に生まれる。子ども調査研究所で、子どもの生活、文化について14、5年勉強。そのうち、いつからともなく著述業者に。学校の管理教育のありようを批判、登校拒否、いじめ、非行問題についても子どもの側に立って発言してきた。
著書は『子どもたちの現在』『子ども本位宣言』(風媒社)「子どもを見直す」(中公新書)『手塚治虫がねがったこと』『気分は小学生』(岩波書店)『子どもの心探検隊』(赤ちゃんとママ社)『母親の条件 父親の条件』『「子ども」の消滅』『子どもたちの世紀末』、芹沢俊介との往復書簡『この国は危ない』(雲母書房)他多数。季刊雑誌『子どもプラス』(雲母書房発行)編集長。


2000年3月 介護夜駄話 介護は介護力でも理念でもない

客人 前回の「介護の社会化」への異議はおもしろかった。介護力の社会化はいいが、介護の本質である介護関係の社会化に異を唱えて、介護職がエロス的関係をつくりあげようという主張だよな。

三好 ところがジャーナリストを始めとしてみんな「介護の社会化」には大賛成なんだ。ということは彼らは介護を介護力としてしか見てないということだと思う。

客人 なるほど。だから制度論に終始して、財源を確保してマンパワーさえあればどうにかなると思ってるんだ。

三好 その制度論に現場まで乗せられて、保険の限度額が上下するたびに一喜一憂してるなんてのはみっともないもいいところだ。

客人 そのマンパワーでどんな介護をするのかが問われているというのに。介護は介護力と“やさしさ”とかいった倫理観さえあればできると思っているんだろうな。

三好 そう。介護を介護力だとしか思っていない俗物施設長と、それに倫理を付与する進歩主義や市民主義の施設長に、大きく分けて2分できる。でもヒューマニズムとか市民主義といった理念で介護ができるはずがないじゃないか。

客人 ヒューマニズムを信奉する職員が現実の老人から相手にされず、「マザー・テレサに会いに行く」とインドに行ったという話が君の『じいさん、ばあさんの愛しかた』(1998年、法研)にあったよな。あの本の中で俺はあそこが一番おもしろかった。

三好 理念がいくら立派でも老人には通用しないという典型だよね。いや理念なんかで関わろうとすることそのものがダメじゃないかと俺は思うけど。

客人 どんな理念より生活の幅は広いし、老いの奥行きは深いからな。でもお前の「専門性じゃない」という話を聞いて「やっぱり理念なんだ」と誤解する奴はいっぱいいるぜ。

三好 そう。2時間しゃべって控え室に帰ると、主催者から「やっぱり大事なのは心ですねえ」なんて言われることがある(笑)。

客人 おいおい、何を聞いてたんだ(笑)。

三好 まあ、介護は介護力じゃないという意味で“心”というのはわからないでもない。でも、その、心ある介護は、心ない介護とどう違うのかが具体的に示されなきやダメなんだよ。心ある介護者なら、Aさんという老人のベッドの高さを何センチにするのか、ベッド幅は何センチにすればいいのかが提示できなきゃいけないはずなんだ。だって介護は具体的な方法論の蓄積なんだから。

客人 みんなそんな方法論が必要とは思ってなくて、介護は介護力と倫理に引き裂かれたものになってしまってる。

三好 まず医療関係者がダメだ。彼らが老健とかデイサービスの分野に入り込んできたけれど、医療の世界は傲慢な世界だから特養ホームから学ぼうなんて気はサラサラない。そこで介護が30年もかけてやってきたことを無視して振り出しに戻すんだ。

あれだけ役に立たぬことが繰り返し実証されている「リフト浴」をいまだに導入したがる医者の多いこと!それも従来の医療を批判して、けっこうちゃんとした実践をしている人だったりするから嘆かわしいよ。

客人 組合とか生協といった進歩主義者はどうかね。 NPOといった形で介護の世界に入ってきてるけど。

三好 この連中はもっとダメだ(笑)。組合や生協がつくった施設で職員との間でもめ事が起きている例が多いんだよ。彼らの最大の欠陥は、自分たちの立派な理念をもってすれば老人介護も立派にやっていけると考えていることだ。理念で介護ができてたまるか。

客人 そういえば某生協のつくった特養ホームは職員の解雇、それに対する提訴というドロ沼状態だというな。労働者の味方のはずだろうけど、介護労働者の気持ちはつかめないみたいだな。

三好 これもある生協の話だけども、そこが運営するデイセンターが、家庭用の風呂を使ってどんな寝たきりでも入浴させてて全国から見学に来る人が絶えないくらい有名だというのに、同じ県内に同じ生協がつくった立派な老人施設の風呂はまったくこれとは違ったものになってるんだ。

彼らは「老人介護をやってます」という看板が欲しかっただけで、老人介護の中身には何の興味もなかったことがこれでわかるだろう。具体的方法論を提示できない理念は現場の介護職には押しつけとしか映らないさ。

客人 その具体的方法論の蓄積はどこにあるんだい。つまり介護の教科書は?

三好 竹内孝仁氏の『介護基礎学』(1998年、医歯薬出版)と、厚かましいけれど私の生活リハビリ研修シリーズの5冊くらいしかないと思ってる。

客人 そういえば6冊めの「生活リハビリ体操」はどうした。まだ出ないのか。

三好 いま書いてるよ。遅れて申し訳ない。

客人 最後に1つ質問があるんだ。子どもの問題についても、君の説のように「エロスの不在」に求める説があって、それを宮台真司が批判しているんだ。宮台はむしろ核家族というエロス的家庭こそが問題をつくり出したじゃないかというんだけど、君はどう思う?

三好 男女のペアをエロスの基本として捉えるのは近代的思考だと思う。俺は親子関係、特に母子関係こそエロスの基本だと思うね。とすると男女のペアという核家族は、じつはエロス的関係から逃亡した場だと言えなくもないんじゃないかな。

客人 そうか。宮台といえば「制服少女たちの選択」(1994年、講談社)を始めとして、ブルセラとか援助交際といった若者の現象を、古い倫理主義とは決別したところで見事に解説してくれる社会学者として評価してるんだけど、近代主義者だと言われればそうかもしれん。

三好 近代というもののもたらした現象についての分析は見事だよ。「宮台真司これが答えだ!」(飛鳥新書)もおもしろかった。でもどっか異和感があるんだよな。

客人 違和感じゃなくて異和感な。世代のせいじゃないの。

三好 あんまり年寄り扱いするんじゃないよ。近く宮台真司と会うので、その異和をちゃんと確認してきたいと思っている。


2000年2月 介護夜駄話 亀井静香の無意識
  ~社会化される介護のエロス化を~

客人 今年初めてだよな。でも新年のあいさつなんかするタイプじゃないようだな。お前からは年賀状ももらった覚えもないし。

三好 若い頃、世間や世間の習慣すべてに嫌悪を感じていたことがあってその名残りが続いてるんだ。読者の皆さんにもこの場でお詫びしておこう。

客人 選挙にも結婚式にも一度も行ったことがない、というのもその名残りらしいな。ま、老人の生活習慣を変えるのは無理らしいから何も言わないけど。ところで今年は介護保険元年でもあるけど、それについてどう思うかという質問をよく受けるだろう?

三好 そう。介護の社会化という方向性は必然的なものだと思ってきた。しかし、その社会は企業社会、マニュアル社会だから、介護も皮相な金もうけ主義と画一的マニュアル化に侵されるだけなのは間違いなさそうだ。

客人 社会化というと、いっぺんに遠い抽象的なものになる感じはするよな。

三好 そう、だからせいぜい「介護の町内化」くらいにならんかと思っている。

客人 ああ、新聞にお前の発言として取り上げられてたな(※)。具体的にはどんなイメージだね。

三好 ちょうど民間デイがやってる実践をイメージしている。あそこに○○という婆さんが困ってる、と言うと、関係者が老人の顔も家族も家も思い浮かべられて、どうしようか、とすぐ額を寄せ集めて対応を考える、なんて実践だよ。それを介護保険が金銭的にバックアップするという形だ。

客人 書類だけで老人を語るんじゃなくてな。ましてコンピュータにケアプラン出してもらうところまであるらしいぜ。しかしそんな手づくりのやり方が通用するかな。全国チェーンの介護社会が効率よくやります。なんて言うとそっちに流れていくんじゃないの。

三好 街の家族経営の料理店が、ファミリーレストランに取って代わられたみたいなことが起きるだろうな。だから我々はいつも時代に逆らう“ドン・キホーテ”という訳だ。

客人 そういえば昨年秋、介護保険が「子が親を看る美風を損う」と言って異義を申し立てた亀井静香もドン・キホーテ扱いだったな。

三好 マスコミでの評判は散々だったな。でも俺は亀井静香の発言に共感するところがあるんだ。

客人 そりゃ意外だな。まさか政治的立場に共感してる訳じゃないだろう。

三好 それはない。しかし彼は直観のようなところで大衆をちゃんと捉えているところがある政治家だと前から思っているんだけど、今回の発言も、本質的なところでの「介護の社会化」に対する異議を表しているように思うんだ。

客人 うーむ、よく判らんな。俺には反動的発言としか映らないけどな。

三好 介護保険の次に厚生省が持ち出してくる課題は育児だろうと思う。育児能力の低下した家庭が増えて、虐待が社会問題化してる。でもそこで「育児の社会化」なんて言われたらどう思うかね。

客人「育児の社会化」にはちょっと抵抗があるなあ。

三好 そうだろう。極端な例になるかもしれないけれど、育児の社会化なんて歴史上失敗だらけだ。旧ソ連の集団農場の集団保育もイスラエルのキブツでの試みもうまくはいっていない。オウムやライフスペース、ヤマギシ会なんかがやってることもそれの縮小再生産で問題だらけだろう。たとえどんな優秀な専門家が育てるにせよ、親子という排他的でエゴイスチックな関係のほうがどんなにかマシだということは明らかなんだ。

客人 個々には問題があったとしても、だ。

三好 そう。だから、よほど問題があるとき以外、社会は家庭に介入しないし、よほどひどい親でない限りは施設に収容したりしないはずだ。社会がやるべきことは、あくまで私的に行われる育児の支援であって、「社会化」することではないはずだ。

客人 そうか。じゃ、「介護の社会化」にももっと抵抗があって然るべきじゃないか、と言いたい訳か。

イラスト 三好 そのとおりだ。俺は、介護によって生活が破たんしていく家族に代わって社会が介護力を提供することは当然だと思っている。ここは誤解してほしくないところだ。しかし、本来、非合理的で情緒的なエロス的関係である家族との関係まで、合理的で契約的で無色の社会的関係に変えてしまうとしたら問題ではないか。

ここで言うエロスというのは、親と子、男と女、人と人が互いに求め合う人間関係の基本というふうに考えて欲しい。それがなくなることは、老人にとっては介護力がなくなるのと同じくらいのダメージになるんじゃなかろうか。

客人 でも家族は解体していく一方だろう。『老人介護問題発言』(雲母書房刊)の中で谷川俊太郎氏が言ってるように。お前はその対談の中で抵抗してるけど、家族の解体は止まりようがないと思うぜ。

三好 でも俺は人間が個人というミクロにまで解体されることはないだろうという思いを捨て切れないんだ。むしろ個になればなるほど情緒的でエロス的な関係を求めると思うね。

客人 家族は解体しつつあるし、社会は企業社会とマニュアル社会で家族に代わるエロスは内包していない「町内」にもそれがあるとは思えんけどな。

三好 やり方だよ。近代的とはとても言えないようなブリコラージュそのものでやってきた民間デイにはエロスが濃厚にあるじゃないか。

客人 かつて「ライフケア浜松」(静岡県浜松市)の見野孝子さんが「他人以上、身内未満」なんてすごいキャッチフレーズをつくったけどそれに近いイメージかな。

三好 そう。「社会」ほど遠くなく、「家族」ほど近くはないところに、介護というものを位置づける。つまり、介護保険によって社会化された介護をもう一度新しい形で家族化=エロス化することが必要だと思ってるんだ。

いい介護職はとっくにやってることだけどね。そんな人たちが介護保険という制度によって、介護の中身まで「社会化」という無色でエロスのないものになってしまわないことを願っている。

※ 朝日新聞大阪本社版(1999年12月24~26剛に三好春樹と誠利園の実践、坂本宗久さん、朝倉義子さん、小林早智子さんなどを紹介した記事が載った。大阪版以外の版にも掲載されたので目にされた読者の方も多いのでは…。


2000.1月-1999.12月 介護夜駄話 フーコーから介護世界が見えてきた

客人 11月も忙しかったようだな。

三好 秋田に2日いて沖縄、宮古島、石垣島と、久しぶりに6泊のツアーだった。

客人 今年を振り返って何か一言。

三好 1988年に広島でオムツ外し学会を開いたときは、夢が実現した!と思ったものだ。それが今年は北は稚内で10月に、11月は石垣島でと、北と南の果てでオムツ外し学会を開けたなんて感激ものだよ。

客人 もう行くところがなくなったな(笑)。

三好 石垣よりもっと西の西表でどうだという話はある。北から南まで、一文になるわけでもないのに学会を開くため、いいケアのために活動してくれる人がいっぱいいるというのがありがたい。

客人 来年の抱負は?まさか樺太と台湾で、なんて言わないだろうな。

三好 抱負なんてないよ。俺はもうピークは過ぎたから、あとは下り坂を重力に逆らわないでちゃんと下っていこうと思ってる。

客人 なにを気弱なことを。まだ君に期待してる現場はいっぱいあるぜ。

三好 50歳にもなって「いつまでも前向きに、若々しく」なんて気持ち悪いじゃないか。「年相応」でいいよ。

客人 でも「いつまでも若々しく」なんてのが高齢社会のスローガンみたいになってるぜ。

三好 そりゃ、老いに対する恐怖感の表れだよ。老いと向き合いたくないんだな。

客人 誰だって年とりゃ近代的主体が崩壊するんだけど、それを認めたくないんだろうか。

三好 秋田でも沖縄でもこんな話を聞いた。特養ホームに個室がいくつかあるんだが、老人はそこに入りたがらないというんだ。「さみしいから4人部屋に入れてくれ」と訴える。家族も怒ってくるそうだ。「なんでうちの婆さんだけ1人ぼっちにするんだ」と言って。

客人 都会では完全に個室指向だけどな。

三好 でもプライバシーばかりを気にする近代的主体なんて老化と共に崩壊するから、都会でも個室は「独房」になるだけだよ。いま関わってる新設予定の特養も、全室個室の壁を取り外しできるよう変更するのに苦労したものさ。

客人 秋田県といえば全室個室を売り物にしてる有名な施設があるじゃないか。

三好 うん。行ったことはないけど、とても老人のニーズでつくったとは思えない。進歩的ジャーナリストや評論家がアドバイザーなんかになって、老人のニーズより自分たちの理念を大事にしてつくった結果だよ。

客人 その理念が“近代的主体よ、永遠なれ”というものだな。

三好 そう。老いても死ぬまで“主体”であることを強制する。一種の近代の暴力だね、、これは。

客人 そうか。毎月ミッシェル・フーコーの勉強会をやっていると聞いたけど、その理由がわかってきたよ。フーコーは、“近代的主体¨は近代がつくりあげた幻想だと言ってるものな。

三好 そう。テキストとして使っている「フーコー・知と権力」(講談社)は、フーコー関連書としてはわかりやすいと評判だが、それでも我々には難解。でも印象に残る文章がいくつもあったのでその一部を挙げておく。

人間はすばらしい、人間ばんざい、人間らしくあれ、われらの社会は、人間に関するあらゆるスローガンに満ちている。だが、そのすばらしい人間が、なぜ、戦争で大量殺戮をし、強制収容所で虐殺をし、拷問をするのだろうか。

人はそれを機械のせいにし、制度のせいにするが、人間という存在がこの機械を作り、制度を生み出してきたのではないだろうか。人間はすばらしい存在だとしながら、ヒューマニズムは、異なる生き物の運命には無関心ではないのか。ヒューマニズムという人間中心主義は、自然環境の破壊を肯定し続けてきたのではないのか。

近代のすべての学問の中心に「人間」という価値がインプットされ、自然界のなかで、「支配者としての人間」を中心とする傲慢な思想が生み出されてきたのではないか。そして、現在の野蛮な状況は、その「人間」によって、人間の近代的理性によって生み出されたものではなかったのか。

われわれは、他者との関係の網目のなかに生きているのであって、時代や社会関係に応じて「自己」は、そのつど作りあげられているにすぎない。普遍的で固有な「自己」という名前の主体は存在しないのだ。「なにものにも依存せず自立した主体」などというものは存在しない。

われわれは、いかなる時でも、生きている時代や属している社会の無意識的な構造(儀礼、慣習、イデオロギー)によって、あるいは社会関係、人間関係によって規定されたうえで判断を下し、行動しているのだ。日本でも、ドイツでもフランスでも、「お前はどうするのだ」という告白を迫ったのも、そうした最後の「主体」信仰のなせるわざだったといっていい。

社会関係のなかに人が存在して、そのなかで動かされていることを認めず、自律的な存在として自分をコントロールできると思い込むことは、他人をも簡単にコントロールできると思い込むことにつながる。

全体主義というのは、そうした自己コントロールの思想の延長上にあると考えるべきである。自己開発だの、自己啓発だのという心理的コントロールが、全体主義的テクニックだというのは、そういう意味である。  「フーコー・知と権力」(講談社)より抜粋


客人 そうか。“自立した個人”といった主体万能論が全体主義とつなかっていたんだ。どおりで「人権」を叫ぶ人たちがどうしてあんなに強迫的なのか不思議だったのだが、全体主義と通底していたんだな。

三好 フーコーの勉強会は、「人間という概念の崩壊」から「権力と処罰」、さらに「牧人権力」というところへ入っていく。君も来てみないか。

客人 そりゃおもしろそうだけど、難しそうだもんな。構造主義でもっとわかりやすい本があったら紹介してくれよ。

三好 じゃ季節にぴったしの本を1冊。『サンタクロースの秘密』(せりか書房2,000円)はどうだい。レヴイ=ストロースの「火あぶりにされたサンタクロース」に、訳者でもある中沢新一が「幸福の贈与」という解説文を加えて1冊の本にしたものだ。

じつは1951年のクリスマスに、サンタクロース(の人形)が火刑にあっている。カソリック教会が、アメリカナイズされた商業主義だとしてサンタクロースを異端だと審判し“火刑”にしたのだそうだ。にもかかわらず、サンタクロースが全世界に急速に広まったのはなぜか、ということを論じた本なんだ。これで構造主義がわかるわけじゃないけど、これは優れた「子ども論」であり「贈与論」だよ。

  サンタクロースの秘密  フーコー・知と権力

客人 ということは「子ども論」を「老人論」に、「贈与論」を「介護論」に置き換えて読めということなんだろうな。

三好 そう。介護保険なんかで語られているのとはまったく違ったところから、老いと介護の意味が見えてくるかもしれんよ。

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「サンタクロースの秘密」
著者:クロード・レヴィ=ストロース
版型:四六判・112頁
定価:2,000円+税
発行:せりか書房

「フーコー・知と権力」
著者:桜井哲夫
版型:A5判・340頁
定価:2,524円十税
発行:講談社
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1999.11月 介護夜駄話 流れに逆らう根拠

客人 介護保険の施行が近いということで、新聞もテレビも介護問題を大々的に取り上げているけど、老人福祉月間もあったというのに、君にはどこからも声はかからないんだな。

三好 そうでもないんだけど、4日後にスタジオに来いなんて話じゃとても無理だよ。それに介護保険についてのこちらの話は現場向けのオフレコの内容ばかりだからテレビには出せないだろう。

客人 そりゃそうだな。「客観的に評価するな。ニーズで評価しろ」とか「介護拒否で認定額が上がるぞ」なんて話だもんな。

三好「認定作業ができることが介護だと思ってるヤツがいる。あんなのは保険の査定屋でしかない。しかもコンピュータの使い走り」とか、「MDSは”問題だらけ、センスなし”の略だ」なんてことも言ってるからなあ。

客人 なんでそんな憎まれ口ばかりをたたくんだね(笑)。

三好 だって介護を巡る今の流れはすごいもんだよ。アメリカの会社と提携した企業が訪問介護の会社のフランチャイズを募集して、説明会に人が押しかけてる様子をNHKの特集番組でやってただろう。

客人 ああ。最後に訪問を受けているお婆さんが、毎日何人ものケアスタッフが入れ替わりでオムツ交換に来るんで「名前も覚えられなくて…」と笑ってたな。

三好 「介護の社会化」それ自体はいいスローガンだが、実は介護の「企業化」「マニュアル化」へと急速に向かっているんだよな。

客人 でも考えてみりゃしょうがないよな。社会なんてとっくに企業社会化、マニュアル社会化してるんだものな。でもその歯止めとしてNPOがあるんだろう。

三好 でも大部分のNPOは「ケアを知らないNPO」だから、形態だけは企業化を免れても、ケアの中身となると結局大企業のつくったマニュアルを追っかけるしかないだろうと俺は見ている。ある民間会社に勤めていたヘルパーの話だが、訪問に行ったケースのオムツを換えようとして肛門をのぞくと、肛門括約筋が開いていた。つまり排便反射が起きているんだ。

そこですぐにトイレに誘導して座ってもらうとちゃんと便が出たというんだ。でもそれで時間が余分にかかって会社に帰るのが遅れたらしい。訳を話したら、誉めてくれるかと思ったら「あなたの仕事はオムツ交換だから、トイレに座らせちゃいけない」と叱られたというんだよ。彼女はすぐにそこを辞めたというけどね。

客人 そりゃひどいな。ケアを知らない。

三好 そこだって、民間会社とはいえちゃんとした理念をもってるところで、代表は講演なんかしてるんだぜ。

  photo

客人『まちの雑誌』の連載で君が2号と3号に「よい施設の見分け方」を書いていたけど、東京都の特養で全員特殊浴槽に入れてるなんてところがあるとのことだが、施設だってケアを知らないところがあるんだものな。

三好 歩ける老人は自分で着物と靴を脱いでストレッチャーに横になってる。呆けてる人はストレッチャーの上で動くからというので、ひもで身体を縛って風呂に入れているそうだよ。これじや、寝たきりは寝たきりのまま、寝たきりでない人まで寝たきりにするというとんでもないケアだ。

客人 で、施設のパンフレットには「やさしさとまごころ」なんて書いてあったりするんだよな(笑)。

三好 そのとおり。この施設も住民運動がつくったとかいって、その代表は有名な人だというんだからあきれちまう。こうした市民運動とか住民運動をやってるおばさんたちは「老人問題」には興味をもっても「老人介護」には興味を示さない連中なんだ。だからこんなことになる。

客人 そんな人に限って「人権を守れ」なんて言うんだよな。

三好 そう。俺は「人権」を声高に叫ぶ人がどうして「プライバシー」と「言葉使い」しか言わないのか不思議でたまらない(笑)。それは「人権」というものの表面をなぞってるだけだよ。どんな入浴ケアをするのか、どんな排泄ケアをするのか、どんな生活づくり、関係づくりをするのかこそが「人権」じゃないか。
でも彼らはそういった具体的な内容を何も提案できないから、「プライバシー」と「言葉使い」しか言えないのさ。だいたい「人権」と言う人は入浴ケアや排泄ケアなんかしないもんな。

客人 しててもすぐに大学の先生なんかに出世してる。

三好 いや成り下がってるんだよ。介護現場じゃ誰も相手にしてくれないから、弱い立場の学生なら影響力を与えられるだろうと考えているんじゃないの。かくして、またまた、介護を知らない介護福祉士なんてのが大量につくられる。

客人 介護がこんなに語られているのに、どこにも介護がないという皮肉な時代になりつつあるというわけか。

三好 ヘルパー養成講座なんてのもひどいもんだ。食事ケアというとすぐにスプーンで食べさせるやり方を教えるんだから。「介助しなくてもいい方法」を教えなくちゃいけないんだ。「老人が1人で食べるための工夫を10考えなさい」なんて教え方こそケアの教育のはずだよ。

客人 排泄ケアというといきなりオムツの当て方だもんな。三好「オムツをしなくていい工夫を10考えなさい」という教育が必要なんだ。現場はそんなことを毎日のようにやってきている。その個別的でマニュアル化なんかできない工夫のおもしろさのわからないヤツが先生に成り下かってないか。

客人 また憎まれ口だな。介護保険に立ち向かうドンキホーテみたいでいいけどな。

三好 おい、サンチョパンサ、後に続け(笑)。

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